第46話 第三創造者の罪
第46話 第三創造者の罪
白い花びらは、リリアの手のひらで静かに揺れていた。
《未完の魂》。
たった四文字の言葉が、忘却の塔に重い沈黙を落としている。
「……あの少女は、何者だったんだろう」
リリアがつぶやく。
黒い髪も、青い瞳も、自分と同じだった。
けれど、彼女はリリアを憎んでいた。
自分が生きているせいで、誰かが戻ってこないのだと。
そして、リリアが消えれば、エリシアが目覚めるのだと。
「第三創造者に聞くしかないな」
レオンが剣を収めた。
「ここで考え続けても、答えは出ない。あの人物は、エリシアの魂を保管している。今回のことも、何か知っているはずだ」
「でも、第三創造者は私たちに真実を隠している」
ミラが不満そうに言った。
「セフィルの記憶だって、あの人が封じたんでしょう?」
「そうだ」
セフィルは静かにうなずいた。
「彼女は、俺たちが知るべきことまで隠している。……いや、正確には、知れば誰かが傷つくと考えているんだろう」
「それで誰かの選択を奪っていい理由にはならない」
リリアは、手のひらの花びらを握りしめた。
「私は、何も知らないまま守られるのは嫌。たとえ真実がどんなものでも、自分で知って、自分で決めたい」
アレンが彼女を見つめた。
「なら、俺も一緒に行く」
「アレン……」
「どんな真実が出てきても、君が一人で背負う必要はない」
その言葉に、リリアは小さくうなずいた。
今度こそ、誰かに決められた未来ではなく、自分で選ぶために。
彼女たちは、第三創造者のいる神殿へ向かうことにした。
ただし、その前に一つだけ、確かめなければならないことがあった。
セフィルの胸元に浮かんだ文字。
《告白の代償――第二創造者が最も守りたい存在の消失》。
その意味を、彼自身もまだ知らない。
けれど、リリアは気づいていた。
セフィルが真実を告げるとき、失われるのは、エリシアの魂だけではないのかもしれない。
*
同じころ、神殿の最深部。
第三創造者は、結晶の前にひざまずいていた。
黒い髪が肩から流れ落ち、黄金の瞳は深い疲労に曇っている。
結晶の中では、エリシアの魂が眠っていた。
かつて世界を創造した少女。
神々に拒絶され、処刑されたと記録されながら、完全には消えなかった存在。
そして、今もなお、誰かを取り戻そうとしている少女。
「……もう、隠せないわね」
第三創造者は、結晶に触れた。
「リリアは、あなたの記憶に触れ始めた。セフィルも約束を思い出した。あの子まで目覚めてしまった」
返事はない。
それでも、彼女は話し続けた。
「私は、あなたを守りたかったの」
その声が、かすかに震えた。
「あなたが世界を壊さなくて済むように。あなたが自分自身を憎まなくて済むように。そして……あなたが、もう一度誰かを失わなくて済むように」
結晶の中で、エリシアの指がわずかに動いた。
第三創造者は顔を上げた。
「……聞こえているの?」
しばらくして、かすかな声が響いた。
『……聞こえているわ』
第三創造者は息を止めた。
何百年、何千年、あるいはそれ以上。
どれほどの時間を経たのか、彼女自身にもわからない。
それでも、ずっと聞きたかった声だった。
「エリシア……!」
『泣かないで』
結晶の中の少女は、目を閉じたまま言った。
『あなたが泣くと、私まで悲しくなる』
「私は……あなたに、謝らなければならない」
『ええ』
あまりにも静かな返事だった。
第三創造者の唇が震える。
「私は、あなたの魂を守るために、あなたの記憶を切り離した。あなたが世界に戻るために必要だと思ったから……別の魂を、あなたの残した記憶と力に結びつけた」
『……そうね』
「でも、その魂はあなたの代わりではなかった。あなたの続きを生きるための器でもなかった」
彼女は目を伏せた。
「私は、リリアを一人の人間として見ていなかった。あなたを救うために必要な存在としてしか、見ていなかったの」
結晶の表面に、細い亀裂が走った。
『それが、あなたの罪なのね』
「……そうよ」
第三創造者は、顔を覆った。
「私は、あの子が自分で選べる未来を残したかった。なのに、私自身があの子の未来を決めようとしていた」
沈黙が流れた。
やがて、エリシアが尋ねた。
『それで、あの子を消そうとしたの?』
第三創造者の身体が凍りついた。
「……知っていたの?」
『全部ではないわ。でも、あなたが何を恐れているのかは、わかる』
結晶の中で、エリシアの瞳がゆっくりと開いた。
淡い金色の光が、暗闇を照らす。
『あなたは、私が目覚めたとき、また同じ選択をすると思っているのでしょう?』
「あなたは、あの人を取り戻そうとする」
第三創造者は、涙をこらえながら答えた。
「そして、もしそれができなければ、今度こそ世界を壊すかもしれない」
『……そうかもしれない』
エリシアは否定しなかった。
『でも、それを決めるのは、今の私でなければならないわ』
第三創造者は顔を上げた。
『リリアが私の記憶を受け継いでいるとしても、あの子は私ではない。私が犯した罪も、私が選べなかった未来も、あの子に押しつけてはいけない』
「……わかっている」
『本当に?』
その問いに、第三創造者は答えられなかった。
エリシアは悲しそうに微笑んだ。
『あなたは、まだあの子に会うのが怖いのね』
「……怖いわ」
第三創造者は、ようやく本音を口にした。
「リリアに真実を知られたら、私はきっと許してもらえない。あの子は、私が自分の誕生を利用したことを知るでしょう。そして、私が誰かを守るために、別の誰かを犠牲にしたことも」
『それでも、話さなければならないわ』
「……ええ」
第三創造者は、ゆっくりとうなずいた。
「今度こそ、隠さない」
*
神殿へ向かう道の途中で、リリアたちは異変に遭遇した。
街道の先に、白い霧が立ち込めていたのだ。
霧の中には、人影がいくつも浮かんでいる。
旅人。
兵士。
幼い子ども。
その誰もが、顔を持っていなかった。
「何、あれ……」
ミラが息をのむ。
レオンは剣の柄に手をかけた。
「記憶の残滓だ。忘却の塔で見たものと同じ種類かもしれない」
だが、霧の中の人影は、ただの残滓ではなかった。
彼らはリリアを見つけると、一斉に顔のない頭を上げた。
『……返せ』
声が重なった。
『私たちの未来を返せ』
『失われたものを返せ』
『お前だけが、なぜ生きている』
リリアの胸が締めつけられた。
それらは、彼女に向けられた声だった。
過去のエリシアが何かを選び、その結果、失われた者たちの声。
その一つが、リリアの目の前まで近づいた。
『お前は、また誰かを犠牲にするのか』
「……私は」
答えようとしたが、言葉が出なかった。
まだ何も知らない。
自分が何をしたのかも。
誰を失わせたのかも。
それなのに、世界は彼女に責任を求めている。
そのとき、アレンが一歩前へ出た。
「彼女は、まだ何も選んでいない」
霧の中の人影が、彼を見る。
「過去に何があったとしても、今ここにいる彼女に、知らない罪まで背負わせるな」
『ならば、誰が償う』
「それを決めるためにも、真実が必要なんだ」
アレンは剣を抜かなかった。
ただ、リリアの前に立ち続けた。
その姿を見て、リリアは胸の奥が熱くなるのを感じた。
守られている。
けれど、彼は自分の代わりに選ぼうとしているのではない。
彼女が選ぶまで、隣に立とうとしているのだ。
リリアは一歩、前へ出た。
「……私は、あなたたちの声を聞く」
顔のない人影が揺れた。
「でも、まだ何も知らないまま、自分を罰することはしない。私が本当に何かをしたのなら、その真実を知ってから向き合う」
リリアは震える手を握りしめた。
「そして、同じことを繰り返さないために、私にできることを探す」
その瞬間、彼女の胸元に、あの見知らぬ紋様が浮かび上がった。
今度は、黒い光ではなかった。
淡い銀色の光が、霧の中へ広がっていく。
人影たちの輪郭が、少しずつ明らかになった。
その中に、一人の少女がいた。
銀髪。
紫色の瞳。
白い花を胸に抱いている。
忘却の塔で見た少女によく似ていた。
彼女はリリアを見つめ、かすかに微笑んだ。
『……そう。あなたは、まだ選べるのね』
「あなたは誰?」
リリアが尋ねた瞬間、少女の姿が薄れていく。
『第三創造者に聞いて』
その声は、消える直前にもう一つの言葉を残した。
『そして、あの人の名前を知ることを恐れないで』
霧が晴れた。
道には、何も残っていなかった。
ただ、リリアの手のひらには、白い花びらが一枚、静かに落ちていた。
そこには、見たことのない文字が刻まれていた。
――《エリシアの最初の選択》。
*
その夜。
リリアたちは、神殿の門前にたどり着いた。
巨大な扉は、すでに開かれていた。
門の向こうに立っていたのは、第三創造者だった。
黒い髪。
黄金の瞳。
そして、今までとは違う、疲れ切った表情。
彼女はリリアを見つめ、深く頭を下げた。
「……来てくれたのね」
リリアは立ち止まった。
「あなたに聞きたいことがある」
「ええ。すべて話すわ」
第三創造者は顔を上げた。
「あなたが生まれた理由も。私が犯した罪も。そして、エリシアが最後に選んだことも」
彼女は、震える手を差し出した。
「ただし、話を聞いたあと、私を許す必要はない」
リリアはその手を見つめた。
許すかどうかは、まだわからない。
けれど、真実を聞くことから逃げるつもりはなかった。
「……話して」
リリアが答えた瞬間、神殿の奥から大きな音が響いた。
結晶が砕けるような音。
第三創造者の顔が青ざめた。
「そんな……早すぎる」
「何が起きたの?」
彼女は振り返り、神殿の最深部を見つめた。
「エリシアの魂が、目覚めようとしている」
そして、震える声で続けた。
「でも、あの子が目覚める前に、あなたに伝えなければならないことがある」
黄金の瞳が、リリアを見据えた。
「リリア。あなたは、エリシアを救うために生まれたのではない」
リリアの呼吸が止まった。
「……え?」
「あなたは、エリシアがもう一度、同じ過ちを犯さないために生まれたの」
第三創造者の声が、静かに響く。
「そして、あなたがこの世界に生まれることを選んだのは――」
その瞬間、神殿全体が激しく揺れた。
最深部から、金色の光があふれ出す。
第三創造者は、言葉を止めた。
結晶の中から、少女の声が響いたからだ。
『……もう、十分よ』
リリアは、その声を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなるのを感じた。
初めて聞いたはずなのに。
ずっと昔から知っていたような声。
そして、声は続いた。
『今度は、私が選ぶ番だから』
神殿の扉が、音もなく閉じた。
第三創造者が目を見開く。
「……エリシア!」
その叫びと同時に、リリアの意識は深い光の中へ引き込まれた。
そこで彼女を待っていたのは、白い花が咲き乱れる庭と、一人の少女だった。
リリアと同じ顔をした、もう一人の自分。
その少女が、ゆっくりと振り返る。
『やっと会えたわね、リリア』
少女は微笑んだ。
『あなたに、私の最初の選択を見せてあげる』
第46話・
次回、第47話「エリシアが世界に隠したもの」
リリアの意識を導いたのは、目覚め始めたエリシアの魂だった。第三創造者が隠し続けた罪と、リリアが生まれることになった本当の理由。そして、世界の始まりにエリシアが選んだ、誰にも語られなかった未来が明かされる。




