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それでも無価値な復讐を  作者: 今井 初飴
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第29話 娘が見つかった


 神社の奥の鎮守の森は、少し小高くなっている部分がある。雪解けが進み、そこで起こった小さな雪崩が斜面を削った。その雪と土砂にまみれて順子さんは見つかった。

 祭りに着ていくはずだった、買ったばかりの服を着ていたそうだ。厚手のコートとマフラーが体を守り、土砂に巻き込まれた割にはきれいな顔をしていたという。

 森の中にはおみやまの水の大元になる湧水があり、そちらの方が効き目があると女の子の間では伝えられていたそうだが、足場が悪いため祭りの時に近付く者は殆どなかった。順子さんは中村君と一緒になりたいあまりに無理をして水を取りに行き、足を滑らせたのではないか。そんな推測が囁かれた。

 それを教えてくれたのは理恵さんだ。さっきお別れをしたばかりなので、すぐまた顔を合わせた時はお互い妙な気持ちだった。識司さんに頼まれて、また俺たちにごはんを届けてくれることになったそうだ。食べ物なら何でもいいと識司さんが雑に依頼したようだが、理恵さんはおいしそうなお弁当と、もし理恵さんが来られなかった時のための日持ちしそうな食料や雨の好きな果物を持ってきてくれた。

 何故なら、順子さんの持ち物から雨のワンピースのボタンが出てきたからだ。よくわかったものだ。黒いボタンなどいくらでもあるだろうに思ったら、特殊な素材でこの辺では売ってすらいないらしい。調べると確かに雨の黒いワンピースの、袖の飾りボタンがひとつなくなっていた。

 警察がそのことを確認に来たのは、俺を励ました理恵さんが帰ったのと入れ違いだった。雨に話が聞きたいと言われた時、俺はてっきり明美さんのことだろうと思った。雨を呼びに行くと、雨はまだ泣いていたようで、出たくなさそうだった。しかしそうも言っていられない。現れた雨を見て、俺と警察の2人は、泣き腫らしても美人は美人だと改めて思った。雨は終始うつむき加減だった。

 今回は署までは行かなくてもよくて、食堂で話を聞かれた。俺も居座り、警察に関係を聞かれて、婚約者です、と答えた。嘘もかなり堂に入ってきた。

「人見知りなところがあるので、あんまりいじめないでください」

 牽制すらできるようになった。何しろ今雨は決まった人がいないのだ。嘘もつき放題だ。

 と思ったら、俺にもお鉢が回ってきた。警察は俺と雨がここに来るまで接点がないことを調べてきていた。そこをつかれると弱い。嘘だからな。

「ひと目見て、この人だと思いました。それ以上のことがあるでしょうか」

 しかし雨がそう言ったのでその疑念は流れることになった。本当にそうだったらどんなにいいか。

 後になって、識司さんの時はそうだった、と雨が教えてくれた。俺はそうじゃないんだな、って思う。

 警察は雨にボタンを示し、雨は聞かれたことにぽつぽつと答えた。俺は何故警察が雨のボタンのことを知りたいのかわからなかった。この時は警察は順子さんのことを何も言わなかった。雨は途中部屋にワンピースをとりに行き、袖を見せていた。ボタンをなくした場所はわからないと答えていた。

 警察は何度か繰り返して質問し、聞きたいことを聞いてしまうと、ご協力ありがとうございましたと頭を下げた。しかしこれで終わりではないようで、また何か聞きに来るかもしれませんので、できるだけ移動しないで、移動する時は報告してください、と言われた。

 俺は今俺たちは識司さんにお世話になっていることを話し、金曜日には経営者が変わるので、ここを出ようかと考えていることを伝えた。警察は少し考えて、ではそれまではここにいてください、有澤社長の許可はとります、と言った。

 また足止めされることになってしまった。ただでさえ渦中の有澤家の関係者と見られているのだ、人の目もあるので、おとなしく寮の中にいる。理恵さんだけが外との接点だ。

 俺はこの機に前々から気になっていることを理恵さんに尋ねた。

「ちなみに、俺たちのごはん代とかは、どこから」

「社長から多めにもらってます!あ、もちろんそんなに差額を誤魔化したりしてませんよ!」

 理恵さんは突然慌てた。俺は理恵さんの手間代を入れたら誤魔化してもらってやっと釣り合うくらいのつもりだったのだが、理恵さんは耐え切れず白状した。

「おにぎりとカップ麺を出した時、カップ麺はうちの買い置きだったんです。ごめんなさい」

 理恵さんは硬貨の一番高い1枚分くらいをお小遣いにして、おやつを買って食べたことを報告した。思ったより小さな差額に心が痛む。識司さん、理恵さんが返した分は全て給料に入れてほしい。俺が言う筋合いはないが。

 理恵さんはしょんぼりして、社長に言いますか?と怖々俺に尋ねた。俺は言わない、絶対言わないと言いながら機会さえあれば絶対言おうと思っていた。こんな素直でかわいい家政婦さんはなかなかいないよ。俺は多分今後一生無縁だから知らないけど。

「奥さん、知ってたのかなあ。だからお嬢さんの荷物、全然手を付けなかったのかな」

 理恵さんが、発言した本人もまるで信じていない風ではあったが、そんなことを呟いた。

「社長もあんなで、お嬢さんは、誰に愛されてたんだろ」

「少なくても、理恵さんと中村君は間違いなく順子さんを大切に思ってるよ」

 俺はまた涙を浮かべる理恵さんに言った。そして俺は思うのだ。識司さんも本当は順子さんを可愛がっていたと。でなければ順子さんが理恵さんにも言わなかった秘密をお父さんだけに打ち明けるだろうか。

 識司さんはこの短期間でどれだけ大切なものを失うのだろう。ひとつでもつらいのに、重なってどんなにつらいか。

 理恵さんはできるだけ識司さんを手伝ってくれると言った。会社のみんなもそうするつもりだと。俺はこんなにお世話になっておきながら、きっとまた葬式にも出られない。理恵さんに俺と雨の分もどうかよろしく、と頼むしかなかった。

 理恵さんが帰り、俺は部屋に戻った。雨の部屋は静かだ。もう泣いてはいないだろうか。泣き疲れて眠ってしまっただろうか。

 気になったが、眠っているなら起こしてもいけないと思い、雨の部屋は訪ねないことにする。

 静かだ。

 外はまた葬式の準備などで忙しくなるのだろう。雨と識司さんのことに区切りがついて、もう、全部終わったと思ったのに。

 見るともなしに時刻表をめくり、俺は少しうとうとした。

 小さな物音で目が覚めた。雨の足音だ。そして隣の襖が開閉する音。雨が起きたのか。

 外はもう暗くなっている。動けるようになったなら雨と話がしたいと思い、俺は襖の前で雨に声を掛けた。

「入ってもいい?」

 少しあって、雨がどうぞ、と応じた。

 雨は入ってきた俺をちらりと見上げ、すぐ顔を伏せた。風呂に入ってきたのか、頬がほんのり染まっている。

「少し、落ち着いた?」

 尋ねると、雨は少し沈黙してからそうですね、と答えた。そして、こちらを見ずに、聞こえていましたか、と聞き返した。俺はうん、ちょっと、と答えた。

「識司さんには言わないでください。もう泣かないって約束したから」

 言っているそばから声が震え、雨は顔をそむけた。俺はうん、とうなずいた。

 雨は泣いているけれど、前を向こうとしている。雨の幸せが何か、識司さんが教えてくれたから、今度はきっとそれを探して行くだろう。だからいい。今はたくさん泣いたらいい。先に進むために、思いを少しでも軽くするために。

 雨が泣いたのは少しだけだった。顔は伏せたままだが、もとのように座り直す。

「黒栖は何か用事ですか」

「用事ってほどでもないけど、ごはん食べようかと思って」

「ごはん」

 雨が驚いたように繰り返した。初めて顔を上げる。泣き腫らして目元が赤くなっているのがむしろ艶かしいような、しかしそれも吹き飛ぶような無邪気な驚いた表情。

「私、ごはん食べるの忘れてました」

「だろ。おなかすいたかと思って」

 雨は自分のおなかに手を当てた。

「おなか、すきました」

 雨は自分のことでびっくりしている。俺は笑った。

 2人で食堂に移動し、理恵さんの作ってくれたお弁当を食べた。雨は誰かの作ってくれたお弁当を食べるのは初めてだと言った。そういえば雨の家族の話を聞いたことがない。

 俺は中学生の頃母親とケンカした時、翌日の弁当が全部酢レンコンで、帰宅してすぐに降参したことを思い出して話した。雨はやっと笑った。笑ったらすぐに泣いた。でも、泣いたけれどお弁当はちゃんと食べた。そして、また笑った。

「食べたから元気出るよ。理恵さんのお弁当だからすごく元気になるよ」

 洗った弁当箱を棚にしまいながら俺が言うと、雨はそうですね、と笑顔で答えた。

 お茶でも飲む?と誘うと、雨はうなずいて俺の部屋に来た。

 雨といられると嬉しい。お茶の湯気を真剣に見ている雨を見ながら俺は思う。

「あのボタンですが」

 雨は突然話し始めた。

「もしかしてここに初めて来た時くらいに落としたのかもしれません。あのワンピースはその日着ていたもので、次に着た時はもうボタンがなかったように思います」

 確かではありませんが、と雨は考えながら言った。なら順子さんはどこかでそれを見つけて拾ったのだろうか。

 もしかしてあの時、順子さんが食堂に来た日、順子さんは雨を見に来たのだろうか。大人は秘密にしていたつもりだろうが、中村君は識司さんが昔遠くへ行こうとした話を知っていた。順子さんもきっと識司さんが雨と恋仲だったことを何かで知って、見てみたくなったのではないか。ボタンはそのきっかけのつもりで持っていたのかもしれない。

 もっと順子さんと話ができていたら、こんなことにならなかったかもしれない。あの時はただ厄介な子としか思えなかった。

「順子さん、可哀想だったね」

 えっ、と雨は俺を見た。

「見つかったんですか」

 俺もあれっと思って雨を見た。そうだ、俺、順子さんのことは警察でなく理恵さんに聞いたんだ。雨は警察の人が帰ってすぐにまた部屋に戻ったから知らなかったのか、

 俺は順子さんが遺体で見つかったことを話した。雨が言葉を失う。

「だから俺たちまたここに残ることになったんだよ」

「そんな……可哀想に。識司さん、つらいでしょうに」

 雨は声を詰まらせた。

「午前中は誉茉子さんが母屋の主なものみんな持ってっちゃったんだって。だから理恵さんももう有澤家には通わないって言ってた」

 この際だからそのことも話すと、雨はじゃあ識司さんは本当にひとりぼっちになってしまったの、と俺を見た。

 俺は揺れた瞳から視線を逸らし、そうだね、と答えた。識司さんはここで築いたものを全てなくしてしまった。会社も、仲間も、家族も。そうだとしたら雨はどうするんだろう。識司さんのもとへ戻るのだろうか。

「何か、おかしいです」

 しかし雨は違うことを考えているようだった。

「最初は会社があるからここを離れられないのかと思っていました。でも、会社は売ってしまった。会社を売るなんて、そんなにすぐはできませんよね。私たちが来た時にはもうそう決めていたはずです」

 それはまあそうだろう。賞を取る前から準備は進めていたのではないだろうか。

「それなら、どうして私にその日になったらここを出る、と教えてくれなかったのかしら。そうしたら私はそのまま帰ったのに。全部手放すことを決めていたのに、どうして私とあなたが結婚したら言うことを聞く、なんて無茶を言ったのかしら」

 雨は考えている。俺は気まぐれじゃないかとおもうのだが。

「やっぱり、雨と会えて嬉しかったんじゃないのかな。ちゃんと話がしたいって、どこかで思っていたのかも」

 俺も一応考えたことを言ってみる。雨はそうですね、とうなずいたが、不安そうな目をしていた。

「識司さんはまだ私を大切に思ってくれていました。それならどうして今、この時にわざわざ私と別れたのでしょう。みんな手放すなら、私とやり直しても良かったのに」

 雨もそう思ったのか。

「雨は、やり直したいの」

「はい、……いえ、無理でしょう。今日話して、わかりました。識司さんにはやり直してくれる気はないですし、もう……あの時には戻れません」

 雨は寂しそうに、しかし俺を見てはっきり言った。識司さんは確かに雨すら手放した。

「順子さんとのこともそうです。あんなに大勢の前で話すことではなかったのに。まるで自分で全て壊して、それを誰かに見届けてほしかったみたいに」

 雨は俺を見上げた。そして、不意に恐怖にかられたように、雨は叫んだ。

「私は、こうなるのが怖くて来たんだわ。識司さんもきっと何か予感があったんだ。手紙をもらった時、私はわかったはずなのに、どうして何も見えなかったんだろう。何も止められない、明美さんも順子さんも死んでしまって」

「雨、落ち着いて、雨のせいじゃないよ」

 俺は雨の両肩を掴んだ。雨ははっとしたように言葉を切り、すみません、と目を伏せた。

「何か、怖いんです。でも、何もわからないんです。どうしてこんなに怖いのか」

「人がふたりも亡くなったからじゃないか?雨、今日は疲れてるし」

 雨はわかりません、と繰り返した。俺も怯える雨を見ていると少し怖くなる。

 俺は雨と自分を励ますように手をつないで、大丈夫だよ、と言った。雨がうなずく。

 それ以上話すこともなく、ただ2人でいたら、玄関の開く音がした。理恵さんはもう今日は来ないのかと思っていたが、何かあったのだろうか。

 玄関に向かうと、待ち切れないように俺を呼ぶ声がした。足を早める。

「文明さん。どうしたの」

「黒栖さん、社長が警察に呼ばれました。俺、様子を聞きに行きます。黒栖さんも、来てくれませんか。専務は先に行きました。俺はいいって言われたんだけど、じっとしていられなくて」

 文明さんは珍しく動揺が顔に出ていた。この前のようにただ遺体の確認で呼ばれた訳ではなさそうだ。

「すぐ支度します」

 雨に手短に文明さんと出かけることを告げ、上着を着て玄関に戻る。

「行きましょう」

「私も行きます」

 振り返ると雨がいた。文明さんは少しためらったが、わかりました、行きましょう、と車に向かった。

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