第十六話 鳴く
なん……で?
どうしてこのタイミングで蛙が鳴くんだ?
戸惑う俺をよそに慶助は微笑みかけてくる。
「無事? ああ、心配かけてごめんな。もう用事は済んだから帰るよ」
「あ、ああ……」
「俺を迎えに来てくれたんだよな? 俺の留守電を聞いてくれてさ」
留守番電話――そうだ、慶助は俺にメッセージを残してくれたんだ。
それを聞いて居ても立ってもいられず、俺はここまで慶助を捜しにここまで来たんだ。
そして――慶助は目の前に立っている。
無事だったんだ。
間に合ったんだ。
――本当に?
頭の片隅で警鐘が鳴り響く。
都合のいい真実を、すんなり信じてもいいのか?
考え込んでいる俺をよそに、慶助は巨大なスコップを近くに生えている木の幹に立てかけた。
「さ、もうこんな場所に用事はないから帰るぞ、義忠」
「ああ……廃墟を探索して何か見つかったのか?」
「あっははー☆ 全然! 何の成果もなし! がっかりだぜ!」
俺みたいに廃墟に入った途端に、よくわからない空間に放り出されたわけじゃないのか?
それならそれでいい。怖くて酷い目にあうのは俺だけで構わないのだから。
快活に笑う慶助を見ながら俺は、ほっとする。
――本当に安心していいのか?
警鐘が止まらない。
寒気と不快感が止まらない。
このまま慶助の傍にいて大丈夫なのか?
蛙は慶助の異変を知らせているんじゃないのか?
いや、考えすぎだ。
蛙の鳴き声だって、別の要因かもしれない。
「義忠、どうした? 顔色が悪いけど」
俺は顔を持ち上げて慶助を見た。
彼の心配そうな瞳に申し訳なさを覚える。
そうだ、マイナスなことばかり考えても前に進まない。
そう、慶助は無事だったんだから。
そうでも考えないと今までの行動を全て否定された気持ちになって完全に心が折れてしまう。
前に進めなくなってしまいそうだ。
何のために先輩の忠告を無視してまで一人で慶助を助けに行ったんだ?
どうしてわざわざキアラに背中を押してもらったんだ?
全ては慶助の命を救うためだ。
――もし慶助の無事を疑ってしまえば?
ああ、駄目だ。
それだけは嫌だ。
慶助は無事だ。
無事なんだったら!
「いや、何でもない。すまん、心配かけて。廃墟探索は無駄になったようだけど、お前が無事で本当に良かった」
頬を弛めて俺は廃墟の庭から出ようとする慶助を追いかける。
道路に出たところで慶助が立ち止まり、くるりと俺の方に顔を向けた。
「あのさ、さっきの蛙の鳴き声、なんだ?」
――は?
どうして急にそんなことを?
「それは……最近、スマホのメール着信音を蛙の鳴き声に変えてさ。無断で外出したから親が心配して送ってきたんだと思う」
苦しい言い訳だ。
「へえ」
粘り着くような視線を送ってくる慶助から俺は目を逸らした。
そのまま家に帰った俺は、やかましく叱ってくる両親を適当にいなしながら自室に戻る。学生鞄にしまっていた卵を取り出し、机の上に置く。
「卵の大きさ……変わっていない……」
あれだけ恐怖を感じたのに。
それに、慶助のことだ。
どうして怪異を知らせる蛙が鳴いたんだ?
明日、学校に行ったら、慶助に廃墟探索について詳細を訊いてみよう。
もしかしたら蛙の鳴く意味を知っているのかもしれないしな。
――大丈夫か? 本当に軽はずみにそこまで踏み込んでも平気なのか?
いいや、平気だ。
だって先輩の迷惑をかけないという大義名分があるものの、彼女の言葉を振り切ってまで、駄目かもしれないと諦めかけた上で、呪いに沈んだ慶助を助けに行ったんだぞ。
そうしてようやく慶助の無事を確認できたんだ。
少しの不安を潰したいのは当然だろ。
――本当に少しだけ?
大きく膨れあがる不安を押し殺しながら俺は卵を睨みつけた。
学校、教室で慶助は授業中上の空で、休み時間もずっとタブレットを弄っていた。いつもなら友人とくだらない会話で盛り上がっているか、御子神先輩の教室を覗きに行くはずなのに。
明らかにおかしい。
俺は慶助に近づくと声をかけた。
「慶助、話をしたい。昨日のことなんだけど」
「そうだなあ」
「昨日、あの廃墟で何があったのか教えてほしいんだ」
「そうだなあ」
「タブレットばかり見ていないで俺のほうを見ろよ」
「そうだなあ」
どこかぼんやりしている慶助を見ていると不安になってくる。
タブレットだ。
慶助はギラギラした眼差しで自分のタブレットを眺めている。
何を……しているんだ?
そんな血走った目で何のデータを見ているんだ?
唇を強く結んで、指を素早く動かしながら、話しかけている俺のほうを見向きもしないで。
不安と焦燥感に押し潰されそうになった俺は、慶助の肩を掴み、激しく揺らした。
「慶助!」
そう呼びかけると、はっとした顔で慶助は俺のほうを見た。
「……義忠」
「慶助、どうしたんだ。やっぱり廃墟で何かあったんじゃないか?」
「何か……何かねえ」
慶助は難しい顔をしている。
「……義忠、俺は今たくさん映画やドラマを観ているんだ」
は?
急に何を言い出すんだ、こいつ?
「え? で? 昨日、夜更かししたから眠たくて、今、様子がおかしいとか、そういうことを言いたいのかよ」
「んー」
俺の質問に慶助は考え込む素振りを見せてから俺を見つめてニカッと笑った。
「お前と一緒に観たいなー、映画とか」
「は?」
「今日、俺の家に来ないか?」
唐突すぎる。
彼はおかしなことを口にしている。
状況にそぐわない妙なことばかりを。
にこやかな慶助の誘いを断ることはできなかった。
だって昨日の今日だぞ。
こんなおかしな慶助を放ってはおけないよ。
「どうしても誰かの感想を聞きたい作品があってさ」
本当、何を言っているんだ?
慶助?
情緒不安定すぎやしないか?
やっぱり昨日、酷い目に遭ってしまったのか?
だからそんな風に、変なことばかり俺に言うのか?
――ああ、まるで目の前の彼が別人のように――……
心配になるんだ。
――もう既に手遅れなんじゃないかって、気付いてしまいそうになるんだ。
慶助の家で、彼と観た映画は一昔前に流行ったSFヒューマンドラマだった。
治療法の見つからない病に冒されコールドスリープ中の子どもをもつ夫婦のもとに、その子どもにそっくりなロボットが届けられる。夫婦はそのロボットと交流を深めていくが、やがて夫婦の本当の子どもが病から回復し、目を覚まして――。
醜い人間の本質を無理やり見せつけられてしまったような不快感と、それでいて残酷な愛に感動しそうになる、絶妙な作品だった。
相反する二つの感情がない交ぜになってグチャグチャに潰されてしまったような、そんな後味の悪さがあった。
「どうよ、義忠?」
そんな風に質問されても、どう答えていいかわからない。
そもそも、何故慶助は、こんなものを俺に見せてきたんだ?
「……どうって言われても。俺は、もうちょっとスッキリしたハッピーエンドのほうが好みだ」
「んー、じゃあ質問を変えるけど、夫婦は本当の子どもが目を覚ましたからロボットを捨てたよな。これについてはどう思う?」
「勘違いや誤解から、そうなってしまった部分もあるので、一概に夫婦が悪いとは言い切れないかな。捨てられたロボットが可哀相だと思ったけどさ」
「ロボットが、本当の子どもと全く同じ存在だったら捨てられなかったのかね?」
「……何が言いたい?」
「だからロボットが人間と同じ存在だったら何にも問題ないのかなって?」
「いや、だから、何で俺に、その質問をするんだよ」
「だからロボットが人間と同じ存在だったら何にも問題ないのかなって?」
「……慶助?」
また同じ質問を繰り返すのか?
どうして?
やっぱり慶助がいつもの彼じゃない。
どこか気持ちがグラグラしているような印象だ。
「ロボットと人間が同じ存在になれるわけない。それは別個の存在だ」
「へえ、義忠はそう思うのか。ふぅん」
「な、なんだよ」
「記憶も受け継いでいる上で姿形が同じだとしても? そう思うって?」
だから、どうしてそんな変な質問をしてくるんだよ!
意味がわからない!
慶助の問いかけに嫌な予感が膨れあがる。
必死で抑えつけた。
考えるな!
彼の言葉に耳を傾けるな!
深く考えて、たくさん考えてしまえば彼の言葉の真意に気付いてしまいそうだ。
ああ、でも俺は、どうしてこんなに気付きたくないと思ってしまうんだ?
まるで自己防衛だ。
気付いてしまえば傷ついてしまう自分が想像できるから、何でもないって慶助を無事助け出すことができたんだって、強く思い込みたくなってしまうんだ。
ああ、でも、でも!
何も言えないでいる俺を見て、慶助は、ふっと笑った。
「なあ義忠、スワンプマンって知っているか?」
「いや……知らないけど……それが何なんだ?」
「……」
真面目な顔をして押し黙った慶助は、すっと薄ら笑いを浮かべた。
「義忠は、どうして助けに来たんだ? 俺はお前に卵を見せつけて酷い言葉をかけたのにさ」
「友達だからだ」
疑いようのない事実で明白な理由だ。
「酷い言葉なんて……いいよ、もう気にしていないから。慶助が無事で安心した。もう危険なことはよせよ」
「どうして気にしていないなんて言えるんだ?」
「何故って……そんなの、いつまでも気にしても仕方ないだろ。卵を見せつけられたときは驚いたけど、それで終わりだ。色々悩んだこともあったけど、結果的に慶助に何もなかったんなら、それでいいんだ」
「そうだな、お前はそういう奴だった。ああ、そうか、一年前の事件からか」
「は?」
一年前?
何の話だ?
慶助は目を細めた。
「前のめりになるのは悪いことじゃねーけど、義忠のそれは異常だな。あまりに考えがなさすぎる。よく言われるだろ?」
「……ああ、わかっている」
「お前は俺を許すべきじゃねーんだよ。そう、例えばちゃんと謝るまでさ」
「そう言うんだったら今謝れよ、俺にさ」
「……それは何に対して?」
俺たちは互いに押し黙る。
透き通るような慶助の視線に何も言えなくなる。
何なんだ、本当に。
彼は俺に何を伝えようとしているんだ?
あの廃墟で一体、慶助の身に何があったんだよ。
やがて慶助は唇をゆっくり開いた。
「――ホントに、俺のこと、友達だと思っているって?」
頷く。
「義忠、俺の言いたいこと、何もわかんねーって?」
頷く。
一瞬。
慶助は痛みを我慢するような感情を眼に浮かび上がらせたかと思うと、すぐにいつもの快活そうな表情に戻った。
「うん、変なことを言って悪かったよ。戸惑わせてすまねーな。昨日の廃墟探索した時のこと、今も引きずっているみたいでさ」
やっぱりそうなのか?
本当に?
信じていいんだよな、慶助の言葉を。
「ああ、そうそう。スワンプマン……家に帰ったらパソコンで検索をかけてみるといい。俺の言いたいことが少しはわかるかもな」
スワンプマン?
そういえばさっきも同じことを言っていたよな。
「俺、トイレに行ってくる☆ ずっと我慢してたんだぜ!」
慶助が部屋から立ち去ったあと、俺は肺の奥から息を吐き出した。
薄氷を踏むような緊張が続いていたせいで、身体が酷く重たい。
ぼんやりと部屋を見渡していると、部屋の隅に置いてある黒いノート、タブレットとカメラが眼に入った。
あの黒いノート、結局捨てなかったんだな。
そういえば今日、慶助は学校でタブレットをしつこく弄っていたな。
タブレットには慶助の日記が書いてあるんだっけ。
あいつ、先輩への想いを思い返していたのかな。
それにカメラか。
「よーう! 義忠! 俺、今、カメラを持って廃墟の前にいまーす! なんつってな! いやー、こうして難易度の高いダンジョンを前にすると武者震いするな! ワクワクするっつーか? 見てろよ、祥子先輩! 俺はやるぜ!」
廃墟探索にカメラを持ち込んでいたと慶助は言っていた。
ということはカメラには、昨日何があったのか撮影されているのだろう。
――確かめてみればいい、一体自分が何に不安を感じているのかを。
そのカメラには真実が映っているはずなのだから。
ぞわっとした寒気に似た誘いを拒みきれない自分がいる。
今日の慶助は変だった。
昨日の夜、慶助に対して蛙が鳴いたんだ。
怪異を知らせる蛙が。
そう、様子のおかしい慶助に向かってゲロゲロと。
まだ慶助は戻ってこない。
どうして戻ってこないんだよ、早くこいよ。でないと俺は――
◆
俺はこっそり慶助の家を出た。
用事を思い出したから帰ると適当な嘘をついて慶助にメールだけしておいた。
彼のタブレットとカメラ、黒いノートを自室まで持ち帰った俺は早速タブレットを触った。
タブレットを起動するとパスワード入力画面が出てきた。
……わからん。
とはいえ、あいつの決めそうなパスワードなんて御子神先輩関連なんだろうが。
パスワードに関してはゆっくり考えるとして、まずはカメラから攻めてみるか。
俺はカメラのスイッチを入れて昨日の動画を探す。
やっぱりまだカメラに保存されているようだ。
俺は昨日のタイムスタンプになっている動画を再生した。
「へいへーい! 怖くないぜ! さあ、解呪の手がかりを見つけるぞ、俺!」
脳天気な慶助の声に安心する。
大丈夫だ、何にも起きてないはずだ。
だって慶助は無事だったんだから。
「何だよここは!」
「あ、ああ、ああ、怖くないっつーの」
「出られない? どこへ行けば?」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「何なんだよ、おかしいよ、こんなの」
「助けてくれ、義忠! 先輩!」
「誰か! 誰か助けてくれえ!」
「俺が悪かったです、本当にごめんなさい」
「誰でもいいから、誰か助けて、ここから出して」
「ああああああ!」
「ぎゃああああ!」
「何でなんだよ!」
「何で俺と同じ顔なんだよ!」
「気持ち悪い!」
「こっちに来るな! あっち行けよ!」
「義忠! 先輩! お母さん、お父さん!」
「誰か、誰か……助けて……」
――動画は、そこで終わっていた。
断末魔の、叫びが。
そう、あのとき、偽物の御子神先輩を殺したときに聞いた気持ちの悪い叫び声が、いつまでも俺の耳にこびりついていた。
声も出なかった。
――ああ、そうか、もう。
頭は真っ白で、何も考えることができない。
いや、今はこれ以上、考えたくなかった。
ただ真実を受け止めるのに必死で、呼吸が苦しくなるくらい、死にたい想いでいっぱいで。
電話だ。
俺は電話を取った。
「義忠?」
「俺のカメラが映したもの、見ちゃった?」




