第47話 エリシアが世界に隠したもの
第47話 エリシアが世界に隠したもの
白い花が、どこまでも咲いていた。
空はなく、地平線もない。
ただ、柔らかな光に包まれた庭の中央に、一人の少女が立っている。
リリアと同じ顔。
同じ青い瞳。
けれど、その少女の瞳の奥には、長い年月を生きた者だけが持つ、深い悲しみが宿っていた。
『やっと会えたわね、リリア』
少女は微笑んだ。
リリアは、すぐには答えられなかった。
目の前にいるのは、エリシアの魂なのだろう。
自分の中に残された記憶の持ち主。
世界を創造し、神々に拒絶され、処刑されたと記録された少女。
そして、自分が生まれることになった理由を知る者。
「……あなたが、エリシア?」
『ええ』
「あなたは、私なの?」
エリシアは少しだけ考え、それから首を横に振った。
『いいえ。あなたはあなた。私は私よ』
その答えに、リリアは目を見開いた。
『私の記憶を受け継いでいるからといって、あなたが私になるわけではない。あなたが私と同じ顔をしていても、同じ力を持っていても、それだけであなたの人生が私のものになるわけではないの』
エリシアは、自分の胸に手を当てた。
『私は、それを誰よりも知っているはずだった。なのに、最後には忘れてしまった』
「最後には……?」
エリシアの笑顔が消えた。
『あなたに見せるわ。私が世界に隠したものを』
彼女が手を伸ばすと、白い花々が一斉に光を放った。
庭の景色が崩れ、リリアの足元から世界が広がっていく。
そこは、何もない空間だった。
大地も、空も、星もない。
ただ、三つの光だけが存在していた。
一つは金色。
一つは銀色。
そして、もう一つは、名前のない淡い光だった。
『これは、世界が生まれる前の記憶よ』
エリシアの声が響く。
『神々が生まれるよりも前。時間も、命も、死も存在しなかったころの記憶』
金色の光から、幼い少女が現れた。
エリシアだった。
その隣には、銀髪の青年がいる。
紫色の瞳を持つ、あの人物。
原初の観測者と呼ばれた青年だ。
そして、少し離れた場所には、銀髪の少女が立っていた。
彼女は白い花を手にしながら、二人の会話を聞いている。
『世界を創りたいの』
幼いエリシアが言った。
『誰も、自分が生まれた理由を知らない世界じゃなくて。誰も、誰かの命令だけで生きる世界じゃなくて』
彼女は、両手を広げた。
『みんなが、自分で選べる世界を創りたい』
青年は静かにうなずいた。
『ならば、君は選択することの意味を、最後まで忘れてはいけない』
『忘れないわ』
『誰かが間違えたときも?』
『ええ』
『誰かが君を傷つけたときも?』
『……それは、少し難しいかもしれない』
エリシアは、困ったように笑った。
『でも、だからこそ、選べる世界にしたいの』
青年も微笑んだ。
『それなら、私は君を見届けよう』
その言葉を聞いた瞬間、リリアの胸が痛んだ。
この青年は、エリシアにとって大切な存在だったのだろう。
彼女が世界を創ろうとした理由を理解し、その選択を見届けると約束した人物。
けれど、その青年は今、世界の外に囚われている。
そして、エリシアは彼を取り戻そうとして、世界を壊しかけた。
「……どうして、彼はいなくなったの?」
リリアが尋ねると、エリシアは悲しそうに目を伏せた。
『それを話すには、もう少し先まで見なければならないわ』
景色が変わった。
今度は、世界が生まれた直後の光景だった。
無数の星が輝き、大地が形を持ち、命が芽吹いていく。
エリシアは、世界の中心に立っていた。
彼女の周囲には、七つの光が浮かんでいる。
やがて、それぞれの光が人の姿を取り始めた。
七柱の神々だった。
彼らはエリシアの前にひざまずいた。
『創造主よ。あなたが生み出した世界を、私たちが管理しましょう』
神々の一人が告げる。
『人々が争わぬように。世界が滅びぬように。あなたの創った秩序を、私たちが守ります』
幼いエリシアは、嬉しそうに笑った。
『ありがとう。お願いするわ』
その言葉に、神々は深く頭を下げた。
だが、次の瞬間。
七つの光の奥に、黒い影が生まれた。
リリアは息をのんだ。
神々の姿が、一瞬だけ歪んだのだ。
まるで、彼らの中に別の何かが潜んでいるように。
『……あれは?』
『神々が管理者となったとき、世界の外から入り込んだものよ』
エリシアの声が低くなる。
『私は、あのとき気づかなかった』
「世界の外から……?」
『ええ。神々は、私が創った存在ではなかった。少なくとも、彼らのすべてが、私の意思だけから生まれたわけではなかったの』
リリアは、これまでに見た記録を思い出した。
神々を創った者。
神々に創られた者。
そして、世界の外に存在する何者か。
すべてが、少しずつつながり始めている。
『私は世界を創ることに夢中だった。だから、管理を任せた神々が何を求めているのか、深く考えなかった』
エリシアは、苦しそうに目を閉じた。
『それが、私の最初の過ちだった』
景色が暗くなる。
神々が人々に命令を下す。
選択肢を制限し、記憶を書き換え、世界の歴史を自分たちに都合よく変えていく。
やがて、神々はエリシアの力を求め始めた。
『創造主よ。あなたの力を、私たちにお譲りください』
『どうして?』
『私たちが、より完全な世界を管理するためです』
エリシアは首を横に振った。
『世界は、完全である必要なんてないわ。間違えることも、迷うことも、誰かを好きになることも……全部、その人が選べるからこそ意味があるの』
神々の表情が変わった。
『その考えが、世界を不安定にするのです』
『それでも、私は譲らない』
エリシアは一歩も引かなかった。
だが、その決断が、神々との対立を決定的なものにした。
世界のあちこちで、争いが起こり始める。
神々はエリシアを危険な存在として記録し、彼女の力を封じようとした。
そして――。
銀髪の青年が、世界の外へと押し出されていく光景が映った。
「……っ!」
リリアは口元を押さえた。
エリシアが青年へ駆け寄ろうとする。
しかし、彼の身体は光の向こうへ遠ざかっていく。
『エリシア』
青年は、最後まで穏やかな声をしていた。
『君は、世界を選んだんだ』
『違う! 私は、あなたも……!』
『ならば、いつか君自身が答えを選ぶといい』
青年は微笑んだ。
『私を取り戻すために世界を壊すのか。それとも、私を失ったままでも生きていくのか』
その言葉は、忘却の塔で聞いた声と同じだった。
リリアは、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
エリシアは、青年を失ったあとも、世界を守ろうとした。
けれど、失った悲しみは消えなかった。
そして、彼女はいつしか、世界を創った理由そのものを見失いかけたのだ。
「……あなたは、彼を取り戻すために世界を壊そうとしたの?」
リリアが尋ねる。
エリシアは、しばらく黙っていた。
『最初は、違ったわ』
「最初は……?」
『私は、神々が彼を世界の外へ追いやったことを許せなかった。でも、世界そのものを憎んでいたわけではない』
彼女は、遠ざかっていく青年を見つめた。
『ただ、彼がいなくなった世界で、私は何を守ればいいのかわからなくなってしまった』
エリシアの声が震えた。
『世界を創った理由を忘れかけたとき、私は彼を取り戻すことだけを考えるようになったの』
リリアは何も言えなかった。
誰かを失うこと。
自分が大切にしていたものを、もう二度と取り戻せないかもしれないこと。
その痛みを、完全に理解することはできない。
けれど、想像することはできた。
そして、エリシアがその痛みの中で、どんな選択をしようとしたのかも。
『だから、私は決めたの』
エリシアがリリアを振り返った。
『もし、いつか私が自分の願いのために世界を犠牲にしようとしたら、私とは違う誰かに、未来を選んでほしいと』
「それが……私?」
『ええ』
エリシアは、ゆっくりとうなずいた。
『私は自分の魂を完全に消すことができなかった。でも、私の記憶と力を、私とは違う魂に託すことはできた』
リリアの胸元が淡く光った。
『あなたは、私の代わりとして生まれたわけではない。私がもう一度生きるためだけに生まれたわけでもない』
エリシアは、まっすぐにリリアを見つめた。
『あなたが、私とは違う答えを選べるように。その可能性を残すために、あなたはここにいるの』
リリアの目に、涙が浮かんだ。
「でも……それなら、どうして第三創造者は私を消そうとしたの?」
『あの子は、怖かったのよ』
「怖かった?」
『私がまた同じ過ちを犯すこと。そして、あなたが私の記憶を受け継いだ結果、私と同じように誰かを失うことを』
エリシアは悲しそうに微笑んだ。
『あの子は、あなたを守ろうとした。でも、守ることに必死になるあまり、あなたが自分で選ぶ権利を忘れてしまった』
リリアは、あの黄金の瞳を思い出した。
第三創造者は、確かに何かを隠していた。
けれど、ただ自分の罪を隠したかっただけではないのかもしれない。
彼女もまた、誰かを失うことを恐れていたのだ。
「……私、第三創造者を許せるかどうか、まだわからない」
『それでいいのよ』
エリシアはうなずいた。
『許すことも、許さないことも、あなたが決めることだから』
その言葉に、リリアは顔を上げた。
自分が何者なのか。
何のために生まれたのか。
その答えは、少しずつ見えてきた。
けれど、まだ一つだけ、わからないことがある。
「エリシア。あなたは、私に未来を選んでほしいと言った」
『ええ』
「それなら、あなた自身はどうしたいの?」
エリシアの表情が止まった。
「あなたは、まだ彼を取り戻したいの? それとも、もう一度、世界を守りたいの?」
長い沈黙が流れた。
やがて、エリシアはゆっくりと口を開いた。
『……わからない』
その答えは、あまりにも正直だった。
『私は、彼に会いたい。もう一度、話したい。謝りたいことも、伝えたいことも、たくさんある』
彼女は目を伏せた。
『でも、彼を取り戻すために、誰かを犠牲にしたいとは思わない』
「……うん」
『ただ、それでも私は、彼を失ったまま生きていけるのか、まだわからないの』
エリシアの瞳から、涙が一粒落ちた。
『だから、リリア。あなたに答えを押しつけるつもりはないわ』
彼女は、そっと手を差し出した。
『ただ、私が知らなかった未来を、あなたが見つけてくれたら……私は、それを見てみたい』
リリアは、その手を見つめた。
触れれば、もっと多くの記憶が戻るかもしれない。
自分の知らない過去も、エリシアの罪も、すべてが明らかになるかもしれない。
それでも、リリアは迷わず手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、白い庭が光に包まれた。
そして、最後の記憶が流れ込んできた。
世界が崩壊しかけた日。
エリシアが、第三創造者の前に立っていた。
『お願い。私の魂を、残して』
『……何をするつもりなの?』
『わからない。でも、いつか私とは違う答えを選ぶ誰かが現れるかもしれない』
エリシアは、涙を流しながら微笑んだ。
『その子には、私が選べなかった未来を選んでほしいの』
第三創造者は首を横に振った。
『あなたを失いたくない』
『私も、あなたと別れたくない』
エリシアは彼女を抱きしめた。
『でも、私のために誰かの未来を奪わないで』
その言葉が、リリアの胸に深く刻まれた。
そして、記憶の最後に、エリシアが告げた。
『いつか、私がもう一度目覚めたとき……そのときは、私自身にも選ばせて』
光が消えた。
白い庭に、二人の少女が立っていた。
リリアと、エリシア。
同じ顔をした二人は、もう鏡のようには見えなかった。
それぞれが、自分自身の意思を持った、一人の人間だった。
「……ありがとう」
リリアが言った。
「あなたの記憶を知ることができて、よかった」
エリシアは微笑んだ。
『私も、あなたに会えてよかった』
その瞬間、庭の向こう側で、黒い亀裂が走った。
白い花々が揺れ、空間が崩れ始める。
エリシアの表情が変わった。
『……もう、時間がない』
「何が起きているの?」
『私の魂が、目覚めようとしているの』
彼女はリリアの手を握った。
『でも、完全に目覚めるためには、あなたとの再接続が必要になる』
「再接続したら、私はどうなるの?」
エリシアは、すぐには答えなかった。
そして、静かに告げた。
『あなたが望まないなら、無理に一つになる必要はないわ』
リリアは目を見開いた。
『私があなたの中にいることと、あなたが私になることは違う。私の魂を救うために、あなたの人生を奪うつもりはない』
その言葉に、リリアは強くうなずいた。
「……私、自分で選ぶよ」
エリシアは、安心したように微笑んだ。
『ええ。それでいいの』
白い庭が、完全に崩れた。
リリアの意識が、光の向こうへ引き戻される。
最後に、エリシアの声が聞こえた。
『リリア。気をつけて』
『私が世界に隠したものは、まだ一つ残っている』
『それは、私が誰を救うために世界を創ったのかという記憶』
そして、声が途切れた。
リリアが目を開けたとき、そこは神殿の最深部だった。
アレンが、彼女の身体を支えている。
「リリア! 大丈夫か?」
「……うん」
リリアは、ゆっくりと顔を上げた。
目の前では、第三創造者が立ち尽くしていた。
彼女の黄金の瞳には、驚きと、安堵と、深い悲しみが浮かんでいる。
「……あなたは、エリシアに会ったのね」
「うん。いろいろなことを聞いたよ」
リリアは、第三創造者を見つめた。
「あなたが何を恐れていたのかも、少しだけわかった」
第三創造者は、目を伏せた。
「……それでも、私はあなたに謝らなければならない」
「ええ。話してほしい。まだ、知らないことがたくさんあるから」
リリアは、静かに答えた。
「でも、私は私として生きる。エリシアの代わりになるためじゃなく、誰かの願いをかなえるためだけでもなく」
青い瞳に、確かな光が宿った。
「自分で選ぶために」
第三創造者は、長い間、何も言わなかった。
やがて、彼女は深く頭を下げた。
「……ありがとう、リリア」
その瞬間、神殿の最深部で、結晶が大きく揺れた。
ひび割れた表面から、金色の光があふれ出す。
エリシアの魂が、目覚めようとしている。
だが、その光の中に、もう一つの影が浮かび上がった。
長い銀髪。
紫色の瞳。
世界の外に囚われた、原初の観測者。
彼は、閉じた目のまま、かすかに笑った。
『……ようやく、始まるのか』
その声を聞いた第三創造者の顔が、凍りついた。
「……そんな。まだ、早すぎる」
彼女は震える手を伸ばした。
「彼が目覚めれば、エリシアは……!」
言葉の続きを口にすることはできなかった。
結晶の中で、エリシアの瞳が、ゆっくりと開いたからだ。
第47話・
次回、第48話「目覚める創造主、戻らない観測者」
エリシアの魂が目覚め始め、世界の外に囚われた原初の観測者にも変化が起きる。第三創造者が恐れていたのは、エリシアの復活そのものではなかった。二人が再び出会ったとき、世界の根幹を揺るがす選択が始まる――。




