第71話 世界の外にいる者
第71話 世界の外にいる者
《次の修正対象――原初の観測者》
その文字が浮かび上がった瞬間、白い空間に亀裂が走った。
まるで、世界そのものが悲鳴を上げているかのようだった。
「観測者を修正対象に指定した……?」
リリアは、空中に浮かぶ文字を見つめた。
「今度は、彼を消すつもりなの?」
『対象の存在は、世界の安定性を損なっている』
外側の存在が答えた。
『原初の観測者は、世界の外側に存在しながら、世界内部への干渉を継続している。これは許容できない矛盾である』
「彼は世界を壊そうとしているわけじゃない!」
『意図は問題ではない。存在そのものが問題なのだ』
リリアは拳を握った。
やはり、話が通じない。
この存在にとって、誰かが何を望んでいるかは重要ではないのだ。
分類できるか。
役割に収まるか。
世界の仕組みに矛盾しないか。
ただ、それだけ。
「……アレンなら、きっとこう言うでしょうね」
リリアは小さく息を吐いた。
「話し合いで解決できない相手なら、私たちが守るべきものを守るしかないって」
「俺なら、まずお前を危険な場所へ行かせないと言う」
聞き慣れた声がした。
振り返ると、アレンが立っていた。
黒髪に青い瞳。
その顔には疲労が浮かんでいたが、彼女を見る目はいつもどおりだった。
「アレン!」
リリアが駆け寄ると、彼は彼女の肩にそっと手を置いた。
「無事か?」
「ええ。でも、観測者が狙われているの」
「聞こえていた」
アレンは空間の亀裂を見上げた。
「なら、助けに行こう」
その言葉に、リリアは一瞬、目を見開いた。
「でも、彼が戻るかどうかは、彼自身が選ぶことよ。私たちが勝手に連れ戻すわけにはいかない」
「分かっている」
アレンはうなずいた。
「助けることと、相手の代わりに決めることは違う。お前がいつも言っていることだろう?」
「……そうね」
「俺たちができるのは、彼が自分で選べる場所まで行くことだ」
その言葉を聞いて、リリアの胸が少し軽くなった。
一人で答えを見つける必要はない。
自分が迷ったときには、立ち止まらせてくれる仲間がいる。
そして、仲間自身にも選ぶ権利がある。
「ありがとう、アレン」
彼は照れたように視線をそらした。
「礼は、全員で帰ってから聞く」
そのとき、背後から元気な声が響いた。
「はいはい! 私もいるんですけど!」
赤い髪を揺らしながら、ミラが歩いてくる。
その手には、すでに炎の魔法が宿っていた。
「観測者を助けるために世界の外へ行くんでしょ? だったら、道を開く係は私に任せて!」
「まだ、道があると決まったわけではないぞ」
レオンが落ち着いた声で告げた。
彼の隣には、セフィルとカイルもいた。
「世界の外側は、通常の空間とは異なる。距離も時間も、こちらの法則では測れない可能性がある」
レオンは、リリアを見つめた。
「だが、道がないのなら、探すしかない」
「……みんな」
リリアは仲間たちを見渡した。
自分が何かを選ぶたび、彼らもまた、自分の意思で隣に立ってくれる。
それが、どれほど心強いことなのか。
今なら、少し分かる気がした。
「一緒に来てくれる?」
「もちろんだ」
アレンが答えた。
「当たり前でしょ!」
ミラが笑った。
セフィルも静かにうなずく。
「私は、命令ではなく、自分の意思で同行します」
カイルは銀色の指輪に触れた。
「今度は、誰かの意思を勝手に決めない。そのために、俺も行く」
全員の言葉を聞き、リリアはうなずいた。
「分かった。行きましょう」
彼女が手を掲げると、胸元の白い花が輝いた。
第三の約束が反応している。
世界の意思が、その輝きに呼応するように光を放った。
《世界の意思――接続》
《第四の意思――経路探索を開始》
《対象:世界外部領域》
しかし、返ってきた結果は、彼らの予想を超えるものだった。
《経路――該当なし》
《座標――定義不能》
《接続可能性――未確定》
ミラが顔をしかめた。
「ちょっと! 道がないってこと?」
「正確には、道という概念が成立していないのだろう」
レオンが答える。
「世界の外側には、こちらの世界の空間と時間が存在しないのかもしれない」
「だったら、どうやって行けばいいのよ……」
ミラの声が沈む。
そのとき、リリアの胸元で白い花がかすかに揺れた。
花びらの一枚が、ゆっくりと離れていく。
それは床へ落ちることなく、空中で静止した。
そして、花びらの前に小さな光が生まれた。
「これは……?」
リリアが手を伸ばす。
光は彼女の指先に触れた瞬間、一本の細い線へと変わった。
線は空間を走り、何もない場所に円を描いていく。
やがて、そこに扉の輪郭が現れた。
扉には取っ手も、蝶番もない。
ただ、白と黒が交じり合った奇妙な表面に、ひとつの文字が刻まれていた。
《未定義》
セフィルが息をのんだ。
「……これは、世界の法則に登録されていない扉です」
「登録されていない?」
「はい。存在するとも、存在しないとも定義されていない。世界の意思でさえ、完全には把握できていません」
リリアは扉に触れようとした。
その瞬間、頭の奥に声が響いた。
――その先へ進めば、あなたは創造主の力だけでは帰れなくなる。
リリアは手を止めた。
声の主は分からない。
だが、警告であることだけは理解できた。
「……帰れなくなるかもしれない、ということ?」
アレンが彼女の隣に立った。
「なら、全員で条件を確かめよう。お前だけが危険を引き受ける必要はない」
「でも、私の力がなければ――」
「それでもだ」
アレンは、まっすぐ彼女を見た。
「お前は、誰かの選択を奪わない世界を作りたいんだろう。だったら、自分の選択だけを犠牲にするな」
リリアは言葉を失った。
いつも自分が仲間たちに伝えてきたこと。
その言葉を、今度は自分が受け取る番だった。
「……分かった。みんなで考えましょう」
彼女は扉に手をかざした。
「私たちは、観測者を無理やり連れ戻すために行くんじゃない。彼が自分で未来を選べるように、道を探しに行くの」
その言葉に、白い花が輝きを増した。
扉の表面に、新たな文字が浮かぶ。
《入域条件――意思の自立》
《通過条件――帰還の保証なし》
《拒否権――各自に帰属》
「……一人ずつ、意思を確認する仕組みなのね」
リリアがつぶやいた。
世界の外側へ向かうには、全員が自分の意思で扉を通らなければならない。
誰かに命令されたからでも、仲間に置いていかれたくないからでもなく。
自分自身で選ぶ必要があるのだ。
リリアは振り返った。
「この扉の先は、何が起こるか分からない。戻れなくなる可能性もある。それでも進みたい人だけ、一緒に来てほしい」
最初に一歩を踏み出したのは、アレンだった。
「俺は行く。お前を守るためだけじゃない。俺自身が、この先を見届けたいからだ」
次に、ミラが手を挙げた。
「私も! 怖くないって言ったら嘘だけど、だからって何もしないのは嫌だもの」
レオンは静かにうなずいた。
「かつて私は、神々に従うことが正しいと思っていた。今度は、自分で選んだ道を進む」
セフィルは、自分の胸に手を当てた。
「私も行きます。誰かの命令に従うのではなく、私自身の意思で」
カイルは少しだけ目を伏せたあと、顔を上げた。
「俺もだ。過去に何を間違えたのか、まだ全部は分からない。それでも、今度は自分で選ぶ」
一人ずつ、扉の前に立った。
そして、一人ずつ、自分の意思を告げた。
最後に、リリアが扉へ向き直る。
「私は、リリア・エヴァンジェルとして進む」
白い花が、まばゆい光を放った。
《入域条件――確認》
《意思の自立――六名、成立》
《未定義領域への接続を開始》
扉が、ゆっくりと開いていく。
その向こうには、空も大地もなかった。
ただ、果てしない暗闇が広がっていた。
その暗闇の奥に、ひとつの光が見える。
銀色の髪。
紫色の瞳。
世界の外側に取り残された、原初の観測者。
彼は遠くから、こちらを見つめていた。
けれど、すぐにリリアたちのもとへ来ようとはしなかった。
その背後に、巨大な影が立ち上がる。
『未定義領域への侵入を確認』
『許可されていない意思の接続を検知』
『侵入者に警告する』
観測者が、かすかに顔を上げた。
『……来てしまったのか』
その声は、驚きと、安堵と、深い悲しみを帯びていた。
『ここは、君たちが来るべき場所ではない』
リリアは扉の向こうへ、一歩踏み出した。
「それを決めるのは、あなたじゃないわ」
彼女は、観測者を見つめた。
「あなたがここに残ると決めた理由を、私は知りたい。あなた自身が、今もその選択を望んでいるのかを」
観測者は答えなかった。
その代わり、彼の背後に立つ影が、ゆっくりとこちらを向いた。
『ならば、証明せよ』
『世界の外においても、その意思を維持できることを』
暗闇に、無数の目が開いた。
そして、扉が背後で閉じ始める。
リリアは振り返らなかった。
もう、前へ進むと決めたのだから。
ただし、彼女はまだ知らなかった。
この領域では、創世の力さえ、世界を思いどおりに変える権能としては認められないことを。
そして、最初に試されるのは――彼女自身の存在だった。
第71話 終
次回、第72話「創世の力が届かない場所」
世界の外側では、神々を超えるリリアの力さえ通用しない。仲間たちがそれぞれの意思を試される中、リリアは初めて、自分の力では救えないものと向き合う。




