第十七話 慶助
さて、ここで話を整理しよう。
――まあ、単純に言えば、慶助は死んでいた。
だが死んだはずの慶助から電話がかかっている。
俺は何故か彼と話をしなければいけない。
俺が気付いてしまったと悟られないように。
とてつもなくハードルの高いコミュニケーションが要求されているのだ。
震えてはいけない。
怖がっている素振りなんてもってのほかだ。
冷静に、沈着に。
何事もなかったように、いつも通りに。
俺は淡々と聞き返した。
「カメラ? 何のことだ?」
「カメラとタブレットがなくなってさ」
困りはてた声の響きにドクンと鼓動がはねる。
「義忠が部屋を出て、あれ以降、どうしてか、どこかになくなっちゃって」
「へえ」
「今、探しているんだよ。知らない?」
お前の大事なタブレットとカメラは、今ここにある。
「知らないな」
さすがにこの返答は苦しいか。
明らかに俺が帰宅後になくなったんだしな。
俺を怪しむのも当然だ。
さて、どうやって誤魔化そうか。
考え込んでいた間に、慶助が小さく笑い声を上げた。
なんだ?
嫌な笑い方をするな。
ぞわぞわした悪寒に襲われながら、俺は慶助の次の言葉を待つ。
「――義忠、タブレットって持ってないんだっけ?」
「ああ、うん」
何が言いたい。
「タブレットに便利な機能ついてるの知っているか?」
「便利な機能?」
しばらく沈黙したのちに慶助は笑いながら答えた。
「遠隔でロックしたりデータ消したり……」
「遠隔で盗難されたタブレットの位置を特定したり……」
え?
そんな機能、タブレットについているのか?
じゃあバレバレじゃないか、俺が所持しているのって!
ギクリとしてしまい、思わず小さく声が漏れ出そうになる。
駄目だ、動揺するな。
相手の思うつぼだ。
もし、そうなら、こうして押し問答するわけがない。
「へえ、便利だな。じゃあ盗まれても安心だな。その機能、使ったらどうだ?」
「……」
「……」
「……」
「……」
「ぷっ」
しばらく沈黙したのち、吹き出した慶助は豪快に笑う。
「ははははっ、そう思うだろ? でも俺、馬鹿でさー、セキュリティツール入れようって思って、結局入れなかったってーの」
「はあ」
「だからどこにあるかわかんねーの。それで義忠に聞いているってわけ」
「はあ。普通に考えて鞄の中とかどこか部屋の隅に置いたのをお前が忘れているだけじゃ?」
「なるほど。……カメラもそうかな?」
「そうじゃないか? たぶん」
苦しい。本気で苦しい。
こんなグダグダで適当なやり取りで誤魔化すことができるのか?
額に滲む汗と不快感を伴う悪寒のせいで身体中が虫を這い回るかのように気持ち悪い。
俺にできるのは、冷静さを保つことだけだ。
いつも通りの呼吸で。
いつも通りの口調で。
いつも通りの空気で。
ひたすらに意識して。
困惑と不安と混乱が誰にもばれないように。
「……ふぅん、そうだよな」
俺の努力が通じたのか慶助は引き下がったようだ。
そもそも疑われていなかったのかもしれないが、盗んできたものについてアレコレ質問されるのは胃の痛む思いだ。
ほっとする。
早く電話を切りたい。
今は考える時間がほしい。
「こうやって改めて会話して思ったけどさ」
呼吸の一部のように、慶助はさりげなく言葉を紡ぐ。
「義忠って、嘘つくの下手だよな。どんな理由であれ泥棒は駄目だと思うな、俺☆」
決定的な一撃を。
「……は?」
「いいや、何でもない。そういえばスワンプマン、調べてくれたか?」
バクバクと高鳴る心臓のせいで目眩が酷い。頭痛もするのに、それよりも乱れそうになる呼吸を整えるのに必死で辛い。
ただ息を吸って吐くだけの行為が苦しい。
「スワンプマン? まだだ、それについては、時間のあったときに。じゃあな」
「うん、じゃあな」
電話を切った。
指を滑らせる――たったそれだけの動作が酷く重たかった。
酷い会話だった。
腹の探り合いなんてもんじゃない。
雌犬と交尾しようと思う雄犬だって、もう少しまともなコミュニケーションを取るだろう。
しばらく茫然自失でスマートフォンを握りしめていると徐々に手首も疲れてくる。
音がする。キアラからラインが入ったようだ。
『先輩、その、ええと』
『ふれーふれー先輩、頑張れー』
『負けるなー』
『なんて遠方からの後方支援。もう不要?』
ふっと意識が遠のきそうになる。
そういえば慶助を助ける勇気を貰うためにキアラに背中を押してもらったんだ。
その夜に何も連絡しないまま、次の日、キアラにも挨拶しなかったものだから、彼女としては、まだ俺が何か無茶な目標に向かって行動しているように思うのだろう。
だからこそ応援の言葉をかけてくれたのだ。
――ああ、どう表現しよう、今の現状を。
うん、慶助を助けようとしたんだ。でも駄目だったみたい。今は死んだはずの慶助とどうやって接していけばいいかわからなくてさ。
なんて酷い冗談だ。アメリカンジョークより笑えない。
リスクを承知で行動したのにどうしようもない結果だ。
ごめん、キアラ。
何にも結果は伴わなかったんだ。
【既読】がついたのに無反応だった俺の気持ちを何となく察したのかキアラから続々とメッセージが送られる。
『今日、私はお母さんに言われて夕食のお手伝いをしたんだけど、包丁で指を切っちゃってそのまま怖くなっちゃって、結局何にもできなかった』
『でも、とりあえず本屋さんにいって初心者でもできる料理本買ってきた』
『ええとね』
『私、前に話した気持ちは本当だから』
『頑張ろうとしたことに意味はあるよ』
『何にも間違っちゃいないと思うから』
『どうか忘れないでね、諦めないでね』
頑張ろうとしたことに意味はある?
本当にそうなのか?
何もかも間違っていたんじゃないか?
だって結果として失敗してるんだぞ?
喉の奥にこみ上げてくるものがある。
不安や恐怖がない交ぜになった不快感が胃をチリチリと焼くような痛みを与える。
俺はトイレに駆け込み吐こうとして、やめた。
負けるな!
腹に拳を叩き込む。
我慢しろ。
ここで吐いても何も変わらない。
わからないことばかりで調べなきゃいけないのにトイレで吐いている時間はない。
吐瀉物を呑み込みトイレから出た俺は自室に戻る。学習机につきノートパソコンを起動した。
――そう、話を整理しよう。もう一度。
どうして死んだはずの慶助がいるんだ?
そもそも慶助は死んでしまったのか?
死因は?
経緯は?
そういえば慶助は気になることを言っていた。
そう、スワンプマンかどうとか?
早速、俺はGAAGLEのページを開いて検索ワード『スワンプマン』を叩き込む。
今日、僕はハイキングに出かけたんだ。
そうしたら沼の近くで雷に打たれて死んでしまったんだ!
ああ、哀れな僕!
でも大丈夫だよ、別の雷が沼に落ちたことで化学反応を引き起こして、なんと僕と同じ存在を産みだしてしまったんだ!
こんにちは、もう一人の僕!
そう、新しい僕の名前はスワンプマン。(沼男)
これから僕は、死んだ自分の代わりに会社に行かなきゃね★
果たして今の僕は前の僕と一緒なのかな?
記憶も知識も前と同じなんだし、そうだよね?
違うって言わないでね、もし異なるよっていうんなら、ちゃんとその理由を考えてよねっ。じゃないと納得できないんだから!
スワンプマンとは。
アメリカの哲学者、ドナルド・ディヴィッドソンが考案した、主にアイデンティティーについての思考実験である。
大きく息を吸い込んだ。
わざわざ慶助がこんなことを調べろといった意味を、その思考を考える。
電話をかけてきた慶助は、暗に自分がスワンプマンだと主張しているんだ。
じゃあスワンプマンの正体は?
――カメラには、もう一人の慶助が本物の慶助を殺したように見えた。
だったら、さっきまで電話していた慶助が本物を殺したんだ。
じゃあ、もう一人の慶助はどこから出てきたんだ?
――慶助の卵は割れていた。
俺が会った先輩の偽物は彼の卵から孵ったものだろう。
じゃあ、あのスワンプマンな慶助は?
どこから出てきたんだ?
そこまで考えて深く息を吐き出した。
答えは明白だ。化け物が出てくる場所なんてひとつしかない。
慶助の卵だ。
つまり卵から孵った化け物は二体いた。
御子神先輩に化けたもの、そして――
――ふと、俺は自分の卵が気になった。
清流院は一つも育たない俺の卵を異端だと呼んだ。いや、異端と呼んだのは俺自身のことか。
見たら何もかもがオシマイになってしまいそうで、俺は好奇心と不安を自力で抑えつけた。
外の空気でも吸おう。
自分の中だけじゃなく周囲まで濁りきっている。
まだ夕食までには時間があるようだしな。
外に出た俺を迎えたのは衝撃の人物だった。
玄関先で黒いノートを手にして深く俯いている少女は、どう見ても美咲だった。
茶色の派手な髪にけばけばしい装い、胸には黒いノートを抱きかかえている。
薄暗い雰囲気を纏いながら無言で彼女は立ち尽くしている。
「美咲?」
そんなはずはない。
生きているわけがない。
でも黒いノートを持って、どうして俺の前に?
幽霊なのか?
幻覚? それとも?
混乱した俺の頭がうまく動くわけがなく俺は彼女に話しかけてしまう。
「美咲、生きていたのか?」
「……」
「何で何も言わないんだ?」
「……」
「どうしてここにいるんだ」
「……」
「頼む、黙っていないでさ」
「……」
「教えてくれよ、美咲……」
「……」
「さっきから何を言っているんですか?」
その一言に、ぱっと霧の晴れたように思考がクリアになる。
「大丈夫ですか、お兄さん?」
あれ、そんな?
急に美咲が小さくなったぞ。
いや、違う。
――ああ、これも幻覚なのか。
美咲が生きていてほしいと願った俺の想いが生みだした幻覚だ。
なんて浅ましい。
彼女を助けることができなかったのは自分のせいなのに。
幻覚の中で救いを求めてしまうなんて。
慶助が死んだからか。俺の心は無自覚に深く傷ついていたのだろうか。
「大丈夫ですか~お兄さん~」
美咲に似た小さな少女の後ろにいた女の子が話しかけてくる。
ふんわりとした生クリームのような感触を思わせる、柔らかな髪の毛が印象的だ。
誰だ、この子?
いや、それよりも。
俺は目の前にいる美咲にそっくりな少女を見下ろす。
「この子は……美咲……じゃない」
そんな俺の呟きに噛みつくように、美咲に似た少女が返答する。
「美咲じゃないです!」
彼女は顔を真っ赤にしている。
「あたしはお姉ちゃんじゃないですっ。あたしは心花。この真っ黒いノートについて質問しに来たんです」
そう言いながら心花は黒いノートを差し出してくる。
「お葬式、お姉ちゃんの身体が消えてしまったあと、この黒いノートが残されていたんです! ……お兄ちゃんたちは、何か知っているんじゃないですか! この黒いノートが手がかりだと思って、あたしは!」
美咲の妹、だって?
美咲の死因を調べようって?
「だから私、わざわざここに来たんです!」
「そうだよ~、クソ野郎。早く教えてくださいな」
心花の背後にいた少女が、悪意と無邪気さを混ぜたような瞳で見上げてくる。
その隣にいた、その少女にそっくりな少年が困ったように少女をフォローした。
「姉さん、駄目だよ、そんな初対面の相手に、酷い言葉を。ちゃんと挨拶から始めないと」
「初めまして~、クソ野郎。私は咲耶です~。はよ色々教えろっつーの、です」
「そうじゃなくて、もう姉さん。……申し訳ありません、姉さんが礼儀知らずで。僕は作哉といいます」
咲耶と作哉? 双子なのか?
それに黒い――ノート?
おかしい。黒いノートは慶助の部屋にあった。
なら、心花が持っている黒いノートは一体何なんだ?
――黒いノートは二冊存在するのか?




