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事件

 仲直りをして以降、ミカイルは宣言通り本当に譲歩してくれるようになった。

 例えば、食べたいケーキが被ってしまった時は譲ってくれるか、半分こにして食べるようになったし、またある時は僕が絵を描くのに飽きたと言うと、じゃあ外で遊ぼうと言って僕を連れ出してくれた。ミカイルは走るのが嫌いだと言っていたくせに、僕よりも足が速くて、悔しいことに僕はいつも彼に追い付けなかった。どうやら嫌いと苦手は違うらしい。

 でも今さら外では遊びたくないというのも格好がつかなくて、負けず嫌いの僕がこっそり家で走る練習をしていたのは、ここだけの秘密だ。



 そんな風に過ごしていた僕達だけど、もちろん遊んでばかりじゃいられなかった。


 ミカイルの家は由緒正しき公爵家で、彼はその跡取りだ。だから、僕と会う日以外はずっと勉強をしているみたいで、そんなミカイルに影響されて僕も勉強を始めるようになった。

 ずっと椅子に座って机に向かうのは中々に辛かったけど、ミカイルに置いていかれるのも嫌だった。


 そうして毎日勉強をしていれば、一日の終わるスピードが今まで以上に速くなって、あっという間に日々は過ぎ去っていく。


 ────気がつけば僕達は、14歳になる年を迎えていた。



***



「ユハン。この後少し話があるんだ」


 夕食後。

 お父さんが気を重くしたような暗い表情で僕に言った。ここのところ彼はとても忙しそうにしていて、家族揃っての食事も久しぶりだというのに、やけに言葉数が少ないのが気になってはいた。

 何だか嫌な予感がして、背中に変な汗が伝う。

 お母さんの心配そうな視線を感じながら、僕達はお父さんの執務室へ向かった。





「ごめん、ユハン。ヴェラリール学園に、通うことができなくなった」


 開口一番に告げられたのは、僕が来年から行く予定の学校について。

 この王国では、15歳を迎える年になると、全寮制のヴェラリール学園という学校へ通うことになっている。場所は王国の中央部に位置しており、僕の住む町からは馬車で四日程かけなければ行くことはできない。

 生徒のほとんどは貴族で、一部特待生という例外はあるものの、かつてこの国を救った聖女ヴェラを祝して建てられたこの学園は、彼女を見習って身分関係なく皆平等にというのが特徴的だった。

 生徒達はそこで四年間を過ごした後、各々自分の道へ巣立っていく。

 僕も男爵家とはいえ、例に漏れずヴェラリール学園へと行くことになっていた。ミカイルもまたその然りだろう。だから僕達は、二人で学園へ行くことに何の疑問も覚えていなかった。

 そんな状況の中で知らされた突然の知らせは、僕を十二分に困惑させた。


「えっ……、急に何があったんだ? 僕は来年から行く予定だったじゃないか」

「…………あまり、ユハンにはこういうことを言いたくなかったんだけど…。簡潔に言うと、学園へ行くための資金がなくなってしまったんだ」

「はあ!?そんな、どうして……!」

「お父さんが…全部悪い。……実は───今進めていた商談が、タチの悪い詐欺だったようで相手は僕が商品を納入するのを確認した後、そのままお金も支払わず消えてしまったんだ。しかも、それがけっこう大きな取引だったからかなりの量で、一気に大赤字になってしまって……」


 衝撃で言葉も出なかった。


 僕の家────イーグラント男爵家は、商人だった祖父が立ち上げた商家の出だ。

 けれども祖父は、僕が生まれる少し前に急病で他界してしまい、祖母もその後をついていくように亡くなると、お父さんが急遽家をやりくりしなければいけなくなった。

 お父さんは優しい人だったけど、悪く言えば人に流されやすく、商人には向いていない性格をしている。だからこそ、今回のような事件が起きたんだろう。

 僕はお父さんの苦労している姿も知っていたから、余計に彼を責め立てることなどできやしなかった。


「…………そうなんだ。でも、学園へ行けなくても大丈夫だ。今はお母さんが勉強を教えてくれているし、学園へ行ったらしばらくお父さん達に会えなくなるだろ?それは寂しいと思っていたから、丁度良かった」


 強がりであることはお父さんも分かっていただろう。ただひたすら、彼は目に涙を浮かべ、謝り続けていた。




 ────さて。


 こうなったからにはミカイルへどう伝えるべきか悩むことになった。彼は、僕が行けなくなったことを知ったらどういう反応をするだろうか。

 当然悲しんではくれるだろう。僕が昔遊びに行かなくなった時、わざわざ会いに来てくれたくらいだから、寂しがってくれるのは想像に容易いことだった。

 しかしながら、意外とすんなり頷いて行ってしまう可能性だってある。それならそれで若干の寂しさはあるものの、ミカイルとは卒業すればまた会えるのだ。つかの間の別れだと思えば、そう悲観することでもなかった。

 明日はミカイルが家にやってくる日だから、正直に全て話そう。彼がどう思うかはまだ分からないが、考えてみた限り、悪いようにはならないと思った。



***



 翌日。 


 テーブルを挟んで向かい側にミカイルが座ったのと同時に、僕は早速話を切り出すことにした。


「……ミカ、実は少し聞いてほしいことがあってさ、」


 僕はお父さんから聞いた話をそのままミカイルに話し、一緒に学園へ行けなくなったことを伝えた。

 彼は初めこそ優雅にカップに入ったお茶を飲んでいたが、内容を理解した途端、ガチャンと音を立てそれをソーサーに置いた。


「えっと……、急にどうしたんだ……?」

「……それ…僕がユハと、会えなくなるってこと?」

「ああ、そういう話だ。でも、卒業したらまた会える。それまでの少しの辛抱だと思えば……」

「無理だよ」

「えっ?」


 ふらりとミカイルが立ち上がる。一瞬で張り詰めた空気に僕は体を強ばらせた。

 そのままミカイルは僕を囲うようにして椅子の背もたれに手をつくと、顔を覗き込んでくる。彼の蜂蜜色に光輝く宝石のような瞳が、じっと僕を見つめて逸らすことを許さない。


「ユハも一緒じゃないと嫌だ」

「っそんなワガママ言うなよ……これはもう、仕方のないことなんだ……」

「どうしたら僕と一緒に来てくれる?僕が、お金を出そうか?」

「はあ!?そんなの駄目に決まってるだろ!?」

「っじゃあ!どうしたらいいんだよ……!?僕は、ユハと離れたくない。ただそれだけなのに…………」


 絞り出すような切ない声。ミカイルの顔が、ぎゅっと僕の肩に押し付けられる。

 じんわりと濡れたそこは、彼の深い悲しみの表れだった。


「ミカ、ごめん……。僕が謝って済むことじゃないのも分かってるけど、僕だって、本当は一緒に行きたかったんだ…」


 釣られて僕も涙が溢れ出そうになる。

 けれど必死に目を開いて、泣かないように彼をぎゅっと抱き締めた。

 寂しいのはミカイルだけじゃない。僕も一緒なんだ。

 背中に回ったミカイルの腕が痛むほどきつかったけど、僕達はお互いの体温を忘れないよう、ずっとそのまま抱き締めあっていた。




 

 どれくらい時間が経ったのだろうか。


 しばらくして顔を上げたミカイルは、琥珀色の瞳を真っ赤に充血させ、今までに見たことがないくらいの弱々しい顔をしていた。

 それほど離れがたいと思ってくれたのだろう。その気持ちだけで僕には十分だった。


「ミカ、僕達は離れても変わらない。ずっと友達だ」

「…………そんなの、当たり前でしょ」


 グスっと鼻水を啜りながら返事をしたミカイルは、何かを決心するように口を強く結ぶと、僕を真っ直ぐ見つめた。


「ユハは……僕から離れていかないよね。僕とずっと一緒に…いてくれる?」

「学園へは行けないけど、ミカイルとはずっと仲良くしたいと思ってるよ」

「じゃあ、約束して」

「……何を?」

「僕と、一生一緒にいてくれるってこと。僕から離れても、ずっと僕のことだけを考えていて」

「えっと……一生は難しくないか?それに、ミカのことだけ考えるっていうのもけっこう無理が……」

「できないの?」

「…………」


 できない、と言える状況ではなかった。


 ミカイルが僕を睨む。彼はこうなると絶対に引かないのだ。できるかはともかくとして、とりあえず頷くしかこの場をやり過ごせなさそうなのは経験からしてすぐに分かった。


「あと、僕と家族以外の人と仲良くするのは禁止。手紙は毎日書いて僕に送ること。僕が入学するまでは時間を見つけて会いに来るからユハも来て。それから僕が帰ってきたときは……」

「ちょ、ちょっと待て!」


 止めどなく出てくる言葉の数々に、僕は慌てて制止をかけた。

 先程のやり取りで約束のターンは終わったと思ったのに、このままいくと途方もない数の約束をさせられそうで。それだけは絶対に、絶対に阻止しなければならなかった。


「何?」

「い、いくらなんでも多すぎるだろ。僕にはこんなに約束はできない」

「え?まだまだ足りないよ。ユハにはもっとたくさん言いたいことが……」

「じゃあ約束はしない」


 ミカイルの眼光が、すっと鋭くなる。

 しかし流石の僕もここだけは引けず、負けじと睨み返した。

 そのままお互いに一歩も引くことなく長いこと睨み合っていれば、珍しく先に折れたのはミカイルの方だった。


「……はあ…。じゃあ、これだけは絶対に守って」

「ああ、何?」

「僕以外の人と仲良くしないで」

「……なんだ、最終的に決めたのがそんなこと?」

「そんなことじゃない。僕にとっては一番に優先すべき事項だよ」

「だってそれなら、今と何も変わらない。既に今もミカイルしか友達はいないし、仲良くしようがないから簡単じゃないか」

「これからは分からないでしょ。僕が離れた後に、変な虫がつくかもしれない」

「虫?虫は確かに僕の庭にもいるけどさ」

「……そういう虫じゃないんだけど。いいから、絶対に守ってね。じゃないと僕、どうなるか分からないから………」


 

 じっとりとねめつけるミカイルの視線が、少し怖い。なんとなく、約束を破ったら取り返しのつかない事態になりそうだ。

 だからこれだけは絶対に忘れないようにしようと、僕は固く心に決めた。



 








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