#52「キリカと最強の魔法」
「とっておきなのです。見せるのは、きみが初めてですよ」
キリカはそう言うと、そっと目を閉じた。これから何か仕掛けてくるのは明らかだった。
「へェ。見せる前に殺しちまうけどなァ!!」
だから、その前にヴォイドは動いた。次元の隙間を通り、瞬時にキリカの目の前にワープし、拳を振り上げる。
そして、キリカの幼い顔目掛けて、思い切り振り下ろした。殺意を込めて。
「…………なっ!?」
その殺意は空振った。
いや、当たった。当たったはずなのだ。確かにキリカがいるはずの位置を殴った。だから、ヴォイドには意味がわからなかった。
透けている──あるいは、そこにいるのに、そこにいないような。とにかく、キリカに攻撃が当たらなかったのだ。
「──"真銀河"。ごめんなさい、もう既に発動したのです」
その魔法の名を、キリカはそう言った。
だが彼女の体は、ほのかに光り輝いていること以外、何も変わっていない。体格も、容貌も。
「テメェ……クソガキ、今度は何の星座の力だ!! テメェが星座に対する人類共通の仮想能力を、星座ごとのモチーフを具象化する魔法を使ってんのは、とっくに見当ついてんだよッ!!」
「なかなか鋭いのですよ。だけど、今度は星座の力ではないのです」
言いながら、キリカは黒いとんがり帽を被り直した。
それはつまり、彼女にとって都合の良いものには触れて、都合の悪いものはすり抜けられる、ということだった。
「星座魔法を更に超えた領域……先生は今、宇宙と同化し、宇宙の事象を書き換えているのです。書き換えられる事柄は、自分にまつわることに限られますが」
「…………な」
信じられなかった。
ヴォイドの"零次元"は、自分だけの空間を創造し、この世界の在り方そのものに干渉する、究極の魔法だと自負していた。世界を揺るがすほどの最強の魔法だ。それに対抗できるとしたら、例えばそれは、世界そのものだ。
"それ"に、なったというのか? 今の彼女は、宇宙の全てを支配していると? だから今のように、殴られたという事象を、都合良く無かったことにしたのだというのか?
おかしい。そんなのは、おかしいじゃないか。
「かなり消耗が激しいので、朝の戦いでは出し惜しんで負けてしまいました。そのせいでみんなを巻き込んだこと、これでも引きずっているのですよ」
だから──キリカは続ける。
「今度は全力で行くのです。1分で済ませましょう」
「……!」
理不尽とまで言える力に混乱を隠せないヴォイドは、その勝利宣言にさらに心を乱された。
「黙れェ!!」
怒りのまま、再び拳を彼女に向けて放つ。
そしてキリカは、それに対して自分も拳で迎え打ち。
「ぐぁっ!?」
当たった。キリカの拳だけが、一方的に、ヴォイドの腹に。ヴォイドの拳は、キリカの頭を再びすり抜けたのに。
だが、殴られ後退してもなお、ヴォイドは殺意を絶やさなかった。
「ちいっ……死ねェ!!」
叫びながら、無詠唱の"シュトナ"を放つ。右手の指先から、五発の凶弾が放たれた。
音速の死の光が、真っ直ぐに飛び向かった、その先には。
「遅いのです」
「!?」
「先生、とっくに自分の座標を書き換えたのですよ」
もう、キリカはいなかった。
ヴォイドのワープとは違う。いや、比較にもならない。彼女はそれを確信した。何故なら、ヴォイドのような高速移動とは違い、そもそも"そこにいる"という事象そのものを書き換えているのだ。目の前の、この幼女は。だから、攻撃しても何も当たらない。当たりようがない。
勝つ方法が無い。
格が違う。まさに、魔法使いの究極だ。自分にまつわるあらゆる情報を、改変することができるのだ。
「……ふざけるな……!!」
究極の完成品。魔法による人体改造の成功例。
「ふざけるなァ!!」
だが、ヴォイドにとって許せない点は、そこではなかった。
「ヴォイドさん……もう、終わりにしませんか? 勝敗はついているのです」
「黙れ、名を呼ぶなァ!!」
彼女にとって許せないのは、桜キリカの、こういう甘いところだった。
「なンで……なンでお前なんだァ!!」
「ヴォイドさん……?」
甘くて愚かな先生。生徒達に愛される先生。幸せそうに生きる先生。
同じ実験体なのに、何故こうも差がつくのだ。
自分と、ではない。"彼女"と目の前の子供が、同じ境遇を辿りながら、全く違う今を得ていることが、ヴォイドは許せなかった。
「同じだろ……自分の意思でそうなったワケじゃない、なンにも悪くなかった可哀想な子だ…………」
同じなはずだ。
生まれた時から、大人のエゴで生物兵器にされた、桜キリカと。
金に釣られた姉の愚かな判断に付き合わされ、実験体になり、最期はその姉に殺された、"あの子"は。
なのに。
「なんであの子は完璧じゃなかった……なんでお前だけが完璧なんだ!!」
周囲の空間が歪む。湧き上がる激情に乱されて、ヴォイドの異次元空間全体が揺らぎ、崩壊しかけているのだ。地震が起きたように、壁の柱も天井も砕けて割れていく。
だけど、そんなことはどうでも良かった。
「無邪気で、優しくて、愛しい子なんだ……なのに、なんであの子だけ死ななきゃならねェんだよォ!!!」
目の前のコイツをなんとしても殺して、証明しなければ。
自分達のような実験体はみな、惨めに殺される運命なのだと。
そこに例外は無いのだと。
桜キリカは幸せに生き延びて、愛する私の妹は死んでしまった──そんな理不尽で不公平な結末は、あの子のためにも、あってはならないのだと。
「キリカァァァァァァァーッ!!!」
ヴォイド──かつての名を、高崎零真。
父が詐欺で2億円を失い、返済を手伝うために、妹・一果とともに、魔法学研究の被験者となった少女。
『どちらかの生命活動が停止するまで行う。処分されたくなければ……分かっているな』
最後の研究プロセス、1対1の戦闘実験で、零真は研究員にそう言われた。そして、その相手は一果だと。
なんだ。最後の実験が、一番簡単じゃないか。
始まったら自害して、妹を生きてここから出してやるだけで良いなんて。
それが姉としての最期の仕事だなんて、むしろ誇らしかった。
なのに。
「…………なんで…………?」
死の恐怖は、姉としての矜持に勝った。気がつくと彼女は、戦闘を始めようとしない一果の隙をついて、彼女を殺していた。
なんで──冷たくなっていく妹を見ながら、彼女は囁くようにそう言いこぼした。
世界で1番最低な姉だ。死んでしまえ。ああ、死んでやる。
だけど、その前にこれだけは果たさなくては。
「キリカァァァァァァァーッ!!!」
否定しなくては。同じ境遇にありながら、キリカは助かって、一果は死んだという現実を。
神様が、あの可愛い妹だけを、故意に見捨てたのだという、理不尽な現実を。
それが、最低な姉にできる、唯一の弔いなのだから。
「……もう、泣かなくて良いのですよ」
「えっ」
ああ。なんだか、前が見えないと思った。
オレサマはまだ、情けなく、人間みたいに泣いているのか。
「…………ふう」
異次元空間に穴を開け、現実世界の廃校の屋上に帰って来たキリカは、一仕事終えて安堵のため息をついた。
ヴォイドは撃破した。今は、キリカの視界の隅で倒れている。マナの消費が激しい"真銀河"は既に解除されてしまったが、その前に勝負をつけることができて一安心、と言ったところだ。
「…………先生、分かったようなことは言いません。きみの苦しみは、きみだけのものだから。だけど……代わりに、祈っています。きみもいつか、自分の幸せを見つけられることを」
キリカは、ただひたすら信じた。苦しみ嘆いていた彼女が、自分と同じように、いつか救われてくれることを。
だから、今はそっとしておこう──そう思って、キリカは背を向けて歩き出した。もう、振り返ることはなかった。
振り返るべきだったのだろう。
「…………かひっ」
間抜けな声が出た。間抜けなだけなら良かったのに。
「え……」
キリカは、呆気に取られて声を漏らした。
その胸からも、どくどくと血が漏れ出していた。
貫かれたのだ。熱を帯びた、高速の"何か"に。拳銃で撃ち抜かれるように。
(あっ。ダメだ、これは)
しまった。完全に気を抜いていた。だけど、今更どうにもならない。致命傷を受けたその小さな体は、力なく地面に倒れていく。
「……………くくっ…………あはははははははははははっ!!! はは、はは、ひっ、ひひっ、くひっ、あーっははははははははは!!! しんだ!!! しんだ、しんだ、しんだァ!!!」
笑い声が独り、空に響く。
ヴォイドだった。笑ったのも、気絶したフリをし、キリカの隙をついて"シュトナ"で胸を撃ち抜いたのも。
「…………先生ェ!!!」
「あァ……? あー、キリカせんせーの一番弟子か。ってことはシルバーはしくじりやがった……やー、もうどーでもいーか」
浅井正宗のアホヅラが見える。だがもう奴のことなど、シルバーのことなど、計画など知ったことか。勝った。殺した。証明した。もう、それだけで良い。
敗北の最中、宿敵に理解され、哀れまれ、プライドも悲しみに満ちた心も折られたヴォイドにとって、もうそれ以外のことはどうでも良かった。
勝った。勝ったのだ。ほら、奴はあそこで血を流しながら、倒れていた、のに、ほら、すんなりと立ち上がって、
「…………は?」
なんで立っている?
「……致命的な負傷を確認」
なぜ、喋っている? しかも、操り人形のような、無機質な声色で?
「仮想人格起動完了。続いて秘匿緊急魔法プログラム、起動」
キリカの中に宿る"何か"が、そう言った。
10分後、○○○○が命を落とすことを、彼らはまだ知らなかった。




