第33話 魔女の護符
早朝から喪服を着て食堂で待つ。雨は長い髪を黒いリボンでまとめていた。今日も雨はあまり話をしてくれない。しかし今日は俺もその方が良かった。
理恵さんと文明さんが来た。もうそろそろ順子さんが戻ってくる。
順子さんは一旦有澤家に戻り、そこからすぐ火葬場に向かうのだと聞いた。その後に葬儀場でお葬式になるそうだ。
俺たちは外へ出た。今日もよく晴れて、空が青い。有澤家には親類らしき人が次々と訪れている。中村君とそのご両親も来ていた。
ほぼ時間通りに車が入ってきた。後ろのハッチが開き、親族の男性たちで棺が運び出される。理恵さんが弾かれたように駆け寄った。
「お嬢さん!」
玄関からではなく、その隣の部屋の掃き出し窓を大きく開けたところから、順子さんはようやく家に帰った。奥に大きな仏壇が見える。前には祭壇が造られていた。中に黒い服を着た識司さんと誉茉子さんがいるのが見えた。
文明さんが俺たちも行きましょう、と玄関に向かった。理恵さんはもう泣いている。
葬儀屋さんに白い花を渡された。見ると、訪れた人たちで順子さんの棺の中に花を入れていた。前へ進み、文明さんの真似をして手を合わせ、棺の中を見る。
順子さんはところどころ包帯をしていたが、顔はきれいだった。薄く化粧されて、本来の少女らしい顔立ちだった。花に囲まれて喜んでいるだろうか。識司さんが本と写真らしきものを入れていた。俺も花を入れた。雨は紙片を識司さんに見せ、識司さんはうなずいた。雨は紙片を花と一緒に棺に納めた。
祭壇に飾られた写真の順子さんは少しすました笑顔だった。理恵さんと中村君が号泣している。誉茉子さんは呆然としていた。
花と、故人の好きだったものを入れて、棺に蓋がされる。識司さんが釘を打ち込み、次に誉茉子さんが打ち込み、親類も続いた。
「どうしてもこの家に帰りたかったんだなあ」
釘を打つ間、識司さんが棺に話しかける。やはり識司さんは順子さんを大切にしていたんじゃないだろうか。
蓋が閉まり、順子さんはまたすぐ運び出されることになった。理恵さんが待って、もう少しだけ、とすがりそうになったが、文明さんが止めた。
順子さんの棺がまた掃き出し窓から外へ出て行く。理恵さんは文明さんにしがみついて泣いている。
順子さんはバスの下に収められ、親族がバスに乗り込んだ。あれで火葬場に行くそうだ。文明さんと理恵さんは別に車で行くという。俺と雨はそこまでは行かずに、あとは告別式まで寮で待つことにした。後から理恵さんが迎えに来てくれる。
俺と雨は何となく食堂に座った。あと3時間ほどで告別式だ。
雨がこの間に護符の書き方を見せてくれると言うので、俺はメモ用のノートを持ってきた。
「これは健康を期待するもの、これは良くないものが遠ざかるように願うもの」
丸を書いたり直線を書いたり、文字らしきものを書いたり。生活全般で不器用な雨が、書く方ではなかなかの器用さを見せた。丸も線も定規を使ったようにきれいにすらすら書く。
雨は線や文字らしきものの解説もしてくれた。丸がバランスのいい状態を表している。文字が体の部分や人などを象徴していて、等分に配置すると落ち着き、近付けるとその関係が強まり、線でつなぐと流れが通り、遮ると関係が途切れる。要はそれを決まり通りに望みが叶うように書いていくらしい。
何だか聞いていると、魔女は割と地味に当たり前のことをしている気がする。よく使われるという護符、つまりよく願われていることも、健康や縁結び、運気の上昇など、神社に願うこととあまり変わらない。
「だって人が願うことですもの、みんな同じですよ。その人に合う方法がお医者様か、神様仏様か、魔女か、というだけです」
雨がふわふわと笑った。髪をまとめていると少し雰囲気が違う。リボンも似合うな、と思った。
俺が神社に願うとしたら。今ならもちろん縁結び、大願成就。でもそれを雨には言えない。
「宝くじが当たるような護符ってあるの?」
「そうですね、願いを強めて、強運を呼び込むものがありますね。書きましょうか?当選したお金を全額いただきますよ」
雨がわざと意地悪そうに言って、笑った。本当に必要な時は、書きますよ。でも今はそれほど効くものは書けそうにないですね。
願いは強いほど叶うという。自分で強く願い、努力して、その上で他の力に頼るものなのだそうだ。今の俺のように何となくで魔女に頼っても大した成果は期待できないらしい。世の中は厳しい。
「今のように集中しないで書いたものもさほどの効果はありません。人の思いが結果になるんです」
雨はやっぱり当たり前みたいなことを言った。
「だから、昨日は集中したくて。ごめんなさい」
雨がペンを置き、俺に謝る。俺はううん、と首を振った。雨は優しいと思う。
「今頃、雨の護符も燃えてるのかなあ」
「そうですね」
順子さんと一緒に。雨が込めた心と一緒に。
空の上からなら行きたかった東京にすぐ行けるだろう。あっちはもうすぐ桜が咲く。ゆっくり花見をしてほしい。
雨と一緒に見上げた空は、穏やかに青かった。
告別式はしめやかに行われた。祭壇は若い女の子らしい華やかな色の花で飾られ、笑顔の順子さんを美しく彩っていた。
たくさんの学校の友人らしき制服姿の参列者も多く、順子さんが学校で友達に囲まれていた様子が偲ばれた。雨はやはりひそひそと囁かれはしたが、そのくらいでさほどのいやがらせはなかった。俺と雨も隅の席で順子さんの冥福を祈った。
式が終わり、女の子たちの泣き声も帰って行く。親族や会社関係の人、近所の人たちは隣の広間で会食をするらしい。
俺たちも帰ろうと親族に挨拶に行くと、今日はずっとおとなしかった誉茉子さんがふらふらと雨に近付いてきた。俺は雨を庇うように間に立った。
「魔女……もう気がすんだでしょう。蔵も奪って、野辺さんとも別れさせて、順子まで殺して、私から何もかも取り上げて……工場を燃やしたから、識司を横取りしたから、あなたの足を片方だけ切る羽目になったから?そんなのもういいでしょう、お釣りがくるはずよ!もう呪いを解いて、元に戻して!」
雨は俺をそっと押し退け、誉茉子さんの前に出た。
「私はあなたを呪っていません」
「嘘!じゃあどうして、どうしてこんなことになったの、あなたが恨みを晴らしているからでしょう!」
親族の男性が誉茉子、と叫んで誉茉子さんを止めようとしたが、誉茉子さんはやめなかった。ぎらぎらする目で雨に詰め寄る。雨は静かに誉茉子さんのに正対する。広間から人が集まってきた。表にいた、まだ残っていた参列者も何事かと戻ってきた。
「工場に火をつけたのは原田と小西よ、あなたを轢いたのは平野よ、私は隣にいただけよ、私は悪くない!もう呪いを解いて!」
「私は何もしていません。これは、あなたのしてきたことの結果です」
雨は繰り返した。誉茉子さんが呆然と立ち尽くす。
親族の年配の男性がが誉茉子、お前は、と顔を真っ赤にして誉茉子さんの肩を揺さぶった。参列者も動揺している。雨が義足で、それは事故で失われたことはみんな知っているようだ。工場のことを俺は知らなかったが、騒めく人々が識司さんのお父さんの工場が燃え、それが原因でお父さんが自殺したことを囁き合っていて、俺にも、きっと雨にも聞こえた。
会場が騒然とする。騒ぎが広がりそうなのを見て雨は俺に行きましょう、と声をかけ、親族に向かって丁寧に深く頭を下げると、葬儀場を後にした。
俺も頭を下げて急いで雨を追った。しかし、その時目の端で確かに見た。
識司さんは薄く笑っていた。
帰りの車の中で、理恵さんは殆どしゃべらなかった。雨も疲れたように窓の外を見ていた。無言のまま車が寮に着く。
礼を言って車を降りると、理恵さんも車を降りた。そして、雨に向かった。
「雨ちゃん、轢かれた時、犯人を見たの?知ってたの?奥さんと平野さんだって」
雨は短くはい、と答えた。
理恵さんが泣きながら雨を問い詰める。
「じゃあやっぱり平野さんが亡くなったのも、奥さんがこんなことになったのも、雨ちゃんのせいじゃないの?社長のことでも怒ってるんでしょう、だって、許せる訳ないもん、こんなこと」
「……識司さんのお父様のことは、知りませんでした。知っていたら、識司さんが望むなら呪ったかもしれません。でも、私のことだけなら、何もしません」
雨が静かに答える。
「私はそのことでこれ以上私の何も失いたくないんです。あの人たちを恨む労力も時間も惜しいです。そんなことのために私の何ひとつ、使いたくないんです。だから許しはしませんが、恨んではいません。呪いもしません。どうでもいいんです」
理恵さんが一歩下がった。雨は心底どうでもいいのだ。それは、ある意味とても怖いことだ。体を損ねられてすら恨みを持たない人は、心で何とでもできてしまう。
それに気付き、雨は少し悲しそうな顔をした。魔女はきっとこうして誤解されてきたのではないだろうか。
雨がうつむき、言葉を失くす。理恵さんが泣きながら後ずさる。
「雨ちゃん、ごめんね、でも、私、雨ちゃんが怖いよ」
理恵さんは車に飛び乗り、走り去った。
雨は悲しそうな顔をしていた。
その後親族らしい男性が2人訪ねてきた。雨は本当に何もしてはいないこと、する気もないことを伝えた。理恵さんに説明したように、その労力と時間すら使いたくないと言ったら納得したようだった。
差し出されたお見舞いの分厚い封筒もあっさり断った。しかしおじさんたちもそこは引かなかった。受け取ってもらわないと帰れないと言い、雨は預からざるを得なかった。
そして、念のため明日1日滞在してほしいと頼まれた。もし話し合いが早く終われば連絡に来るが、できれば帰るのは明後日に、と会議で決まったらしい。俺もセットなのだろう。雨がいいですか、と俺を振り返り、俺はうなずいた。
「それより、識司さんは大丈夫ですか。あんなことを聞かされて、気を落としていませんか」
雨がおじさんたちに懸命に問いかける。おじさんたちは、念のため人をつけて誉茉子から離している、と言った。雨は不安そうだった。
「事故はきっともう時効です。私は何もしません。何も求めません。それより、識司さんをお願いします、娘さんを亡くされた上にこれでは、きっとどんなにかつらいでしょう。どうか識司さんをお願いします」
親族会議に戻るというおじさんたちに、雨は最後まで必死に頼んでいた。
有澤家の前には車がたくさん停められ、夜遅いのにまだ明かりがついている。俺は時折窓から様子を伺ったが、もちろん声は聞こえない。
雨は護符を書くと言って部屋にこもっている。識司さんを厄から守る護符だという。物音がするからまだ起きているのだろう。雨が識司さんのために書くんじゃ、効くんだろうね。
俺はそんな場合ではないことはわかっているのだが、少し拗ねていた。また足止めされたし、雨はかまってくれないし、返事をくれない。
雨もいっぱいいっぱいなのはわかる。理恵さんともあんなことになり、識司さんのことも心配なのだろう。でも、そういうことも話してほしい。
しかし、俺と雨の間には今大きな案件が未解決で残っている。それもあるから雨は俺と話しづらいのだろう。わかるけど、お葬式が終わったら、って約束だったのに。
どうせ誰も見ていないから、俺はひとりでむくれて部屋に転がった。
翌朝外を見ると、車は殆どなくなっていた。会議はどう決着したのだろう。
朝の支度で何度か部屋を出入りしていると、雨が顔を出した。
「おはようございます」
寝ていないのだろうか。疲れた顔をしている。
「護符を識司さんに届けたいのですが、黒栖も一緒に行ってもらえませんか」
「……うん、いいよ」
雨はほっとした笑顔を見せた。今日もきれいだ。俺も色々言いたいことはあったが、今じゃない。こんな時に雨を支えないでどうするんだ。八つ当たりしないで、雨に笑ってもらえて良かった。
俺は昨日遅くまで有澤家に明かりがついていたことを説明し、だからもう少し経ってから訪ねた方がいいのではないか、と雨に相談した。雨も同意して9時頃訪ねることにした。
玄関に置いていた、借りた喪服と靴はもうなくなっていた。昨日のうちに葬儀屋さんが引き取ってくれたようだ。
食堂であり合わせのごはんを食べて、部屋に戻る。俺はお茶で釣って雨を部屋に招くことに成功した。雨は一晩中護符を書いてくたくたのようで、ずいぶんぼんやりしている。それだけ心を込めて書いたのだろう。俺はまた少し嫉妬している。良くない。
俺は雨にお茶を出し、雨はまたそれが冷めるまで待っていたが、ことり、と横になってしまった。ごはんの時からひどく眠そうだったから、まあそうなるかなとは思っていた。ここで眠ってしまったのなら、時間を見て俺が起こせる。
タオルケットを引っ張り出して雨に掛ける。そして思いついて、俺は雨の頭を持ち上げて膝枕をしてみた。雨は少しだけ起きたが、ちょっと体の向きを調整してまたすぐ寝てしまった。雨ほど柔らかくはないと思うけど、雨も気持ちいいのかな。あと数十分だけだが、少しでも休んでほしい。
雨の頭をなでながら、俺も少し気持ちが落ち着くのを感じた。雨が大変な時は、俺がしっかりしないと。雨が頼りたくなるような男になりたい。
でもすぐには無理だと思うから、大目に見て。頭をなでながら、俺は心の中で雨によく頼んだ。
有澤家の母屋のインターホンを押すと、何だか慌てたような声が応じた。今日は特に何もないはずだが。
「識司さんに会いたいんですが、ご在宅ですか?」
俺が名乗って尋ねると、中の声はお待ちくださいと答えた。
誰、隣に来てる人、識司に会いに来たそうだぞ、じゃあやっぱりあっちには行ってないのか。誉茉子もいないのに。見張りは何をしてたんだ。
インターホンと開け放した玄関の奥の両方から同じ声が聞こえる。識司さんいないのかな?
「あの、お留守ならまた改めますので」
インターホンに声を掛けると、すみません、とさっきとは違う声が応じた。
「いないみたいだね。どこ行ったんだろう」
足元を見ると、玄関に千切った紙片のようなものが落ちていた。雨がさっと青ざめた。
「雨?」
「これは、私が昔識司さんに渡した護符です。姿を少しだけくらますことができるものです。どうして」
雨がひどく動揺している。
「黒栖、識司さんを探しましょう」
「探すって言ったって、どこに……」
言いかけて思い当たる。識司さんが行きたいところ、大事な場所を俺たちは知っている。
木立の間の道を歩きながら、しかし俺は識司さんがひとりになりたいならさせてあげたらいいんじゃないかと思った。お葬式からすぐさま親族会議で、ひとりで気持ちを整理する暇もなかっただろう。しかし雨は探そうと言って聞かない。
「もし何でもなさそうなら、護符だけ渡して邪魔しないで帰ろう」
「……はい」
雨は不安そうに俺の手を握った。
礼拝堂に着いて、そっと扉を押すと、やはり開いていた。
ひとりの時間を妨げないよう、俺はそっと扉を開けた。




