第74話 創造者を待つ者
第74話 創造者を待つ者
『ようやく、創造者が来た』
その声が響いた瞬間、扉に刻まれた文字が赤く染まった。
《存在の代償》
《必要条件:創造者の存在情報》
リリアは、扉から目を離さなかった。
世界が生まれる前から存在していたかのような声。
原初の観測者でさえ、警告するほどの何者か。
そして、自分が来ることを待っていたという言葉。
「……あなたは、誰なの?」
問いかけても、扉は開かなかった。
ただ、向こう側から低い笑い声が聞こえてくる。
『それを知るために、ここまで来たのだろう?』
「違うわ」
リリアは、はっきりと答えた。
「私は、原初の観測者を助けるために来たの。あなたの正体を知ることが目的じゃない」
『ほう。創造者でありながら、己の知識よりも他者を優先するか』
声には、わずかな興味が混じっていた。
『エリシアとは違うのだな』
その名前を聞いた瞬間、リリアの表情が変わった。
「……エリシアを知っているの?」
『知らぬはずがない』
扉の表面に、淡い光が浮かんだ。
『あの者が世界を創るよりも前から、我はここにいた』
「世界が生まれる前から……?」
隣で、レオンが息をのんだ。
「そんな存在が、本当にいるというのか」
セフィルは扉を観察しながら、静かに告げた。
「この扉には、神々の権能とも、外側の存在が使う分類の法則とも異なる力が宿っています。記録をたどることすらできません」
「つまり、何も分からないってことね」
ミラが困ったように眉を寄せた。
「こういうとき、いつもならリリアが何とかしてくれるのに……」
言いかけて、ミラは口を閉じた。
リリアの創世の力は、まだ完全には戻っていない。
それに、今はその力を使えば、彼女自身の存在が危険にさらされる。
「ごめん、リリア。今のは忘れて」
「ううん」
リリアは首を振った。
「私も、いつも自分の力に頼っていたのかもしれないわ」
彼女は自分の手を見つめた。
神々を超える力。
世界の法則を書き換え、新たなものを創り出す権能。
その力があったからこそ、救えたものもある。
けれど、力が使えなくなった今、彼女は仲間たちの知恵や勇気に支えられている。
それもまた、今まで気づかなかった大切なものだった。
「今回は、みんなで答えを探したいの」
リリアは仲間たちを見渡した。
「私一人で決めるのではなく、みんなの考えを聞かせてほしい」
アレンがうなずいた。
「まずは、扉の向こうにいる存在が何を望んでいるのか確かめよう」
「賛成だ」
レオンが続ける。
「相手がこちらを待っていたというのなら、何らかの目的があるはずだ」
カイルは銀色の指輪を指先で回した。
「ただし、相手の言葉をすべて信じるのは危険だ。俺たちが知っている歴史も、何者かによって書き換えられていた可能性がある」
セフィルが静かにうなずく。
「特に、この領域では通常の記録法則が通用しません。相手が語る過去を、そのまま事実として扱うべきではないでしょう」
「そうね」
リリアは扉に向き直った。
「あなたが何者なのか、何を望んでいるのか。私たちは自分たちで確かめるわ」
すると、扉の向こうから声が返ってきた。
『ならば、ひとつ尋ねよう』
空気が震えた。
『リリア・エヴァンジェル。お前は、なぜ世界を守ろうとする?』
リリアは、すぐには答えなかった。
世界を守りたい。
それは、間違いなく自分の願いだった。
けれど、どうしてなのか。
神々に捨てられたから、彼らを見返したいのか。
創世の力を持っているから、その責任を果たしたいのか。
それとも、エリシアの願いを受け継いだからなのか。
リリアは目を閉じた。
そして、ゆっくりと答えた。
「世界には、私の知らない人たちがたくさんいるから」
『……それだけか?』
「ええ。私が知らない場所で、誰かが笑っている。誰かが泣いている。誰かが悩んで、迷って、それでも自分の未来を選んでいる」
リリアは胸元の白い花に触れた。
「私は、そのすべてを守れるとは思っていない。でも、誰かが勝手にその未来を決めて、いらないものとして消してしまう世界にはしたくない」
沈黙が訪れた。
やがて、扉の向こうから、低い声が響いた。
『……なるほど』
その声には、先ほどまでとは違う響きがあった。
『お前は、世界を守りたいのではないのだな』
リリアは眉をひそめた。
「どういう意味?」
『お前が守ろうとしているのは、世界という器ではない。その中に存在する者たちが、自らの未来を選べる可能性だ』
「……そうよ」
『ならば、お前は世界を壊すことも選べるのか?』
アレンが、わずかに身構えた。
ミラの指先に炎が灯る。
しかし、リリアは落ち着いて答えた。
「世界を壊すことが必要になる状況が、絶対にないとは言えないわ。でも、誰かの意思を無視して、私一人の判断で壊すことはしない」
『世界を守るために、世界を壊す可能性も認めるのか』
「可能性を認めることと、それを望むことは違うわ」
リリアは、まっすぐに扉を見つめた。
「未来が分からないからといって、最初から誰かの選択を奪うことはできない。私も、あなたも」
その瞬間。
扉の中央に、細い亀裂が走った。
白い光が漏れ、向こう側の景色がわずかに見える。
そこには、果てしない暗闇が広がっていた。
そして、その中央に、一人の青年が立っていた。
銀色の髪。
紫色の瞳。
原初の観測者だった。
彼は、リリアたちを見つめていた。
しかし、彼の身体には無数の細い鎖が巻きついている。
鎖は肉体ではなく、彼の影そのものを縛っていた。
「観測者!」
リリアが叫ぶ。
青年は、わずかに首を振った。
『来るな、リリア』
その声は、ひどく疲れていた。
『この存在は、僕たちが思っているような敵ではない』
「……どういうこと?」
観測者は答えようとした。
だが、鎖が光り、彼の声を遮った。
『余計なことを語る必要はない』
扉の向こうの存在が告げる。
『お前は、ここで待つと決めた。ならば、その意思に従え』
観測者の表情が強張った。
「待って」
リリアは、扉に近づいた。
「あなたは、観測者の意思を尊重しているの? それとも、ここに閉じ込めているだけなの?」
『本人がここに残ると選んだ。それが事実だ』
「でも、今も同じことを望んでいるとは限らないわ!」
『過去の選択を、現在の都合で無効にすることはできない』
その言葉に、リリアは息をのんだ。
一見すると、正しいようにも聞こえる。
過去に自分で選んだことを、あとからなかったことにするわけにはいかない。
けれど、それならば。
「過去に選んだことを、未来永劫変えてはいけない理由もないはずよ」
リリアは告げた。
「選択した人が、自分の意思で考え直すことまで禁じるのは、選択を尊重しているとは言えないわ」
観測者の紫色の瞳が揺れた。
その瞬間、鎖の一本が砕けた。
『……何?』
扉の向こうの存在から、初めて動揺の気配が伝わった。
観測者は、驚いたように自分の手を見つめた。
『リリア……君は』
「私は、あなたに帰ってきてほしいと思っている」
リリアは、正直に告げた。
「でも、私の願いだけで、あなたの答えを決めるつもりはない。あなたが今もここに残りたいのなら、その理由を聞きたい。もし帰りたいのなら、どうすれば帰れるのか一緒に考えたい」
彼女は一歩前へ進んだ。
「だから、あなた自身の言葉で答えて」
観測者は、長い沈黙のあと、ゆっくりと顔を上げた。
『……僕は』
その瞬間、残っていた鎖が一斉に輝いた。
『発言を禁止する』
観測者の身体が、暗闇の奥へ引き戻される。
「やめて!」
リリアが手を伸ばした。
しかし、扉は再び閉じ始めた。
『創造者よ』
扉の向こうの存在が、静かに告げた。
『お前は、選択を尊重すると言った。ならば、他者の選択を引き出すために、己の願いを押しつけてはならぬ』
「押しつけてなんかいない!」
『ならば、証明せよ』
扉に刻まれた文字が変わった。
《存在の代償》
その下に、新たな一文が浮かび上がる。
《通過条件――創造者自身の願いを手放すこと》
リリアは、目を見開いた。
「……私の願いを、手放す?」
『観測者を救いたいという願いを捨てよ』
声が、暗闇に響き渡る。
『それができれば、扉は開かれる』
ミラが叫んだ。
「そんなの、ただの脅しじゃない!」
レオンも剣を握り直した。
「願いを捨てることが、なぜ通過条件になる?」
しかし、扉は何も答えなかった。
リリアは、刻まれた文字を見つめた。
観測者を救いたい。
その願いは、今も確かに自分の中にある。
彼が世界の外側に残った理由を知りたい。
彼が自分自身の意思で未来を選ぶ姿を見届けたい。
そして、いつか彼が望むなら、世界の中で再び生きられるようにしたい。
その願いを捨てることなど、できるはずがない。
けれど、願いを捨てなければ扉は開かないというのなら。
ここで立ち止まるしかないのだろうか。
リリアが考え込んでいると、アレンが静かに口を開いた。
「リリア」
「……何?」
「願いを手放すことと、願いに縛られないことは、同じじゃないと思う」
リリアは顔を上げた。
アレンは、扉を見つめていた。
「お前は、観測者を救いたい。それは、お前自身の意思だ。無理に捨てる必要はない」
「でも、扉は……」
「なら、考え方を変えよう」
アレンは彼女を見つめた。
「観測者を救いたいという願いが、彼自身の答えよりも優先されるなら、それは押しつけになる。でも、お前はそうしないと決めているんだろう?」
リリアは、ゆっくりとうなずいた。
「……ええ」
「だったら、願いを捨てる必要はない。願いが叶わなくても、相手の意思を尊重できるか。それを問われているんじゃないか?」
リリアは、はっとした。
願いを捨てること。
願いに従って相手を動かそうとしないこと。
それは、まったく違う。
自分が観測者に帰ってきてほしいと思うことまで、否定する必要はない。
大切なのは、その願いを理由に、彼の選択を奪わないことだ。
リリアは、扉に向き直った。
「私は、観測者を救いたい」
はっきりと告げる。
「でも、私の願いどおりに生きてほしいわけじゃない。彼がどんな答えを選んでも、その答えを聞きたいの」
扉は、沈黙していた。
リリアは続けた。
「願いを捨てることはできないわ。それは、私自身の意思だから。でも、その願いを叶えるために、彼の意思を犠牲にすることもしない」
その瞬間、扉の表面に刻まれた文字が震えた。
《通過条件――再評価》
《創造者の願い――保持》
《他者への強制権限――なし》
白い光が、扉の隙間からあふれ出した。
しかし、扉はまだ開かない。
代わりに、向こう側から、あの声が響いた。
『……興味深い』
『願いを持ちながら、その願いが叶わない可能性を受け入れるか』
『ならば、最後にひとつだけ教えよう』
扉の向こうで、巨大な影がゆっくりと動いた。
『我は、創造者を待っていたのではない』
リリアの背筋が凍った。
『創造者が、自らの力を手放す瞬間を待っていたのだ』
扉が、わずかに開いた。
その向こうに現れたのは、観測者ではなかった。
白い衣をまとった、幼い少女。
淡い金色の髪。
夕焼けのような橙色の瞳。
髪には、白い花が飾られている。
世界が生まれる前に失われた子。
その姿を見た瞬間、リリアは息をのんだ。
「……あなたなの?」
少女は、静かにリリアを見つめた。
そして、かすかに微笑んだ。
『初めまして、創造者』
『私は、あなたが探していた存在』
少女は、そっと胸に手を当てた。
『けれど、あなたが知っている私とは、少し違うかもしれない』
その言葉とともに、扉の奥の暗闇が大きく揺れた。
『さあ、リリア・エヴァンジェル』
少女の橙色の瞳が、まっすぐに彼女を捉える。
『あなたは、私を救うために、何を手放せる?』
リリアは、答えられなかった。
なぜなら、その問いは、今までのどの問いよりも深く、彼女の心に突き刺さっていたからだ。
第74話 終
次回、第75話「失われた子のもうひとつの姿」
扉の向こうに現れた少女は、本当に失われた子なのか。それとも、誰かが彼女の姿を借りているだけなのか。リリアは、その存在の正体と、創世の力を狙う理由に迫っていく。




