第54話 第三創造者が殺した未来
第54話 第三創造者が殺した未来
「……私が、世界の外側へ続く扉を開く前に、話しておかなければならないことがある」
黒髪に、黄金の瞳。
第三創造者は、静かにそう告げた。
その表情には、これまで見せてきたどの顔とも違うものが浮かんでいた。
恐怖でも、後悔だけでもない。
自分が何をしてしまったのかを、ようやく他者に伝える覚悟を決めた者の顔だった。
「私の罪は、エリシアの魂を分けたことだけではない。あなたを、彼女とは異なる魂として生み出したことだけでもない」
リリアは黙って彼女を見つめた。
「私は……世界が生まれる前に、一つの未来を殺したの」
その言葉が、古い神殿の空気を凍らせた。
「未来を……殺した?」
ミラが思わず聞き返す。
第三創造者は頷いた。
「正確には、未来へ至る可能性を、私自身の手で消した。誰かが選ぶはずだった道を。誰かが生きていれば、辿り着けたかもしれない結末を」
セフィルの瞳が細くなる。
「誰の未来ですか」
「……エリシアの未来よ」
その答えに、リリアの胸がざわめいた。
エリシア。
世界を創った少女。
誰もが選べる世界を望みながら、最後にはたった一人を取り戻すために世界を壊そうとした創造主。
けれど、彼女が最初からその結末を望んでいたとは思えなかった。
「あなたは、エリシアが世界を壊す未来を消したかったのですか?」
リリアが尋ねると、第三創造者は苦しげに目を伏せた。
「そうだったなら、どれほどよかったでしょうね」
彼女は片手を胸元に当てた。
「私は、あの子が世界を壊すことを恐れていた。あの子が大切なものを失い、悲しみの果てにすべてを終わらせようとすることを。だから、私はあの子を守ろうとした」
「守るために、何をしたんですか」
「選べる未来を、減らしたのよ」
その言葉は、あまりにも静かだった。
「エリシアが迷わないように。間違えないように。取り返しのつかない選択をしないように。私は、あの子が進める道を一つずつ閉ざした」
第三創造者の黄金の瞳が揺れた。
「誰を信じるか。何を手放すか。誰を取り戻すか。そして、世界をどうするか。そのすべてを、私はあの子自身に決めさせるべきだった」
「……なのに、決めさせなかった」
「ええ」
彼女は、否定しなかった。
「私はあの子を愛していた。だから、あの子が苦しまない未来を選んだつもりだった。けれど、それはあの子の未来ではなかった。私が耐えられる未来だったのよ」
リリアは、前世の自分を思い出した。
誰かに嫌われないように。
誰かを失わないように。
間違えないように。
本当は嫌だったことも、悲しかったことも、口に出す前に飲み込んできた。
拒絶されるくらいなら、自分の気持ちなどなかったことにすればいい。
そうやって、自分自身の選択を少しずつ手放してきた。
第三創造者がしたことは、それと同じだったのかもしれない。
ただし、彼女が閉ざした道は、一人の人生にとどまらなかった。
世界そのものの未来だった。
「それで……あなたが殺した未来というのは、具体的には何だったんですか」
リリアは、逃げずに尋ねた。
第三創造者は、しばらく答えなかった。
やがて、彼女は神殿の床に刻まれた古い紋様へ手を伸ばした。
黄金の光が走る。
床に埋もれていた文字が、一つずつ浮かび上がった。
そこに記されていたのは、神々の記録には存在しない契約だった。
白い花。
銀の鍵。
そして、黒い指輪。
三つの印の中央には、文字が刻まれていた。
――《未選択の未来、保存者による封鎖》
その下には、さらに短い一文があった。
――《当事者の意思確認、未完了》
「これは……」
セフィルが息を呑む。
「私たちが見つけた契約と、似ている。でも、違う」
「そうよ。あなたたちが見つけたのは、世界を管理するために残された契約。これは、その契約が生まれる前のもの」
第三創造者は、黒い指輪の印を指した。
「この印が、私のものよ」
リリアは、彼女の顔を見つめた。
「あなたが未来を封鎖した証拠……ということですか?」
「ええ。そして、この未来には本来、三つの選択肢があった」
彼女が指を動かすと、三つの光景が空中に浮かんだ。
一つ目。
白い花の咲く場所で、エリシアが銀髪の青年と向き合っている。
二つ目。
エリシアが誰かの手を握り、涙を流しながらも微笑んでいる。
三つ目。
エリシアが一人、何もない世界の中心に立っている。
その三つ目だけ、輪郭がひどく曖昧だった。
「一つ目は、観測者を世界へ戻す未来。二つ目は、観測者が戻らなくても、エリシアが別の未来を選ぶ可能性。そして三つ目は……」
第三創造者は、そこで言葉を切った。
「世界そのものを、誰の所有物でもない場所へ戻す未来」
レオンが眉をひそめた。
「神々の管理権限を失わせる、ということか」
「それだけではないわ。世界を創造した者でさえ、その未来を独占できなくなる。誰もが世界の行く先を決められなくなる代わりに、誰もが世界の行く先を決める権利を持つ。そういう未来よ」
ミラが息を呑んだ。
「そんなことが、本当にできるの?」
「可能性はあった。少なくとも、あの頃は」
第三創造者の声がかすれた。
「でも私は、その未来を封じた。あの子が選べば、私の理解できない世界が生まれるかもしれなかったから」
リリアは、空中の三つ目の光景を見つめた。
そこに立つエリシアは、孤独に見えた。
けれど、彼女の足元には、無数の道が伸びていた。
誰かが歩く道。
誰かが戻る道。
誰かがまだ見ぬ場所へ進む道。
そのすべてが、今は黒い鎖に縛られている。
「……あなたは、エリシアを守るために、エリシアが世界を変える可能性を奪ったんですね」
「そうよ」
第三創造者は、初めてリリアの目をまっすぐ見た。
「そして、その封鎖を維持するために、私はあの子の記憶を切り離した。観測者との再会を望む心も、世界を壊すかもしれないほどの力も、少しずつ別々の場所へ閉じ込めた」
「だから、エリシアの魂と記憶が分かれていた……」
「ええ。そして、その後に生まれたあなたにも、私は同じ過ちを繰り返しかけた」
リリアの胸に、冷たいものが落ちた。
「私を、エリシアの代わりにしようとしたこと?」
「それもあるわ。でも、もっと深いところでは……あなたが自分で選ぶことを、私は恐れていた」
第三創造者は、拳を握りしめた。
「あなたがエリシアとは違う未来を選べば、私が守ろうとしてきたものは、すべて間違いだったと証明される。だから私は、あなたの選択を見守るふりをしながら、答えを誘導しようとした」
「……私が、あなたの望む答えを選ぶように?」
「そうよ」
リリアは、しばらく黙っていた。
怒りがなかったわけではない。
彼女が自分の意思を尊重してくれると思いかけたこともあった。
その一方で、第三創造者が何かを隠していると、ずっと感じていた。
それでも、すべてを知った今、ただ彼女を責めることはできなかった。
なぜなら、リリア自身もまた、誰かのためという理由で、自分の心を押し殺してきたからだ。
「あなたは、私に許してほしいんですか?」
第三創造者は、首を横に振った。
「いいえ。許してもらえるとは思っていない。ただ、あなたが私の罪を知らないまま、扉の向こうへ行くことだけは避けたかった」
「どうして、今になって話してくれたんですか」
「もう、隠し続けることができないからよ」
その瞬間だった。
リリアの懐にある黒い石が、激しく震えた。
境界の欠片。
石の表面に、細い亀裂が走る。
同時に、神殿の床に浮かんでいた三つの印が、次々と黒く染まっていった。
「何が起きているの!?」
ミラが叫ぶ。
セフィルが即座にリリアの前へ出た。
「境界の向こうから、干渉が来ています!」
空気が歪んだ。
誰も触れていないはずの古い契約が、勝手に書き換わっていく。
《未選択の未来、保存者による封鎖》
その文字が消え、別の言葉へ変わった。
――《未選択の未来、回収対象を確認》
第三創造者の顔から、血の気が引いた。
「そんな……。この契約は、私が封じたはず……」
「封じた未来が、まだ残っているということですか?」
リリアの問いに、彼女は答えなかった。
代わりに、空中の三つ目の光景が激しく揺れた。
鎖に縛られたエリシアの姿が、ゆっくりと消えていく。
その場所に現れたのは、白い衣をまとった少女だった。
黒い髪。
青い瞳。
リリアと同じ顔。
けれど、その少女の周囲には、黒く染まった白い花が舞っていた。
「……あの子!」
リリアは思わず手を伸ばした。
未完の魂。
消えたくないと叫んだ、もう一人のリリア。
彼女は、世界の外側に連れ去られたはずだった。
その少女が、今、契約の光景の中に立っている。
少女はゆっくりと顔を上げた。
まるで、こちらの声が聞こえたかのように。
そして、その唇が動いた。
『……リリア』
声は届かなかった。
けれど、リリアには確かにわかった。
少女は助けを求めている。
いや、違う。
助けを求めることさえ、許されていないのだ。
少女の胸元に、黒い紋様が浮かび上がった。
その紋様は、第三創造者の黒い指輪と同じ形をしていた。
「どうして……あの子に、私の印が……?」
第三創造者が震える声で呟く。
リリアは彼女を振り返った。
「あなたは、あの子にも何かをしたんですか?」
「違う……。あの子を生み出したとき、私は確かにエリシアの魂の一部を使った。でも、あの印は私のものではない。あれは――」
彼女の言葉が途切れた。
黒い紋様の奥から、声が響いたからだ。
『保存者の告白を確認』
感情のない声だった。
『封鎖された未来の再評価を開始する』
次の瞬間、神殿全体が大きく揺れた。
『第三の役割を再指定する』
リリアの足元に、黒い円環が現れる。
銀の鍵が砕けたはずのセフィルが、驚愕に目を見開いた。
「そんな……! 契約は、拒絶されたはずです!」
『候補者――リリア・エヴァンジェル』
黒い円環が、リリアの足首に絡みついた。
『第三の役割を受諾せよ』
「断る!」
リリアは即座に叫んだ。
しかし、円環は消えなかった。
『拒絶を確認』
『代替候補を検索』
黒く染まった花が、一枚、床へ落ちる。
その花びらが触れた場所から、石床に亀裂が走った。
『代替候補――未完の魂』
「やめなさい!」
第三創造者が叫んだ。
「その子を、あなたたちの契約に巻き込むな!」
『保存者による異議申し立てを却下』
『未完の魂を第三の役割へ割り当てる』
リリアの視界が真っ白になった。
あの少女が、また誰かに役割を押しつけられる。
自分の意思を持つことすら許されず、誰かの望む結末のために利用される。
そんな未来を、リリアは認められなかった。
「……私は、もう誰にも選択を奪わせない」
リリアの胸の奥で、何かが目を覚ました。
神々に拒絶された力。
世界の理を超える、創世の力。
けれど今、彼女が求めているのは、世界を書き換えることではなかった。
ただ一つ。
あの少女が、自分の意思で未来を選べる場所を取り戻すこと。
リリアは黒い円環へ手を伸ばした。
「私の答えは変わらない。第三の役割も、あの子の運命も、あなたたちには決めさせない」
黒い円環に、白い亀裂が走る。
その向こう側から、あの声が再び響いた。
『ならば、示せ』
『お前が守ろうとする未来に、世界を維持する価値があることを』
そして、最後の一言が告げられた。
『残された時間は、一日』
――三日あったはずの猶予が、わずか一日に縮められていた。
リリアは、黒く染まった花を見つめた。
その花びらの向こうで、もう一人の自分が泣いている。
今度こそ、間に合わせなければならない。
誰かのために、自分を消させないために。
そして、誰かを救うために、別の誰かを犠牲にする未来を終わらせるために。
リリアは顔を上げた。
「扉を開いてください」
第三創造者が、驚いたように目を見開く。
「リリア……」
「あなたの罪も、エリシアの過去も、全部知ったうえで決めます。私は、あの子を助けに行く」
彼女は、一歩も退かなかった。
「今度は、誰かに決められた未来じゃない。私たち自身が選ぶ未来を、取り戻すために」
第三創造者は、震える手で黒い指輪を外した。
その指輪の内側には、今まで誰も見ることのできなかった文字が刻まれていた。
――《第三創造者の名、封印》
彼女はその文字に指を添え、静かに目を閉じた。
「……わかったわ」
黄金の瞳から、一筋の涙が落ちる。
「ならば、最後まで聞いて。扉を開くには、私の本当の名を取り戻さなければならない」
黒い指輪が砕けた。
その瞬間、神殿の壁に、誰も知らない文字が浮かび上がる。
そして第三創造者は、長い年月の果てに、自分自身の名を口にした。
「私の名は――」
声が響く直前。
世界の外側で、何かが目を開いた。
白い花が、完全に黒く染まる。
その奥で、もう一人のリリアが、初めて誰かの命令ではない言葉を口にした。
「……私は、生きたい」
その願いが届くより早く、扉の向こうから黒い手が伸びてきた。
そして、少女の姿を覆い隠した。
第54話・終
次回、第55話「封じられた第三創造者の名前」
第三創造者が封印していた本当の名。そして、彼女が未来を殺したあの日に何が起きたのか。リリアは、世界の外側へ続く扉を開くため、最後の告白と向き合う。




