#51「桜キリカとヴォイド」
そして──生徒達の戦いの裏で、桜キリカは。
「ここは……」
懐かしい──とは少し違う、不思議な空間に足を踏み入れていた。
薬品の匂いがする、大きな部屋だ。照明の光は白く、壁と床もシミのついた古ぼけた白。だがそれより特徴的だったのは、左右に10個も20個も並べられた、人が入れる大きさの空のカプセルだった。
同一ではないが、似ているのだ。彼女の生まれた場所と。
「……なるほど。四次元空間に作り上げた擬似空間、ですね」
キリカは、前方に感じた人の気配に向けて問いかけた。その人物の見当は付いていた。
「ご名答。オレサマの固有魔法"零次元"……四次元の通路を通して、現実世界の物体をワープさせられンだが。その"通路"そのものもこんな風にデコって、お友達を招待できるってワケだ」
「先生、きみとお友達になった覚えはないのですけど?」
言い返して、キリカは自分の真っ白い長髪の中に手を突っ込み、ふわふわした髪の中から、黒いとんがり帽を取り出した。手品のような不思議な魔法で登場させたそれを、彼女はぎゅっと深く被る。
「寂しいこと言うなよ? オレサマとお前は同類じゃねェか」
ヴォイドはショックを受けたようなフリをしながら、キリカに訴えかけた。その仕草全てが大仰でわざとらしくて、まるで彼女を小馬鹿にしているかのようだ。
「勝手に体イジられて、戦わされて、危険物扱い! 10代のオンナノコ達にしていい仕打ちじゃねえよなァ? 泣いちゃうよなァ? 仕返しがしてえよなァ?」
「……やはり、きみも」
疑念が確信に変わり、それがキリカの心にほんの少しだけ迷いを与えた。
口ぶりからして、彼女もキリカと同じく、魔法に関する何らかの非人道的措置を受けた人間。その上で、魔法を恨み、消し去ろうとしている者。
もしかすると、橘希織花と出会わなかった世界線の哀れなデザイナーベビー・M8-103番は、ああいう人間になっていたのかもしれないと、同情の余地もあった。
その上で。
「残念ですが、もう先生にその手の言葉は通用しないのですよっ」
舐められがちだが、明るく生徒思いな教師・桜キリカは、いつもの調子で微笑んでそう言った。
「悲しい過去は変えられなくたって、いつだって人は変われます。人間には未来があります。私と一緒に生きたいと言ってくれたみんなのためにも、私はこの世界で生きていくのですよ」
「……おい。オイオイオイオイオイ。道徳の授業ですかァ〜? キラキラした目でつまんねェ綺麗事言うようになっちまってよォー……」
失望。ヴォイドの黒ずんだ瞳は、見るからにそれ一色だった。
「正気か? テメェは存在そのものが魔法学の最高傑作であり、危険な生物兵器だ。お前をツケ狙う奴はオレサマ達だけじゃねえ、世界中にいるぜェ? それに教え子を巻き込んで生きンのか? それは──」
「それはワガママだ。そうでしょう?」
戯言ではない──覆い被せるように言葉を吐いたキリカの様子を見て、ヴォイドはそれを確信した。
「ええ。これは私のワガママなのです。人間じゃないくせに、人間のフリして生きたいという、私のワガママなのですよ。でも、だからこそ」
とんがり帽のつばを持ち上げたその瞳に、もう迷いは無く。
その笑顔はまっすぐで。
「私は戦います。私が、大好きなみんなを守り続けます」
幾多の悲しみを乗り越え、彼女は今、大切な仲間達を守り導く、真の先生になったのだった。
「……笑うンじゃねぇ」
そして、そう在れなかった者がいた。
「テメェのツラを見てると……アイツを思い出すんだよッ!!」
ヴォイドの顔にはもう、おどけた嘲笑は浮かんでいなかった。彼女が怒号を上げると同時に、コンクリート造りの研究室が、ぐらぐらと揺らぎ始め。
甲高い音がした。
「!」
キリカから1番近い位置のカプセルの強化ガラスが、砕け散った音だった。割れた破片は、防護壁から一転して、触れたものを切り裂く凶器と化す。キリカは素早く飛び退いて、四方八方に散らばる破片を回避した。
「……っ」
だが、無数の破片の一つが、その尖った先端で、キリカの左腕の肌を切った。鋭い痛みの直後、ほんの少しの血が滴る。
日常の中でも発生しうる、戦闘継続にはなんら問題のない軽傷。だが、キリカにとってそれは、単なる負傷ではなかった。
「ククッ……なァおい、お得意の自動バリアはどうしたー?」
したり顔をしたヴォイドが問いかける。キリカも既に、自分で気がついていることだった。
キリカの体に仕込まれた、魔法・物理に対する自動防御の魔法。ヴォイドはそれを完全に解除し、キリカをその手にかけようとしたものの、解除完了の寸前で正宗達に救出されたことで、それは叶わなかった。
だがそれは、"完全には"解除されなかったのであり。
「9割……いや8割8分ってトコか? 今ので血を流すようなら、もうあって無いようなモンだな、ァ?」
今や、桜キリカの防御面における魔法性能は、常人のそれとほとんど変わらないのだった。
「偉そうにマウント取れんのはここまでだなァ。お前今、攻撃喰らったらちゃんと死ぬンだぜ? どうよ、気分は」
今までキリカの中に介在していなかった、戦死というリスク。それが彼女の恐怖心を掻き立て、パフォーマンスを下げるとヴォイドは踏んでいた。
「うん。丁度良かったのですよ」
「?」
だが、キリカの顔に焦りは無く。
「これでようやく、きみと勝負になるのですから」
挑発的で負けん気。それは、彼女の一番手のかかる教え子から教わった、ピンチを笑い飛ばす方法だった。
「……へえ。死ねよ」
「ッ!!」
直後、キリカの頭部に風穴が空いた。
"零次元"に次ぐ、ヴォイドのもう一つの得意技。詠唱無しの基礎魔法"シュトナ"の高速発動。弾丸のような速度と、狙いを決して外さない精密性を併せ持つその技は、長年与えられてきた薬品と肉体手術と訓練の賜物であった。
それが今、小さな少女の頭を撃ち抜き、彼女を即死させた。
「…………おい。血はどうした」
ヴォイドは1秒間の思考停止ののち、呟いた。
確かに眉間を撃ち抜いているのに、奴が血の一滴も流さないのは何故だ。
それではまるで──人形じゃないか。
「上か!」
「──"双子座ノ奔流"」
ヴォイドが見上げた先には、もう1人のキリカがいた。腕から血を流した、本物のキリカが。
「分身、いやコピー人形か!」
物言わぬ塊となって倒れた地上のキリカが、そのまま光の粒となって消滅していくのを横目に見て、ヴォイドは即座に理解した。いつの間にか、身代わりの人形を用意していたのだと。
「しゃらくせェ!!」
ヴォイドは地面を強く踏みつけた。直後、ぐらぐらと揺らいだ地面から、何枚ものコンクリートのタイルが重力を無視して上空へ飛び出した。三次元の物理学を無に帰す一撃が、回避行動を取れない空中のキリカに迫る。
「"鯨座ノ奔流"!!」
避けられないのなら、避ける必要を無くせば良い。
キリカは即座に地面に右手を向け、詠唱した。その手の先に眩しい光が溢れ、それが極太のビームとなって地面を焼いた。当然、空中にあった無数のタイルも。
「チッ……危ねえな」
だが、本体を仕留めるには至らなかった。
キリカは着地し、改めて状況を見渡す。この研究室はそこらじゅうボロボロになってしまったが、キリカもヴォイドも、まだほとんどダメージを負っていない。
(この異次元空間……私なら脱出は可能ですが、解析と破壊に5分は必要そうですね。彼女がその間、待ってくれるとは思いませんし)
一刻も早く脱出し、教え子達の無事を確認したい。だが、そもそもそれを許さないために、ヴォイドは彼女をここに閉じ込めたのだ。
「いくら小細工を仕掛けようと、先生には勝てませんよ」
「わーった、小細工はもうやめにする。質量で行くかァ」
そう言って、ヴォイドは両腕を動かした。右腕を上に、左腕を下に、爪を立てて。まるで何かを掴むよう──いや、違う。その両腕はまるで、大口を開ける獣のような見栄えだ。
「──潰れな」
「! まさか……!」
一瞬、また周囲が揺らいだ。だがキリカは感じていた。先ほどまでのそれとは違うと。
何かが割れるとか、地面が飛び出すとか、ほんなものではなく。
崩壊そのものだ。
「くっ……"子犬座ノ奔流"!!」
キリカはすぐさま詠唱した。体が軽くなる。俊敏になる。そうして、高速移動の魔法をその身にかけたキリカは、即座に駆け出した。
そして、部屋の隅の壁に貼られた窓ガラスにジャンプし、それを叩き割りながら、隣の廊下へ転がり込んだ。割れたガラス片がまた手足に刺さって痛みが走ったが、そうしなければならなかった。
「っ……危ないのです」
振り返った先では、さっきまで自分がいた研究室の、手前半分の空間が、高速落下した天井の下敷きになっていたのだから。
隣にこの廊下があったから良かったものの、危うく地球上には無い場所で、生涯を終える所だった。
「異次元空間の操作……ここまでとは」
キリカは呟き、束の間の瞬きをした。瞳を閉じて、そこに真っ暗な闇を映し。
「お褒めいただきどーも♪」
「!?」
再びまぶたを開くと、目の前にはヴォイドが急接近して来ていた。
「おらよッ!!」
「ぐっ!?」
数十メートルは離れていたのに、どうして──推理する暇すら与えられず、キリカはヴォイドの回し蹴りを、とっさに左腕で受けた。だが外見からして高校生以上である彼女の蹴りを、12歳の小柄な少女が受け切れるはずもなく、キリカはバランスを崩してよろけた。
「まーだだよッ!!」
ヴォイドの追撃が迫る。それも、今いた正面からではなく、背後から。
そうか──ヴォイドの支配下であるこの空間を、彼女は自由にワープすることすら──!
「"シュトナ"ァ!!」
「っ、きゃあああああっ!?」
高速の魔法弾と、その爆風を背に喰らいながら、キリカの軽い体は宙に浮き、数メートル横に転がった。
服が焼け爛れ、背中に火傷の痛みが走る。転がりながら擦りむいた膝も膝も、ヒリヒリと痛い。眠りたいのに頰を突かれて邪魔をされるように、意識がそちらに持って行かれて仕方ない。こんな辛く苦しいものからは、早く逃れたいのに。
痛い。ああ、これが痛いということか。
これが、命を賭すということか。
正直、少し怖かった。
(……正宗くん達は、"これ"と戦ってまで、私を)
そして、それ以上にそのことが嬉しかった。
それに応えたかった。全てその手でなんとかして、むふふんと笑う、そんな彼らの先生でありたいと思った。
「…………認めます、きみは今までで最強の敵なのです。私の十二星座の魔法も、どれも決定打にはなってくれなさそうなのですよ」
「へえ。ならどうする? 参りました、許して下さいってか?」
「いいえ! 負けるつもりなど無いのですっ」
嘲笑うように問いかけたヴォイドに、キリカはまっすぐ向き合って口を開いた。
「見せてあげると言っているのです。先生のとっておき……究極最強の魔法を」




