第2話壊れたまま生きる人
地下区画で見た男の顔が、消えない。
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神代湊は、その日も通常業務を続けていた。
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面談。
適合確認。
記録更新。
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すべては問題なく進んでいる。
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だが、自分の中だけが少しずつ遅れている。
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「神代さん」
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管理官が声をかける。
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「次の対象は特別管理案件です」
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神代は端末を見る。
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【心理維持観察対象】
【長期接触疲弊個体】
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場所は医療管理区画。
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以前にも訪れた場所だった。
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しかし今日は、空気が違う。
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静かすぎる。
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まるで、ここだけ感情の音が消されている。
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部屋に入る。
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女性がいた。
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年齢は三十代後半ほど。
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姿は整っている。
髪も服も、きちんとしている。
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なのに。
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“人間の気配”だけが薄い。
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女性は窓の外を見ていた。
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神代たちが入ってきても、すぐには反応しない。
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数秒遅れて、こちらを見る。
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「……あ」
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声が軽い。
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軽すぎる。
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管理官が説明を始める。
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「長期接触による情動疲弊です」
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「感情維持機能に段階的欠損が見られます」
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機能。
欠損。
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その説明は正確だった。
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だが、どこか壊れている。
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女性は神代を見る。
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そして、小さく笑った。
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「あなた、新しい人?」
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神代は答える。
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「違います」
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「そうなんだ」
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女性はまた窓の外を見る。
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会話が終わってしまう。
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神代は記録を見る。
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【長期適合接触:14回更新】
【自己認識低下:進行】
【依存性形成:崩壊済】
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その文字列の意味を、神代は理解できる。
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だが。
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“人間として”理解できない。
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女性が突然言う。
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「ねえ」
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神代を見る。
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「わたし、まだ必要?」
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空気が止まる。
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管理官は即座に答える。
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「必要です」
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女性は笑う。
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でも、その笑顔には安心がない。
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「そっか」
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少し沈黙。
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そして女性は続ける。
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「じゃあ、よかった」
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よかった。
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その言葉が、異常に聞こえる。
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女性は静かに話し始める。
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「昔はね」
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「ちゃんと好きだった気がするの」
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「会えるの嬉しくて」
「選ばれたくて」
「必要って言われたくて」
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「でも」
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笑う。
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壊れたみたいに。
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「途中から分からなくなっちゃった」
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「わたしが欲しかったのか」
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「役割が欲しかったのか」
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神代の内部で、何かが沈む。
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女性は神代を見る。
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「あなたは、まだ大丈夫そう」
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その言葉が怖い。
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「でもね」
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女性は少しだけ目を細める。
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「そのうち、自分の気持ちが分からなくなるよ」
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「誰かを好きだったのか」
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「必要とされたかっただけなのか」
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「最後には全部同じになる」
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沈黙。
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管理官が会話終了を告げる。
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しかし女性は最後に言う。
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「壊れる時ってね」
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「急じゃないんだよ」
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「少しずつ、“自分”が削れるの」
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その言葉が、深く残る。
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部屋を出る。
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扉が閉まる。
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遮断。
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廊下を歩く。
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神代は無意識に、自分の手を見る。
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まだ感覚はある。
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まだ、自分の意思で動いている。
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なのに。
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いつかそれが、“自分じゃなくなる”。
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地下区画で見た男。
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そして今の女性。
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二人とも、同じ場所に辿り着いている。
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“空洞”。
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施設を出る。
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街は今日も正常だ。
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誰も壊れていない顔で歩いている。
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だが神代には、全員が少しずつ削れているように見え始めていた。
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端末に通知が入る。
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【長期管理適性:最終段階到達】
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その文字を見た瞬間。
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胸の奥で、初めて明確な拒絶感が生まれる。
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「……嫌だ」
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小さな声。
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だがそれは。
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神代湊が初めて、自分で出した感情だった。
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(第3章 第2話・終)




