第85話 処刑の日、失われた約束
第85話 処刑の日、失われた約束
青い光が消えたあとも、リリアはしばらく目を閉じていた。
まぶたの裏に残っているのは、見知らぬ部屋の光景。
世界が生まれる前。 名もない魂だった自分。 そして、自分の未来を勝手に決めないでほしいと願った、誰かの声。
それらは確かに、リリア自身の記憶だった。
けれど――。
「……どうして、私は処刑されたの?」
その問いを口にした瞬間、胸の奥に刻まれた紋章が熱を帯びた。
銀色の文字が、空中に浮かび上がる。
《前世の記憶――第二層、接続開始》
《対象:処刑前日の記録》
《警告:記憶の再認識により、現在の人物に対する認識が変化する可能性があります》
リリアは息をのんだ。
現在の人物。
それは、アレンやミラたちのことなのだろうか。
それとも――。
「リリア!」
異変を察したアレンが、すぐに彼女のそばへ駆け寄った。
「顔色が悪い。無理をするな」
「大丈夫。少しだけ、昔の記憶が見えそうなの」
「前世の記憶か?」
「うん。私が処刑された日のこと……その前日の記憶から始まるみたい」
アレンは彼女の手を握った。
「怖いなら、今はやめてもいい」
その言葉に、リリアは小さく微笑んだ。
かつての自分は、誰かにそんなふうに言ってもらえることを知らなかったのかもしれない。
「ありがとう。でも、知りたいの。私が何をしたのか。誰が私を処刑しようとしたのか。そして……どうして、誰も止めてくれなかったのか」
最後の言葉を口にしたとき、胸の奥が鋭く痛んだ。
まるで、その問いこそが記憶の扉を開く鍵だったかのように。
*
視界が白く染まった。
次に目を開けたとき、リリアは石造りの部屋に立っていた。
窓の外には、見覚えのない街並みが広がっている。
高い塔。 赤い屋根。 広場に掲げられた旗。
そして、窓辺に立つ一人の少女。
黒い髪。青い瞳。
今の自分と同じ顔をしていた。
けれど、その表情は今のリリアよりもずっと硬い。
少女は手の中にある小さな白い花を見つめていた。
「……約束したのに」
かすれた声が、静かな部屋に落ちる。
「私が間違えたら、止めてくれるって……そう言ったのに」
リリアの心臓が跳ねた。
誰との約束なのだろう。
少女は花を胸に抱き、机の上に置かれた一枚の紙を見た。
そこには、見慣れない文字で短い文章が記されていた。
――明日の審問において、被告人リリア・エヴァンジェルを反逆罪および禁忌魔法使用の罪により処刑する。
「……私の名前」
リリアがつぶやくと、記憶の中の少女が顔を上げた。
その瞳には、恐怖よりも深い悲しみが宿っていた。
「私は、世界を壊そうとしたわけじゃない」
少女は誰かに説明するように、何度も言葉を繰り返した。
「ただ、あの人を助けたかっただけなの」
その瞬間、部屋の扉が開いた。
入ってきたのは、顔の見えない人物だった。
黒い外套をまとい、胸元には銀色の紋章がある。
その人物は少女の前に立つと、静かに告げた。
「まだ、考えを変えるつもりはないのか」
「……ありません」
「お前が真実を話せば、処刑を免れる可能性もある」
少女はうつむいた。
「真実を話したら、あの人が罪を背負うことになる」
「すでに、お前一人の罪では済まなくなっている」
「それでも……」
少女は白い花を握りしめた。
「私は、あの人との約束を破りたくない」
リリアは息を止めた。
約束。
誰かを守るために、彼女は罪を認めなかったのだろうか。
それとも、誰かの秘密を守るために、自分が罪を背負おうとしていたのだろうか。
外套の人物は、しばらく黙っていた。
やがて、低い声で告げる。
「……あの方は、お前を救いに来ない」
少女の指先が震えた。
「嘘です」
「明日の審問にも姿を現さない。お前が何を選ぼうと、あの方は沈黙を守る」
「嘘……」
「それでも、信じるのか」
長い沈黙のあと、少女は顔を上げた。
「信じたいんです」
声は震えていた。
それでも、少女は続けた。
「信じたいと思う気持ちまで、誰かに奪われたくないから」
リリアの胸が締めつけられた。
その言葉は、今の自分にも覚えがあった。
誰かを信じたい。 けれど、信じたことで傷つくのが怖い。
それでも、自分の気持ちをなかったことにはしたくない。
少女は、今のリリアと同じだった。
*
記憶の景色が揺らいだ。
外套の人物が扉へ向かう。
去り際、その人物は一度だけ振り返った。
「最後に一つだけ聞こう。お前は、本当に何も知らなかったのか」
少女は答えなかった。
ただ、白い花を見つめていた。
そして扉が閉じた瞬間――。
「……ごめんなさい」
少女は、誰もいない部屋でつぶやいた。
「約束を守るために、あなたを疑わないと決めたのに」
頬を涙が伝った。
「本当は……少しだけ、怖かった」
リリアの足元に、黒い影が広がった。
記憶が、さらに深い場所へ沈んでいく。
石造りの審問場。
大勢の人々。
鎖につながれた少女。
そして、壇上から告げられる判決。
――被告人リリア・エヴァンジェルに、死刑を言い渡す。
群衆のざわめきの向こうに、一人の人物が立っていた。
顔は見えない。
けれど、その人物の手には、少女と同じ白い花が握られていた。
少女はその姿を見つけると、ほんの一瞬だけ微笑んだ。
まるで、まだ間に合うと信じているかのように。
しかし、その人物は動かなかった。
一歩も。
少女の微笑みが、ゆっくりと消えていく。
「……どうして」
その声を最後に、記憶が途切れた。
*
「っ……!」
リリアは現実へ引き戻され、膝をついた。
アレンがすぐに身体を支える。
「リリア! 何が見えた?」
「私……処刑される前に、誰かを信じていた」
息を整えながら、リリアは震える手を見つめた。
「その人と、何か約束をしていたみたい。でも、審問の日、その人は私を助けに来なかった」
「裏切られたのか?」
「わからない……」
リリアは首を横に振った。
「助けに来なかった理由も、本当に私を見捨てたのかも、まだわからない。でも、あの人の手には白い花があった」
アレンの表情が変わった。
白い花。
それは、第四の約束と、最初の約束をつなぐ象徴でもある。
セフィルが静かに胸元の紋章を確認した。
「記憶の復元に反応して、記録が更新されています」
銀色の文字が、リリアの前に浮かび上がる。
《前世の記憶:第二層、一部復元》
《処刑前の約束:存在を確認》
《約束の相手:未確定》
《審問当日の行動記録:欠落》
そして、最後に一行。
《記憶の封印者:本人の意思による確認が必要》
「封印者……?」
ミラが眉をひそめた。
「自分で記憶を封じたってこと?」
「その可能性はあります。ただし、誰かに封印を強制されたあと、本人の意思が記録に利用されている可能性も否定できません」
セフィルの説明に、リリアは唇をかんだ。
自分で忘れたのか。
それとも、忘れさせられたのか。
まだ答えは出ない。
けれど、一つだけ確かなことがあった。
前世の自分は、ただ無実の罪を着せられた少女ではなかったのかもしれない。
誰かを守るために、何かを選んでいた。
その選択が正しかったのかどうかさえ、今の自分にはわからない。
「リリア」
アレンが、彼女の手を握り直した。
「何がわかっても、一人で答えを出す必要はない」
その言葉に、リリアは目を閉じた。
かつての自分が欲しかった言葉。
そして、あの処刑の日には届かなかった言葉。
「うん。今度は、みんなと一緒に考える」
そのときだった。
白い花が、リリアの胸元からふわりと浮かび上がった。
花弁の中央に、見知らぬ文字が刻まれている。
《審問当日――証言者の記録を開示します》
続いて、別の文字が現れた。
《ただし、証言者の中には、現在もリリア・エヴァンジェルの近くにいる者が含まれています》
全員の表情が凍りついた。
リリアはゆっくりと顔を上げる。
現在も、自分の近くにいる者。
アレン。 ミラ。 セフィル。 レオン。 カイル。
あるいは、まだ姿を現していない誰か。
胸の奥で、何かが静かに軋んだ。
過去の裏切りが、現在の仲間を疑う理由になるとは限らない。
それでも、真実を知れば、今までと同じ目では見られなくなるかもしれない。
リリアは白い花に手を伸ばした。
「……それでも、私は知りたい」
花弁が一枚、静かに開いた。
その奥から、審問場で聞いた声が響く。
『私は、彼女が罪を犯したところを見ていません』
別の声が続いた。
『それでも、私は彼女を有罪と証言します』
そして三人目の声が、震えながら告げた。
『あの約束を守るためなら、彼女は何も言わないでしょう』
リリアの心臓が、強く打った。
最後の声は――。
どこかで聞いたことがある。
今の自分が、よく知っている誰かの声に似ていた。
けれど、名前を思い出そうとした瞬間、記憶の奥から黒い鎖が伸びてきた。
白い花が砕けかける。
そして、見えない何者かの声が、リリアの耳元で囁いた。
『その人物を知る前に、思い出しなさい』
『お前は、なぜ最後まで助けを求めなかったのかを』
光が消えた。
リリアは、震える息を吐いた。
処刑の日。
自分は、誰かに裏切られたのだろうか。
それとも――。
誰かを守るために、自分から助けを拒んだのだろうか。
第85話 終
次回、第86話「助けを求めなかった少女」
処刑台の上で、リリアは何を選んだのか。失われた証言の続きを追う彼女たちの前に、現在の仲間の一人へとつながる記憶が現れる。




