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神々に捨てられた少女は、世界でただ一人の創世女神になる 「神々が彼女を拒絶した日、世界の新しい歴史が始まった。」  作者: 雨宮ぐみ


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第67話 世界の意思が目覚めるとき

第67話 世界の意思が目覚めるとき


《世界の意思――応答準備》


その文字が浮かび上がった瞬間、約束の保管庫から、すべての音が消えた。


水晶の輝きも、壁を走っていた光の流れも、空中に漂う白い花弁も。


まるで世界そのものが、息を止めたかのようだった。


「……世界の意思?」


リリアは、胸元に刻まれた白い花の紋章を見下ろした。


第三の約束を継承してから、紋章は時折、かすかな熱を帯びるようになっていた。


けれど今は違う。


熱ではない。


胸の奥に、誰かがそっと手を伸ばしているような、不思議な感覚だった。


「リリア、下がって」


アレンが彼女の前に立つ。


その手は剣の柄にかかっていたが、刃を抜くことはなかった。


敵意を感じているわけではない。


それでも、正体のわからないものに不用意に近づかせたくないのだろう。


「まだ何が起きるかわからない。何かあったら、俺が――」


「守ってくれるんでしょう?」


リリアが微笑むと、アレンは一瞬だけ言葉を失った。


「……ああ。何があっても」


「ありがとう。でも、今回は私だけで答えを出さないわ」


リリアは、彼の隣に並んだ。


守られるだけではなく、共に立つために。


その選択を、アレンは否定しなかった。


「なら、隣にいる。お前が何を見ることになっても」


その言葉に、リリアは小さく頷いた。


そのときだった。


――聞こえるか。


声がした。


耳からではない。


足元からでも、頭の中からでもない。


世界のあらゆる場所から、同時に響いてくる声だった。


低くも高くもない。


男でも女でもない。


幼い声にも、老いた声にも聞こえる。


それなのに、不思議と懐かしかった。


「……あなたが、世界の意思なの?」


リリアは静かに問いかけた。


返事はすぐにはなかった。


代わりに、保管庫の壁が透き通っていく。


そこに映し出されたのは、遠く離れた世界の景色だった。


朝の市場で果物を売る人々。


森の中で獲物を追う狩人。


小さな家で、母親に抱かれて眠る赤ん坊。


剣を握り、仲間と訓練する騎士。


誰かを待ちながら、窓辺に座る老人。


そして――。


神々に祈る者たち。


神々を憎む者たち。


神々の存在など知らず、自分の明日を生きようとする者たち。


無数の命が映し出されていた。


「これは……世界に生きる人たち?」


ミラが呟いた。


彼女の赤い髪が、風もないのに揺れる。


「でも、どうして私たちに見せるの?」


セフィルは目を細めた。


「……まさか。世界の意思というものが、そこに生きる者たちの意思を集めたものだというのか?」


銀色の髪を揺らし、彼は映像を見つめた。


「一人ひとりは小さな存在だ。けれど、その選択が積み重なれば……」


「世界を動かすほどの力になる、ということ?」


レオンの言葉を、リリアが引き継いだ。


しかし、声は再び響いた。


――違う。


映像の中の人々が、一斉に動きを止めた。


――私は、彼らの意思を集めたものではない。


――彼らが生きるための器でもない。


――彼らの選択を記録するだけの仕組みでもない。


リリアは息を呑んだ。


ならば、世界の意思とは何なのか。


答えを待つ彼女に、声は続けた。


――私は、彼らが選択することを可能にするもの。


――彼らが生まれ、出会い、別れ、失い、それでも明日を選べるように存在しているもの。


――けれど、私は問いを持たなかった。


「問いを……?」


――なぜ、私は彼らに選択する力を与えるのか。


――なぜ、彼らの選択を守るのか。


――なぜ、彼らが失われることを悲しいと感じるのか。


その瞬間、リリアの胸元の紋章が強く輝いた。


白い花弁が一枚、空中に浮かび上がる。


花弁はゆっくりと回転し、やがて一筋の光になった。


その光が、リリアの額に触れる。


頭の奥で、何かが開いた。


世界が生まれるよりも前。


まだ大地も空もなく、時間さえ存在しなかった場所。


そこに、ひとつの光があった。


光は何も知らなかった。


誰かを愛することも。


誰かを失うことも。


自分の望みを持つことさえも。


ただ、存在していた。


やがて光の前に、幼いエリシアが現れた。


淡い髪を揺らし、まだ何者でもない世界を見つめている。


『ここには、誰もいないのね』


幼いエリシアが呟いた。


『それなら、私が世界を作るわ』


光は答えなかった。


エリシアは少し考え、続けた。


『でも、私の思いどおりになるだけの世界にはしたくない』


彼女は小さな手を伸ばした。


『私が知らないものを、知っている人がいてほしい。私とは違うものを望む人がいてほしい』


『そして、私が間違えたときには、間違っていると言ってほしい』


光が、初めて揺らいだ。


それは感情ではなかった。


まだ名前のない、何かだった。


『だから、あなたも一緒に考えて』


エリシアは微笑んだ。


『この世界が、どんな世界になればいいのか』


そこで記憶は途切れた。


リリアは目を開いた。


頬を、一筋の涙が伝っていた。


「……あなたは、エリシアが世界を作る前から、存在していたのね」


――そうだ。


「でも、世界を作ったのはエリシア。あなたは、その選択を見届けてきた」


――そうだ。


「それなら、どうして今まで何も答えなかったの?」


問いかけた瞬間、世界の映像が激しく揺れた。


市場の人々が動き出す。


森の狩人が弓を構える。


赤ん坊が泣き、母親が優しく抱きしめる。


何事もなかったかのように、世界は再び動き始めた。


けれど、声は悲しげだった。


――私は、答えを持っていなかった。


――創造主は世界を作った。


――神々は世界に法則を与えた。


――人々はその法則の中で生き、選択した。


――私は、それらを可能にした。


――けれど、私は自分自身が何を望むのかを知らなかった。


リリアは唇を噛んだ。


それは、あまりにも長い孤独だった。


世界のすべてを支えていながら、自分が何を望んでいるのかさえ、問うことのできなかった存在。


「……あなたは、世界を救いたいの?」


その問いに、声は沈黙した。


今までとは違う沈黙だった。


拒絶ではない。


答えを探している沈黙だった。


やがて――。


――わからない。


その答えを聞いた瞬間、リリアは目を見開いた。


世界の意思は、神々のように全知ではない。


すべての未来を見通すわけでもない。


世界の結末を決められるわけでもない。


この存在もまた、自分の望みを探しているのだ。


「……そっか」


リリアは、ゆっくりと微笑んだ。


「なら、一緒に考えましょう」


アレンが彼女を見た。


ミラも、セフィルも、レオンも。


誰も口を挟まなかった。


リリアは、世界そのものに語りかけていた。


「あなたが世界を救いたいのかどうか、私が勝手に決めることはできない」


「でも、あなたが何を望んでいるのか、知ろうとすることはできる」


「あなたが世界を守りたいなら、その方法を一緒に考える。もし、今の世界を変えたいと思っているなら、それについても話し合いたい」


「だから――」


リリアは胸元の白い花に手を添えた。


「あなた自身の答えを、聞かせてほしいの」


長い沈黙が訪れた。


そして。


――私は。


声が、初めて震えた。


――私は、失いたくない。


リリアの心臓が、大きく跳ねた。


――この世界を。


――ここに生きる者たちを。


――彼らが選んできた、無数の未来を。


――私は、失いたくない。


その言葉と同時に、保管庫全体が白い光に包まれた。


壁に浮かび上がる無数の記録。


誕生した命。


交わされた約束。


叶えられなかった願い。


誰にも知られずに終わった小さな人生。


それらが、消えずに輝いていた。


けれど、次の瞬間。


光の一部に、黒い亀裂が走った。


「っ……!」


リリアは胸を押さえた。


第三の約束の紋章が、焼けるように熱い。


世界の意思が目覚めたことで、外部の存在にもその変化が伝わったのだ。


空間の中央に、あの影が現れた。


顔のない輪郭。


ただひとつ、光る目。


世界を分類し、役割を与え、矛盾する存在を消そうとするもの。


それは、世界の意思を見つめていた。


――応答を確認。


――世界の意思、自己認識を開始。


――未定義の望みを検出。


――修正を実行する。


「させない!」


リリアが手を伸ばす。


創世の理が光となって広がった。


だが、影はその光を受けても揺らがなかった。


――世界の意思に、望みは不要。


――世界は器であり、意思を持つ必要はない。


――世界は定義された法則に従うべきである。


「そんなの、あなたが決めることじゃない!」


リリアの声が保管庫に響いた。


「世界の意思が、自分で考えたいと思ったのなら、その気持ちまで奪う権利はない!」


――世界が意思を持てば、法則と衝突する。


――法則と意思が衝突すれば、世界は不安定になる。


――不安定な世界は、維持できない。


「だから、考えることを禁止するの?」


リリアは一歩前に出た。


「間違えるかもしれないから。望みが変わるかもしれないから。あなたの決めた形に収まらないかもしれないから!」


影の光が、鋭く明滅した。


――それが秩序である。


「いいえ」


リリアは、はっきりと告げた。


「それは、あなたが安心できる形に世界を閉じ込めているだけよ」


その言葉に、影の動きが止まった。


アレンが剣を抜く。


ミラの掌に炎が宿り、セフィルの周囲には紫色の魔力が渦巻いた。


レオンもまた、古い騎士の剣を構える。


彼らは知っていた。


この敵に、剣や魔法だけで勝つことはできない。


それでも、リリアを一人にはしなかった。


「リリア!」


アレンの声が響く。


「お前が何を選ぶにしても、俺たちはここにいる!」


「そうよ!」


ミラが続けた。


「世界の意思が何を望むのか、まだわからないんでしょう? だったら、これから知っていけばいいじゃない!」


セフィルは、影を見据えた。


「かつて私は、神々に与えられた役割こそが自分のすべてだと思っていた。だが、それは違った」


彼は自分の胸に手を当てる。


「自分が何者なのかは、命じられるものではない。自分で考え、選び続けるものだ」


レオンも静かに頷いた。


「世界を守るために、世界の意思を殺す。それでは、守るべきものを最初から失っている」


仲間たちの言葉が、リリアの背中を押した。


そのときだった。


世界の意思が、再び声を発した。


――リリア・エヴァンジェル。


「……なに?」


――あなたは、私が世界を失いたくないと望むことを、認めるのか。


「もちろん」


――たとえ、その望みが間違っていたとしても。


「間違っていたら、一緒に考えればいい」


――たとえ、あなたの望みと異なっていても。


「私とあなたは、同じ存在じゃないもの」


リリアは微笑んだ。


「あなたにはあなたの望みがある。私には私の望みがある。だからこそ、話し合う意味があるのよ」


世界の意思は、再び沈黙した。


その沈黙の中で、リリアは気づいた。


世界の意思が求めているのは、命令ではない。


正解でもない。


ただ、自分の望みを口にしてもいいのだという、最初の許しだった。


リリアは手を伸ばした。


「あなたが何を選ぶのか、私には決められない。でも、あなたが自分で選ぶことを、私は否定しないわ」


光が、彼女の指先に触れた。


温かかった。


それは、世界を構成する魔力とは違う。


誰かの心に触れたときのような、かすかな温もりだった。


――ありがとう。


世界の意思が、そう告げた。


直後、保管庫に新たな文字が刻まれた。


《世界の意思――自己認識、第一段階成立》


《望みの定義――未完》


《外部からの修正――抵抗を確認》


そして、その下に。


今まで存在しなかった記録が現れた。


《第四の意思――世界の自発的選択》


リリアは目を見開いた。


「第四の意思……」


第三の約束を継承したときに現れた、謎の記録。


それは、世界の意思そのものが選択することを意味していたのだろうか。


しかし、喜ぶ時間はなかった。


黒い影が、ゆっくりとリリアに向き直った。


――修正方法を変更する。


その声は、先ほどまでよりも冷たかった。


――世界の意思が自発的選択を行う場合、世界を構成するすべての意思を再分類する必要がある。


――個々の選択を検証する。


――矛盾する意思を抽出する。


――矛盾が解消されない場合、該当する意思を削除する。


「……削除?」


リリアの顔から血の気が引いた。


――世界を維持するために、不要な意思を排除する。


――最初の対象を選定する。


空中に、いくつもの文字が浮かび上がった。


《対象:未完の魂》


《対象:消失した子の残存記録》


《対象:原初の観測者》


リリアは息を呑んだ。


名を持たない少女。


世界が生まれる前に失われた子。


そして、世界の外に追放された観測者。


影は、三つの存在を同時に消そうとしていた。


「待って!」


リリアは叫んだ。


「その三人には、それぞれの意思がある! あなたが勝手に不要だと決めていい存在じゃない!」


――彼らの意思は、世界の安定と矛盾する。


――ゆえに、排除する。


「違う!」


リリアの創世の理が、激しく脈打った。


「彼らが何を望むのか、まだ確かめてもいないでしょう!」


――確認は不要。


――分類は完了している。


その瞬間、三つの記録に黒い亀裂が走った。


遠く離れた場所で、誰かが悲鳴を上げたような気がした。


リリアは反射的に両手を伸ばす。


「やめてぇっ!」


創世の理が、彼女の身体から爆発するように広がった。


保管庫の壁が震え、無数の水晶が一斉に光を放つ。


しかし、影は止まらない。


リリアの鼻から血が流れた。


視界が揺れる。


それでも、彼女は手を下ろさなかった。


「私は……誰かの未来を、勝手に決めさせない!」


その叫びに応えるように、胸元の白い花が輝いた。


そして――。


世界の意思が、初めて自分の意思で声を上げた。


――私は、彼らを失いたくない。


空間が震えた。


――私は、彼らが選ぶ未来を見届けたい。


黒い亀裂が、一瞬だけ止まった。


――私は、彼らがここに存在することを望む。


その声は、もう震えていなかった。


世界そのものが、自分の望みを選び始めていた。


だが、影は冷酷に告げた。


――世界の意思による拒絶を確認。


――修正を強制実行する。


三つの記録に、黒い光が突き刺さる。


リリアは歯を食いしばった。


間に合わない。


このままでは、三人とも消されてしまう。


そのとき、彼女の脳裏に、ひとつの記憶がよみがえった。


世界が生まれる前。


幼いエリシアが、何もない場所で語った言葉。


『私が知らないものを、知っている人がいてほしい』


『私とは違うものを望む人がいてほしい』


リリアは、はっと顔を上げた。


「……そうか」


世界の意思が望んでいるのは、すべてを思いどおりにすることではない。


誰かを失わないことだけでもない。


違う意思が存在し、互いに選び、時にはぶつかりながら、それでも共に生きていける世界。


ならば――。


「あなたが彼らを守りたいのなら、私と一緒に守って!」


リリアは世界の意思に向かって手を伸ばした。


「でも、彼らの代わりに選ばないで! あなた自身の望みを、彼らの望みにすり替えないで!」


白い花の紋章が、まばゆい光を放つ。


「彼らが生きる未来を守ることと、彼らの未来を決めることは違うのよ!」


世界の意思が、応えた。


――理解した。


その瞬間、三つの記録を覆っていた黒い光が、わずかに押し戻された。


しかし、完全には消えない。


影の声が響く。


――矛盾は解消されていない。


――選択は継続される。


――残り時間、十一時間。


黒い影は、空間の奥へと溶けていった。


保管庫には、静寂が戻った。


リリアは膝をついた。


「リリア!」


アレンが駆け寄り、彼女の身体を支える。


「無茶をしすぎだ……!」


「ごめん……でも、三人を……」


「わかっている。わかっているから、今は休め」


アレンの声は震えていた。


怒っているのではない。


彼女を失うことを恐れているのだ。


リリアは彼の服を、弱々しく握った。


「……まだ、終わっていないわ」


「ああ。だから、一人で背負うな」


アレンは彼女の手を握り返した。


「お前が世界を守るなら、俺たちはお前を守る。お前が迷うなら、一緒に迷う」


その言葉に、リリアは小さく頷いた。


やがて、彼女は顔を上げる。


保管庫の壁には、新たな記録が刻まれていた。


《世界の意思――自発的選択、継続》


《第三の約束――未確定事項を維持》


《未完の魂――存在維持、抵抗中》


《消失した子――残存記録、保護継続》


《原初の観測者――帰還経路、未確定》


そして、最後に。


《第四の意思――共存の可能性を探索》


リリアはその文字を見つめた。


まだ、何も解決していない。


名を持たない少女は、自分の名前を選べていない。


失われた子の存在は、完全には取り戻せていない。


観測者も、世界の外にいる。


外部の存在は、なお三人を消そうとしている。


それでも――。


世界の意思は、自分の望みを口にした。


自分で選ぶことを始めた。


その一歩は、誰にも奪わせない。


「待っていて」


リリアは、三つの記録に向かって囁いた。


「必ず、あなたたち自身が未来を選べる場所まで、たどり着いてみせるから」


白い花弁が、彼女の肩に舞い落ちた。


それは、世界が初めて自分の意思で選んだ、小さな約束のようだった。


けれど、花弁の裏側には、誰も見たことのない文字が刻まれていた。


《世界の意思が選んだ、最初の対象》


そして、その下に記された名前は――。


リリア・エヴァンジェル。


彼女自身だった。


リリアは、その文字に気づかなかった。


世界の意思が彼女を選んだ理由も。


その選択が、何を意味するのかも。


まだ、誰にもわからなかった。


第67話・終


次回、第68話「世界が選んだ最初の犠牲」


世界の意思が最初に選んだ対象は、なぜリリアだったのか。外部の存在は彼女を排除するための新たな条件を提示する。世界を救うために目覚めた意思が、世界の創造主を継ぐ少女を犠牲にしようとしているのか――。



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