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それでも無価値な復讐を  作者: 今井 初飴
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第13話 光の中の魔女


 寮の俺の部屋で、蓮野さんと向かい合う。

「識司さんは優しい人です」

 改めて俺を見つめる蓮野さんを、俺は負けずに見返した。これは長くなるやつか。

「識司さんは轢き逃げする程私のことを嫌う人から私を守るために、その人と結婚したんです」

 込み入っていそうな話を聞くため、俺が緊張して座り直すと、蓮野さんは簡潔に説明した。

「……それだけ?」

「あと、私の偏食がましになったのも識司さんのおかげです」

 さっきの食事を見るに、そこまでましになったとは思えない。まあ、まだ惚れているのは蓮野さんの方だということを押さえておけばいいだろう。

 いや待て。

「……蓮野さん轢き逃げされたんですか?轢き逃げした人、わかってるんですか?警察に言わないと」

 俺が慌てて言うと、蓮野さんは興味なさそうに言った。

「言っても仕方ないと思います。車は盗難車だったそうですが、持ち主の苗字は運転していた人と同じです。関係のある人ではないかと思います。それでも捕まらなかったのなら、その方がいいのでしょう。それでも持ち主の方が保険を使ってくれたので、入院の費用など賄えて助かりました。捕まえてもらっても私は変わらないし、後はいいです」

 それじゃ犯人は野放しじゃないか。

「私を轢いた時、車の運転席にいたのは平野という男性です。そして、助手席にいたのは誉茉子という女性です。おそらく、助手席の女性が指示していました。そして、その女性が識司さんの奥様です。家族が犯罪者では困るでしょう」

 蓮野さんは淡々と話した。自分の足を切り落とす原因になった事柄には何の興味もないようだ。

「それにしても、有澤社長はそれ、知ってるの?」

 俺なら怖くて結婚なんてできない。

「知らなければ、あの人は私を置いて結婚したりしません」

 蓮野さんの目が蒼く光った気がして、俺は黙った。魔女、怖い。でも、知ってて結婚する有澤社長も怖い。何より奥さんが一番怖い。

「……でも、そこまでして結婚して浮気なんかするのかな」

 さっき理恵さんに聞いた話だと、ここだけの話、奥さんの誉茉子さんはどうやら浮気をしているらしい。理恵さんにここだけの話をする人は少なそうだから、みんな知っていると言うことだろう。あまり家にいることがなく、今日も帰ってこないそうだ。私にはわかりません、と蓮野さんは首を振った。蓮野さんはそうだろう。中学生の娘さんがいるらしいのに、教育に悪そうだ。

 少し言葉が途切れた。そういえば俺の身分証も見せておこう。別に隠すことでもないし、蓮野さんのを見ておいて何だか不公平だし。俺は車の免許証を蓮野さんに渡した。そして見てもらっている間、俺ははたと恐ろしいことに気がついた。

「俺、そんな強烈な奥さんのところに、蓮野さんの婚約者ですって乗り込んできたことになるの?」

 蓮野さんは少し考えてから、そうですね、と驚いたように答えた。

「待って、怖い、設定を変えましょう」

「でもさっき理恵さんに言ってしまいました」

 俺は頭を抱えた。帰りたい。

「……」

 俺はしばらく考えて、腹を括った。

「わかりました。それでやりましょう。でもこうなったらせっかくだから婚約者らしくさせてもらいます。あなたのことは名前で呼びます。あなたも俺のこと名前で呼んでください」

 渋久黒栖です、と俺は再度名乗った。蓮野さんも蓮野雨です、とつられて言った。

「雨さん……いや、雨って呼びます。あと、もう敬語もやめます。いいですね、じゃなくていいよね、雨」

「はい、黒栖」

 真似事なのに、何だかそれでも気恥ずかしくなった。

 明日は何があるかわからないから、お互い早めに起きてなるべく食堂にいることにした。食堂なら部屋の中にいるより人の目が届く。理恵さんも来るだろうし。

「では、私は戻ります」

 話が済んでしまうと、雨は来た時のように突然立ち上がって部屋に戻っていった。

「おやすみ、雨」

 襖が閉まる直前に声をかけると、雨は少し驚いたように手を止め、少し微笑んで返してくれた。

「おやすみ、黒栖」


 翌朝、理恵さんが来る頃には俺たちは食堂でお茶を飲んでいた。もちろん淹れたのは俺だ。

 早いんですね、待たせてごめんなさい、と理恵さんが慌てる。

「いいんですこっちなんかゆっくりで。早く起きただけですから」

 お嬢さんがパンじゃなきゃ嫌だって言うから、遅くなっちゃったんですよ、と理恵さんが不満そうに言う。

「痩せたいならごはんの方が絶対いいのに!」

 理恵さんはダイエットに詳しそうだ。俺はどっちでも、出されたものをおいしく食べる。いつもは食べない方が多いからありがたい。

 今日の献立はごはん、豆腐とわかめの味噌汁、青菜のおひたしと高野豆腐と根菜の煮物、そして漬物が2種類。

 小鉢の数に俺が喜ぶと、理恵さんはそんな、普通ですよと赤くなって母屋に戻って行った。今日もごはんがおいしい。雨はケチャップをかけた小さなたまご焼きとふた口分くらいの湯豆腐を食べていた。またたまご。

 食べ終わる頃また理恵さんが来てくれた。朝はやはり忙しそうだ。片付けを手伝う。

「すみません、みなさん出かけるまではやっぱりばたばたしちゃって」

「お嬢さんは学校ですか」

「はい、明日までですって。お祭りの日から春休みになるみたいです」

「春休みか、いいなあ」

 いいですよねえ、と理恵さんも同意してくれた。言ってはみたものの、俺はあんまり春休みと違わない。今日は周りを散策して、町を眺めるつもりだ。

 有澤社長の予定がつき次第、蔵と礼拝堂も見せてもらいたいな。理恵さんに頼んでもらおう。

 お願いすると、理恵さんは予定を聞いてくれると約束してくれた。理恵さんの話だと有澤社長は怖い人ではないらしいが、奥さんもお嬢さんも怖いらしい。自慢ではないが俺は小心者だ。できるだけ会わないようにしよう。

 と心に決めた矢先だった。

「あなたが東京から来た人?」

 突然大きな声がした。俺はびっくりして食堂の入り口を見た。理恵さんがお嬢さん、と声をあげる。

「魔女はいないの?私、東京に行きたいの。東京のこと、教えてくれない?」

 紺のブレザーにプリーツスカート。中学の制服らしい装いのその上の顔にはばっちり化粧が施されていた。有澤社長にはあまり似ていない、派手な顔立ちだ。可愛い子なのだろうが、制服に達者な化粧がちぐはぐで、場末のスナックみたいになってしまっている。

「俺、東京じゃないです」

「違うの?」

 お嬢さんは俺にぐっと顔を近付けた。化粧品臭い。俺は嫌な顔をしないように苦労して何とか笑顔を保った。

「お兄さんの町のことでもいいわ、東京に近いんでしょう?私、東京でモデルになりたいの。ねえ、お兄さんの町に連れて行ってよ」

「いやあ、俺ちょっとそういう知り合いは……」

 逃げ腰の俺の腕をお嬢さんが絡め取り、ぐっと体に押し付けた。俺はさすがに我慢できずに手を払い除けて距離を取り、言った。

「こんなことされて言うこと聞くような男は、東京でもどこでもろくでもない奴だから、そんなことしない方がいいよ」

 お嬢さんがかっと頬を赤くした。

「何よ、意気地なし!」

「……えぇ……」

 ドラマの見過ぎだと思う。

 お嬢さんはそれこそドラマのような仕草でスカートをひるがえし、荒々しくその辺に当たり散らしながら食堂を出て行った。

 俺は嵐のように現れ去っていったお嬢さんに消耗して呆然と立ち尽くした。

「渋久さんて意外とちゃんとしてるんですねえ、私もっとちゃらんぽらんな人だと思ってましたよ」

 理恵さんに褒められたのかけなされたのか、朝ごはんで得た元気を全て使い果たした俺は、はは、と力無く笑うことしかできなかった。その時、背後で椅子を引く音がした。雨が本を持ってきてテーブルに着くところだった。本当にいなかったのか。いつの間に。

 理恵さんが食器を持って母屋に行ってしまうと、俺は本を読む雨の前に座った。

「さっきお嬢さんが来てったよ。すごい迫力だったよ。怖かったよ」

 席を外していた雨に恨みがましく愚痴をこぼす。雨はそうですか、と本から目をあげもせず答えた。冷たいなあ。俺は端正な顔を無遠慮に眺めた。

「中学生の娘であれだよ、母親はきっともっと怖いよ、俺絶対敵わないよ。雨、俺をひとりにしないでね」

 どうせ相手にされないつもりでテーブルにだらしなく肘をついて雨に絡んでいたら、理恵さんが戻ってきていた。最後のところだけを聞かれたらしく、お熱いですね、とからかわれる。

「社長、今日は午前中だと空けられますって。急ですがいいですか?」

 もちろん、俺に異論はない。8時に礼拝堂を開けてもらえることになった。

 礼拝堂は、酒蔵の反対側、有澤家の母屋の奥の方に建てられたもので、有澤社長が来て管理を始めるまでは道もなくなるほど放っておかれたらしい。有澤社長の先々代が個人で建てたものだそうで、昔の羽振りの良さがうかがえる。

「礼拝堂だけど神様は特に置いてないんですよ。ステンドグラス飾るために建てたみたいなものです」

 理恵さんが得意そうに説明してくれる。もう有澤社長に聞かなくても良さそうなくらいだ。

「でも鍵は社長しか持ってないんです。だから、見たい時は社長に開けてもらってください」

 有澤社長は管理を理恵さんにも誰にも任せず、毎週ひとりで掃除しているそうだ。理恵さんがまだ学生の頃、一度業者も入れて大きな修繕もしたらしい。足場を組んで屋根から壁から直したそうで、理恵さんや近所の人も何事かと見に来て礼拝堂があることを知ったそうだ。

「そのあと、みんなで見せてもらいに行ったら、社長気軽に見せてくれて。それまで、有澤のお家の人ってすごく偉そうでなかなか付き合いなかったし、社長は特に何だかすごく揉めて婿に来た人って聞いてたから、意外に話しやすくてびっくりした」

 理恵さんは昔から近所に住んでいるらしい。

 理恵さんも一緒に行くのか聞いたら、理恵さんは掃除や買い物があるから行かないという。

「それに私、ああいうのの良さ、あんまりわかんないんですよね。社長は何時間でも見ていられるみたいだけど、私は5分で飽きちゃう」

 理恵さんは明るく笑って、8時ですからね、と念を押して仕事に戻っていった。

 急ぐほどでもないが、本を読んでいたら間に合わない。俺は静かにページをめくっていた雨を部屋に追い立て、準備を促した。

 程なくして雨はまた黒いもこもこになって食堂に戻ってきた。俺は上着を着てカメラとカバンを持つくらいだからもともと時間はかからない。

 理恵さんに教えられた通り、母屋をまわって林の方へ向かい、木立の中をしばらく歩く。今日は雲が早い。日差しが差したり消えたりせわしない。春の風はまだ冷たく、日陰には雪が残っている。そんな細い道を辿り、ふいに開けた場所に出ると、そこには突然礼拝堂があった。

 おもちゃのようなとんがり屋根の、背は高いが小さな建物だった。飾り気のない白い壁が、周りの木の色とよく馴染んでいる。

 時間にはまだ間があるからか、有澤社長の姿はなかった。俺と雨は礼拝堂に近付いた。

 漆喰だろうか。壁はしっとりしている。

 扉を押してみると、意に反して扉が内に動いた。

「開いてる」

 俺は中に入ってみた。雨もついてくる。

「わあ……」

 雨が珍しく声を上げた。

 その空間は七色の光に溢れていた。

 見上げるほど大きなステンドグラスが正面に輝いている。中心は女性だろうか。白を基調とした、女神のような、仏様のような女性の姿を、幾何学的な模様が華やかに彩る。その色とりどりのガラスに日が当たり、輝き、七色の影を白い室内にきらめかせている。

 雨は吸い込まれるように俺の後ろから礼拝堂の中へ歩を進め、外套のフードを取った。

 後ろから見つめる俺の前で、白い長い髪がこぼれ雨の歩みに合わせて揺れる。雨は入り口から動けない俺から離れていって、礼拝堂の中央に立った。ステンドグラスの光が雨を七色に染める。

 きれいだ。

 開け放した入り口から入る風が、雨の白い髪と黒いワンピースの裾を時折揺らす。早い雲が日差しを遮り、また過ぎ去って光を溢れさせる。雨はそのたび、七色をまとい、本来の白に戻り、佇んだまま揺れ動く。

 俺は何か祈りたいような気持ちで雨を見つめた。

 俺はふと背後に人の気配があることに気がついた。

「……ここに来て、ひとつだけきれいだと思えたのがこれだった。雨さんに、見てもらえて、ここに来てもらえて」

 本当に嬉しい。

 声が震えていた。泣いているのかもしれない。

 俺は有澤社長を振り返らず、光の中の魔女をただ一緒に見つめた。

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