第66話 三つの未来を拒む少女
第66話 三つの未来を拒む少女
《世界の維持》
《消失した子の復元》
《原初の観測者の帰還》
白い部屋の壁に浮かぶ三つの選択肢を、私は睨みつけていた。
どれも、私が望んでいる未来だった。
世界を守りたい。
名前を持たない少女に、自分の人生を生きてほしい。
そして、原初の観測者にも、自分の意思で帰ってきてほしい。
なのに、どうして。
どうして、その三つのうち、ひとつしか選べないのだろう。
「……おかしいよ」
私は、静かにつぶやいた。
黒い糸が床を這い、私の足元を取り囲む。
『選択を開始せよ』
無機質な声が響いた。
『世界の維持を選択した場合、消失した子の復元を中止する』
『消失した子の復元を選択した場合、世界の維持に必要な法則を一部消去する』
『原初の観測者の帰還を選択した場合、世界外との接続を閉鎖する』
『選択期限――残り十三時間』
ミラが顔をしかめた。
「何よ、それ! どれを選んでも、誰かが犠牲になるじゃない!」
「それが、向こうの望んでいることなのでしょう」
セフィルの声は硬かった。
「三つの未来を別々のものとして定義し、その中からひとつだけを選ばせる。そうすれば、私たちは必ず何かを諦めることになる」
レオンが剣の柄を握りしめる。
「選択肢そのものが罠だというわけか」
「はい。けれど、問題はそれだけではありません」
セフィルは、壁に刻まれた文字を見つめた。
「この選択を拒否すれば、すべての対象を消去すると告げています。つまり、相手は私たちに選ばせるだけでなく、拒否することすら許さないつもりなのです」
私は、胸元の紋章に触れた。
第三の約束。
誰かを救うために、その人の意思を奪わない。
誰かの意思を尊重するために、自分の意思も捨てない。
それなのに、今の状況では、どちらを選んでも誰かの意思が踏みにじられてしまう。
これでは、約束を受け継いだ意味がない。
「リリア」
アレンが私の隣に立った。
「どうする?」
私はすぐには答えなかった。
考えなければならない。
今までの私は、誰かを救うために、自分が頑張ればいいと思っていた。
自分が傷つけば、誰かを守れる。
自分が無理をすれば、誰かを助けられる。
そうやって、ひとりで答えを出そうとしていた。
けれど、アレンは言ってくれた。
私が生きたいと思っているから、そばにいるのだと。
ならば、今度こそ私は、自分ひとりで未来を決めてはいけない。
「みんなに聞きたいの」
私は仲間たちを見渡した。
「この三つの未来を、全部守る方法を考えたい。私の力だけじゃなくて、みんなの知恵を貸してほしい」
ミラが、すぐに笑った。
「もちろん! 最初からそのつもりよ」
セフィルも、うなずく。
「選択肢の定義を変えられるなら、可能性はあります」
「定義を変える?」
「はい。世界の外にいる存在は、三つの未来が両立しないと決めています。しかし、それが本当に不可能なのかは、まだ証明されていません」
私は目を見開いた。
「つまり、三つを同時に成立させる方法があるかもしれない?」
「可能性はあります。ただし、創世の理を使って無理やり法則を書き換えるだけでは危険です。世界そのものが不安定になるかもしれません」
確かに、私の力は万能ではない。
大きな法則を変えようとすれば、そのぶん世界への負担も大きくなる。
何も考えずに力を使えば、世界を守るどころか、壊してしまう可能性だってある。
「なら、まずは相手が決めた法則を調べよう」
私は壁に近づいた。
「どうして三つが両立できないと判断されたのか。それがわかれば、別の方法を探せるはず」
胸元の紋章に意識を集中する。
創世の理が静かに反応した。
壁の文字が、少しずつ別の形に変わっていく。
《世界の維持――定義:既存の法則の完全保持》
《消失した子の復元――定義:消去された存在の完全再構成》
《原初の観測者の帰還――定義:世界外接続の完全閉鎖》
私は息をのんだ。
「……完全保持、完全再構成、完全閉鎖」
どれも、極端な条件だった。
世界を維持するには、既存の法則を一切変えてはならない。
少女を復元するには、消された存在を完全に元どおりにしなければならない。
観測者を帰還させるには、世界の外との接続を完全に閉じなければならない。
つまり、相手は最初から、変化の余地を認めていないのだ。
「この条件そのものが、問題なんだね」
私がつぶやくと、アステリアが静かにうなずいた。
「ええ。世界が生まれる前から、あの存在は物事を分類してきた。存在するものと、存在してはならないもの。完成したものと、未完成のもの。秩序に従うものと、従わないもの……」
「そして、その分類に合わないものは、消してきた」
「そうよ」
アステリアは目を伏せた。
「私も、その仕組みに気づくのが遅すぎた」
私は首を横に振った。
「今は、これからどうするかを考えよう」
過去を悔やむことに意味がないとは思わない。
でも、過去の間違いを知ったのなら、今度は違う選択をすればいい。
それが、私にできることだ。
*
そのとき、白い部屋の奥から、かすかな声がした。
『……リリア』
名前を持たない少女だった。
彼女は机の前に座ったまま、私を見つめている。
「どうしたの?」
『わたし、ひとつ思ったことがあるの』
「うん。聞かせて」
少女は、机の上の白い紙に目を落とした。
『わたしは、エリシアの魂を完成させるために作られたんだよね』
「そう聞いているよ」
『でも、エリシアの魂を完成させることと、わたしが生きることって……本当に両立できないのかな?』
私は、思わず息を止めた。
セフィルが顔を上げる。
「それは……」
少女は、自分の胸元に手を置いた。
『わたしは、エリシアの一部から生まれたのかもしれない。でも、今はわたし自身の気持ちがある。わたしが何を望むのかも、少しずつわかってきた』
彼女は、白い紙をそっと撫でた。
『もし、わたしが生きることがエリシアの魂を壊すのなら、わたしはどうしたらいいの?』
誰もすぐには答えられなかった。
それは、簡単な問題ではない。
エリシアの魂は、世界の根幹に関わっている。
彼女の記憶や力は、今も私の中に残っている。
その魂の一部から生まれた少女が独立した存在になることが、どんな影響をもたらすのか。
私たちは、まだ知らない。
けれど、ひとつだけわかることがあった。
「あなたが生きることを、最初から諦める必要はないよ」
私は少女に告げた。
「エリシアの魂をどうするかも、あなたが消えるかどうかも、まだ答えが出ていない。だから、誰かが勝手に結論を決めてしまう前に、一緒に方法を探そう」
『……うん』
少女は、少しだけ笑った。
その笑顔を見たとき、私はあることに気づいた。
彼女は、もう自分が消えたくないと伝えられるようになった。
名前を選びたいと、自分の意思で言えるようになった。
ならば、彼女の存在を復元する方法も、単に過去の状態へ戻すことではないのかもしれない。
「セフィル。ひとつ聞いてもいい?」
「何でしょう?」
「消された存在を、完全に元どおりにしなければならない理由ってあるのかな?」
セフィルは、少し考えてから答えた。
「存在を復元するだけなら、必ずしも完全な再構成である必要はないと思います。大切なのは、復元された存在が本人として認識され、本人の意思を持ち続けられることです」
「じゃあ、あの子が過去の状態に戻らなくても、彼女自身として生きられる可能性がある?」
「はい。ただし、それを可能にする仕組みが必要です」
私は、胸元の紋章を見下ろした。
第三の約束。
失われた者の意思を、残された者が勝手に決めてはならない。
ならば、復元することそのものも、本人の意思を中心に考えるべきなのだ。
彼女を過去の姿に戻すことだけが、正解ではない。
彼女がこれから生きる未来を作ることも、選択肢のひとつなのだ。
「……わかった」
私は顔を上げた。
「私たちは、三つの未来をそのまま実現するんじゃない。三つの未来が両立できるように、新しい道を作るんだ」
アレンが、私を見つめた。
「新しい道?」
「うん。世界を壊さず、あの子の意思を守って、観測者も自分の意思で帰ってこられる道」
簡単ではない。
むしろ、今までの常識を根本から変える必要があるのかもしれない。
でも、創世の理は、ただ既存の法則を壊すための力ではないはずだ。
新しい法則を生み出す力でもある。
私は、壁に手を触れた。
「この三つの選択肢を、別々に扱うのをやめる」
紋章が光り始める。
「世界を守ることと、あの子が生きることと、観測者が帰ること。その三つが、互いを犠牲にしなくても成立する未来を作る」
壁に刻まれた文字が震えた。
『選択肢の再定義を検知』
『許可されていない変更を確認』
『処理を中止せよ』
「嫌だよ」
私は、はっきりと答えた。
「誰かが決めた選択肢だけが、未来のすべてだなんて認めない」
創世の理が、私の胸から広がっていく。
白い光が、黒い糸に触れた。
糸は激しく抵抗し、部屋全体を揺らす。
頭が割れるように痛い。
視界が白くにじみ、鼻の奥に熱が走った。
それでも、私は力を止めなかった。
――新しい法則を。
――誰かの意思を奪わずに、未来を選べる法則を。
私の願いが、創世の理へと伝わっていく。
けれど、その瞬間。
壁に、まったく新しい文字が浮かび上がった。
《新法則の創造――条件不足》
《不足要素:第四の意思》
私は目を見開いた。
「……第四の意思?」
セフィルが、息をのんだ。
「三つの未来を成立させるためには、三者の意思だけでは足りないということでしょうか」
アステリアが、震える声でつぶやいた。
「いいえ……違うわ」
彼女は、壁に浮かんだ文字を見つめていた。
「第四の意思。それは、世界を創る者でも、失われた者でも、世界を観測する者でもない」
「じゃあ、誰の意思なの?」
私が尋ねると、アステリアはゆっくりとこちらを向いた。
「世界そのものの意思よ」
*
その言葉が響いた瞬間、白い部屋が静まり返った。
世界そのものの意思。
そんなものが、本当に存在するのだろうか。
世界は、神々が作ったものだとされていた。
けれど、これまでの記録をたどるほど、その歴史は違う姿を見せてきた。
エリシアが世界を創り、観測者がその願いを支え、アステリアが記録を残した。
そして、そのさらに外側には、世界の存在を分類し、法則に従わせようとする何者かがいた。
では、世界そのものは?
ただ創られ、管理されるだけのものだったのだろうか。
「世界にも、意思があるの?」
私はアステリアに尋ねた。
「はっきりとはわからないわ。でも、世界は創造された瞬間から、ただの器ではなくなった。そこに命が生まれ、選択が生まれ、誰かの願いが積み重なっていった」
アステリアは、白い部屋を見渡した。
「もしかすると、それらすべてが積み重なったものを、世界の意思と呼ぶのかもしれない」
ミラが首をかしげた。
「つまり、私たちの意思も、世界の意思の一部ってこと?」
「そう考えられるわね」
私は、胸元の紋章を握りしめた。
もしそうなら。
世界を守るために、世界の意思を無視することはできない。
少女を復元するために、彼女自身の意思を無視することもできない。
観測者を帰還させるために、彼の意思を無視することもできない。
そして、私自身の意思も。
「……第四の意思は、誰かひとりのものじゃないんだ」
私は、ゆっくりと顔を上げた。
「この世界で生きている、すべての人たちの意思なんだね」
その瞬間、胸元の紋章が強く輝いた。
《第四の意思――定義を更新》
《世界に生きる者たちの選択》
《新法則の創造――可能性を確認》
黒い糸が、初めて後ずさった。
けれど、その直後、壁の奥から低い声が響いた。
『不正な定義変更を確認』
『世界の意思は、管理対象に含まれない』
『創造主の権限を超える干渉を確認』
『最終修正を開始する』
床が大きく割れた。
その裂け目から、黒い光が噴き出す。
私たちの前に、巨大な影が現れた。
顔も、手も、輪郭さえ定まらない存在。
けれど、その中央には、ひとつの目のような光が浮かんでいた。
その光が、私を見つめた。
『創世の理を持つ者』
声が響く。
『お前は、世界に与えられた役割を超えようとしている』
「……そうだよ」
『その選択は、世界の秩序を破壊する』
「違う」
私は、震える足で一歩前に出た。
「私は、世界を壊したいわけじゃない。誰かが勝手に決めた秩序のせいで、誰かの人生が奪われることを止めたいだけ」
『秩序なき世界は、崩壊する』
「なら、みんなが自分で選べる秩序を作ればいい!」
影が、初めて大きく揺れた。
『不可能である』
「どうして?」
『意思は衝突する。願いは矛盾する。すべてを満たそうとすれば、世界は選択不能に陥る』
私は、言葉を失いかけた。
確かに、すべての願いを同時にかなえることはできないのかもしれない。
誰かの望みが、別の誰かの望みとぶつかることだってある。
誰かを救う選択が、別の誰かを傷つけてしまうこともある。
けれど。
「だからって、最初から選択肢を奪っていい理由にはならない!」
私は、胸元の紋章を輝かせた。
「みんなが自分で選べるようにすることと、すべての願いをかなえることは違う。誰もが望んだとおりになるとは限らない。でも、自分の未来を選ぶ権利まで奪われる必要はない!」
影の目が、鋭く光った。
『……理解不能』
「理解できなくてもいい」
私は、まっすぐに影を見つめた。
「でも、私はその未来を信じる」
その瞬間、白い部屋の床に、無数の光が灯った。
小さな光。
ひとつひとつが、誰かの意思を示すように揺れている。
私の仲間たちの光。
名前を持たない少女の光。
そして、世界のどこかで生きている、まだ見ぬ誰かの光。
それらは、ひとつに溶け合うことなく、それぞれの色を保ったまま輝いていた。
世界の意思とは、誰かひとりの願いではない。
たくさんの命が、それぞれの願いを抱きながら生きていること、そのものなのかもしれない。
影が、ゆっくりと後退した。
『新法則の創造――未完』
『第四の意思――接続を確認』
『再評価を開始する』
けれど、影が消える直前、最後にこう告げた。
『創世の理を持つ者。お前が新たな法則を完成させたとき、世界はお前を創造主として認めるかもしれない』
私は息をのんだ。
『だが、その瞬間、お前は神々の敵となるだけではない』
影の目が、私の胸元を見つめた。
『世界の未来を左右する存在として、すべての意思から問われることになる』
黒い光が消えた。
部屋に静寂が戻る。
私は、その場に膝をついた。
身体が重い。
創世の理を使いすぎたせいか、指先が震えていた。
アレンがすぐに駆け寄り、私を支えてくれた。
「リリア、大丈夫か?」
「うん……ちょっと、疲れただけ」
「ちょっと、という顔じゃないぞ」
アレンの声には、心配がにじんでいた。
私は苦笑した。
「ごめん。でも、ひとつだけわかったことがある」
「何だ?」
私は、白い部屋の中央に立つ少女を見つめた。
彼女は、机の前に座ったまま、白い紙を握りしめている。
その紙には、まだ名前は書かれていない。
けれど、彼女の瞳には、確かな意思が宿っていた。
「未来は、誰かひとりが決めるものじゃないんだと思う」
私は立ち上がった。
「だから、私ひとりで世界を救う方法を考えるんじゃなくて、みんなが自分で選べる未来を作りたい」
胸元の紋章が、静かに輝いた。
壁には、新しい記録が浮かび上がっていた。
《新法則の創造――第一段階、成立》
《第四の意思――接続維持》
《最終修正まで――残り十二時間》
そして、その下に、見覚えのない文字が現れた。
《世界の意思――応答準備》
私は、息を止めた。
世界そのものが、私たちの呼びかけに応えようとしている。
けれど、それが何を意味するのかは、まだわからない。
ただ、ひとつだけ確かなことがあった。
私たちは今、神々が定めた歴史の外側へ、一歩踏み出したのだ。
第66話・終
次回、第67話「世界の意思が目覚めるとき」
第四の意思を見いだしたリリア。世界を構成する無数の命の願いが、新たな法則を生み出す鍵になるかもしれない。しかし、世界そのものが応答を始めたとき、リリアの前に現れたのは、彼女が思い描いていた救いとは異なる問いだった。世界は、本当に救われることを望んでいるのか。彼女は初めて、世界自身の声を聞くことになる。




