第23話 烏の声は魔女に届くか
朝、襖をたたくような音と、俺を呼ぶ小さな声で目が覚めた。寝坊したかと思って思わず時計を見たが、まだかなり早い時間だ。雨は上がったようで、カーテンが明るい。
「黒栖、起きて」
雨だ。俺は部屋着を着ていることを確認して、襖を開けた。
「おはよう。どうしたの」
昨日の今日で少し気まずかったが、なるべく普通を装って挨拶する。雨も起きたばかりのようで、前髪にまた寝癖がついていたが今日もきれいだ。
しかし、ひどく不安そうな顔をしている。
「烏が」
雨は少し迷って、話し出した。
「烏が、妙なことを言っている気がするんです」
「烏?」
そういえば今朝は烏がだいぶ騒がしい気がする。でも地元なら朝の烏はこんなものではなかったか。
「私が知っているのと言葉が少し違っていて、確かではないんですが、大きな肉があるから食べに行こう、って言っています」
「雨、烏の言葉がわかるの?」
俺が驚くと、雨は困ったようにおろおろした。
「方言というか、ニュアンスが少し違っていてよくわからないんです」
でも何となくはわかるんだ。朝の烏はただ騒いでるんじゃなくてそんな情報交換をしていたのか。俺は急に烏に興味がわいた。
「でも、烏の朝ごはんの相談がどうかしたの?」
雨はひどく困ったような怖がっているような顔で俺を見上げた。
「人の肉だよ、って言っている気がするんです」
俺と雨は急いで着替えて外に出た。雨上がりの早朝は薄く霧に包まれてまた格別に美しかった。しかし眺めている暇はない。
間違いならそれでいいんだから、俺たちは行けるところまで近くに行ってみることにした。烏に聞いた、なんて話で通報する訳にもいかない。一応カメラを持っていくことにした。
烏が話す大体の方角に向かう。神社の向こう、橋の方らしい。
橋の上から、雨で濁った川を見下ろす。特に人は倒れていないようだ。俺は少しほっとして雨を振り返ったが、雨は川のもっと上流を指差した。
そっちは町から外れる。土手の上は人が歩いた幅だけ雪が解けて道になっているような状態で、その周りはおそらく田んぼだ。霧もあって一面真っ白にみえる。
昨日の雨でぬかるんだ土手の上は雨の踵の高い靴では歩きにくそうだったので、俺だけ行ってみることにした。雨には橋の上で待っていてもらう。
しばらく進むと烏の騒がしい鳴き声がした。いやな予感がしながらそちらに急ぐ。
川べりに黒い烏のかたまりを見つけ、手をたたいて追い払うと、烏が一斉に飛び去った。
そして、その下から、
明らかに死んでいる女性の姿が現れた。
「……!」
俺は後ずさってよろけた。足元が悪い。
女性はうつ伏せで、上半身を川に突っ込んでいた。小さな川が雪解けと雨で水を増し、川べりがかなり狭くなっている。そこにようやく下半身が引っかかっている感じだ。烏が引っ張ったのか、女性のコートがめくれて下のワンピースが見えている。
少し先の土手の雪が下に向かって削れている。あそこから滑って落ちたのだろうか。
俺は慌てて戻ろうとして、思い直して震える手でカメラを取り出し、シャッターを切った。念のため3枚撮ったらフィルムが切れた。昨日の夜交換するのを忘れていた。
もういいか、と俺は女性をそのままにしてまずは雨のもとへ戻った。
雨は橋の上で不安そうに待っていたが、戻ってきた俺の顔を見てさっと恐怖の色を浮かべた。
「人が、死んでる。連絡しよう」
俺たちは神社の近くのタバコ屋まで戻り、店先の公衆電話で警察に通報した。
よそ者の俺では地名や方角などでなかなか説明に難儀したが、とにかく神社で待っているように言われた。
雨は戻っていていいよ、と言ったが、雨は一緒にいると言ってくれた。
「黒栖ひとりで、どうしてあそこに行ったのか説明できないでしょう」
そうか、烏に聞いて、なんて言っても警察は信じてくれないだろう。しかしそれは雨がいても同じではないだろうか。
俺は思ったが、言葉にする元気はなかった。祖父母の葬式で見た以外に人の死体を見るのは初めてだ。川の流れに揺れる体が恐ろしかった。
雨がそっと手を握ってくれた。見ると雨もこわばった顔をしていたが、大丈夫ですよ、と励ましてくれた。俺も無理に笑って、うんとうなずいた。
そうして待つうちにパトカーが来た。サイレンを鳴らしていない。早朝だからだろうか。
後部座席に乗るように言われて乗り込み、道を案内しながらさっきの橋まで行く。そこからは歩きだ。警官を連れて土手を進むと、また烏がたかっていた。警官が烏を追い払い、悲鳴をあげて足を止める。
死体は動かずそのままだった。当たり前だけれど。
警官が慌ててもう一人に応援を呼ぶよう指示し、指示された警官が駆け出す。俺は責任を果たしてほっとした。あとは警察がやってくれるだろう。
帰っていいですか、と残った警官に声を掛けると、警官は少し迷って、見つけた時のお話を詳しく聞きたいので応援が来たら少しお時間いいですか、と言った。それくらいは仕方ないだろう。
俺はパトカーで待つように指示され、おとなしくパトカーに戻った。
雨の隣に座り、後から話を聞かれるみたい、と言うと、雨は不安そうにうつむいた。程なくサイレンの音が近付いてくる。パトカーが次々と到着し、応援の警察がたくさん降りてきた。俺たちと一緒に来た警官が方向を案内している。何ごとかと近所の人々が家を出てきた。パトカーに乗った俺たちに気付いて覗き込む人もいる。ああ、また誤解されそうだなあ。
俺たちはその緊迫した様子やひっきりなしに鳴り続ける無線の中で、2人だけ取り残されたように所在なく座っていた。
「何だか大変なことになりましたね」
「人が亡くなってるんだから仕方ないよ」
そうですね、と雨がうつむく。俺たちはお互いを励ますように手をつないだ。こんなにかかるならやっぱり雨を先に帰したら良かったとも思ったが、そばにいてくれると心強い。雨がいてくれると、まだ格好をつけようという気持ちにもなれ、痩せ我慢もできる。俺は小心者なのだ。
橋の周りは騒然としている。パトカーにもいろいろな車種があるんだな、と観察できるくらいまわりがパトカーだらけになり、近所の人の出入りもなくなった。近隣が封鎖されたのかもしれない。
だいぶ経って、もしかしたら忘れられたかと思っていた俺たちは警察に連れて行かれることになった。署で話を聞かせてもらうというあれだ。まさか俺が当事者になるとは。
思ったより長くパトカーで運ばれ、警察署に着いた。冠している地域の名前が違う。あの町には警察署がないのか。
俺と雨は指示されるまま別々の部屋に入れられ、椅子に座らされた。ドラマで見る取調室だ。
あれ、と俺は突然不安になった。よそ者が地元の人もなかなか行かないような場所にあった死体を見つけて通報するって、その通報した奴すごく怪しくないか?
俺の不安は的中した。対応したおじさんは完全にそう推理していた。
「違います!」
何度そう叫んだか。烏の声で、と本当のことを言っても当然信じてもらえず、散歩と言ったらやっぱりあんなところに行くのは不自然で、しかもカメラを持っていたのも怪しまれた。
もし何かあったら大変だから、と本当の理由を言ったら怪しまれそうだから、景色を撮ろうとして、と思い付いて言ってみた。するとフィルムを現像され、その写真を並べられて景色なんか撮る趣味はなさそうですよね、と責められた。町の風景や礼拝堂、酒蔵、祭りの写真。景色のうちに入れたっていいじゃないか。
最後の死体の写真は、2枚がブレていて1枚しかまともに撮れていなかった。思い出すと怖いので、俺はなるべくそれを見ないようにした。おじさんが言うように俺が死体の写真を撮るのが趣味なら、こんなブレるような撮り方はしないと思う。
俺はおじさんと言い合いながら、雨の写真をまだ撮らせてもらっていないことをちらりと思い出した。
「こうやって町の娘の写真を撮って、次に誰を殺そうか物色してるんだろう」
「違います!」
理恵さんの写真を示され、俺は全力で否定した。それじゃ俺はここに女性を殺しに来た殺人鬼じゃないか。
どんどんとんでもない男に仕立てられそうになり、俺は必死に応戦した。しかしあちらの多彩な攻撃に比べ、俺は違うと叫ぶしかない防戦一方の状況だ。戦況は押されている。押し切られる訳にはいかないので俺は懸命に否定するが、最初、烏の声と言ったり散歩と言ったり、説明できなくて嘘をついたのがまずかった。そこを突っ込まれると返しようがなく、俺は焦った。
おじさんが勝利を確信してにやりとした時、扉が開いた。おじさんが呼ばれ、何ごとが打ち合わせる。
何だろう、と耳をすますと、嘘だろ、本当にいるのか、とおじさんが小声で驚いている。何のことかわからずにいると、おじさんが驚いた顔のまま俺を振り返った。
「魔女って本当にいるんですね」
何かの話が通ったらしい。俺はもう一度最初から、雨に烏の話が変だと起こされて見に行ったことを詳しく話した。それで終わりになった。
くたびれて部屋を出て、カメラと写真を返してもらう。死体の写真とフィルムを一応参考に預からせてほしいと言われ、連絡先を書いた。死体の写真は怖いからいりませんと言ったら、欄外に書いておいてくださいと言われたので書いた。現像代は請求されなかった。儲かった。
玄関前のロビーの長椅子に、雨と理恵さんが肩を寄せ合うようにして座っていた。警察官が遠巻きにしている。さっき俺を取り調べたおじさんもいた。魔女を見に来たのだろう。
俺がふらふら駆け寄ると、理恵さんが泣きそうな顔で大丈夫ですか、と叫んだ。雨も青い顔をしている。
「何か、急に話が通じたんだ。雨の魔法?」
「違います。理恵さんが私の身分証を持ってきてくれたんです」
「社長が、警察に持っていけば2人とも帰らせてもらえるだろうって教えてくれて。勝手に雨ちゃんのカバン開けちゃった。ごめんね」
「ううん、ありがとう」
理恵さんと雨がまた肩を寄せ合う。理恵さんも心配してくれたようだ。それにしても、魔女ってそんなにしっかりした身分なのか。知らなかった。
「この番号に電話してもらえば、私の能力などかおおよそ登録してあるので照会してもらえます。担当の方がいるので一般の方への説明も私より上手です」
雨が身分証の後ろの方、困ったときは、のページを開いて見せてくれた。緊急ダイヤルとして東京の電話番号が印刷してある。面白そうだ、俺もかけて話を聞いてみたい。
もちろん今はそんな元気はなく、見慣れた顔を見てほっとすることしかできない。
「理恵さん、文明さんは?」
ふと尋ねると、理恵さんは顔を曇らせた。
「来てます。でも、社長と一緒です」
「え、識司さんも来てくれたの」
来てますが別件です、と理恵さんは怯えたように言った。
「渋久さんが見つけた人が、明美さん、社長の妹さんじゃないかって……」
俺ははっとした。死体のコート、あれは明美さんが着ていたものだ。
俺の顔を見て、理恵さんが泣き出しそうな顔をして雨にしがみつく。雨も理恵さんに掴まりながら俺を見上げる。俺は多分、そうだと思う、と言った。2人は小さく悲鳴をあげた。
俺たちは帰っていいと言われたが、少し待たせてもらうことにした。識司さんがつらい時、帰ってからよりもここの方がまだそばにいて話ができるように思えたから。
しばらくいると、文明さんが来た。さすがに疲れた顔をしていた。理恵さんがフミちゃん、と叫んで立ち上がる。
「明美さんだった」
文明さんは短く報告した。理恵さんが文明さんにしがみつく。
「社長と、俺も確認しました。間違いありません。
お酒を飲んで歩いていて、足を滑らせたようです」
文明さんが理恵さんの背中を撫でながら教えてくれた。
「社長が、渋久さんと蓮野さんに迷惑をかけて申し訳ないと言っていました。早く見つけてくれてありがとうとも」
いいえ、と言った後の言葉が続かない。あんなケンカをしていても、かわいい妹だっただろうに。
「一応調べはするようですが、多分事故だからもうじき帰れるはずです。俺は社長を乗せて帰ります。理恵は先に帰って結城さんに報告して。お葬式の準備や、奥さんにも連絡しないと」
結城さんならうまく手配してくれるから、まずは結城さんに、と文明さんは繰り返した。理恵さんは固い面持ちでうなずいた。
「あと、渋久さんと蓮野さんは、しばらく寮にいてほしいそうです。警察と社長が話していました。警察も今後また話があるかもしれないし、お葬式になると、その、田舎は、よその人があんまり出入りするのを良く思わない人もいて」
蔵の案内ができなくなってすみません、と文明さんが謝る。俺はまたいいえ、としか返せなかった。
文明さんがでは、と行ってしまいそうになったので、俺は思い切って言った。
「識司さんと、話せませんか」
「会わない方がいいと思う、と社長が言っていました」
文明さんはきっぱりと言い、改めてではこれで、と話を打ち切って行ってしまった。雨が悲しそうな顔をして目を伏せた。
俺たちは理恵さんに運転してもらって帰った。帰りの車の中で、理恵さんは何度もこんなことになってごめんなさいと謝った。理恵さんのせいじゃない。
「寮の中なら自由にしてもらって大丈夫です。私がごはん運びますから、足りないものがあったら言ってくださいね」
「すみません理恵さん、却ってまた迷惑をかけてし
まって」
「いいえ、私2人のこと好きだから、いてもらえたら嬉しいです」
理恵さんが無理に明るく振る舞ってくれる。俺もなるべく明るく話した。
そうして俺たちは寮まで帰り着き、理恵さんはまた慌ただしく出て行った。
俺たちは寮に取り残された。




