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それでも無価値な復讐を  作者: 今井 初飴
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第14話 魔女と結婚してください


 どれだけそうして俺と有澤社長とふたりで雨を見ていただろう。

 強い風が開けっ放しの扉をきしませ、その音に気付いて雨がこちらを振り返る。

「識司さん」

 きしんだ扉がそのまま閉まるのと同時に、雨が叫んだ愛しい人の名前が礼拝堂に響いた。そりゃ俺じゃないよな。

 今度こそ映画のような、2人が駆け寄りきつく抱き合う場面が繰り広げられるかと思った。

 しかし俺の斜め後ろの気配は動かなかった。雨が今にも駆け出しそうに足を踏み出すのを、低い声で制する。

「雨さん」

 雨が体をこわばらせる。

「雨さん、俺はあなたに来てほしいとは言っていません」

 冷たい程の口調で有澤社長が雨を拒む。雨に会えたのを喜んでいたようだったのに。

「手紙を」

 雨が必死に食い下がる。

「手紙をもらいました。あなたが、私に止めてほしがっているから、だから」

 有澤社長がどんな表情をしているか、俺からは見えない。しかし、背中がひりつくような緊張を感じた。有澤社長も何かを必死に堪えている気がする。

 雨が待っている。俺も緊張する。

 張り詰めた気配からこぼれるように小さく、有澤社長は呟いた。

「それは違うよ。あなたは俺のことがもうわからないんだ」

 雨はゆるゆると首を横に振った。自分の肩を抱き、小さく体を引く。

「わかります。私は、あなたのことなら」

「それなら何故、来たんだ。もうあなたには会わなくてよかったのに」

「私は会いたかった」

 雨が堪えきれなくなった。肩を抱いたまま小さく叫ぶ。

「ずっとずっと会いたかった、識司さん」

 そして駆け出そうとして、足がもつれるように倒れた。俺は思わず雨に駆け寄りそうになったが、やっぱり思い直した。これは俺の役目じゃない。俺より早く反応しながら俺の目の前で足を止めてしまった有澤社長、あなたの役目だ。

 それでも近付こうとして焦ってもがく雨をいたましく見ながら、俺はじれったくなって俺の前でためらっている有澤社長の背を押した。

 押されてもう一歩前に出、しかし駆け寄らない有澤社長がもどかしい。雨は立ち上がれないまま、手で体を引きずり必死に有澤社長に呼び掛けた。

「私はずっとあの街で昔と同じように、あなたと生きています。ずっとあなたといた時を思い出して、毎日、あなたがあの時どうしたか、あなたと何をしたかを思い出して、ずっとあなたといます」

 俺は雨を見た。言葉にしたらそれだけだろうが、何て日々を積み重ねてきたんだろう。

「帰りましょう。私と一緒に、ここを出ましょう。あなたが幸せでいるならひとりで帰るつもりでした。けれど識司さん、あなたはとても幸せには見えません。私と帰りましょう」

 青ざめた雨が、全身で有澤社長の言葉を待っている。

 有澤社長は何て答えるだろうか。俺もどきどきしていると、有澤社長は深く嘆息し、少し笑った。

「雨さんには幸せになってほしかった。もう、そうなってると思って俺はこれまでやってきたのに。そんな風に過ごしてたなんて」

「識司さん」

「婚約したんじゃなかったのか」

「それは、嘘です。婚約者のふりをしてくれって頼まれて。ここの駅で初めて会ったんです」

 思わず俺が白状すると、有澤社長は振り返った。怒っているかと思ったのだが、困ったような笑顔だった。嬉しいのか、悲しいのか、何とも言えない戸惑いがいつもの世間体をどこかにやってしまい、初めて現れたどこかのんびりした表情。これがこの人の素顔なのかもしれない。俺は勢いでもう少し口を出した。

「もういいでしょう、あとは助けてあげて椅子で話したらいいじゃないですか。女の人が床で倒れたままじゃかわいそうだよ」

 有澤社長は戸惑ったままだ。俺は有澤社長の背中をぐいぐい押して雨のところまで連れて行った。雨が大きな目をまんまるにしている。

 俺はあとはおふたりでどうぞ、と手のひらで雨を示した。有澤社長はさっきまでの貫禄が嘘みたいにおろおろしている。

「雨はこんなにあなたに会いたいって言ってるじゃないですか。あなたも少しは応えてあげたらいいでしょ。ここは神様置いてないんだし、誰もいないし、いいじゃないですか。俺も見てません。ほら」

 促しても有澤社長が何度も俺と雨を見るから、俺はうなずいた。よくわからないけど。

 それでもためらっているから、もう一度強くうなずいてみせると、有澤社長はやっと倒れたままの雨に手を差し出した。面倒な人だ。

 ようやくふたりが動き出したので、せっかくの映画みたいな抱擁の場面だが俺は遠慮することにした。

 そっと礼拝堂を出て、外観を眺めて歩く。写真でも撮ろう。俺は何枚か礼拝堂の写真を撮った。企画の説明で使うくらいだから雰囲気がわかればいいのだ。正面が逆光で暗いが構わないことにする。

 そうか、と俺は納得した。だから礼拝堂に入って正面に見えたステンドグラスがあんなに輝いていたのだ。きっと有澤社長はこの一番美しい時を雨に見せたくて、朝8時を指定したのだろう。

 北の春は遅い。俺の地元はもう色々な草花が咲き出しているが、こちらはまだ水墨画のように色がない。ただ、空だけが白の間に鮮やかな青を見せる。

 せっかくなんだし、ここで新酒の試飲会でもしたら客が入りそうだと思うんだけどな。でも有澤社長の大切な場所のようだし、無理はさせられないか。

 俺は木立の端の雪が解けた土に、小さな紫の花を見つけて写真を撮った。何て花だろう。スミレじゃないな。

「カタクリですよ」

 驚いて振り向くと、有澤社長が笑っていた。

「え、もっとゆっくりしてていいですよ、積もる話もあるでしょうし」

「話は終わりました」

 俺は少し心配になった。また冷たく雨を突き離したんじゃないだろうな。

 その雨は少し遅れて礼拝堂を出てくるところだった。外套を着込んで、また黒いもこもこになっているので表情が見えにくい。泣いてはいないようだが。

 雨は静かに俺の隣に来ると、かがみ込んでフードを外し、カタクリをのぞきこんだ。

「識司さんと約束をしました。これができたら、識司さんは私の言うことを聞いてくれるって」

「約束?」

 俺は雨の端正な横顔を見た。まつ毛も白いんだな。瞬きすると音がしそうだ。長いなあ。

「あなたが私と結婚してくれたら、この町を出てくれるって」

 本当に綺麗な人だ。そうか、雨もおさまるところにおさまるんだな。今度は幸せになれるだろう。

 ん?

 雨はカタクリから目をあげ、俺を見た。

「黒栖、私と結婚してください」


 まだ雪の残る林の中、カタクリの前で2人でかがみ込みながら、俺と雨は見つめ合った。後ろで有澤社長が楽しそうに俺たちを見たりのびをしたりしている。

 何この状況?俺、何言われてるの?

 まじまじと雨を見ると、雨もまじまじと俺を見た。目の力では俺の負けだ。カタクリに目を戻す。だって大きさが違うんだ、仕方ない。それで勝ったと思った訳ではないだろうが、雨は確認するように俺に尋ねた。

「了承していただけますか?」

「え?」

「私との結婚」

「はあ?」

「よろしければ今から役所に行きましょう。識司さん、案内してください」

「車で乗せていくよ」

「……ああ、私印鑑を持ってない」

「じゃハンコ屋さんに寄って行こうか。渋久さんは持ってる?」

「ちょっと待って!」

 俺は悲鳴をあげて立ち上がった。

「何、何、何ですか、どうなってるの?」

 雨もゆっくり立ち上がった。雨が俺を見上げる。

「あなたが私と結婚してくれたら、識司さんはこの町を出てくれるんです」

「有澤社長、俺は関係ないでしょう!」

 俺は有澤社長を見上げた。背丈がちょうどふたりの間だ。有澤社長は屈託なく笑った。

「あんまり関係なさそうにしてるから、関係させようかと思って」

 面白がってる!

 衝撃のあまり俺はめまいがした。

「あと俺のこと有澤社長って呼ぶのやめてもらえないかな。あなたの社長じゃないし、有澤はまわりにいっぱいいるし、俺そもそもこの苗字嫌いだし」

「そんなこと今はどうでもいいでしょう!」

 俺が叫ぶと、雨が微笑んだ。

「黒栖も識司さんと呼んだらいいです」

 どうでもいい。それ、今は本当にどうでもいい!

「じゃあ呼ぶし、あなたも俺を黒栖って呼んでくださいよ!」

「いいの?じゃそう呼ばせてもらおうかな、黒栖君」

「どうでもいいってば!」

 自分で何を言っているのかわからなくなってきた。2人に落ち着いて、と抱えられるようにして礼拝堂に戻り、椅子に座らせられる。

 礼拝堂はさっきの奇跡のような輝きは消えていたが、その分落ち着いて荘厳な様子だった。荘厳のかけらもないのは俺だ。混乱している。

「つまり、俺が雨と結婚したら、識司さんがこの町を出る」

 雨がうなずく。

「そうしたら雨は識司さんと結婚したいよね?そしたら俺とはすぐ離婚するんだよね?」

 うなずいてから雨はあら、と声をあげた。

「そう、なりますね」

「だめでしょうそれは!」

 だめですかそれは、と雨が復唱する。識司さんが腹を抱えている。声を殺しても無駄だ、一目瞭然だ。

「もし黒栖君に決まった人がいて、その人と婚姻届を出すならそれでもいいよ」

 それだ!とでも言いたげに雨が俺を見上げる。美しい瞳に叶えられない期待を一心に込めて見つめられる、何だこの拷問。

 俺ははぐらかしたくて不可能で、小さく、いません、と答えざるを得なかった。雨が遠慮を知らないにも程があると思うくらいに落胆する。俺も本当に悲しくなった。

 結婚届と離婚届を同時に出すか。袖擦り合うも他生の縁とはこのことか。この人たちのためなら戸籍くらい。しかし俺にも一応親がいる。戸籍とか、その後の俺の人生とか、色々なことが雨には見せられない天秤にかけては揺れる。

「俺は雨さんと一緒にはならないよ、大丈夫」

 識司さんが笑いながら変な太鼓判を押すから、俺はまた地に足が付かず、雨は大きな目を泣き出しそうに見開き、識司さんはついに声をあげて笑うという様相になった。何が何だか。

「それでもいいです、ここにいるからいけないんです」

 雨が小さな声を震わせる。そこまで思い詰めて会いにきた相手は爆笑しているのだが。

「識司さん、ふざけ過ぎですよ!雨がこんなに、人生を犠牲にしていいと思うくらいあなたのためを思っているのに!」

 あんまり識司さんが笑うから、俺は頭にきた。思わず食ってかかると、識司さんはまた素顔を殺して笑った。

「嫌なら黒栖君は断って帰ったらいいよ。俺はそれで構わないんだ。雨さんがどうしてもって言うから、無理を言ってみたんだよ。諦めて、帰ってくれ」

「嫌です」

 雨が即答する。

「識司さんはここにいない方がいいんです。私でなければ、黒栖が連れて出ます」

 出ないよ!

「黒栖、お願い。私と結婚して。結婚してくれなければ」

 全身全霊をかけて、と雨はうつむき、顔をあげ、


 呪います。


 と微笑んだ。

「……あの、俺、呪いにはあんまり詳しくないんですが、具体的にどうなるかみたいなことを先に教えてもらったりは」

 おそるおそる俺が尋ねると、雨はそうですね、と思案した。

「お腹が痛くなったり、風邪を引いたり」

 そのくらいか、なら我慢しよう。

「係累に不幸が続いて、傍系に至るまで余すところなく断絶させたり」

 その差。我慢どころの話ではない。腹痛と一家断絶。もう少し段階を踏めないのか。両親と姉家族、特に甥の健司けんじの顔が浮かんだ。

「私は一度見たものは忘れません。免許証を見せていただいていて良かった。ご実家もわかりました。言いましょうか?」

 俺は見せるんじゃなかったと心底後悔した。

「私の呪いは強いですよ。はね返せる魔女は少ないと思います」

 雨が微笑む。こんなに自信に満ちた雨を見るのは初めてだ。というか雨とは昨日会ったばかりだし、色んなことが大概初めてだし、魔女に知り合いはいないし、健司はこの前サッカー頑張ってるって言ってたし。

 雨と一緒になる。そのこと自体は結構何とかできそうな気もするのだ。何より雨は美人だし、性格にも少し慣れた。生活の上で困ることは多々ありそうで、そこは心配だ。しかし、ここまで一途なところは好ましくもある。

 対象が俺ならば。

 他人ではだめだ、他人に夢中なことを初めからわかって結婚するのは、俺は嫌だ。その時だけでも、俺を一番好きでいてほしい。

 でも結婚しないと呪われる。従兄弟の正之兄ちゃんも去年やっと結婚して家を建てたばかりだ。

 結婚したら即離婚、しなければ呪いで一家断絶。

「いやその2択おかしいよ!他の方法!他の方法を考えましょう、諦めちゃダメですよ!」

 俺が雨の肩を掴むと、雨はそうですね、と勢いに押されて言った。

「占いましょうか、黒栖の結婚相手がどこにいるか」

 これから探して出会いから始めろと言うつもりか。もしいないとなればどうするのか。

「迷うなら決めちゃったらいいじゃないか」

 人ごとのように識司さんが口を出す。俺は思わず立ち上がり胸倉に掴みかかった。

「識司さんが元凶なんだよ!条件見直してよ!」

 そしてわかった。識司さんの方が背が高いし、多分、体格がいい。腕に覚えがある訳でもない俺が勢いに任せても、腕力で捩じ伏せることは不可能だ。

 俺は掴んだ識司さんのシャツを離した。

「雨、他に識司さんが納得しそうな条件はないの」

「諦めて2人で帰りなよ、おみやげ渡すよ」

「嫌です。黒栖、お願い」

「識司さん、雨が諦めるような条件はないでしょうか」

「そのつもりで結婚て言ったんだけどね」

 俺は言い返す力もなかった。

「ああ、俺ちょっと電話しなきゃいけないところがあるから先に行くよ。好きなだけ見て行ってください。黒栖君、これ鍵」

 識司さんは腕時計を見、動けない俺に鍵を握らせた。持ち手のところにもステンドグラスが施された凝った鍵を感心して見ることもできずに、この時の俺は茫然と受け取った。

 礼拝堂には俺と雨が残された。

 礼拝堂のステンドグラスの影が移動するくらい、長い時間俺と雨は黙って座っていた。

 気が付くと、体が冷え切っていた。ここは風がないだけで外とほぼ同じだ。長くじっとしていると寒い。雨も寒かっただろう。戻ろうか、と声をかけると、雨は素直にうなずいた。

 礼拝堂に鍵を掛け、来た時と同じように2人で来た道を戻る。ずいぶん長くいてしまったようだ。

「ごめんね、付き合わせて。寒かっただろ」

 雨はいいえ、と短く答えた。

「ステンドグラスがきれいでした」

 そうだね、と答えて俺はステンドグラスの写真を撮ってこなかったことを思い出した。戻ろうかとも思ったが、もう疲れていた。後にしたい。

 木立の隙間から有澤家の母屋が見えてきた。識司さん、あの人は一体何を考えてるんだろう。そんなに雨を振り回したいのか。雨はどうしてそれを受け入れるんだろう。この町で識司さんが成功して、何が心配なんだろう。

 どうしてそんなに、2人のことに俺まで巻き込むんだろう。俺のことなんかどうでもいいみたいなのに。俺がどんな気持ちになるか全然無視して、2人とも自分の叶えたいことばかりだ。

 話したいことがたくさんあるのに、うまく言えない。有澤家の前を通り過ぎる。俺は足を止めた。少し歩いて、雨が振り返る。俺は雨の足元に向かって言葉を何とかつないだ。

「……雨、結婚てどういうことかわかってる?」

 返事はなかった。

「俺は一生その人と一緒にいたいからする約束だと思う。すぐに離婚するつもりでそんな約束するの、俺は嫌だよ」

 必死の俺の言葉は雨に届いただろうか。

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