変化
治ったはずだと思っていたのに、外出しただけで悪くなる自分の体が恨めしい。
結局、あの日は僕が倒れたことでそのままお開きになり、気がつけば自宅のベッドで横になって僕はまた数日間療養する羽目になった。
せめて家に着くまでは元気でいたかったのに、ミカイルの部屋に入ってからは加速度的に熱が上昇した気がする。お母さんにも泣きそうな顔でまた怒られるし、素晴らしい一日とは到底言えない結果で終わってしまった。
これでしばらくは家から出させてもらえないかもしれない。特にお母さんなんかは心配性だから、絶対に反対するだろう。
けれど予想に反し、思ったよりも早く、僕はミカイルの家へまた遊びにいくことができた。熱がすぐに引いたからというのもあるが、僕が残念そうにしていたのを見てお父さんが取り計らってくれたのだ。
取り留めて秀でたものがあるとはいえないお父さんだけど、僕はこういう優しすぎるところが大好きだった。
それから何度かミカイルの家に行って一緒に過ごすようになると、僕の体調は最初の方こそ崩してしまうことは多々あれど、回数を重ねるにつれて体が慣れてきたのか徐々に熱を出すことはなくなった。お母さんの溜飲も下がって万々歳だ。
しかし、その一方で問題もあった。僕は体を動かして遊ぶのが好きなのに対して、ミカイルは室内で絵を描いたり、本を読むことが好きだったのだ。
故に、僕達はよく遊ぶ内容で喧嘩をしていたのだが、ミカイルはいつまで経っても自分の主張を変えないせいで、近頃の僕は彼のそのワガママすぎる性格に辟易するようになってしまっていた。
しかも、ミカイルは僕が反対意見を出すと決まって周りの人に助けを求める。自分一人では僕の固い意思を曲げることができないと分かったのだろう。
ミカイルはその人間離れした綺麗な容姿のせいで周りには彼を溺愛する人間しかいなかったから、僕はいつも説得されて諦めるしかなかった。僕のお母さんでさえ、初めは味方してくれていても、彼にお願いされるとたちまち意見を変えてしまう。
まるでケーキの時の再来ともいえるその光景に、僕はいつもお母さんを奪われたような気がしてしまい、次第にミカイルへ会いに行かなくなるようになった。
そうして、気が付けばミカイルと出会って三年の月日が経とうとしていた────
「アディーラ様!突然申し訳ありません。お客様がいらっしゃったようなんですが……」
午後の一息ついた時間のことだ。
僕がお母さんと一緒にお茶を飲んでいると、急に扉がノックされ、客人を告げるメイドの声が聞こえた。
お父さんは仕事柄家を空けていることが多く、家にあまり他の人は来ないので珍しい出来事だった。
「あら、どなたかしら…?」
「それがどうやら、アイフォスター家のミカイル様のようなんです……」
「ミカイル様が……?」
「え!?ミカイルが来てるの!?」
僕は驚き、慌てて部屋を飛び出した。
後ろからお母さんの僕を呼ぶ声も無視して、そのまま玄関まで走って扉を開ける。
ミカイルは急に飛び出てきた僕に気がつくと、こちらを見てにっこりと笑っていた。
「ミカイル!どうしてこんなところに?」
「きみに会いに来たんだよ。最近あまり来てくれないから寂しくて」
「それは……その、」
ミカイルの責めるような視線を感じ、罪悪感か後ろめたさからか、僕は目を合わせられかった。それが彼の逆鱗に触れていることも知らずに、後ろからパタパタとお母さんの駆け寄ってくる足音が聞こえてくる。
「ミカイル様!急にいらして、どうされたんですか?」
「アディーラさん、ごめんなさい。今日はどうしてもユハンに会いたくて、連絡もしていないのにここまで来てしまいました」
申し訳なさそう顔をしたミカイルがお母さんを見上げる。
僕はまたお母さんを取られてしまうのではないかと思い、そっと手を引いた。彼女は引かれた手に気がつくと、優しく僕の頭を撫でながらキョロキョロと周りを見渡す。
「それはいいのですが……、あの、スカーレはどこにいるんでしょうか?」
「今日は僕一人で来ました。母様にもちゃんと言ってあります」
「あら、一人で……?」
「はい」
「……そうだったのですね。とりあえず、中へ入りましょうか」
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げたミカイルに、お母さんは少し納得がいっていない様子を見せた。が、彼をそのまま帰すわけにもいかず、結局家の中へ招き入れることになった。
「僕、ユハンの部屋に行きたいです」
「え?でも……」
客室へ案内しようとしたお母さんは、その言葉に足を止める。僕が最近遊びに行っていないことを知っていたから気がかりだったのだろう。
だからあえて僕の部屋を避けようとしてくれていたはずなのに、ミカイルに見つめられたお母さんはパチパチと瞬きをしてから僕を見た。
「……そうね。せっかく来てくださったのだから、ユハンの部屋にしましょう」
「………嫌だ。今日は、そんな気分じゃない」
「もう、わがまま言わないで。ミカイル様がわざわざ会いに来てくださったのよ?」
「僕も、ユハンの部屋に行ってみたい」
二人から見つめられると、なんだか途端に僕が悪いような気がしてしまう。先程頭を撫でてくれた優しいお母さんはどこへ行ってしまったのだろう。
いつもと同じ展開に、僕には諦めるという選択肢しか残されていないのだった。
「………はぁ……分かったってば。僕の部屋に行けばいいんだろ」
「やった!ありがとう、ユハン」
嬉しそうに目元をたゆませて微笑むミカイルの気がしれない。少しは僕の気持ちも考えて欲しかった。
部屋についても、僕は胸に渦巻いているモヤモヤが晴れず、一言も発することはなかった。お母さんがお茶だけ置いて部屋を出ていくと、ミカイルがこちらを伺うようにして視線を寄越す。
「このお茶おいしいね」
「……………………」
「ユハ、もしかして怒ってる?」
「……………………」
沸き立つ感情を抑えるためにお茶を一口飲む。
僕が一番好きな味だ。お母さんの気遣いが身に染みる。
そのおかげで僕は、僅かばかりだが気持ちを落ち着かせることができた。
「ミカイル……。悪いけど、今日はもう帰ってくれないか。あんまり話したい気分じゃないんだ」
「…………僕は話したいよ。というか、その呼び方は何?二人きりの時は、あだ名で呼び合おうって言ったよね。いつもみたいにミカって呼んでよ」
ミカイルがじっと僕を見つめる。
あだ名というのはミカイルと出会ってしばらく経った頃、彼が特別な呼び方をしたいと言ったことが始まりで呼ぶようになったものだ。
ミカイルはミカ。ユハンはユハ。
それぞれ省略しただけの簡単な呼び方だが、彼は二人きりになると必ず僕をユハと呼んだ。何故二人きりの時だけなのかと聞くと、その方が秘密を共有しているみたいで、より親密な関係になれるから、ということらしい。
僕にはあまりよく理解できなかったが、彼が嬉しそうにしているのを見て、まあいいかと当時は言われた通りにしていた。
しかし、今はそれですら従いたくない。もうミカイルの言いなりになるのは嫌だった。
「ミカイル。いいから今日は帰って、」
「ユハ、何をそんなに怒ってるの?僕はユハが会いに来てくれなくなって、すごく悲しかったのに……」
「……だって、僕はいつも外で遊びたいって言ってるけど、ミカイルはいつも聞いてくれないだろ。だから嫌になったんだ」
「でも僕、走るのが好きじゃなくて……」
「……ああ。だからさ、最近は他の子と遊んでるんだ。その子は僕に合わせてくれるから、僕も一緒にいて楽しいし」
「────え?他の子?」
「うん、だからミカイルも僕じゃなくて気が合う子と遊んだ方が絶対楽しいと……」
思う、と言いたかったのに言葉が出てこなかった。ミカイルが、物凄い形相で僕を見ていたからだ。
「誰?」
ミカイルが立ち上がり、こちらに近づいてくる。
あまりの恐ろしさに僕は無意識に逃げようとした。が、ミカイルの方が早く、腕を掴まれてしまう。
「ねえ……逃げないで。誰かって聞いてるでしょ?そいつのせいで、僕のこともミカって呼んでくれなくなったの?」
「だ、誰だっていいだろ!それに、呼び方は関係ないし!」
「ソイツともう会うな」
「…………」
凍てつくような瞳がさす。ミカイルはこれまでに見たことがないような無感情さで、こちらを見つめていた。
「ユハ。もう一度言うね?ソイツと会わないで」
「……っ!じゃ、じゃあミカイルも僕の言うことを聞いてくれよ!」
「…分かった。これからはユハの言うことも聞くよ」
「本当に?」
「うん。その代わり、ユハはもう絶対ソイツとは会わないで。もちろん、ソイツ以外の他の奴と会うのもだめだから」
「え、何で?」
「僕が嫌だから。僕もユハの言うことを聞くから、ユハも従ってくれるよね?」
「……?わ、分かった」
「あと、呼び方は?」
「…………ミカ」
「うん」
表情を明るくしたミカイルは、安心したように薄く微笑む。同時に腕も離されると、どれだけ強く握っていたのか、そこはじんじんとした痛みを放っている。
しかしながら、そもそも他に会っている子などおらず、先程の話はミカイルを遠ざけるために言ってしまっただけの嘘っぱちだった。それなのに、まさかこんなに怒ることになるとは。
本当のことを言うべきか迷ったが、もう話を掘り返すのも怖い。僕はこのまま何も言わないことにして、そっと口をつぐんだ。
「じゃあ、前みたいにまたたくさん僕の家に来てくれるよね?」
ミカイルは先程と打って変わった様子で、機嫌が良さそうに笑いかけてきた。
「ああ…」
「よかった!これからは僕もユハの家に来るからね」
ということはつまり、これまで以上に会う回数が増えるということだろうか?
はっきり言って、僕は不安だ。
でも、ミカイル自身が変わってくれることに期待もしたかった。
僕だって、こんなことで仲違いしてミカイルとの関係を終わらせたくはない。生まれて初めてできた友達と、ずっと仲良しでいられるならそうしたかった。
しばらく二人で話していると、コンコンと扉をノックする音が聞こえ、お母さんが部屋へ入ってきた。
「ユハン。もう日も暮れ始めてきたけれど、話はついたのかしら?」
「え?もうそんな時間?」
気がつけば、窓からさす明かりもすっかり夕焼け色を帯びている。なんだかんだ、時間を忘れてしまうほど僕達は話し込んでいたようだ。
「すみません、長居してしまいました。僕はもう帰りますね」
ミカイルも思いの外滞在しすぎたと思ったのか、申し訳なさそうに眉を下げると、すぐに立ち上がり、帰ることになった。
ミカイルの馬車が動き始めて見送っている間。お母さんはどこか嬉しそうに口元を緩ませる。
「仲直りはできたのかしら?」
「うーん、まあ、そうなのかな…。そうだと、いいけどな…」
実のところ、僕はまたミカイルの言いなりになってしまっただけなのでは?と思うところもあった。
しかし、今のところ僕の友達は彼一人だけ。どうにか仲良くしたいという気持ちの方が大きかった。
だから、今回ミカイルが歩み寄ってきてくれたことは素直に嬉しかったし、その気持ちに純粋に答えたいと思った。
僕達はきっとやり直せる────そう願いながら、ミカイルの馬車が見えなくなるまで、僕はずっとその後ろ姿を眺めていた。




