第30話 今度は俺の番か
車を運転しながら、文明さんが話し出した。
順子さんの死因が判明した。絞殺だった。
亡くなった日時は判明しなかったが、今のところ順子さんを最後に見たのは、駅まで送って行った識司さんだ。しかし駅まで送って行ったはずなのに、順子さんは神社の奥の森で見つかった。識司さんが送って行った時間だと、その駅からすぐ次の列車で帰ってきても夕方になる。女の子がそれから足元が悪いと言われている森へ入るだろうか。しかも地元の駅から徒歩で、誰にも見つからずに。
文明さんは一気に説明して、無言になった。俺も言葉がなかった。
それは、識司さんが、順子さんを殺した犯人ではないかと疑われているということだろうか。そんな。
「何かの間違いです。社長がそんなことするはずがありません」
文明さんが自分に言い聞かせるように言った。俺もうなずき、同意した。
車が先日俺も呼ばれた大きな警察署に到着する。文明さんが受付で来た理由を説明していると、おじさんがフミ、と声をかけてきた。
「加藤さん。社長は」
「まだ話し中だよ」
何だ、魔女さんまで連れてきたのか、とおじさんが呆れる。このおじさんが専務なのだろう。
「話を聞くだけだから大ごとにすんなって言ったろう」
文明さんがだって、と言う前におじさんは文明さんの頭をぺちりとたたいた。手が早いのは酒蔵の伝統か。
「魔女さん、フミが慌てて何か言ってしまったのかもしれませんが、社長が滅多なことをするはずがありません。心配しないでください」
おじさんが雨に笑いかける。しかし、俺はおじさんの笑顔に微かな緊張を見た。
「私も待たせてください」
雨が小さな声で申し出る。おじさんは何時になるかわかりませんが、と少し渋ったが、許可を取りに行ってくれた。俺たち雨のお供も待たせてもらうことになった。
またこのロビーで待つことになるとは。雨はうつむいて殆ど話さない。俺と文明さんは何となく酒のことを話したりして時間をつぶした。
何時間待っただろうか。朝から色々あった雨は、俺にもたれてうとうとしていた。
警察署の入り口が賑やかになってきた。もう夜も更けている。俺と文明さんは何ごとかとそちらを見た。
オレンジ色が疲れた目に痛い。
目に刺さるようなオレンジのコートを着た誉茉子さんが、女性警察官に両側を固められて騒いでいた。
「私が、順子を殺す訳ないでしょ!あの男よ!あいつがやったのよ!」
何で誉茉子さんがここに?俺と文明さんは目を丸くした。俺の動きで雨も目を覚ます。
誉茉子さんは雨を見つけた途端表情を変え、女性警官を振り切った。
「魔女!」
俺は咄嗟に雨の前に立ちはだかり、誉茉子さんはすんでのところで女性警官に取り押さえられた。
「この魔女め!お前が順子を殺したんだ!私の夫をたぶらかして殺させたんだ!」
誉茉子さんが叫ぶ。俺は雨に少しでもその声が届かないよう、立ち続けた。誉茉子さんは女性警官に引っ張られるようにして奥へ連れて行かれた。
「雨、大丈夫?」
へたり込みながら雨を見る。雨はありがとうと小さく言って、俺の手をそっと握った。
「……黒栖、あなたも、私がやったと思う?」
「思わない」
俺はすぐに答えて、どうしてそんなことを聞くのか尋ねた。
「私が魔女だから」
雨の手に少し力が入る。
「あの人の言うように、そんなに何でもできる力があったらいいのに。こんなこと起こらないようにできたら良かったのに」
雨が俺にだけ聞こえるような小さな声で囁き、そっと俺の肩に顔を寄せた。
状況を聞きに行ったおじさんが戻ってきた。
誉茉子さんは順子さんが駅に着いた頃、その近くの野辺さんの家にいたそうだ。そう言えば野辺さんという人はその沿線に住んでいると言っていたが、駅の近くなのか。こちらで誉茉子さんの車は目撃されていないが、野辺さんの車を使っていたらわからない。誉茉子さんの運転で戻ってきたとしたら、明るいうちに森に行くこともできる。
俺と文明さんは顔を見合わせた。識司さんが犯人な訳はないが、さすがに誉茉子さんも実の娘を殺すとは思えない。
「誰か知らない人がお嬢さんをさらったんじゃないでしょうか」
絞殺ということが決定的である以上、誰かが順子さんを殺したことは間違いないのだ。よそ者が入り込んだことにしたい気持ちはわかる。よそ者の俺は、俺を文明さんが除外してくれていることはありがたく思うが、他の人も同じように思ってくれるか不安だ。
識司さんはなかなか解放されなかった。俺たちはいつの間にか寝てしまっていた。
「社長!」
おじさんの声で俺たちは飛び起きた。見ると、識司さんが向かいの椅子で寝ていたおじさんを起こしたところのようだった。もう辺りは薄明るい。
「識司さん!」
「社長!」
識司さんは俺たちを振り返り、みんな来てたの、と笑った。
「待たせてごめんね。大変だったろう」
識司さんは疲れた顔をしていたが、やはり先にまわりを気遣った。
「社長、まずは帰りましょう。そして少しでも休んでください。葬式も、会社の引き渡しもあるんです」
おじさんは識司さんを引っ張り、あっという間に連れ去った。社長は大変だ。
「でも、帰れるってことは、疑いが晴れたんだね」
「良かったです。俺たちも帰りましょう」
文明さんは真顔で喜んだ。
俺は帰ると昼まで寝た。警察でも結局寝ていただけだったのに、以前より徹夜が堪えるようになってきた気がする。識司さんは俺が寝てる間も働いてたんだろうなあ。あのおじさんも。
もっと寝ていてもいいのだが、世間に申し訳ない気がして起きた。昨日は風呂に入らないで寝てしまったので、昼間から風呂に行く。それも世間に申し訳ない気がする。
さっとすましても堪能しても申し訳なさは同じなので、俺はゆっくり温泉に入った。温泉が癖になりそうだ。帰っていつものように水道水のシャワーですましたら風邪をひくかもしれない。
ほかほかに仕上がり、水でも飲もうかと食堂に入ったら理恵さんと文明さんがいた。俺も驚いたが、油断していたのかおやつを食べさせあっていちゃいちゃしていた2人も飛び上がるほど驚いていた。
「ごめんなさい、勝手に入っちゃってました、呼んだんですけど返事がなかったから」
理恵さんが変な大声で弁解する。文明さんは真っ赤になってもぐもぐしている。
「いいですよ、みんなの寮に泊めてもらってるのは俺の方だし。仲がいいのはいいことです」
2人が真っ赤になる。
「ええとですね、今日来たのは、あの、あれです」
文明さんが珍しく焦っている。いいじゃないか、妻のあーんして、にへろへろしても。いい夫だ。しっかり見たけどね。
「お嬢さんが帰ってこられることになりましたので、葬式の日程が決まりました」
ゆるんでいた気持ちがきゅっと縮む。
「俺、出てもいいんですか」
「有澤家に来ているのはみんな知ってますし、今度はこちらの葬式ですから。顔ぐらい出してもらった方がむしろいいんじゃないかとなりまして」
全部打ち合わせ済みらしい。
「出るなと言ったり、出ろと言ったりすみません」
「いや、はっきり言ってもらう方がありがたいし、順子さんを見送る席に参加させてもらえるなら嬉しいよ」
すみません、と文明さんが恐縮する。そう言わなければならないのは逆にこちらの方だ。
「それと、是非、蓮野さんにもお願いしたいんです」
「雨に?」
文明さんは明らかに雨の方が本題、という顔をしてうなずいた。是非魔女を連れてくるよう打ち合わせした人たちに言われたのだろう。
「その……まだ、呪いなんかを信じてる年寄りがいまして。少し、いやな思いをさせてしまうかもしれないんですが」
文明さんは言いにくそうだ。理恵さんがかぶせるように言う。
「雨ちゃんがいやならいいんです。具合が悪いとか何とか言います」
しかしきっとそれでは2人が居心地の悪い思いをするのだろう。俺は雨のことは答えられない。
「呼んでくるよ、待ってて」
俺は2人を残して食堂を出た。
雨の部屋の前で声を掛けるが、返事がない。まだ寝ているのだろうか。迷ったが、俺はそっと襖を開けた。
雨は外出した時の格好のまま転がっていた。撃たれて死んだのかと思う転がりようだった。仰天したが、よく観察するとちゃんと呼吸していた。生きている。
ほっとして雨を揺すった。確かに本人が言っていた通り外套にくるまって寝ているが、よくこれでこれだけ熟睡できるものだ。
「雨、雨、起きて、理恵さんたちが来てくれてるよ」
ようやく雨が体を起こす。しかしそれだけで、頭はさっぱり起きていないようだ。ぼんやりしているのが一目でわかるくらい、目が半分しか開いていない。
「雨、順子さんのお葬式のことだよ。起きて、話しに行こう」
ようやく雨に話が届いた。雨ははっとしたように大きな目を見開き、俺を見た。
「お葬式、出てもいいんですか」
俺はうん、とうなずき、聞いたことを説明した。
「雨、町の人はまだ雨を誤解してるかもしれないんだって。いやな思いをするかもしれないって。だから、よく話を聞こう」
雨は私ならかまいません、と即答した。
「知らない人が私をどう思おうと気にしません」
雨が何かを思って遠い目をすると、整い過ぎた容姿のせいか冷たく見える時がある。俺はその内面がうまく感情を表現できない優しい泣き虫なことを知っている。
「俺も行こうと思うんだ。文明さんも来てるから、相談しよう」
雨はうなずいた。
葬式は明後日の午前中だそうだ。明日は日取りが悪くて、ということになっているらしいが、会社の引き渡しがあるので同じ日にはできず、すんでからということになったようだ。
「黒栖さんは喪服ありますか。なければ葬儀屋で借りることもできると思いますが」
もちろん持っていない。後から電話することにした。
そこで俺はふと不安になった。レンタル料、香典。お金足りるだろうか。
おおよその話は終わったようなので、俺は電話を掛けに行くことにした。お菓子屋さんの店先に公衆電話がある。理恵さんは母屋から掛けちゃえばいいのに、と適当なことを言って文明さんに叱られた。
あれから5日経っている。お母さん帰ってますように。
「はい、渋久です」
「もしもし、黒栖ですが、お母さん?」
「黒栖、あんた何やってんの!電話かけても全然出なくて」
お母さんだ。良かった。俺は慌てて百円を追加した。警戒して、今回は最初は十円にしたのだ。姉だと面倒になる。
「お姉ちゃんに聞いたわよ、あんた結婚するんですって?一度連れてきなさいよ。せっかく決まった会社辞める時も結婚する時もあんたは何も相談もしないで本当に勝手なんだから。結婚するなら就職はしたの?」
「それはその……あ、それよりお母さん、俺まだ出先なんだけど、お金貸して」
母がまたわあわあ叫ぶ。この短期間で家族に2度目の借金だ、仕方ないだろう。俺ははい、はい、と逆らわず、しかし長くなりそうなので懸命に切り込んだ。
「お母さん、お葬式に出なきゃいけないから、五万円くらい貸して」
「あんたお姉ちゃんに三十万も借りたんでしょう!もうないの?」
増えてる。ひどい高利貸に借りてしまった。そして指輪を買うって言ったじゃないか。残る訳ないだろ。
「あんた、お姉ちゃんが言ってたけど、騙されてるんじゃないの?テレビでやってたわよ、指輪のお店とぐるなのよ」
俺は百円を追加しながら、郵便局に五万円振り込んで、お願い、と要求を繰り返した。
「結婚するんじゃないの、葬式って何よ」
「知り合いの葬式だよ、結婚とは別だよ、お金お願いします」
「とちぎんじゃだめなの?」
「手数料ももったいないから、お願い」
似たもの親子め、と思いながら拝み倒す。
「もう、あんたそんなに結婚したいんならまた松子おばさんに聞いてみようか?」
「それだけはやめて、騙されてないから!」
松子おばさんは数年前まで俺の見合いを毎年数件勝手に決めてきて、大変だった。最近はバイトでふらふらしているので毒牙を免れている。この平穏は維持したい。
「いいからお母さん、お金お願い」
「何よその言い方。頼み方ってあるでしょう。ところで黒栖、おみやげに生落花生とびわゼリー買ってきたから、来週帰ってきなさいよ」
「行かないよ……」
「何でよ、あんた落花生好きでしょう。生の」
切れた。良かった。どうかお母さん、早く振り込んでください。
寮に戻ろうとして、俺は驚いた。事務所の前にまたあの大きなトラックが停まっている。2台のうち1台は入り切れずに道路に停まっていた。もしや誉茉子さんが帰ってきたのか?
顔を合わせたくないので慎重に様子を伺ったが、誉茉子さんはいないようだった。理恵さんと文明さんも表に出てきた。
「どうしたのこれ」
「わかりません、今入ってきたんです」
理恵さんも戸惑っている。
トラックの運転手が、理恵さんを覚えていて声をかけてきた。
「荷物戻してって言われたんですけど、そんなのこっちではできないし、どうしましょう」
「えっ、奥さんから言われたんですか?」
「いえ、旦那さんからです」
「それは俺のことですか」
理恵さんと運転手は振り返った。会社から識司さんが出てきた。
「その荷物の持ち主の、法律の上での夫はまだ俺ですね」
運転手が困惑する。
「いや、別の人に言われたんです、もう一緒になることはないから戻してくれって」
「戻さなくていいですよ」
識司さんは楽しそうに笑った。
「少し時間をもらえますか、休憩でもしててください」
識司さんは運転手に告げると母屋に入った。運転手はまだ戸惑っていたが、じゃあちょっとそこで食事してきます、と理恵さんに言い置いて敷地を出て行った。数件先に定食屋があるそうだ。
「社長、どうしましょう、運びましょうか」
程なく戻ってきた識司さんに、理恵さんが声をかける。識司さんはいいよいいよ、と手を振った。
「頼んであるから、大丈夫。すぐ来られるって」
疲れているせいか説明が雑だ。理恵さんが心配そうな顔で取り残される。文明さんは雑な識司さんにも慣れているようで、社長がああ言ってるから大丈夫だよ、と理恵さんを促して寮に戻った。
俺たちが食堂で話していると、外から大声が聞こえた。誉茉子さんだ。
誉茉子さんはトラックのせいで車が入れなかったらしく、道路から怒鳴りながら歩いてきた。トラックの運転手がいないことに悪態をついている。俺たちはどうなることかと息を潜めて寮から経緯を見守った。
すると、また知らない人が入ってきた。トラックを蹴り飛ばす誉茉子さんに声を掛けている。誉茉子さんは何ですって、聞いてないわよ、と怒鳴った。誰だろうと思っていると、文明さんが小声で教えてくれた。
「文誠堂です。ええと、古美術や古道具も扱いますが、要は廃品回収の業者です」
小柄なおじさんは怒鳴る誉茉子さんににこにこと対応し続け、トラックの運転手が戻ってくるとすぐにそちらに行って指示を出した。
「文誠堂は町外れに大きな倉庫を持っています。そこに行くんだと思います」
トラックの運転手は面倒のない方を選んだのだろう、すぐに車に乗り込んだ。おじさんも後は叫び続ける誉茉子さんには目もくれず、すぐに出て行った。外に停めた車にでも向かったのだろう。
トラックが事務所の前から速やかに出て行く。誉茉子さんは怒鳴り、追いすがり、敷地を走って出て行って、しばらくして泣きながら戻ってきた。会社からもよく見えているはずだが、誰も出てこない。
理恵さんも奥さんちょっと可哀想、とほだされていたものの慰めには行かなかった。
誉茉子さんはしばらくそこで泣いていたが、助けが得られないことがわかると、猛然と立ち上がって事務所の裏の方に向かった。しばらく戻らず、どうしたのかと思ったら、バケツを下げて走ってきた。
揺れるバケツから赤い液体が溢れる。あれは。
「ペンキだ!」
俺は外に飛び出した。明るい赤のペンキ、あれはきっと礼拝堂に撒かれたのと同じ色だ!
見つけたぞ、犯人!
「誉茉子さん、待って!そのペンキ、礼拝堂で」
事務所に向かっていた誉茉子さんが振り返る。すごい顔だ。
「うるさい、魔女の使い走りの犬め!」
矛先が変わった。あっと思った時には目の前が真っ赤になった。




