第1話消耗された男
長期管理対象。
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その言葉が通知されてから、街の見え方が変わった。
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正確には、変わったのではない。
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“見えてしまうようになった”。
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神代湊は、管理局地下区画へ向かっていた。
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目的は視察。
名目上はそうなっている。
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しかし本当は違う。
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“未来確認”。
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長期管理対象に指定された男へ、現実を見せるための工程。
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エレベーターは深く潜っていく。
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数字が減る。
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地上の光が遠ざかるたび、空気が少しずつ重くなる。
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地下第九区画。
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扉が開く。
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そこには、音がなかった。
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人の気配はある。
だが生活音がない。
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生きているのに、“生きる動き”が消えている。
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管理官が歩きながら説明する。
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「長期管理適合者専用区画です」
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「精神維持を優先しています」
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神代は周囲を見る。
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白い部屋。
白い廊下。
白い照明。
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何もかも均一。
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個性が存在しない。
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一つ目の部屋。
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そこに、男がいた。
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年齢は四十代ほど。
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しかし実際の年齢は分からない。
この世界では老化速度が違う。
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ただ一つ分かることがある。
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“消耗している”。
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男は椅子に座っていた。
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視線は宙を見ている。
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何かを考えているわけではない。
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“停止している”。
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管理官が言う。
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「適合率上位個体です」
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「長期稼働に成功しています」
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成功。
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その単語に、神代は少しだけ違和感を覚える。
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男がゆっくり視線を向ける。
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神代を見る。
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その目には、感情がほとんど残っていない。
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「新しいのか」
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声だけが、かろうじて人間だった。
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神代は答える。
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「視察です」
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男は少し笑う。
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乾いた笑い。
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「そうか」
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「最初はみんな、そう言う」
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沈黙。
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男は神代を見たまま言う。
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「まだ、残ってるな」
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「何がですか」
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少し間。
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「顔」
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神代は意味が分からない。
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男は続ける。
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「その顔」
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「まだ、自分の顔してる」
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管理官が割って入る。
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「不要な会話です」
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男は無視する。
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「そのうち分からなくなる」
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「誰のために生きてるのか」
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空気が重くなる。
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神代の内部で、何かが静かに軋む。
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男は天井を見る。
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「最初はな」
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「選ばれるのが嬉しかった」
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「必要とされるって、価値があるみたいだった」
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「でも違った」
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少し笑う。
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「必要なのは、“俺”じゃなかった」
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「機能だ」
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沈黙。
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その言葉だけが残る。
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男は神代を見る。
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そして、静かに言う。
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「お前もそのうち、空になる」
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その瞬間。
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神代は初めて、“怖い”という感情に近いものを感じる。
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管理官が会話終了を宣言する。
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男は最後に一言だけ言った。
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「壊れる前に、選べ」
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扉が閉まる。
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遮断。
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廊下へ戻る。
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神代は歩く。
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だが、自分の足音だけが妙に遠い。
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「精神安定率は正常です」
管理官が言う。
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神代は返事をしない。
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正常。
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その言葉が、急に信用できなくなっていた。
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地下区画を出る。
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地上の光が目に刺さる。
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街はいつも通りだ。
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笑い声。
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整った日常。
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だが神代には、それが“演出”に見え始めていた。
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帰宅途中。
ガラスに映る自分を見る。
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そこにいる男は、自分だった。
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しかし。
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いつか“空になる”。
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その言葉だけが、消えなかった。
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(第3章 第1話・終)




