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神々に捨てられた少女は、世界でただ一人の創世女神になる 「神々が彼女を拒絶した日、世界の新しい歴史が始まった。」  作者: 雨宮ぐみ


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第98話 世界の外側に残された記録者

第98話 世界の外側に残された記録者


《未記録の意思――一件》


《記録者:不明》


《記録日時:世界創造後》


その文字は、白い花の上に浮かんだまま、消えようとしなかった。


リリアは、何度もその記録を読み返した。


世界が生まれたあと。


誰かが、記録を残した。


けれど、記録者の名前はない。


「世界の外側から記録していた人がいる、ということ?」


ミラが尋ねる。


セフィルは首を横に振った。


「断定はできない。記録日時が世界創造後であることと、記録者が世界の外側にいたことは、同じ意味ではないからね」


「でも、世界の記録から外された意思を、誰かが記録していた可能性はあるんだよね?」


「そうだ。問題は、なぜその記録が現在まで残っているのか、ということだ」


レオンが腕を組んだ。


「世界の成立条件に反する記録なら、外側の存在が真っ先に消そうとするはずだ」


その言葉に応じるように、虚無の向こうで一つ目の光が明滅した。


『記録者の特定を開始する』


「待って!」


少女が声を上げた。


一つ目の光が、彼女へ向く。


『何を求める』


「その記録者が誰なのか、勝手に調べないで」


『記録者の存在は、世界の成立条件に影響する可能性がある』


「だからって、その人が何を望んでいたのかも知らないまま、危険だと決めつけるの?」


少女の声は震えていた。


それでも、彼女は一歩も引かなかった。


「私の意思を聞いてほしいと言ったのと同じように、その人の意思も聞いてほしい」


外側の存在は、しばらく沈黙した。


やがて、冷たい声が響く。


『記録者の特定は保留する。ただし、記録の存在を放置することは認めない』


「それは、あなたが決めることなの?」


リリアが尋ねる。


『世界を維持するために必要な判断である』


「なら、その判断が間違っていた場合は?」


『判断の誤りは、世界の不安定化によって証明される』


「……それじゃ、世界が壊れるまで、間違いに気づけないかもしれないんだね」


一つ目の光は、答えなかった。


リリアは、白い花へ視線を戻した。


「記録を調べよう。でも、記録者を危険な存在だと決めつけるためじゃない。その人が何を残したかったのかを知るために」


少女が、そっと頷く。


「私も一緒に見たい」


「無理はしないでね」


「うん。止めたくなったら、自分で止める」


彼女は自分の言葉を確かめるように、ゆっくりと繰り返した。


「自分で決めるの」


その瞬間、白い花の中央に細い道が現れた。


道の先には、壁も扉もない。


ただ、無数の文字が浮かぶ暗闇が広がっていた。


《記録領域――接続》


《閲覧条件:記録者の意思を侵害しないこと》


《警告:記録の複製、改変、削除は禁止》


「この条件を設定したのは誰だ?」


カイルが指輪を見つめながら尋ねた。


答えはなかった。


けれど、銀の指輪が一度だけ輝いた。


まるで、その条件を知っているかのように。


記録領域の中には、時間の流れがなかった。


文字は壁に刻まれているわけではなく、空間そのものに浮かんでいた。


生まれた命の記録。


選ばれた未来の記録。


世界の法則が変更された記録。


そして、誰にも読まれなかった記録。


リリアは、そこに並ぶ文字の一つに目を留めた。


《記録対象:選ばれなかった意思》


《保存理由:本人による再選択の可能性を保持するため》


「これ……」


少女が息を呑んだ。


その記録の下には、さらに小さな文字が続いていた。


《本人の同意なき復元は禁止》


《本人の意思に反する再利用は禁止》


《本人が存在を拒絶した場合、その拒絶も記録すること》


少女は、しばらく何も言わなかった。


やがて、震える声で尋ねた。


「この記録者は……選ばれなかったものを、全部元に戻そうとしていたわけじゃないんだね」


「うん」


リリアは頷いた。


「その人は、選ばれなかった未来を無理に復活させようとしたんじゃない。もう一度選べる可能性を残そうとしたんだと思う」


「でも、どうしてそこまで……」


少女の問いに、誰も答えられなかった。


そのとき、アレンが一枚の記録を指さした。


「これを見てくれ」


そこには、世界創造後に追加された記録があった。


《記録番号:零》


《対象:創造の成立によって、記録対象外となった意思》


《保存期間:本人の意思が確認されるまで》


《保存者:――》


最後の項目は、黒く塗りつぶされていた。


リリアが近づくと、黒い部分がかすかに揺れた。


「名前を隠している……?」


セフィルが文字を調べようとした瞬間、空間全体が震えた。


《警告:記録者の身元に関する照合を検出》


《照合を中断してください》


セフィルは、すぐに手を引いた。


「失礼した。こちらから名前を暴こうとすることも、記録者の意思を侵害する可能性がある」


そのときだった。


暗闇の奥から、声が聞こえた。


『……まだ、名前を明かすことはできない』


全員が振り向いた。


声は、記録の向こう側から響いていた。


『名前を明かせば、私が残した記録は、すべて私個人の目的のために作られたものだと解釈されるかもしれない』


リリアは、慎重に尋ねた。


「あなたが、この記録を残した人なの?」


『そうだと答えれば、あなたたちは私を記録者として認識する』


「それが、いけないの?」


『認識されることそのものが、悪いわけではない』


声は一度途切れた。


『だが、私は長い間、記録を残すことだけを考えてきた。誰かが選べるように。誰かが忘れられないように。誰かが、自分の意思を取り戻せるように』


その言葉には、深い疲れがにじんでいた。


『そのために、私は誰かの意思を守っているつもりだった。けれど、守ることに執着するあまり、本人がもう必要ないと望んだ記録まで、残し続けていたのかもしれない』


少女が顔を上げた。


「……それは、あなたが決めていいことじゃない」


『分かっている』


「本当に?」


『今は、分かろうとしている』


その答えに、少女は黙り込んだ。


完璧な答えではなかった。


けれど、自分の行いが正しかったと断言する声でもなかった。


「あなたは、私の意思を知っているの?」


少女の問いに、声はすぐには答えなかった。


『一部の記録を知っている。だが、あなたが今、何を望んでいるかは知らない』


「じゃあ、私が昔に何を望んでいたとしても、それだけで今の私を決めないで」


『……分かった』


少女は、ゆっくりと息を吐いた。


そして、リリアの方を向く。


「私、この人のことを知りたい。でも、名前を無理に聞き出すのは違うと思う」


「うん」


「その人が何を残したかったのか、どうして記録を守ってきたのか。それを聞いてから、私自身がどうしたいか考えたい」


リリアは微笑んだ。


「それでいいと思う」


その瞬間、暗闇の中に新しい記録が現れた。


《記録者との対話――開始》


《記録者の身元――本人の意思による開示を待機》


《第三の存在による質問――受理》


少女は、記録の向こうへ問いかけた。


「あなたは、どうして世界が生まれたあとも、記録を残し続けたの?」


長い沈黙が訪れた。


やがて、声が答えた。


『世界が生まれたとき、私は一つのことに気づいた』


『世界は、たくさんの命を生み出した。出会いも、別れも、喜びも、悲しみも生まれた。人々は自分の人生を生き始めた』


『それは、確かに素晴らしいことだった』


声はそこで、少しだけ震えた。


『けれど、世界が成立した瞬間、私は見てしまったんだ』


リリアは息を潜めた。


『世界が生まれるために、存在しなかったことにされた意思があることを』


記録領域の壁が、一斉に光を放った。


その一つ一つに、かつて選ばれなかった可能性が映し出される。


誰かに会いたかったという願い。


誰かに謝りたかったという願い。


誰かと一緒に生きたかったという願い。


そして、世界を創ることに賛成できなかった、ある少女の願い。


『私は、その意思を復活させようとはしなかった』


『ただ、消えたことにされた意思が、確かに存在したと残したかった』


少女は、胸元の白い花を握りしめた。


「……それで、誰かがその記録を見つけたら?」


『その人が、どうするかを決める』


「記録を消すことを選んだら?」


『その選択も、尊重しなければならない』


「……記録を残したあなた自身が、忘れられることを選んでも?」


声が止まった。


今までのどんな問いよりも、長い沈黙だった。


『……私は』


その声は、初めて迷っていた。


『まだ、その答えを持っていない』


リリアは、記録領域の奥を見つめた。


記録を守ることに人生を費やした者が、自分自身については答えを出せずにいる。


それは、かつての少女とどこか似ていた。


自分の願いを聞いてほしかった少女。


自分の意思を守るために、他人の意思を守ろうとした記録者。


そして、誰かの未来を守るために、自分の選択を後回しにしてきた者たち。


「あなたも、選ぶ必要があるんだね」


リリアの言葉に、声は静かに答えた。


『そうなのかもしれない』


その瞬間、記録領域の中央に、一つの文字が浮かび上がった。


《記録者の意思――未確定》


少女は、それを見つめていた。


やがて、小さく微笑む。


「……私と同じだ」


その言葉に、記録領域の光が柔らかく揺れた。


しかし、次の瞬間。


すべての文字が、一斉に赤く染まった。


《緊急警告》


《世界の成立条件――再評価開始》


《残り時間:九時間五十分》


外側の存在の声が響き渡る。


『未承認の記録領域を確認した』


『世界の成立条件に対する干渉を、これ以上認めることはできない』


記録の壁が崩れ始めた。


保存されていた無数の意思が、次々と光を失っていく。


「待って!」


少女が叫んだ。


「この記録は、誰かの意思を勝手に変えようとしたものじゃない!」


『記録の存在そのものが、世界の安定性を脅かしている』


「だったら、どうして脅かしているのかを調べてよ!」


『判断は終了した』


一つ目の光が、記録領域の中央に現れた。


『記録領域を閉鎖する』


リリアの手の甲に、創世の紋様が浮かび上がる。


だが、彼女が力を使おうとした瞬間、記録者の声が響いた。


『待って』


リリアは、動きを止めた。


『私が残した記録を守るために、あなたが世界の法則を書き換えてしまったら……それは、私が誰かの意思を守るために、その人の選択を奪うことと同じになってしまう』


「でも、このままじゃ記録が消される!」


『分かっている』


声は、今度こそ迷わずに答えた。


『だから、私が選ぶ』


記録領域の奥で、一つの光が輝いた。


それは、無数の記録を守っていた光とは違う。


記録者自身の意思が、初めて形になろうとしていた。


『私は、記録を永遠に残すことを望んでいたわけではない』


『誰かが、自分の意思を知る機会を失わないことを望んでいた』


光が、ゆっくりと広がる。


『その機会を、今ここで奪わせるわけにはいかない』


記録者が選んだのは、記録を永遠に保存することではなかった。


記録を消させないために、誰かを犠牲にすることでもなかった。


彼は、記録領域に残されたすべての意思へ、選択の権利を返そうとしていた。


《記録領域――所有権の再確認》


《保存された意思――本人による選択を待機》


《記録者の権限――一部放棄》


カイルの指輪が、激しく輝いた。


「これは……!」


指輪の表面に、新しい記録が浮かび上がる。


《記録の保護者:カイル・エルデン》


《記録の接続先:原初の記録領域》


《保護者の記憶――解放条件を満たしました》


カイルが息を呑む。


同時に、彼の脳裏へ一つの光景が流れ込んだ。


世界が生まれたあと。


崩れかけた記録領域の前に、一人の少年が立っている。


少年の手には、銀の指輪があった。


その向かいに立つのは、顔の見えない誰か。


少年は、震える声で言った。


「……俺が忘れてしまったら、誰がこの記録を守るんだ?」


相手は答えた。


「君が忘れても、記録は残る。だが、君が記録を守ることだけを理由に生き続けるなら、君自身の未来が失われる」


少年は、しばらく黙っていた。


やがて、銀の指輪を差し出した。


「じゃあ、俺が忘れてもいいようにしてくれ」


「本当にいいのか?」


「分からない。でも……誰かの願いを守るために、俺自身が何を望んでいたのかまで、なくしたくない」


その言葉を最後に、記憶は途切れた。


カイルは膝をついた。


「俺は……記録を守るために、記憶を封じたのか」


指輪の光が、静かに脈打つ。


《記録の保護者――本人の意思を確認》


《記憶の解放――第一段階完了》


カイルは顔を上げた。


まだ、すべてを思い出したわけではない。


自分が誰に指輪を託されたのか。


誰の命令で記録を封じたのか。


そのすべては、闇の中に残されている。


それでも、彼は初めて、自分が何を望んでいたのか、その一端を取り戻した。


「……俺は、誰かの記録を守りたかった」


彼は、銀の指輪を握りしめた。


「でも、本当は……その誰かが、自分の未来を選べるところまで、見届けたかったんだ」


その言葉に、少女が静かに頷いた。


「だったら、これから見届ければいいよ」


カイルは、少し驚いたように彼女を見つめた。


「……そうだな」


記録領域の奥で、記録者の光が消えかけていた。


外側の存在は、依然として記録領域の閉鎖を進めている。


世界の成立条件の再評価まで、残り九時間五十分。


そして、記録者は初めて、自分自身の意思を選び始めた。


だが、その姿はまだ誰にも見えない。


名前も、顔も、正体も。


ただ一つ確かなことがあった。


彼は世界が生まれたあとも、ずっとそこにいた。


誰にも知られず。


誰にも認められず。


選ばれなかった意思が、確かに存在したということを、記録し続けていたのだ。


そして今、その記録者自身が、初めて問いを投げかける。


『……もし、私が記録を残すことをやめたら』


声は、リリアたちへ向けられていた。


『あなたたちは、それでも私の存在を覚えていてくれるだろうか』


その問いに、リリアはすぐには答えなかった。


記憶に残すことと、相手の存在を尊重することは同じではない。


覚えていてほしいと願うことと、忘れられたくないと強制することも違う。


だからこそ、彼女は慎重に言葉を選んだ。


「あなたが覚えていてほしいと望むなら、私はあなたの話を聞きたい」


そして、続けた。


「でも、あなたが記録を残すことをやめたいと思ったら、その選択も尊重したい」


記録領域の光が、静かに揺れた。


『……ありがとう』


その声は、先ほどよりも少しだけ、穏やかだった。


けれど、外側の存在が最後の警告を発する。


『記録領域の閉鎖を開始する』


暗闇の中で、無数の文字が崩れ始めた。


そして、記録者が最後に残した一文が、リリアたちの目の前に浮かび上がる。


《記録者の正体――本人の意思による開示を待機》


その下には、もう一つの記録があった。


《記録者が最初に保存した意思――世界創造への反対》


リリアは息を呑んだ。


記録者は、世界が生まれたあとに現れたのではない。


世界創造に反対した意思を、最初に保存した者だった。


つまり、彼は世界が生まれる前から、その意思を知っていた可能性がある。


少女が、震える声で尋ねた。


「……あなたは、あのときから、私を知っていたの?」


記録者の光が、一度だけ強く輝いた。


『知っていた』


その答えは、あまりにも静かだった。


『だが、君が今、誰なのかは……まだ、君自身の言葉で聞いていない』


少女は目を見開いた。


記録者は、名前を告げなかった。


過去の役割も、かつての関係も、明かさなかった。


ただ、彼女が自分自身を選ぶのを待っていた。


そして、記録領域が閉ざされる直前。


記録者の声が、最後に響いた。


『次に会うときは、記録の保護者としてではなく……私自身として、君と話したい』


光が消えた。


暗闇が閉じる。


リリアたちは、再び白い花の咲く虚無へと戻っていた。


誰も、すぐには言葉を発しなかった。


記録者は、まだ正体を明かしていない。


第三の存在の最後の願いも、まだ確定していない。


世界の成立条件を変える方法も、見つかっていない。


それでも、一つだけ変わったことがあった。


記録を守るために、自分の意思を封じてきた者が、初めて自分自身の未来を選ぼうとしている。


少女は白い花を見つめた。


「……私も、あの人に会いたい」


それから、リリアの方を向く。


「でも、名前を知りたいからじゃない。その人が、自分の意思で話してくれるのを待ちたい」


リリアは頷いた。


「うん。一緒に待とう」


そのとき、虚無の向こうに、新たな扉が現れた。


黒くも白くもない、透明な扉。


その向こうには、まだ何も映っていない。


扉の上に、静かな文字が浮かび上がった。


《次の対話対象――世界創造の立会人》


《開示条件:第三の存在による意思の表明》


少女は扉を見つめた。


そして、今度は逃げなかった。


「……私、もう少し考えたい」


誰も急かさなかった。


世界の終わりが迫っていても。


記録が消されようとしていても。


彼女が自分自身の答えを見つけるための時間を、誰も奪わなかった。


その選択こそが、今までの世界にはなかった、新しい可能性だった。


第98話 終


次回、第99話「世界創造の立会人」



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