第88話 最後に選ばれた、たった一つの答え
第88話 最後に選ばれた、たった一つの答え
『あの日、彼女が最後に選んだのは――』
声が途切れたあと、白い花は沈黙した。
リリアは花弁に触れたまま、しばらく動かなかった。
処刑前夜。
自分は、二つの選択肢を突きつけられていた。
一つは、真実を証言して生き残る道。
もう一つは、記憶を封じて、大切な誰かを守ろうとする道。
しかし、どちらを選んでも、望んだ結果になる保証はなかった。
「……私、どちらを選んだのかな」
誰に尋ねるでもなく、リリアはつぶやいた。
「それを確かめるためにも、先へ進もう」
アレンが隣で答えた。
「でも、思い出したことがつらいなら、いつでも止めていい。真実を知ることと、無理をすることは違うから」
「うん。ありがとう」
リリアは小さくうなずいた。
以前の自分なら、誰かに心配をかけないために、平気なふりをしていたかもしれない。
けれど、今は違う。
怖いなら、怖いと言っていい。
わからないなら、わからないと認めていい。
そのうえで、自分の意思で進めばいいのだ。
「始めよう」
リリアが白い花に触れると、銀色の文字が浮かび上がった。
《前世の記憶――第三層、接続開始》
《対象:処刑当日の最終選択》
《記憶の所有者:リリア・エヴァンジェル》
《復元条件:本人による意思の確認》
リリアは目を閉じた。
「私は、思い出すことを選びます」
花が開いた。
世界が、光に包まれた。
*
夜明け前の牢獄。
雨はやんでいた。
窓の外には、薄い朝焼けが広がっている。
前世のリリアは、床に座り、膝の上に白い花を置いていた。
その隣には、折りたたまれた紙がある。
昨夜、訪問者から渡された二つの選択肢。
少女は、何度も紙を開いては閉じていた。
「生きたい……」
小さな声が落ちた。
それは、誰にも聞かせるつもりのない本音だった。
「本当は、まだ死にたくない」
少女は自分の手を見つめた。
世界を見てみたい。
自由に歩いてみたい。
好きな人と、何でもない話をしたい。
いつか、自分が何者なのかを知りたい。
そんな願いが、いくつも胸の中に残っていた。
「それなのに……」
涙が、膝の上に落ちた。
「どうして私は、誰かを守るために死ぬことばかり考えているの?」
その問いに答える者はいない。
少女は、白い花をそっと握った。
「……違う」
やがて、彼女は首を横に振った。
「死ぬことを選びたいわけじゃない」
その瞳に、かすかな光が戻った。
「私は、生きたい。生きて、真実を知りたい。あの人が何を考えていたのかも、私が何を間違えたのかも、全部知りたい」
少女は立ち上がった。
折りたたまれた紙を手に取り、二つの選択肢を見つめる。
そして、紙を破ろうとした。
だが、その手は途中で止まった。
「……これも、誰かが決めた二つの道なんだ」
彼女はゆっくりと紙を机に置いた。
「本当に、この二つしかないの?」
その瞬間、牢獄の壁に銀色の文字が浮かび上がった。
《提示された選択肢以外の回答を検出》
《判定不能》
少女は文字を見つめた。
「私は、あなたたちの用意した答えから選びたいんじゃない」
声は震えていた。
それでも、言葉ははっきりしていた。
「私は、生きたい。誰かを守りたい。そして、自分の記憶も失いたくない」
壁の文字が激しく明滅した。
《選択条件に矛盾があります》
《すべての希望を同時に満たすことはできません》
少女は目を閉じた。
「それでも、私の願いは私のものです」
銀色の光が、牢獄全体を包み込んだ。
そして、少女の胸元に、小さな白い花の紋章が浮かび上がった。
《未登録の意思を確認》
《第三の選択――成立可能性を検出》
リリアは息をのんだ。
第三の選択。
それは、今の自分がずっと探していた道と、同じものなのだろうか。
*
牢獄の扉が開いた。
昨夜の訪問者が、再び姿を現した。
フードの奥から、驚いたような声が漏れる。
「……選択肢を拒んだのか」
「うん」
少女はうなずいた。
「私は、どちらか一つを選んで、もう一つを諦めることができなかった」
「それでは、処刑を止められない可能性がある」
「わかってる」
「記憶も、守りたい存在も、失うかもしれない」
「それでも」
少女は、まっすぐに訪問者を見た。
「私が何を望むのかまで、誰かに決められたくない」
訪問者は黙り込んだ。
やがて、ゆっくりと頭を下げた。
「……お前らしい答えだ」
「私らしい?」
「ああ。昔から、お前は用意された答えをそのまま受け入れなかった」
少女は不思議そうに首をかしげた。
「昔から……?」
訪問者は、しまったというように口を閉じた。
ほんの一瞬、フードの奥で瞳が揺れた。
「今の言葉は忘れてくれ」
「どうして?」
「まだ、お前が知るべき時ではない」
少女は少し考えたあと、静かに答えた。
「わかった。でも、いつか教えてね」
訪問者はうなずいた。
「約束する」
その言葉を聞いて、少女は微笑んだ。
けれど、その約束が守られる未来は、まだ誰にもわからなかった。
*
審問場へ向かう時間が来た。
牢獄の扉の外には、武装した兵士たちが並んでいた。
少女は両手を差し出し、拘束具を受け入れた。
訪問者が、最後に尋ねた。
「本当に、その答えでいいのか」
少女は、少しだけ考えた。
「正しいかどうかは、わからない」
そして、顔を上げた。
「でも、私が選んだ答えだから」
訪問者は何かを言いかけた。
けれど、言葉は出てこなかった。
少女は、牢獄を出る直前に振り返った。
「ねえ。もし私が帰ってこなかったら……」
「その話はするな」
「最後まで聞いて」
訪問者は黙った。
「もし私が帰ってこなくても、私が何を選んだのかを、あなたの都合で書き換えないで」
少女は白い花を差し出した。
「この花に、私の本当の願いを残しておく。いつか誰かが見つけたとき、私が何を望んでいたのか、ちゃんとわかるように」
訪問者は花を受け取らなかった。
「それは、お前が持っていろ」
「でも……」
「お前の意思を記録するのは、私の役目ではない。お前自身が、自分の願いを手放さないために持っていくんだ」
少女は、ゆっくりとうなずいた。
「……うん」
彼女は花を胸にしまった。
そして、兵士たちとともに歩き始めた。
訪問者は、その背中を見送った。
その手は、最後まで少女を引き止めることができなかった。
だが、それは彼女の意思を奪わないためだったのか。
それとも――。
別の理由があったのか。
記憶は、そこで再び揺らいだ。
*
処刑台の上。
前世のリリアは、広場に集まった人々を見渡していた。
審問官が判決文を読み上げる。
罪状。
証言。
そして、処刑の宣告。
少女は一度も口を挟まなかった。
ただ、群衆の中にいる青年を見つめていた。
銀色の指輪を持つ青年。
カイルと同じ顔をした人物。
青年は彼女を見つめ返していた。
その唇が、かすかに動いた。
――まだ、間に合う。
声は聞こえなかった。
それでも、少女にはそう伝わったようだった。
彼女は一瞬、迷った。
今なら、真実を話せるかもしれない。
今なら、青年に助けを求められるかもしれない。
今なら、選択をやり直せるかもしれない。
だが、少女はゆっくりと首を横に振った。
青年の顔が、苦しげに歪んだ。
少女は目を閉じた。
そして、心の中で告げた。
――ごめんなさい。
――でも、これは私が選んだことだから。
処刑の術式が輝いた。
少女の身体が光に包まれる。
しかし、消滅の直前、彼女は声を張り上げた。
「私は、世界を壊したかったんじゃない!」
広場が静まり返る。
「私は、誰かを救いたかった! でも、誰かを救うために、別の誰かの意思を奪うことはしたくなかった!」
審問官が叫ぶ。
「黙れ!」
それでも、少女は最後まで言葉を止めなかった。
「もし、私が間違っていたのなら、いつか私自身に確かめさせて!」
白い花が、胸元でまばゆく輝いた。
「私の選択を、私の罪だけで終わらせないで!」
光が広場を覆い尽くした。
そして、少女の姿は消えた。
*
リリアは、息をのんで目を開いた。
身体が震えていた。
涙が止まらなかった。
前世の自分は、死を望んだのではない。
生きたいと願っていた。
誰かを救いたいと願っていた。
そして、用意された二つの選択肢を拒み、自分自身の答えを選ぼうとした。
「……私は、最後まで諦めていなかったんだ」
リリアの声は、かすれていた。
「死ぬことを選んだんじゃない。自分の意思を、誰かに奪わせないことを選んだんだ」
アレンは、彼女の肩にそっと手を置いた。
「そうだな」
それ以上、彼は何も言わなかった。
慰めるために、安易な言葉を重ねたりはしなかった。
ただ、彼女が自分の言葉を見つけるまで、そばにいてくれた。
そのことが、リリアには何よりもありがたかった。
白い花が再び輝いた。
《前世の記憶――第三層、一部復元》
《最終選択:提示された二択を拒否》
《本人の意思:生存、記憶の保持、他者の救済を希望》
《処刑の実行:確認》
《選択の結果:未確定》
リリアは、最後の文字を見つめた。
選択の結果は、未確定。
つまり、前世の自分が選んだことが、完全に無意味だったとは限らない。
彼女の願いは、どこかに残っている。
今のリリアが受け継いだものも、その一つなのかもしれない。
だが、次の瞬間。
記録が激しく明滅した。
《警告:処刑の実行記録に矛盾を確認》
《肉体の死亡:確認》
《魂の完全消失:確認できず》
《処刑後の存在記録:第三者による改変》
「……え?」
リリアは目を見開いた。
セフィルが記録に手を伸ばす。
「これは……処刑されたという記録は存在します。しかし、魂が完全に消失したかどうかは、確認できないと記されています」
「じゃあ、前世の私は……」
「まだ断定できません。魂が残ったのか、記録だけが残されたのか、それとも別の何かが起きたのか」
セフィルは首を横に振った。
「現時点では、どれも可能性にすぎません」
カイルは、銀の指輪を握りしめた。
「処刑のあとに、誰かが記録を書き換えた……」
その声は震えていた。
「俺は、それを知っていたのか?」
誰も答えられなかった。
白い花が、最後の記録を表示した。
《処刑後の記録改変者:未確定》
《改変の目的:存在の保護、または存在の隠蔽》
《記録改変者は、現在も世界に存在する可能性があります》
リリアは静かに息を吸った。
前世の自分は、確かに処刑された。
けれど、物語はそこで終わっていなかったのかもしれない。
誰かが、彼女の存在を守ろうとした。
あるいは、彼女の存在を世界から隠そうとした。
その違いは、あまりにも大きい。
「……私は、真実を知りたい」
リリアは白い花を見つめた。
「でも、誰かを犯人だと決めつけるためじゃない。あの日、何が起きたのかを知って、今度こそ自分の意思で答えを選ぶために」
花弁の奥で、新たな文字が浮かび上がった。
《次の記憶――処刑後、最初に記録を改変した者》
《開示条件:現在の世界における、記録改変者の意思を確認すること》
そして、その下に、見慣れた名前が一つだけ表示された。
《照合候補:アステリア》
リリアは、言葉を失った。
第三の創造主。
かつてエリシアの記憶を封じ、消失した子の存在を守ろうとした者。
そのアステリアが、前世のリリアの処刑後にも関わっていたというのか。
アステリアは、ここにはいない。
けれど、彼女の意思を確かめなければ、次の記憶は開かない。
リリアは白い花を胸に抱き、静かに顔を上げた。
「……アステリアに、会いに行こう」
過去の答えを知るために。
そして、誰かが守ろうとしたものと、隠そうとしたものを見分けるために。
リリアは、もう一度、自分自身の意思で歩き始めた。
第88話 終
次回、第89話「第三の創造主が隠した処刑後の記録」
アステリアの名が浮かび上がったことで、処刑後の記録改変をめぐる疑惑が深まる。彼女はリリアの前世に何をしたのか。そして、魂の完全消失が確認されなかった理由とは。




