第7話 「失われた名前と、神々が恐れる真実」
第7話 「失われた名前と、神々が恐れる真実」
――あなたは、世界の始まり。
意識が途切れる直前、リリアは確かにその言葉を聞いた。
銀色の髪を持つ少女。
自分と同じ青い瞳。
そして、胸の奥に刻み込まれた、忘れられない名前。
けれど、その名前を思い出そうとすると、頭の奥が激しく痛んだ。
まるで、何者かが記憶を再び閉ざそうとしているかのように。
――思い出してはいけない。
――その名前を口にしてはいけない。
誰かの声が、遠くから聞こえた。
けれど、リリアはその声に逆らうように、手を伸ばした。
「……私は……」
そして、暗闇へと沈んでいった。
◇
「……ん……」
最初に感じたのは、柔らかな布の感触だった。
次に、木の香り。
そして、窓の向こうから聞こえる鳥のさえずり。
リリアはゆっくりと目を開けた。
「……ここは?」
見知らぬ部屋だった。
木造の天井。小さな窓。壁際に置かれた古い本棚。
ベッドの横には、水差しと、見覚えのない花が飾られている。
神殿でも、あの遺跡でもない。
どこかの家だろうか。
「目が覚めたか」
聞き慣れた声がした。
振り向くと、椅子に座ったアレンがこちらを見ていた。
「アレン……!」
リリアは起き上がろうとした。
しかし、身体に力が入らず、再び枕へ倒れ込んでしまう。
「おい、無理をするな」
「ご、ごめん……。私、また倒れちゃったの?」
「ああ。今度は丸一日眠っていた」
「丸一日!?」
「驚くところはそこなのか?」
アレンは呆れたように息を吐いた。
「神眼を砕いたんだぞ。普通なら、あの時点で命を落としていてもおかしくなかった」
「……そんなに危なかったんだ」
「自覚がなさすぎる」
アレンは少し厳しい口調で言った。
けれど、その瞳には、怒りよりも心配の色が強く浮かんでいた。
「……心配してくれたの?」
「当たり前だろう」
あまりにも自然に返されて、リリアは言葉を失った。
心配してくれる人がいる。
自分が倒れたら、目を覚ますまでそばにいてくれる人がいる。
それが、こんなにも嬉しいことだなんて。
「……ありがとう」
「今度こそ、礼は受け取っておく」
アレンは小さく笑った。
その笑顔を見て、リリアの胸が少しだけ軽くなった。
しかし、次の瞬間。
あの光景が、脳裏によみがえった。
燃え上がる世界。
砕け散る星々。
そして、自分自身だと名乗った銀髪の少女。
「……アレン」
「どうした?」
「私、夢の中で……自分の名前を聞いたの」
アレンの表情が変わった。
「名前?」
「うん。リリア・エヴァンジェルとは違う、もう一つの名前。世界を創った女の子の名前……」
リリアは額に手を当てた。
「でも、思い出せないの。確かに聞いたはずなのに、そこだけ霧がかかったみたいで……」
アレンはしばらく考え込んだ。
「無理に思い出そうとするな。お前の記憶には、まだ封印が残っているんだろう?」
「……うん」
「それに、名前がわからなくても、お前がお前であることは変わらない」
彼は、まっすぐにリリアを見つめた。
「俺が知っているのは、リリア・エヴァンジェルという少女だ。神々に追われても、誰かを助けようとする。自分が傷つくことより、他人が傷つくことを怖がる。そういうお前だ」
リリアは目を見開いた。
「だから、他の名前が何であろうと、俺にとっては関係ない」
「……アレン」
「お前が何者なのかは、お前自身が決めればいい」
その言葉を聞いた瞬間、リリアの目から涙がこぼれた。
今まで、ずっと怖かった。
自分の正体を知ることが。
自分が普通の人間ではないと認めることが。
そして、真実を知った誰かに、拒絶されることが。
けれど、アレンは違った。
彼は、何も変わらずに自分を見てくれている。
「……私、ここにいてもいいのかな」
「何だ、それは」
「だって、私がいると、みんな危険な目に遭うから……」
アレンは立ち上がった。
そして、リリアのベッドのそばまで歩み寄る。
「リリア」
「……うん」
「お前は、自分が危険だからという理由だけで、他人とのつながりを捨てるつもりなのか?」
リリアは答えられなかった。
「お前が決めることだ。だが、少なくとも俺は、お前が一人で全部を背負うことを望んでいない」
アレンは静かに告げた。
「俺にも、戦う理由がある。お前を守るかどうかも、俺自身が決めることだ」
リリアは、ゆっくりとうなずいた。
「……うん。わかった」
そして、涙を拭って笑った。
「私、もう少しだけ……みんなと一緒にいたい」
「それでいい」
アレンは短く答えた。
そのとき、部屋の扉が勢いよく開いた。
「ちょっと! 目が覚めたなら呼びなさいよ!」
赤い髪の少女が、頬を膨らませて立っていた。
「ミラ!」
「まったく、こっちは丸一日も心配してたんだから!」
ミラはずかずかとベッドのそばまでやってきた。
そして、リリアの顔を覗き込む。
「……本当に大丈夫なの?」
「うん。まだ少し身体がだるいけど、もう平気だよ」
「ならいいけど……」
ミラは安心したように息を吐いた。
それから、急に顔を赤くした。
「べ、別に心配してたわけじゃないからね! せっかく助けてもらったのに、目の前で倒れられたら寝覚めが悪いってだけ!」
「ふふっ。ありがとう、ミラ」
「だから、お礼はいらないってば!」
ミラはそっぽを向いた。
その様子を見て、リリアは思わず笑ってしまった。
不思議だった。
ほんの数日前まで、彼女は一人だった。
誰かに受け入れてもらうことを恐れ、誰かを信じることにも臆病だった。
それなのに今は、目の前に二人も、自分を気にかけてくれる人がいる。
――私、もう一人じゃないんだ。
そう思えた。
「ところで、ここはどこなの?」
少し落ち着いたところで、リリアは尋ねた。
「森の外れにある隠れ家です」
扉の向こうから声がした。
現れたのは、銀髪の男――レオン・ヴァルディスだった。
「あなたが眠っている間に、アレン殿とミラ殿を連れて移動しました。神々の監視を避けるため、古い結界が残る場所を選んだのです」
「レオンさん……」
リリアは、彼を見つめた。
「昨日は、私のことを創造主だって言っていましたよね」
「はい」
「……本当に、私が世界を創ったんですか?」
レオンは、すぐには答えなかった。
そして、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「あなたの魂が、かつて世界を創った存在と同じものであることは、ほぼ間違いありません。しかし、あなたがその存在のすべてを取り戻したわけではない」
「すべてを……?」
「記憶も、力も、そして感情さえも。今のあなたは、かつての創造主とは異なる一人の人間です」
リリアは自分の胸に手を当てた。
「じゃあ、私は……昔の私と、今の私のどっちなんでしょう?」
「どちらか一方である必要はありません」
レオンは穏やかに微笑んだ。
「過去があなたを形作っているのは確かです。ですが、過去だけがあなたのすべてではない。今のあなたが何を選び、これから何を成すか。それもまた、あなた自身なのです」
その言葉は、リリアの心に深く染み込んだ。
過去の自分が、どんな存在だったとしても。
今の自分には、今の自分の人生がある。
それなら、恐れる必要はないのかもしれない。
「……私、知りたいです」
リリアは顔を上げた。
「昔の私が何をしたのか。どうして神々と争うことになったのか。そして、どうして私の記憶が封印されているのか」
レオンは静かにうなずいた。
「そのためには、あなたの名前を取り戻す必要があります」
「名前……」
「かつての創造主には、神々さえ恐れる真の名がありました。その名は、創造主自身の魂と世界の根源を結びつけるもの。神々は、その名を歴史から消し去ったのです」
「どうして、名前を消す必要があったんですか?」
「名前が残っていれば、創造主の魂が再び目覚める可能性が高まるからです。そして、真の名が完全に戻れば、封印された力の一部も目覚めるでしょう」
レオンは一度言葉を切った。
「ですが、同時に危険もあります」
「危険?」
「あなたの力は、世界そのものに干渉するものです。記憶を取り戻すたび、力が大きくなる可能性があります。しかし、制御できなければ、あなた自身だけでなく、周囲の法則まで傷つけかねません」
リリアは、昨日のことを思い出した。
神眼を砕いた瞬間。
身体を貫いた痛み。
そして、世界そのものが悲鳴を上げるような感覚。
「……私、もっと強くならないといけないんですね」
「力を強くするだけでは足りません」
レオンは首を横に振った。
「自分の力を理解し、何のために使うのかを決めること。それが何よりも重要です」
リリアは、しっかりとうなずいた。
「わかりました。私、学びます。自分の力のことも、昔の私のことも」
「その決意を聞けて安心しました」
レオンは胸元の紋章に手を添えた。
「では、明日から少しずつ始めましょう。まずは、あなたの中に眠る記憶を安全に読み取る方法を探します」
そのときだった。
部屋の隅に置かれた古い本が、突然、淡い光を放ち始めた。
「……え?」
リリアが振り向く。
本棚の中央に置かれた、黒い表紙の一冊。
そこには、見覚えのない文字が刻まれていた。
いや――正確には、見覚えがある気がした。
リリアが本に近づくと、表紙の文字が青白く浮かび上がった。
《原初の記録:創造主の名》
その瞬間、レオンの顔色が変わった。
「まさか……この記録が、まだ残っていたとは」
「レオンさん、この本は何ですか?」
「かつて創造主に関する記録を保管していた、原初の書です。神々によって失われたはずなのですが……」
リリアがそっと表紙に触れる。
すると、本がひとりでに開いた。
ページには、無数の文字が並んでいた。
しかし、リリアが読める文字は一つもない。
ただ、一番最後のページにだけ、短い文章が記されていた。
――我が名を呼ぶ者よ。
――その名を知ることは、世界の始まりを知ること。
――そして、世界の終わりを選ぶこと。
リリアの指先が震えた。
「世界の……終わり?」
ページの文字が、次々と書き換わっていく。
そして最後に、一つの名前が浮かび上がった。
リリアの視界が、青白い光に染まる。
頭の中に、無数の記憶が流れ込んできた。
星々を生み出した瞬間。
初めて生命が誕生したときの喜び。
七柱の神々と笑い合った、遠い昔の日々。
そして――。
自分が最も信頼していた神に、裏切られた瞬間。
「……あ……」
リリアの口から、かすかな声が漏れた。
彼女は、その名を知っていた。
ずっと昔から。
何度生まれ変わっても、魂の奥底に刻まれていた名前。
それは、誰かから与えられたものではない。
自分自身が、自分の存在を定めるために選んだ名前だった。
「……エリシア」
リリアは、無意識にその名を口にした。
その瞬間、隠れ家全体が激しく震えた。
壁に刻まれた古代文字が一斉に光り、窓の外では空の色が変わり始める。
レオンが息を呑んだ。
「……創造主の真の名……!」
アレンは、リリアをかばうように前へ出た。
「何が起きている!?」
レオンは、震える声で答えた。
「世界の根源が、彼女の名に反応しているのです……!」
しかし、変化はそれだけではなかった。
リリアの目の前に、見覚えのある文字が浮かび上がる。
《真名の一部を復元》
《原初の権能との接続率:上昇》
《封印された記憶――第四封印》
《解放条件を確認》
《警告:対象の記憶に重大な矛盾を検出》
《復元を継続しますか?》
リリアは、息を止めた。
重大な矛盾。
それは、どういう意味なのだろう。
けれど、その問いを考える間もなく、次の文字が浮かび上がった。
《警告》
《創造主エリシアの記憶と、リリア・エヴァンジェルの記憶は完全には一致しません》
《両者の統合には、魂の構造そのものを変化させる可能性があります》
《統合を実行しますか?》
リリアの手が止まった。
もし、統合すれば。
自分は、昔の自分に戻ってしまうのだろうか。
今の自分が大切にしているものも、感じている気持ちも、すべて失ってしまうのだろうか。
アレンが、彼女の肩に手を置いた。
「リリア。無理に答えを出す必要はない」
その声に、リリアは顔を上げた。
「……うん」
彼女は、浮かび上がる文字を見つめた。
そして、はっきりと告げた。
「今は、統合しない」
文字が一瞬、強く輝いた。
《選択を確認》
《記憶の統合を保留》
《現在の人格を優先して保護します》
その表示を最後に、光は静かに消えていった。
リリアは、深く息を吐いた。
怖くなかったわけではない。
真実を知りたい気持ちは、今も強くある。
けれど、自分を失ってまで過去を取り戻したいとは思わなかった。
昔の自分が何者だったとしても。
今の自分が大切にしている人たちを、忘れたくない。
「……私は、リリア・エヴァンジェルだよ」
リリアは、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「エリシアだったことも、いつかちゃんと受け止めたい。でも、今の私も、なくしたくない」
アレンは、静かにうなずいた。
「それでいい」
ミラも、リリアの手をぎゅっと握った。
「当たり前でしょ。過去がどうだろうと、今のあなたはあなたなんだから」
その言葉に、リリアは笑った。
しかし、三人はまだ知らなかった。
真名が呼ばれた瞬間、その声が世界の果てにまで届いていたことを。
神界。
最高神アステリオンは、玉座から立ち上がっていた。
目の前に浮かぶ水晶には、先ほどの出来事が映し出されている。
少女が名前を口にした瞬間。
世界の根源が反応した瞬間。
そして、彼女が記憶の統合を拒んだ瞬間。
「……エリシア」
アステリオンは、その名を忌々しげにつぶやいた。
「まだ、自分を人間だと思っているのか……」
彼の背後に、別の神が姿を現した。
「最高神よ。創造主が真名の一部を取り戻した以上、もはや猶予はありません」
「わかっている」
アステリオンは拳を握り締めた。
「だが、あの少女は記憶の統合を拒んだ。まだ、完全には目覚めていない」
「それならば、今のうちに魂を消滅させるべきです」
「……いや」
アステリオンは、ゆっくりと首を横に振った。
「それでは、また同じことが起こる」
彼は水晶に映るリリアを見つめた。
「魂を消すことができないからこそ、我らは長い年月をかけて封印を施してきたのだ。ならば、今回は別の方法を使う」
「別の方法、ですか?」
アステリオンの口元に、冷たい笑みが浮かんだ。
「創造主が最も大切にしているものを、先に奪う」
その言葉に、神々が沈黙した。
「記憶を奪っても、力を封じても、あの魂は何度でも戻ってくる。ならば、今度はあの少女自身に、自分の存在を否定させればいい」
アステリオンの瞳に、暗い光が宿る。
「彼女が守ろうとする人間たちを、彼女自身の手で失わせるのだ」
神界の奥で、誰かが静かに笑った。
それは、かつて創造主を最も近くで支えていた神の声だった。
そして、神々の新たな計画が動き始める。
リリアは、ようやく自分の名前の一部を取り戻した。
しかし、それは新たな戦いの始まりにすぎなかった。
世界を創った少女が、今度こそ自分自身の未来を選ぶために。
そして、神々が恐れる真実が、少しずつ明らかになろうとしていた。
あとがき
第七話を読んでくださり、ありがとうございます!
今回は、リリアが創造主としての真の名前「エリシア」を取り戻し、過去の自分と今の自分の関係に向き合うお話でした。
大切なのは、過去の自分に戻ることではなく、過去を知ったうえで自分の未来を選ぶこと。
リリアは、記憶と人格の統合をいったん保留し、今の自分を守る道を選びました。
一方、神々は新たな計画を始めようとしています。
********
次回、第八話。
「最初の裏切り者と、消された約束」
創造主エリシアと七柱の神々の間に、かつて何があったのか。その真実へ、リリアたちは一歩ずつ近づいていきます。
ぜひ、続きもお楽しみください!




