第20話 縁結びのおまじない
俺の贈り物作戦は失敗した。俺の気持ちが折れた。協力してくれたみんなには本当に申し訳ないが、無理だ。だって雨のあの顔。
あの一瞬、雨は本当に幸せそうだった。まるでトランプの恋占いで嬉しい結果が出た少女のように。
魔法や占いの専門家であろう魔女の雨が、ただのおまじないで喜ぶ姿は、俺を打ちのめした。
俺が抱きしめたのは寂しさに揺らぎ、少しだけ止まり木を探していただけの人だ。俺でなくてはいけなかったのは、近くにいて、リスクが少なそうだったからだ。俺はいずれここの人たちとも、雨とも違う町に帰る。
俺は食堂で少し雨と話した。俺はちょっと特別なものを買いに大きな町へ行ったことを話した。雨は知った町だったらしく、おいしい鯛焼き屋さんがあると教えてくれた。きっと連れて行ってくれた人と食べたのだろう。楽しそうな顔をしていた。
俺はこんな自分はいやだ。みんな楽しそうなのに、俺だけ何もかもいやになっている。誰も悪くないのに。みんな俺に良くしてくれるのに。
俺は午後から文明さんと理恵さんに付き合ってもらい、お祭りを見て回った。雨は疲れたので部屋で休むという。午後は地元の人はそれなりで、まわりの地域から来た人の方が多いようだった。若い女性が減り、格好も午前中より実用的になった。それでも人が多いので活気がある。
俺は理恵さんにおまじないの話を聞いた。神社の奥の湧水から水を取り、ひとくち飲んで、残りは好きな人にかけるのだそうだ。なるべく早い時間の方が効果があるそうで、若い頃は夜明けと共に取りに行ったこともありました、と理恵さんは笑った。文明さんに聞いたのと少し違う。しかし効果はきれいになると思いが通じるで間違いなく、女性の要領の良さが伝承の差になったように感じた。悪いことじゃない。可愛らしさすら感じる。
窓の光のことも聞いてみた。そうしたら今まではきはきと答えてくれた理恵さんが突然歯切れが悪くなった。文明さんが理恵、どうしたの、知ってるだろう、と促したら理恵さんは文明さんの背中をばしんとたたいた。文明さんがうめく。
「あれはですね、まあ、子供にはそう説明していますけど」
理恵さんは文明さんを睨みながら言葉を選んだ。
「縁結びのおまじないって言うよりは、結ばれた後の結果そうなる、って言うか」
文明さんは何か思い当たったようで真っ赤になった。理恵さんがもう一度文明さんの背中をたたく。ああ、なるほど。つまり、縁を結んでもらった2人が結果、午前中と言うか、多分はっきり言えば朝目覚めて同じ窓の光の中にいる、ってことなのか。
「もう、どうしてそういうのを言葉通りに信じるのよ。子供じゃないんだから」
理恵さんも結城さんに負けない手の早さで文明さんをばしばしたたく。文明さんはごめんごめん、わかった、と笑って、無口なのに余計なひとことを言った。
「理恵、だから昨日はあんなに積極的だったんだね」
理恵さんはついに足まで出した。
出店を通り抜けて、神社にお参りする。深山神社、と書いてあった。この辺りの人たちはおみやま様と呼ぶのだそうだ。
湧水も見せてもらった。「名水百選に選ばれたおみやまの水」と手書きで書かれた看板があった。せっかくだから飲んでみると、何故か昨日浴びるほど飲んだ酒を思い出した。
「いい舌です、当たりです。うちの酒はここの水と同じ水でできています」
文明さんが真顔で言う。理恵さんも続けた。
「お酒もそうですし、有澤のお家は飲料水もこの水です。川に流れ込むから田んぼに引く水にだって結局入ってるんですよ。私たちみんなこの水で生きてるんです」
それがこの祭りのはじまりだったのかも知れない。俺は神社と、神社の向こうに見える白鷹山を見た。この湧水にはきっとあの山からの水も含まれているのだろう。この神社はそういった神のような自然もまとめて人とつなぎ、人は地域の全てに感謝して祭りを行うのだろう。
理恵さんはおそらく2回目の出店をはしゃぎながら眺めて回った。文明さんと来る祭りは、友達と来るのとはまた違った嬉しさがあるのだろう。文明さんはにこりともせず、しかし弾むような理恵さんをずっと見ている。俺は2人の邪魔をしないように、少し離れて祭りの様子の写真を撮った。理恵さんと文明さんの姿も何枚か写した。
帰り道、そういえばお嬢さんは見つかっただろうかと思い出して尋ねると、理恵さんは首を横に振った。
「やっぱり、社長の言う通りまた家出したのかも知れません。祭りにも来ないなんて、どこに行ったんだか」
すごく早い時間に来て行ったのかも、と俺が言うと、理恵さんはあのお寝坊さんがねえ、と不満そうに言った。そういう子こそいざとなったらいくらでも早起きする。理恵さんもそう思ったらしい。
理恵さんは明日は休みだそうだ。本当は今日も休みだが、お嬢さんが心配で来たらしい。
「だから明日の朝ごはんは準備できませんから、棚におにぎり入れておきます。今日の夜は有澤酒造でみんなで打ち上げするから、まざったらいいですよ」
いや俺は社員じゃないし、と遠慮すると、社員の家族やお客さんも来るから平気だそうだ。文明さんと理恵さんも参加するという。
「社長が毎年みんなにごちそうしてくれるんです。お寿司もあるんですよ!」
後で迎えに行きますから、と理恵さんは嬉しそうに言った。連れて行ってもらえるなら参加してみようかな。
「明日は会社は休みだけれど特別に結城さんが開けてくれるから、今度こそ蔵をちゃんと説明します」
一旦帰ることにして別れる時、文明さんが思い出したように言った。
「そんな、休みの日にすみません」
「だから、明日、どうなったか教えてください。大丈夫ですよ、頑張ってください」
真剣に小声で迫られ、俺は苦笑した。
「今日は本当にありがとう。うん、必ず報告する」
だめだった、と報告することになるだろうけれど。
ではまた後で来ますね、と言って手をつないで帰る2人を見送り、俺は寮に帰った。
部屋に戻る前、雨の部屋の襖の前で声を掛けた。眠っていたらしい雨がぼんやりした顔を出したので、夜の会食のことを説明する。雨は少しためらった。人が多いのが苦手らしい。
「もし行かないなら何か食べられるものもらってくるよ」
しかし雨は行くと言った。識司さんと会える機会を少しでも逃したくないらしい。けなげだなあ。
「ねえ雨、雨の部屋に入ってもいい?メモの整理したいんだけど、雨が理恵さんたちに聞いた話も聞いておきたいんだ」
俺がもっともらしい言い訳で無理を言うと、雨は意外とあっさりどうぞ、と俺を招き入れた。
俺の部屋と同じ間取り。しかし、何だか人の気配のない部屋だった。カバンが隅に置いてあり、壁には黒い外套とマフラー、黒いワンピースとタオルが一枚掛けてあるが、それだけ。お茶の道具もはじめから動かしてすらいないようだった。
「寝てたのかと思ったよ」
「寝てました」
その割に布団も出ていない。テーブルでうたた寝していたのだろうか。
「布団は片付けられないので出しません」
外套にくるまって寝るそうだ。雨らしいと言えば雨らしいが、そんなで休まるんだろうか。
雨は顔を洗って来ますと出ていった。女性の部屋に一人残された気まずさはまるでない。
しかし主がいなくなっては話にならない。俺は仕方なくメモを広げた。本当は何か別の話がしたくて入れてもらったのだが。でも、何の話をしたいのか、自分でもわからない。
はあ、とため息が出た。ポケットにはまだ指輪が入っている。
これを渡して結婚を申し込んだら、雨は喜ぶだろう。しかしそれは俺との結婚や、約束の指輪を嬉しく思ってのことではない。
俺は雨に俺を好きになってほしい。結婚するならそれからだ。いずれ離婚することになったら、それは仕方ない。でも、結婚する時くらいは俺を見てほしい。
俺はまたため息をついた。恋をするとため息が増えるものだ。久しぶり過ぎて忘れていた。俺は何だかいつもこんな恋をしている気がする。
本当はわかっていた。これは、別の問題なのだ。
雨を喜ばせたい。
雨に好きになってほしい。
俺はそのどちらかを取るしかないのだ。そして、後者は不可能なのだ。それならせめて。
雨が戻ってきた。俺の隣に座り、メモをのぞきこむ。そのページは昨日酔い潰れた時に書いたものだ。ひどい字というか、ぐだぐだの線がひいてある。
「そうだ、昨日は薬ありがとう。おかげで今日動けて良かったよ」
雨は嬉しそうに微笑んだ。
俺は明日また蔵を案内してもらうことになったことを雨に伝えた。雨はどうする、と聞いたら、少し考えて、行きますと言った。
「私、やっぱり識司さんのことわからなくなってしまっているのかも知れません」
雨は思いがけないことを言った。
「昨日、結城さんのお話を聞いて、識司さんがそんなにここで頑張っていたなら、やっぱり捨てて行きたくないのもわかるように思いました。今日もずっと忙しそうで、あんなに必要とされているなら、ここにいるのもいいのかもしれない」
「雨……」
「私さえ覚悟を決めれば、黒栖が余計な心配をしなくてすんだのに。自分のことばかり考えて、思い付かなかったの。ごめんなさい」
雨は俺に丁寧に頭を下げた。何の話だかわからない。
「私は魔女です。あなたを呪うくらいなら、識司さんを苦しめている人を呪い殺せばいいんです」
「雨!」
呪いには報いがあると雨は言っていた。そんなのだめだ。
「黒栖、蔵を見せてもらったら帰りましょう。私も帰ります。帰った方が強い魔法を使えるし、呪いに距離は関係ありませんから」
「雨、だめだよ。俺、雨と結婚するから。識司さんを連れて行こう」
俺の決心は少し遅かったのか。俺は焦り、何とか思いを伝えたくて雨を見つめた。
「雨はそのままの気持ちでいいから、識司さんを思っていてかまわないから。離婚したいならすぐにするから。雨、人を呪いたいなんて思っちゃだめだよ」
「識司さんがここにいたいなら、それでいいです。よくないものを排除します」
雨はにこりと笑った。いつもの雨ではない、自信に満ちた冷たい笑顔。
「雨、それはだめだ。お願いだから」
俺は雨の肩を掴んだ。雨はふわりと笑った。
「黒栖、あなたは優しい人ね」
「雨……」
雨。やっぱりあなたは俺を見てくれないのか。
「雨、俺、今日識司さんと話すから、決めるのはそれまで待って。識司さんが自分でここを出ることを決めたら、それでもいいんだろ?」
「ええ、でも、もう出なくてもいいです。……誰が邪魔なのかしら」
雨は楽しそうに笑った。人を恨む気持ちは魂を濁らせると言っていたのに。
俺は雨を抱き寄せた。雨はさして抵抗もなく俺に抱きすくめられた。
「黒栖?」
「雨、俺はあなたが好きだよ」
精一杯の思いを込めた。だが、私も好きです、とあっさり応じた雨に、それは届いただろうか。
それでも俺は懸命に腕の中の雨に語りかけた。
「あなたがそんな風に、自分を大事にしないようなことを言うと悲しい。識司さんもきっと悲しむよ。雨に、幸せになってほしい、って言っていたじゃないか」
雨はぼんやりと首を振った。
「幸せが何かわかりません。あんな毎日に戻るのはもういや。ひとりがいや。寂しいのが苦しいの。でも、もう識司さんにはいてもらえない。黒栖、私はどうしたらいいの?」
「俺を好きになって」
雨は俺の腕の中で首を振った。俺は繰り返した。
「俺を好きになって。識司さんのこと好きなままでかまわない。俺のことも好きになって。雨が寂しいなら俺がそばにいるよ」
「……でもあなたはそれじゃいやだって」
いやだけど。本当は俺が雨の唯一の人になりたいけれど。
雨が人を呪いたいとまで思い詰めるなら、もう雨が他の誰かを好きでもいい。寂しい時に頼りたいと思えるくらいに、俺のことを好きになってくれたらそれでいい。雨には他人を呪いたいと思ったり、不幸を願ったりしてほしくない。
「雨、俺、後で識司さんにも話してみるから。雨がそこまで思ってるって知ったら、少し考え方を変えてくれるかもしれない。だから、そんなこと考えないで」
雨は俺にそっと体を預けた。俺はこの細い肩の感触をやっぱり覚えていた。昨日は本当に雨を抱いて寝たんだな。
「もう少し、こうしていてもいい?」
雨が言った。俺は少しびっくりしたが、うん、と答えて、もう少し強く雨を抱きしめた。
雨とそのまま、今日の祭りの話をした。女性たちは水を汲みに行ってきたそうだ。雨も飲んだの、と聞いたら、少し恥ずかしそうにうなずいた。
「もう少し、きれいになれたらな、って」
雨はあの中では一番年上だった。みんなが明るくて、元気で、若々しいのがうらやましかった。少しでもそんな風になりたくて、ひと口でいいことは聞いていたけれど、ちょっと欲張って水を飲んだそうだ。
俺は少し笑った。
「雨はきれいだよ」
雨は腕の中で少し固まった。面白かったので、もう一度きれいだよと言ったら、ばたばたした。
「本当にきれいだよ、雨」
「……そんなこと言うと、汲んできた水かけちゃうんだから」
それは、縁結びのおまじないではなかったか。
「うん、嬉しい」
雨はまたばたばたした。




