第十三話 留守電
暗い公園、今にも切れそうな蛍光灯の下で、俺は意を決して先輩に話しかける。
「先輩、慶助のことなんですが……」
「知っているわ、私たちの身に起こったこと、他人にベラベラとバラしてしまったやつでしょ? それで第三者巻き込んで肝試し大会とか無茶苦茶よね」
ああ、違う。俺が先輩に言いたいのは、そんなことじゃないのに。
「……で、こんなところで何をしているんですか、御子神先輩」
迷いを振り切れなくて、俺は誤魔化すように話題を変える。
「秘密」
先輩は、すぱっと返答した。
「なあに、その顔」
やっぱり、まだ隠すのか。
そんな俺の戸惑いが気にくわなかったのか、先輩はふてくされたように言った。
「慶助が余計なことをしたせいで私は仕事中なのよ」
清流院の説明を裏付けるような言葉が先輩の口から出てきた。
ああ、もう本当なんだな。
あのおっさんの言ったことは。
探偵の言葉を素直に信じる気がなかったが、彼の説明は先輩の行動と合致していた。
「……あなたとも、そう長くは話せないわ」
わかっている。先輩にはやることがあるんだろう?
時間も残されていないんだよな。
俺は先輩の事情を理解できているんだ、これ以上とないくらいに。
「もう、こんな風に私に会いに来るのはやめて」
――ああ先輩が頼れないなら、じゃあ、どうやって慶助を助ければいいんだ?
先輩の冷たい拒絶に、俺は絶望するしかなかった。
先輩は俺から神像を奪い取ると、茂みに顔を突っ込み、元の位置に戻した。
頭についた葉っぱを振り払いながら先輩は俺に向き直る。
「呪いを何とかしたい。そういう気持ちが呪いの起因となっているの。ホラー映画で呪いの家に入った人間が次々と呪われて死んでいく作品があるのだけれど、あれもあながちフィクションではないのよ。呪いに関連するものは関わらないことが一番の対策なのよ」
俺に指を突きつけて宣言した。
「だから、あなたも、これ以上呪いについて調査するのはやめなさい」
「廃墟に入るのはもってのほかなんですね」
「そうよ、何もかも私に任せて」
ふんっと鼻息荒く、得意げに先輩は笑った。
「それだと先輩が危険な目にあうかもしれないけれど……」
「慣れているから、私は」
俺の躊躇いを吹き飛ばすような清々(すがすが)しい笑みだった。
「先輩は強いんですね、そんな危険な中で、しかも自分の力を人に言えるほど受け入れてもいる」
そういえば、今俺が口にしようとしていることを美咲も言っていたな。
「普通は幽霊が見える力なんて隠し通そうとするものなのに」
「あら、それは違うわ。隠し通せる人間のほうが鋼メンタルか――それとも既に頭がアレになっているかのどちらかよ」
そんな俺の呟きめいた言葉を先輩はアッサリ否定した。
本当はあまり長話はしたくないんだけどと先輩はモゴモゴ言い訳している。
「そうね、例えば――猪生くん、もしずっと幻覚や幻聴がつきまとい、更にいつ死ぬかわからない病気にかかったら、どうする? 誰にも何も言わずに一人で抱え込めると思う?」
「それは……」
その質問に答えるまでもない。だが俺は顔をしかめたまま言い淀んだ。
簡単に肯定はできない。
例え話といいながら、きっと先輩の事情をもとに話しているからだ。
中途半端な理解のまま賛同すると彼女を傷つけてしまうだろう。
それがわかっているからこそ俺は何とも言えないでいた。
「無理よね」
先輩にしては珍しく無邪気な笑顔を見せてくる。
苦悩する俺の反応が気に入ったのか、月光の下で、少しハイテンションになった先輩はクルクルと回りながら俺から離れていく。
「口にすることで周囲から一時的に拒絶されたとしても、永遠に続く苦痛よりはずっと楽だから、それでも他の人に理解を求めようとするんじゃないかしら」
月の光へと手を伸ばし、うっとりとした目つきのまま話している。
「もしくはプラシーボ効果……こんなものは病気じゃない、ただの生理現象、もしくは一時的な幻覚、問題ないんだって強く思い込んで日常として馴染ませるか、ね。現実的な病気で例えるならば、最初、気持ち悪くて仕方のなかった飛蚊症の視界……医者には問題ないと言われたから、そのまま徐々に慣れていき、やがては気にならなくなるようにね」
先輩は胸に手を当てながら言った。
「私の精神は並程度だから、ずっと内緒にし続けるなんて絶対に無理だったわ。誰でもいいから理解してほしいって思っちゃう。周りから変な人間だって思われるくらい大したことない。一人で痛みに耐え続けるよりは、ましよ」
「そんな風に言うのなら俺や慶助を、もっと頼ってほしいと……」
「慶助を頼る? 馬鹿なことを。あなたはともかく彼は私の言葉は聞いてくれないわ、もう」
ああ、やっぱり。
慶助は異常なまでに御子神先輩に固執していたから。
「――御子神先輩、慶助と何かあったんですか?」
そう質問すると、先輩は首を傾げた。
「それはいつのことを言っているのかしら?」
「いつって……」
戸惑う俺をよそに先輩は鞄からガウンを取り出し、優雅な仕草で纏った。
急に儀式の準備を始めたのは、早く会話を終わらせたいという合図なのか。
「何かあったかの質問なら、あったわ。数え切れないくらいにね」
魔女のようなガウンを着た先輩は、いつも以上に神秘的だ。
長い髪の毛が月光に照らされてキラキラと光っている。
「それとも、あれほどまでに仲がこじれるくらいの何かがあったんじゃないかって……そう質問しているのかしら?」
「御子神先輩……」
「大丈夫よ、それなら今日、遊園地で遊んで仲直りしたから」
いいや、先輩。
慶助はまだあなたに確執を持っているんだ。
でも、それをうまく説明できない。俺は俯きながら言う。
「そんなにすぐ仲直りできるんですか?」
先輩はそんな俺を心配そうに見つめながら話を続ける。
「ええ、いつものことよ。一年前くらいから彼の告白を降り続けているし。でも次の日には元通りよ」
「振るのには理由があるんですか」
「私ね、普通の人間には興味がないのよ。最初から恋愛対象じゃないの」
先輩は乱暴にガウンのフードを被りながら言った。
「私と普通の人間じゃ、しょせん価値観も存在している場所も違うのよ。うまくいきっこないわ。差別しているつもりはないのよ。でも……私のお母さんとお父さんがそうだったから。結局、離婚しちゃったのよ。そういうのを見ているから、余計にね」
「それ、慶助にも言ったんですか」
「ええ。隠すようなことでもないし。それがどうかしたの?」
何の悪意も見えない先輩の視線が痛い。
何度も告白して、振られて。
霊能力がないからという慶助にとっては理不尽な理由で。
普通の人間には一切、理解できない理屈で。
一体、慶助はどれほど心に傷を負い、短時間で治してきたのだろう。
きっぱり振られたあと、平然と相手と顔を合わせて交流できるようになるなんて、普通は難しいだろうに。
表情を曇らせる俺を、別の意味に受け取ったのか先輩は俺に近寄ってくる。
「とにかく心配しないで、猪生くん。呪いは何とかするから」
先輩は俺に手を伸ばす。
「私はひとりでも頑張れるわ。だから猪生くんは気にしないで」
俺はその手を取れない。
「猪生くんが無事なら、それだけで嬉しいの」
先輩の言葉を素直に嬉しいとは思えない。
「もし猪生くんの身に何かあれば、私がどれだけ努力しようと、結果が伴わなければ無意味なんだから」
いつまでも宙ぶらりんの手に戸惑いの色を見せながら、先輩は、また一歩俺に近づく。
「お願い、猪生くん。例え誰も私を頼りにしなくても、私のことを信じてくれなくても、猪生くんが元気でいてくれるんなら、それで報われるんだから」
先輩を心配させちゃいけない。
先輩の邪魔をしちゃいけない。
今、先輩は大仕事をしている最中なんだ。
慶助!
でも慶助が!
叫びそうになる感情を、俺は必死で抑えつける。
「先輩は、やることがあるんですよね」
ゆっくりと顔を上げて先輩を真っ直ぐに見据えた。
「これ以上、俺たちみたいな被害者を出すわけにはいきませんから。だから頑張ってください。俺のことは心配しなくて平気です!」
「――ねえ、本当に私の言いたいことは伝わっているの?」
俺は息を呑んだ。
先輩が俺の手を取って、ぎゅっと握りしめた。
ひんやりした先輩の肌触りと熱が、じんじんと伝わってくる。
先輩らしくない不安に満ちた双眸があった。
「こんなにすぐ近くにいて会話しているのに」
はあ、と悲しそうに息を吐く。
「どうしてだか、あなたの表情を見ていると、とても不安になるわ」
不安だって?
馬鹿だな、俺は。
先輩を不安にさせちゃ駄目なのに。
そのために言葉を選んでいるのに。
俺は、そっと先輩の手を放す。
遠回しな拒絶に気付いた先輩は、僅かに顔を歪めた。
顔を伏せて目をしばたたかせながら、感情のない声で言う。
「いい? 本当に勝手に動かないでね。下手をすると死んでしまう危険があるのよ、だからお願い」
淡々としているのに、先輩の気持ちがいやというほど伝わってくる。
俺は大きく頷いた。
わかった、と声には出せなかった。
結局、慶助のことを先輩には言えなかった。
――本当? 私のこと助けてくれる? 信じていい?
慶助を助けたい。
二度と美咲のような被害者を出したくない。
俺は公園を立ち去りながら不安な気持ちを誤魔化すようにスマホを弄ろうとする。
着信があったようだ。
「留守電? まさか……」
そう、慶助だった。




