第4話見られるということ
夜の都市は静かだった。
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騒音は制御され、光量も均一化されている。
不安を煽る暗さも、過剰な刺激もない。
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人類は長寿を手に入れた。
その代わり、“感情の振れ幅”を削った。
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神代湊は、帰宅後もしばらく眠れなかった。
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端末には、今日の記録が並んでいる。
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適合率。面談評価。生体安定値。
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すべて正常。
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なのに、自分の中だけが少しズレている。
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「“人として見られたこと、ある?”」
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梨沙の言葉が残っている。
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意味が分からない。
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だが、分からないまま消えない。
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通知音。
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【外出許可申請:承認】
【同行者:一ノ瀬梨沙】
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神代は少し止まる。
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梨沙から直接連絡が来ることは珍しい。
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短い文章。
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『少し歩こう』
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外へ出る。
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夜風は少し冷たい。
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待ち合わせ場所には、梨沙がいた。
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「来たね」
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「用件は」
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梨沙は少し笑う。
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「そういうとこ」
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並んで歩く。
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街は静かだ。
だが完全な無音ではない。
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遠くで笑い声がする。
交通制御音。
広告映像。
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“普通の生活”。
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しかしその中で、神代だけが浮いている。
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視線が集まる。
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一瞬。
また一瞬。
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女性たちが気づく。
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「男」
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声には出さない。
だが空気が変わる。
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距離が詰まる。
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無意識。
本能。
制度。
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全部が混ざった視線。
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神代は少し歩調を速める。
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梨沙が言う。
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「嫌?」
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神代は即答できない。
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嫌。
その感情もまた、この世界では曖昧だった。
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「慣れてる」
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ようやく出た言葉。
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梨沙は少しだけ悲しそうに笑う。
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「それ、慣れちゃダメなんだよ」
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その瞬間、一人の女性が近づいてくる。
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「すみません」
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丁寧な声。
だが目だけが熱を持っている。
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「少しだけ、お話を――」
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梨沙が前に出る。
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「今日は管理外です」
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女性は止まる。
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しかし視線だけは離れない。
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神代を見る。
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“人”ではなく、“希少性”を見る目。
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その瞬間。
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神代は初めて、少しだけ息苦しさを覚える。
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女性が去ったあと、梨沙が小さく言う。
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「分かる?」
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神代は答えない。
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「みんな、湊を欲しいって思ってる」
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「でも」
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「湊自身を見てる人、ほとんどいない」
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夜風が吹く。
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神代は立ち止まる。
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そして初めて思う。
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自分は今まで、“誰か”だったことがあるのか。
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適合男性。
高遺伝子個体。
管理対象。
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それは役割だ。
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だが、“自分”ではない。
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梨沙が神代を見る。
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その目だけが違った。
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欲望でもない。
期待でもない。
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ただ、“見ている”。
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「湊」
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「苦しい?」
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神代は答えようとして、止まる。
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言葉が分からない。
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だが。
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胸の奥に、初めて名前のない感覚がある。
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「……分からない」
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それが、本音だった。
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梨沙は少しだけ安心したように笑う。
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「よかった」
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「まだ、壊れてない」
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その言葉が、静かに刺さる。
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遠くで、管理放送が流れる。
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【夜間行動制限時刻まで残り三十分】
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世界は正常に動いている。
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だが神代の中だけで、何かが静かに崩れ始めていた。
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(第2章 第4話・終)




