第3話世界が追ってくる
走っていた。
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神代湊は、ただ前へ走っていた。
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息が苦しい。
脚が重い。
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なのに止まれない。
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いや。
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“止まりたくない”。
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その感情が、自分の中にあることが信じられなかった。
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背後で警報音が鳴り続けている。
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【長期管理対象の逸脱を確認】
【回収プロトコル起動】
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街の空気が変わる。
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人々が立ち止まる。
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視線が集まる。
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神代を見る。
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その目には驚きがあった。
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理解できないものを見る目。
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「男が……走ってる……?」
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誰かが呟く。
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この世界では、男は守られる存在だ。
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囲われる存在。
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だから、“逃げる”という行為そのものが異常だった。
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梨沙が神代の手を引く。
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「こっち!」
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細い路地へ入る。
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高層区画の裏側。
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管理の目が少しだけ薄くなる場所。
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神代は呼吸を乱しながら言う。
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「捕まる」
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梨沙は即答する。
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「うん」
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「じゃあ……!」
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「それでも!」
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声が強い。
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今まで見たことがないくらい。
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「湊が、“自分で決めた”ってことが残る!」
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その瞬間。
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神代の胸の奥で、何かが激しく揺れる。
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“残る”。
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この世界では、記録ばかりが残る。
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データ。
適合率。
役割。
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でも今、梨沙が言っているのは違う。
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“意思”だ。
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背後からドローン音が近づく。
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探索機。
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空間認識ライトが路地を照らす。
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梨沙が立ち止まる。
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「……っ」
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神代は初めて、自分より先に梨沙を見る。
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怖がっている。
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でも逃げていない。
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「なんで」
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神代が言う。
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「なんで、そこまで……」
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梨沙は数秒黙る。
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そして。
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少しだけ笑う。
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「好きだから」
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空気が止まる。
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神代の思考が、一瞬だけ完全に白くなる。
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好き。
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その言葉の意味を、知識では知っている。
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でも。
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今まで、自分へ向けられたことはなかった。
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必要。
価値。
適合。
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そういう言葉しか知らなかった。
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梨沙は苦しそうに笑う。
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「ほんとは、もっと前に言いたかった」
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「でも」
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「湊、ずっと誰かのものだったから」
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その言葉が、胸に刺さる。
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神代は初めて理解する。
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自分は今まで、“愛される”のではなく。
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“利用される前提”で生きていた。
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警報音が近づく。
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【対象位置固定】
【回収班接近】
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梨沙が神代を見る。
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目が少し潤んでいる。
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でも泣いていない。
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「湊」
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「今だけでいい」
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「自分で決めて」
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世界が迫ってくる。
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管理。
制度。
役割。
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全部が、神代を“元の場所”へ戻そうとしている。
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でも。
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今、初めて。
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神代湊の中には、“戻りたくない”という感情がある。
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神代は梨沙の手を握る。
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自分から。
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初めて。
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そして言う。
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「……逃げる」
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その瞬間。
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神代湊は、“管理対象”ではなくなる。
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一人の人間として。
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初めて、自分で未来を選んだ。
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(第4章 第3話・終)




