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初めての別れ

 月日はどんどんと流れていき、ついにミカイルがヴェラリール学園へと入学する時がやってきた。

 アイフォスター家の玄関から門へと続く石畳の道に、たくさんの使用人に囲まれたアイフォスター公爵とスカーレット様、それからミカイルの姿が見える。

 今日は、ミカイルが学園へ行く旅立ちの日だ。

 見送りのため僕も来れば、彼は両親と話をしている最中の様子。僕は家族との時間に水を差すわけにはいかないと思い、少し離れたところでそれを見ていた。


「ユハン様。本日はお越しくださりありがとうございます」

「あ、セバスさん……」


 話しかけてきたのは、哀愁を漂わせ微笑んでいるセバスさんだった。


「寂しくなりますなあ…」

「そうですね…。でも、案外あっという間かもしれません」

「そうだといいのですが…。ミカイル様はユハン様のことが大好きですから、きっと離れがたいことでしょう」

「…………セバスさんからはそう見えるんですか?」

「もちろんでございます。ミカイル様はユハン様が来られる日になると、いつもご自分の部屋の窓から外を見て、今か今かと心待にしておられるくらいですからねえ」


 そう言えば、僕が来たときはいつもミカイルが先に玄関にいた気がする。

 他人の口から改めてミカイルの気持ちを聞くのはなんだかとても照れくさくて、思わず僕の口元は緩んでいた。


「でも正直どうしてこんなにミカイルが僕と仲良くしてくれるのか、よく分からないんです。僕もけっこうわがままを言うし、それで昔は喧嘩にもなりましたから」

「うーむ。わたくしから言えるのは、ミカイル様はいつも、ユハン様のことを楽しそうに話してくださるということですかな」

「へえ。例えばどんなことを?」

「あれは何時のことだったか忘れてしまいましたが……、確かお二人で足の速さを競っていた時のことだと思います」


 それは、丁度ミカイルが僕の言うことを聞いてくれるようになった時期のことか。そんなに面白い話でもあったか?と思い、耳をそばだてる。


「ユハン様はいつもミカイル様に勝てなかったそうで、何度も勝負を挑んでいらしたのだとか」

「…………ええ、まあ」

「ほほほ。その時のユハン様の、負けたことを認められなくて悔しがっている表情が、とてもかわいいのだとわたくしは聞きました。それで、何度も挑んでくるのもまた愛らしいのだと」

「はい?か、かわいい?」

「ええ。それはもう何度も力説されるものですから、わたくしもその話はずっと覚えているのですよ」


 ミカイルは一体全体何を言っているんだ?


 セバスさんからの思わぬエピソードに困惑が隠せない。

 僕はあの時、本当に悔しい思いをしていたんだ。なのにミカイルがそんなことを考えていたと知ったら、余計に苦々しい思い出となって甦る。

 軽い気持ちで聞くべきではなかった。いやしかし、こんなことを言われるなんて誰が想像できるだろうか。


「おや。ミカイル様方のお話が終わったようです。わたくしはこれで失礼いたしますよ」

「あ……はい。貴重なお話をありがとうございました。セバスさんと話せて良かったです」


 セバスさんはニコリと微笑むと、そのまま一礼してその場を離れた。


「ユハ、セバスと何を話していたの?」

「…………普通に世間話だよ」

「へぇ……?」


 近くまで来たミカイルが、目を細めて僕を見る。

 彼の怪しむような目つきが気に障るものの、僕は先程の話がどうしても頭に浮かんでしまい、咄嗟に視線を反らしてしまった。


「……? なに、どうしてそっち向くの」

「べ、別に」

「僕の方見てよ」

「……ッ分かった! 分かったから無理やり顔動かすなって!」

「……しばらく会えなくなるから、顔が見たいのは当然でしょ。……ねえユハ、約束は覚えてるよね?」

「それはもちろん。…………って、え……もしかして、さっきのセバスさんと話すのもダメだって言うつもりじゃないだろうな?」

「……………セバスはまあ……いいよ…。でも、あんまり仲良くしないで」


 長い沈黙の後、ミカイルが小さくそう答える。絶対に良いとは思っていないその表情に、思わず僕は苦笑が漏れ出た。


「ははっ……でもさ、ミカがいなければそもそもここに来ることもないだろうから、しばらくはセバスさんとも会えなさそうだ」

「うん……」


 ミカイルはしばらく僕の顔を見つめると、突然腕を引っ張って胸の中に抱き入れた。

 出会ったときは僕よりも小さかったのに、今やミカイルは僕の身長を優に越している。


「離れたくない……」


 首元で小さな呟きが聞こえる。

 先程のセバスさんの話は衝撃的だったが、ミカイルとはこれで暫く会えなくなるのだ。こんなことで頭をいっぱいにしている場合ではないと、僕もミカイルの腰へ手を回した。すると、さらにきつく抱き締められる。


「手紙、書くからさ。ミカも学校であったこととか書いてくれよ」

「毎日書いてくれる?」

「いや、さすがに毎日は無理だって」 

「僕は毎日書くよ。だから、ユハもたくさん送ってね」

「ああ、できるだけ頑張って書くから」

「…………約束、破ったら許さないから。僕以外の人と仲良くしないのはもちろんだけど、他に言ったことも守ってよ」

「だから、そんなには無理だって言っただろ」

「………………お願い」

「えーと、ずっと一緒にいるとか、そういうのなら、帰ってきたら出来ると思うからさ。ミカのことを四六時中考えるのは流石に出来ないけど……」

「あの時は頷いてくれたのに?」

「それは、ミカが絶対に引いてくれないって分かってたから……」

「じゃあ惰性で頷いたってこと?」

「いや、それはその……」


 図星をつかれ、思わず動揺する。


「ふ~ん。そうだったんだ」

「────あ、あー! そんなことより、ミカにプレゼントを用意したんだった! 渡したいから、少し離してくれないか!?」


 咄嗟に出た言葉があまりにも白々しく、誤魔化すように体を押す。ミカイルは納得がいかない様子で眉間を寄せていたが、僕の圧に圧されて渋々体を離した。

 どうやらプレゼントを用意したことで一時的に溜飲は抑えられたようだ。どこか緊張した面持ちでミカイルはこちらを見つめていた。


「これなんだけど……」


 鞄から取り出した包装紙に包まれたプレゼント。 

 ミカイルは本当にあると思っていなかったのか、驚きすぎて時が止まったかのように静止している。加えてそのまま手渡そうとしても、彼は凝視したままピクリとも動かない。

 仕方なく僕はミカイルの前腕を掴んで手のひらの上に乗せたところ、壊れ物を触るかのような手つきでそれをやっと受け取った。

 しかし、それでもしばらくプレゼントをじっと見たまま、ミカイルは微動だにしない。僕はそんな彼の様子が段々と面白くなってきてしまい、笑いをこらえることができなかった。


「っあはは!そんなに驚くことかよ!」

「だ、だって…!こんな、ユハから…何かもらえるなんて、思ってもみなくて……」

「……なんだと?僕だって、遠くへ行く友人に餞別の一つや二つくらい用意するさ」

「そっ…か……」

「…ほら、いいから早く開けてみてくれよ」


 しどろもどろになっているミカイルを促して、包装紙を開けさせる。

 中から出てきたのは、藍色を基調としたカバーが背表紙の日記帳。四方には星やら月やらの装飾が施され、表紙の中央には天使の絵が金色で描かれている。


「ミカに似合うと思って買ったんだ。ほら、最初会ったときにお絵描きをしただろ? その時に天使みたいだと思って頭の上に輪っかを描いたら、ミカも綺麗って喜んでくれたからさ」

「………………」

「あー、ミカ? 動かないけど、どうかし…」

「これってもしかして夢?僕が見てる、都合のいい夢なのかな……?」

「えっ、嘘だろ!? 現実だって!」

「……っ! ど、どうしよう。すごく……すごく、嬉しい…」


 上気した頬に、日記帳を大事そうに抱え泣きながら笑うその姿は、見るものを放心させてしまうくらい美しい。

 ミカイルの顔を見慣れた僕でさえも、思わず見惚れてしまう。それくらいの破壊力があった。


「ありがとうユハ。本当に…嬉しいよ」

「……それならよかった。僕も時間をかけて選んだ甲斐があったな」

「大事にする」

「日記帳だから、学校での出来事とか書いてくれよ。それで、帰ってきたときに僕に話せるように残しておくんだ」

「書くのがもったいないな。……というか僕も、ユハに何かあげればよかった」

「別にお返しが欲しくて渡した訳じゃないからな。そんなことは気にしないでくれ」

「……うん。……でも、これでユハのこと、ずっとずっと近くに感じられる気がする」

「僕は日記帳じゃないんだけど……」


 ミカイルは、長い間嬉しそうに両手でそれを胸に抱えていた。

 これで彼の寂しさが紛れるのならいい。一人で親元を離れるのだから、少しでも支えになることができて僕は嬉しかった。




 その後、ミカイルは名残惜しそうに僕から離れると、そろそろ出発する時間が訪れたらしい。


「最後に嬉しいプレゼントをありがとう、ユハ。帰ってきたらすぐに会いに行くからね」

「ああ……。待ってる。頑張れよ、ミカ」


 そして、ミカイルは僕の顔を焼き付けるように見つめると、そのまま馬車へ乗って旅立っていった。


 今度会うときは、お互い成長して大人びた姿になっていることだろう。ミカイルに置いていかれないよう、僕も頑張らなければ。



 


 さーっと木々のざわめく音がして、強い風が吹きすさぶ。あまりの激しさに思いがけず目を瞑れば、ミカイルの乗った馬車はいつの間にか見えなくなっていた。


 残ったのは、ただ一面の快晴。


 僕は寂しさを胸に抱きつつも、ミカイルの安寧を祈りながら、帰途についた。



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