さくらの印
数日後。
私はお母様に呼ばれ、応接室へと向かった。
扉を開けると、そこには見知らぬ二人の男が座っていた。
年の頃は三十代後半と四十代前半ほど。
衣服は質素だが、仕立ては良い。
商人特有の、柔らかいが油断ならない目。
「こちらは、石鹸とクリームの生産と販売を任せる商人よ」
お母様が微笑む。
……話が早い。
「正式に事業化するわ」
いきなり本格始動らしい。
私は二人に向き直る。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、お嬢様」
どうやら私は現場責任者。
そしてお母様が総責任者。
役割分担は明確だ。
私は設計と品質。お母様が統括と交渉。
商人は生産管理と流通。
悪くない布陣。
「まずは必要な道具と設備を」
商人が紙を広げる。
私はざっくりと工程を説明する。
油脂の精製。灰汁との反応。攪拌時間。
乾燥期間。香料の混合。温度管理。
細かすぎることは言わない。
再現可能なラインを引く。
「それに見合う工場を用意致します」
「原料も先に押さえます。香料の安定供給も」
商人は既に動いているらしい。
仕事が早い。……有能だ。
そこで一つ問題が出た。
「それと、お嬢様」
「はい?」
「ロゴをお願いしたく」
ロゴ。
「伯爵家の紋章は当然使用致します」
この国では伯爵家でも公爵扱いされる場面があるらしい。
いずれにせよ、家の権威は使う。
「ですが、商人側の印も必要です」
成る程。ブランド化には、識別が必要。
偽物対策にもなる。
市場で広がれば、必ず模倣品が出る。
最初から手を打つのは正しい。
私は紙を前に考える。
何にしようか。
香り。清潔。高級感。
いや――ふと、思う。
この世界に、私と同じような存在はいるのだろうか。
転生者。
前世の記憶を持つ者。もし居たら何かの印を見て、気づくだろうか。
私は、筆を取った。円錐形の山。
裾野を広げたシルエット。
そして、その前に舞う花びら。
富士山と桜。この世界に富士山は無い。
桜も、見かけたことはない。
日本人なら、直ぐに分かる。
他の国の者は?……分からないだろう。
それでいいと思い私はその下に、ひらがなで書いた。
「さくら」
商人が首を傾げる。
「これは……?」
「花の名です」
嘘ではない。
「覚えやすいでしょう?」
「確かに……異国風で印象に残りますな」
商人は納得したようだ。
よし。これで行こう。
さくらブランド。
貴族用高級ライン。
一般向け普及ライン。
同じ中身で違う容器。
違う価格。でも同じ印。
私は静かに満足していた。
これで商品は“物”から“名”になる。
名は力だ。力は広がる。
そして、もし。本当にもし。
この世界に同じ境遇の者が居たなら。
この印を見て、何かを感じるかもしれない。
それは偶然か。必然か。
まだ分からない。今は、事業が動き出したことの方が重要だ。
私はまだ知らない。
この“さくら”の印が、やがて国境を越えることになるとは。




