第十二話 蛙
蛙?
ケースに入っているのはアマガエルだった。
本物だ。玩具じゃない。
「これが……呪いに対抗できる無敵アイテム? 舐めているのか? ただの蛙じゃないか!」
「やれやれ、見た目で決めつけるガキはこれだから困る」
清流院はガチャポンケースを開けると蛙を指でつまんで取り出した。
蛙を丸机の上に置くと、拳で叩きつぶす。
「ひっ」
俺は小さく叫んだ。
いきなり何を?
清流院は腕をゆっくり持ち上げた。
男の手に蛙の体液が滴っている。
拳の下には無惨に潰されたアマガエルが存在していた。
何てことを。
無駄に生き物の命を散らすなんて!
「お前……!」
怒鳴ろうとする俺を清流院は手で制した。
ハンカチで手を拭きながら、潰れた蛙を指差す。
何だ?
俺は死んだ蛙を凝視した。
まるで時間が巻き戻されるかのように潰れた蛙の身体が元に戻る。
――息を吹き返したのだ。
「……蘇った?」
蛙はギョロギョロと目玉を動かしている。
先ほどまで潰され死に絶えていたのが嘘だったみたいだ。
「な? ただの蛙じゃないだろう?」
「これ、どう使うんだ?」
清流院はアマガエルをガチャポンケースに仕舞いながら言った。
「使い方ね。さて、どう説明しようかね」
――ゲロゲロ。
蛙が鳴いた。
何だ?
点滅するかのように視界がぼやけはじめる。
疲労からか?
俺は目をこすった。
くらりと目眩に似た頭痛に顔をしかめる。
痛みにも慣れ、目を瞬かせながら辺りを確認しようとする。
すると真っ暗闇の中に、もやっとした白い影が浮かび上がった。
やがて闇は散りゆくようにして普段通りの風景へと戻る。
机の上にある卵を覆い隠すような真っ白な掌。
柔らかな肌と細い手首は、間違いなく清流院のものではない。
誰だ?
誰が俺の卵を掌で包んでいるんだ?
「猪生くん」
耳元で声が聞こえた。
「はる……な?」
「そんな簡単に人に卵を見せちゃ駄目だよ」
清流院がいた場所に巫女装束に身を包んだ少女が存在している。
表情は見えない。
え?
どういうことだ?
俺は何を見ているんだ?
彼女の身体が笑うように動く。
淡い茶色の髪の毛がユラユラと揺れる。
彼女の息づかいに合わせるかのように。
ねっとりとした口元の笑みを見せつけるかのように。
艶やかな赤帯の色合いが目に焼き付くように痛い。
「ね?」
榛名?
どうしてここに?
いつの間に?
これは幻覚?
現実なのか?
でも、もし榛名と話すことができるのなら、俺は。
「榛名!」
叫んだ。
目を大きく見開くと、そこに榛名はいない。
唖然とした表情で清流院が俺を凝視している。
「今、目の前に榛名が!」
そう慌てて口にしてはみるものの、俺は気付いていた。
榛名がいるわけがない。
目の前には、ずっと清流院が座っていたのだから。
「……気のせい……?」
俺の弱さが招いたものなのか?
それとも本物の榛名なのか?
少しだけ俺に伝えたいことがあって会いにきたのか?
どこまでも都合のいいように考えようとする頭に腹が立つ。
美咲を無惨に殺した榛名が善意で行動するわけがない。
「坊主、今、わかりやすくビビったな」
清流院の言葉に、俺は、はっとする。
しまった、変な態度を露骨に見せてしまった。
「幻覚でも見たか」
幻覚だって?
あんなに生々しかったのに?
清流院といえば俺ではなく、俺の卵を掴んで眺めている。
深くため息をつきながら冷めた目で俺のほうを見た。
「お前、どうして卵が大きくならない? 明らかに怖がっていただろう」
え?
「今みたいな幻覚は初めてじゃないんだろう? それなのに少しも卵は成長していないとはな」
冷え冷えとした声音が不快だ。
「普通は、今みたいなので卵は成長するもんだ。それなのに何の変化もない」
からからに渇いた喉を、俺は何とか動かして声を発する。
「は……恐怖で卵は成長するって最初は俺も思っていた。でも慶助はそうじゃなかった。だから恐怖じゃなくて……!」
「馬鹿だな、坊主。卵は負の感情で成長するんだ。それが恐怖心とは限らないさ」
「――負の感情だって?」
「どちらにせよ、今、お前の見せた表情は、負の感情以外の何者でもないんだがな。それなのに卵は成長の片鱗すら見せないとは。いや、恐れ入った」
清流院は口の端を引きつらせて笑った。
「坊主、お前は明らかに異端だ」
彼の双眸に、今まで見せていた道化らしい感情はない。
「お前、自分のおかしさを自覚したほうがいいぞ」
ただ観察するかのように俺を見つめている。
「幻覚は幻覚だ! 普通でない状況だから混乱して疲れて、変なものを見ているだけだ! そんなもの恐れる必要はない。単なる生理現象のようなもんだ!」
自分に言い聞かせるように怒鳴る。
「俺のことは気にするな、今はどうでもいいはずだ! それより、この蛙の使い方を早く教えろよ。どうすれば呪いに対抗できるんだ!」
「ああ、そうそう、使い方だったな」
再び清流院はからかうような色を見せる。
「怪異を知らせる。今のように鳴き声でな。そして――」
どこか面白げに、俺をいたぶるかのように、やんわりと目を細めながら言う。
「ガチャポンケースから放した状態なら、鬼を喰い殺してくれるんだ」
――鬼?
こいつ、何を言っているんだ?
「――ということで良かったな、坊主」
そこまで説明されて、俺は気付いた。
そういえば、さっき、蛙は鳴いていた。
そう、俺が榛名の幻覚を見る前に。
「これで疲労による幻覚か、怪異か判別つくようになったぞ」
清流院はニヤァと赤い口を開ける。
「ああ、今のは怪異な。蛙が鳴いてくれただろう?」
瞳を悪意で満たして、清流院は笑った。
呆然とした俺を放置して、清流院は立ち上がった。
「さて坊主、お前、心の病気か何かか?」
用事が終わったといわんばかりに帰ろうとする清流院は、支度しながら俺に質問する。
「は?」
「本当、そればっかりだな、坊主」
「うっせえ、おっさん!」
混乱しているんだ、察しろ。
御子神先輩の真実に、無敵アイテムの蛙だ。
そしてさっきの榛名の幻覚、おっさんからはお前は異常だと言われるし。
こっちの身にもなってほしい。
忌々(いまいま)しげに清流院を睨もうとした俺は、無表情に俺を見下ろしてくる清流院にゾッとした。
こいつ――なんだ?
どうしてそんな目で俺を見つめてくる?
威圧感を覚えるような声で、清流院は言った。
「重要なことだ、偽りなく教えろ。――心の病気じゃないんだな?」
こいつ、何を言っているんだ。
疑問を感じながらも有無を言わせない相手の圧力に俺は抗議の声を封じられる。
コクコクと頷く俺に、清流院は再び表情を弛ませる。
「そうか」
どこか唇を歪ませて愉しそうに嗤った。
「それはお前にやる。うまく使うんだな」
荒々しく襖を開け、さっさと家から出て行こうとする清流院を俺は慌てて追いかける。
「いやーめんどくさかったが、ここまで来た甲斐はあった。俺としては上出来だな」
「おい、何の話だ。清流院! このクソ探偵! っていうか、この蛙……」
「蛙? ああ、ケースに入っている間なら、あの女の感覚を誤魔化すことができるだろうよ。あの女に取り上げられないようにな。せっかくお前にやったんだ、どうせならお前に使ってほしいからな」
あの女って御子神先輩のことか。
好き勝手言うだけ言って、慌てふためく俺を置いてきぼりにして、清流院はさっさと帰って行った。
まったく嵐のような男だった。
◆
「ねえねえ!」
自室に戻ろうとした俺に秀義が軽やかに声をかけてくる。
「少しだけ声が聞こえたんだけど、もしかして今の、前に兄さんが話してくれた清流院探偵かなー?」
くそ、聞かれていたか。
そうだよな、何度も大声を出していたからな。
わくわくするように声を弾ませながら近づく秀義を、俺は鬱陶しいと一蹴したが、彼は気にせず俺に纏わり付いてくる。面倒になってきたので適当に返事をした。
「そうだよ」
「へ、へええー。すごいなあ。探偵っぽい探偵じゃないかー」
探偵っぽい探偵って何だ。
こいつ、探偵にどんなイメージを持っているんだ。
あれか、金田一耕……何チャラとか。コロン……ああいや、あれは刑事だったか。
安っぽい服を纏った薄汚いおっさん、間違っちゃいないが。
「兄さん、知り合いなんだ? すごいなー」
「知り合いでも何でもない。いいか、秀義。もう二度とあいつを家に入れるなよ」
「どうして? 探偵が僕の家に来るなんて! 何だか面白そうなことが起こっているみたいじゃないか。いいなあー、兄さん、いいなあー。探偵の傍にいたら面白いものをたくさん撮影できるんだろうなー」
「知り合いじゃないって言っているだろうが、いい加減にしろ!」
しっしと秀義を追い払うと俺は素早く階段を上がって自室に閉じこもる。
先ほど清流院から手渡されたガチャポンケースを眺めた。
こんなものを受け取って、俺はどうするつもりなんだ、これから。
決まっているだろ、慶助を助けたいんだ!
――お願い、猪生くん。私の邪魔をしないで。勝手なことをしないで。危険に巻き込まれないようにして。できるだけ安全な場所にいてくれる?
でも、先輩が――
呪いのように深く染みついた言葉が俺の行動を邪魔する。
御子神先輩。
慶助。
俺はどうすればいい?
ただ、友達を助けたいだけなのに。
理不尽に友達を殺そうとする呪いが許せないだけなのに。
もう時間がない。
下手したら、既に廃墟にいるかもしれない。
俺はガチャポンケースをポケットに入れた。
御子神先輩に言おう。
それで慶助を助けてもらおう。
そう決めた瞬間、今度は清流院の言葉が頭にこびりつくように浮かび上がる。
――今から儀式を行うにしても間に合うか。まっ、ギリギリだろうな
そうだ、あの男の言う通りだとしたら、今、先輩は大切なことを行っている。
慶助のことを口にしたら、先輩は迷いなく彼を助けに行くだろう。
四〇人を助けるはずだった機会を無駄にするかもしれないとしても。
慶助一人を優先して。
きっと、その事実は先輩の胸に深い傷を残すだろう。
俺はどうすればいい?
「とりあえずあちこちの公園を回って先輩に会おう」
ええい、迷うより先に行動だ。時間もない。
それに、あのおっさんの言うことが本当なのかも確認したいしな。
公園に到着した俺は絶望の詰まった息を吐き出す。
「――本当だった」
先日、御子神先輩が頭を突っ込んでいた公園の茂みから、俺は妙な神像を見つけた。角のついた女神像だ。
男の説明とも一致している神像に俺は小さく呻いた。
どうしよう、尚更、慶助のことは言えない。
しばらく呆然と立ち尽くすしかない俺に、声をかけてくる少女がいた。
「あなた、何しているの!」
俺は顔を引きつらせて声のしたほうを向く。
ああ。
先輩が来てしまった。
俺には迷う時間すら与えられないのか。




