第二十八話 山
俺たちは連休を利用して吉賀山に来ていた。
メンバーは御子神先輩、慶助、心花だ。
長期間の連泊については、御子神先輩がもっともらしい理由をつけて、それぞれの家族を説得したらしい。
秀義は後から来ると言っていた。
探偵から貰った蛙は持ってきていない。
おそらく俺が事務所を訪れ、この吉賀山に向かうまでが彼の企みだ。
なら、これ以上、彼の言葉に従うのは危険だ。
ケーブルカーからは、緑と青が入り交じった山々が見渡せる。強いエネルギーを感じさせる色合いに、ただただ圧倒される。呼吸すら、忘れてしまう。
吉賀山は一面桜で覆われた山だ。今は時期がずれているため、青々とした光景しか見られないが、これが桜の咲く時期であれば満開の華やかな色合いを楽しむことができるのだろう。
ケーブルカーは人の重さで上るたびに不安定に軋み、揺れ動いていた。駅に到着したときの大きな揺れは、振り落とされるかと驚いてしまうくらいだ。
春ならわかるが、今は夏に入りかけの時期だ。季節外れの観光にしては、いやに人が多すぎる。
何かあったのか、と鈍くさい自分でも感じるくらいに、騒がしい気配ばかりが付きまとっていた。
吉賀山のどこかにキアラが?
キアラ、早く助けるから、待っていてくれ。
俺たちはケーブルカーを降りた。
前後に降りた男たちがやけに俺に視線を送ってきているのが気になったが、無視する。少年少女がこんなところまで来ているのが珍しいだけなのだろう。俺からしてみれば、こんな時期に大勢で一緒に観光にくることのほうがどうかしている。特別な行事でもあるのだろうか、それとも観光ではなく地元のひとたちなのか?
まあ俺たちも似たようなものだろうか。
吉賀山には役小角の伝承がある。役小角とは葛木山に住んでいた修験者で、呪術を使い、前鬼・後鬼という夫婦の鬼を使役したことで有名であった。
金郷山寺にて祀られている蔵王権現は、この役小角の祈りから顕現したといわれており、また吉賀山にたくさんの桜が植えられているのは、役小角が蔵王権現の姿をヤマザクラに刻んだことが始まりだと伝えられている。
駅から出れば土産屋が立ち並んでいるが、閑散としている。先ほど会った男たちは土産屋に用はなかったらしい。金郷山寺に向かったのだろうか。
寂れた風景すら愛おしく感じる。ここに、昔からの伝承が眠っているのだ。先刻見た山々の景色と同様に、その場に行かなければわからない空気や感覚や人の歴史が存在している。そう思えば、とても安堵感を覚えた。
だが視線を感じる。
「おい、見られていないか」
慶助が言ってくる。
俺も気付いていた。
土産屋の店員が、ずっと俺たちに視線を送っている。無表情のまま顔を向けられると、なかなか不気味だ。
「まずは案内所で、この山がどういった場所か情報を収集しよう」
そんな俺の提案にみんな賛同してくれた。
吉賀山の観光案内所は、ロープウェーの駅から十五分ほど歩いたところにある。
直射日光を鬱陶しく思いながらも、俺は建物の前に立ててあった看板を眺めていた。
観光案内ボランティア 午前九時から
既に九時は過ぎている。
建物に入った俺たちは早速この山を案内してもらうことにした。
ところが案内所にいた女性は俺たちを見るなり「ひぃ」と悲鳴を上げて部屋の奥に引っ込んでいく。
「な、なによ」
御子神先輩が不満の声を上げる。
「さっきから、この村おかしくないかしら? どうして私たちに不審な目を向けるのよ」
「俺もわかりません。よそ者だからですかね」
「珍しいっすね、こんな時期に」
突然背後から声をかけられて、俺はゆっくりと振り向いた。
着物を着た青年だ。真っ黒な犬を連れている。爽やかな色合いの服装とは逆に、表情はどこか薄暗かった。短い長さの髪も、その印象を強くする。
「こんな時期? そうなんですか?」
俺の問いに青年は苦笑しながら答えた。
「大抵、観光客は春に来ますからね。吉賀山の山桜とはよく言ったもんっすよ」
俺はそっと空を仰いだ。視界に入る木々は空の色より深みを増したような緑色をしていた。一面桜色になった春の景色は、今こうして見ているものとはまったく別の色合いなのだろう。
俺は瞼を閉じ、ゆっくりと目を開いた。青年へと目を向ける。
「俺は桜を見に来たわけじゃありませんから」
「それじゃあ何をしに来たんすか?」
「――私たちは鬼を探しに来たのよ。吉賀山に潜む呪われた鬼をね」
俺の代わりに御子神先輩が答える。
相手は御子神先輩の言葉に目を見開いた。
予想通りの反応だ。俺はフォローする意味も込めて、慌てて付け足した。
「……ああいや、その、そういう……彼女はそういう趣味というか、その……」
「ああ、なるほど、鬼ね、役小角のことっすか。学校の研究か何かっすか? ここの鬼は吉賀山に咲く桜の由来ですしな。彼の使役する前鬼・後鬼について調べに来たってわけですかい。そうだとしても金郷山寺の蔵王堂や吉分神社は観光場所として抑えておいたほうがいいっすよ。どうせなら全部の世界遺産も見ていけば? 少し遠いけど水紙神社まで行けばいいっすよ。とても歴史のある神社ですぜ」
青年はしゃがみ込み、真っ黒い犬を撫でながらそう教えてくれた。
犬はニコニコと笑いながら舌を出している。飼い主に撫でられてご満悦の表情だ。
視線の虚ろさと表情の暗さに少し印象が良くなかったが、悪い人ではなさそうだ。
俺は安心しながら、青年と一緒に犬の頭をひと撫でする。彼の顔を覗き込みながら、感謝の言葉を告げた。
「気にしないでいいですぜ。そういえば名乗っていませんでしたな、俺は五鬼助秋久っす。世のため人のため、そして自分のため、犬のために……」
ここで秋久さんは真っ黒い犬を一瞥した。
犬は嬉しそうに秋久さんの膝に飛びつく。
「そう……犬のために働くことができればそれでいいんす。そうだ! 他に困っていることはないっすか!」
「ええと、それなら……」
俺は誰もいない案内所の受付に目をやった。
それで秋久さんは察したらしく親指をグッと立ててきた。
「ほら、これを見てくださいよ。かっこいいでしょう、渋いでしょう。我らが吉賀山のシンボル、役小角様ですぜ!」
満面の説明をしてくれる様は、かなり圧倒されるものがあった。
秋久さんは吉分神社の展示室で、役小角の像を前にして早口なのにも関わらず聞き取りやすい声音で喋っている。そう、彼は確かに優秀なガイドだったからだ。説明してくれる内容も、とてもわかりやすい。
「役小角の像を間近で見られるのは吉分神社だけですぜ。他の関連観光場所にも役小角の像が置いてあるところはあるけれど、どこも非公開にしていたり、決められた期間でしか見られなかったり……とにかくうちが一番なんですぜ! 目一杯役小角様の威厳を感じてくださいな!」
雄弁に秋久さんが語るように、木彫りの像には強い念が籠もっているように見えた。表情が力強いのだ。
役小角の前には二体の鬼の像が立っていた。前鬼と後鬼である。
それをじっと眺めていた俺に気付いたのか、秋久さんは満面の笑みを浮かべながら口を開いた。
「それではクイズっす。この鬼たちは夫婦なのだけれど、どちらが奥さんで旦那さんでしょうか?」
鬼の片方は斧を手にして、もう片方はひょうたんを持っている。
当然、鬼を調べに来た俺は答えを知っている。だが、ここは彼に合わせてわからないふりをした。
秋久さんは嬉しそうにひょうたんを持つほうが女だと言った。
「前鬼・後鬼は役小角に使役されたとされる鬼の夫婦なんですぜ。前鬼が夫、後鬼が妻なんです。はじめ、この鬼たちは人の子を攫って喰らう鬼だったんだけど、役小角の説得により改心したんすよ。そののち、前鬼は斧を手に役小角の前に立ち道を切り開き、後鬼は水瓶を手に役小角の後ろに立ち食事の準備をしたんです。だから、この像では、役小角を守るようにして前に二体の鬼がいるんすよ」
そこで秋久さんは子供のように首を傾げながら言葉を続ける。
「……それに知っているっすか? 前鬼・後鬼とその子孫は、吉賀山で人間と暮らしたんですぜ。今もなお、子孫は吉賀山に住んでいるっすよ」
「鬼の子孫?」
「ええ、五鬼継家の……」
鬼の子孫……元々、俺たちはそれが目当てだったからだ。
「じゃあ俺はその人に会いにここに来たんです。……鬼の子孫に」
俺の言葉に、秋久さんは小さく眉をひそめた。
「へえ、学校の授業はそこまで習うもんなんっすか。元々鬼の子孫に会いに行くつもりなら、それじゃあクイズの答えも知っていたんすか? もしかして俺に気を遣ってくれたってことですかね。お兄さんも人が悪い」
俺の気遣いが彼にばれてしまったようだ。ばれるようでは気遣いは気遣いではなくなってしまう。そう考えた俺は、慌てて「いいえ」と答えたが、彼は困ったように笑い返してきた。
「じゃあ特別大サービスで鬼の子孫の住む場所まで案内しましょう。話も聞いてみるといいっすよ」
「はい、ありがとうございます」
いやに親切すぎやしないか?
俺が不審に思っていると、みんなもそうだったようで疑いの目を秋久さんに向けている。
だが俺たちに選択肢はない。探偵の教えてくれた情報は吉賀山に住んでいるということだけだ。
俺たちは彼についていくことにした。
前鬼山と呼ばれる場所に、鬼の子孫は住んでいるそうだ。彼から渡された地図もその場所を指し示していた。
だが、と俺は顔をしかめた。
違和感を覚える。
この地図は、どこかおかしい。だが、どこが奇妙なのかわからなかった。
そうして俺たちは前鬼の子孫だと言われる人の家までやって来た。
呼び鈴を押して家から現れたひとを見て俺たちは驚く。
そう、そこで見たものとは――
「はい、どちらさまなん?」
「……榛名?」
ここにはいないはずの榛名だった。




