第44話 第二創造者が忘れた残酷な約束
第44話 第二創造者が忘れた残酷な約束
忘却の塔を出たとき、空には夕暮れが広がっていた。
赤く染まった雲の向こうに、七柱の神々を象徴する光が浮かんでいる。
そのうちの一つは、すでに消えていた。
残る六つの光も、以前より明らかに弱くなっている。
神々の支配が揺らいでいる。
それは確かなことだった。
けれど、リリアの胸には、勝利の予感よりも重い疑問が残っていた。
エリシアの魂を守り続けていた第三創造者。
記憶を失いながら、エリシアとの約束を守ろうとしていたセフィル。
そして、彼らが隠し続けてきた真実。
――第二創造者は、第一創造者に真実を告げなければならない。
あの記録が示した言葉は、何を意味しているのだろう。
「セフィル、大丈夫?」
隣を歩いていたミラが声をかけた。
セフィルは少しだけ顔を上げた。
「大丈夫だ。……と言いたいところだけど、正直、何もわからない」
「思い出したくないことがあるのかもしれないわね」
「そうかもしれない」
彼は自分の手を見つめた。
「でも、忘れていたことを理由に、何も知らないままでいるのは嫌なんだ」
その言葉には、かつて神々の命令に従っていた使者の面影はなかった。
誰かに与えられた役目ではなく、自分自身の意思で真実を求めている。
リリアは、その姿を見て小さくうなずいた。
「私も一緒に探すよ。セフィルだけに背負わせない」
「……ありがとう、リリア」
セフィルは微笑んだ。
けれど、その笑顔はすぐに消えた。
彼の胸元に刻まれた紋章が、突然、強い光を放ったからだ。
「これは……!」
セフィルが立ち止まる。
次の瞬間、全員の足元に白い円が広がった。
空間が歪み、景色が消える。
アレンがリリアの腕をつかみ、レオンがミラとカイルを引き寄せた。
しかし、光は彼らを攻撃しなかった。
ただ、全員をどこかへ導いていた。
そして、視界が戻ったとき。
彼らは、見知らぬ場所に立っていた。
そこには空も大地もなかった。
果てしない暗闇の中に、無数の白い花が浮かんでいる。
花びらの一枚一枚には、小さな文字が刻まれていた。
失われた記憶。
消された名前。
果たされなかった約束。
それらが、花となって眠っている。
「ここは……?」
ミラが周囲を見回した。
セフィルは震える声で答えた。
「記憶の保管領域……いや、違う」
彼は一輪の花に近づいた。
その花びらに刻まれていたのは、彼自身の名前だった。
セフィル・ルシエン。
触れた瞬間、花が開いた。
そして、声が響いた。
『第二創造者、記憶の封印領域へようこそ』
低く、感情のない声だった。
『これより、未完了の約束に関する記録を再生します』
「待ってくれ!」
セフィルが叫ぶ。
「誰が、こんな記録を残したんだ!」
『記録者――第二創造者、セフィル・ルシエン』
沈黙が落ちた。
セフィル自身が残した記録。
それはつまり、彼が忘れる前に、自分の意思で何かを封じたということだった。
白い花々が一斉に揺れた。
中央に、巨大な扉が現れる。
扉には三つの紋章が刻まれていた。
第一創造者。
第二創造者。
そして、第三創造者。
その下に、文字が浮かび上がる。
《閲覧条件――第二創造者による承認》
セフィルは迷わなかった。
「承認する」
扉が開いた。
その向こうには、白い部屋があった。
部屋の中央に、一人の少女が立っている。
銀色の髪。
紫色の瞳。
胸元には、白い花。
リリアが忘却の塔で見た、あの少女と同じ姿だった。
けれど、彼女の表情は違っていた。
泣いてはいなかった。
怒ってもいなかった。
ただ、深い諦めを抱いたような目で、セフィルを見つめていた。
『久しぶりね、セフィル』
「君は……誰なんだ?」
少女は悲しそうに微笑んだ。
『あなたが忘れることを選んだ相手よ』
その一言で、セフィルの顔が強張った。
少女は続けた。
『あなたは、エリシアを救うために、私との約束を捨てた』
「……違う」
『違わないわ』
少女が手を伸ばす。
その指先がセフィルの胸元に触れた瞬間、部屋の景色が変わった。
そこは、世界が生まれる直前の場所だった。
何もない空間に、エリシアが立っている。
その前には、銀髪の少女と、長い銀髪を持つ紫色の瞳の青年がいた。
そして、少し離れた場所に、幼いセフィルが立っていた。
エリシアは泣いていた。
『お願い……あの人を、取り戻したいの』
青年は静かに首を振った。
『彼を取り戻せば、世界の均衡が崩れる。今度こそ、すべてが壊れる』
『それでも……!』
『エリシア』
青年の声は優しかった。
『君が選ぶべきなのは、彼を取り戻すことだけじゃない。彼がいなくても、君が生きていける未来を選ぶことだ』
エリシアは答えなかった。
ただ、青年を見つめていた。
その目には、絶望と、どうしようもない愛情が混じっていた。
やがて、エリシアはセフィルの方を振り向いた。
『セフィル。約束して』
『何を?』
『私がこの世界を壊そうとしたら、止めて』
幼いセフィルは、うなずいた。
『わかった』
そこで記憶が途切れるかと思われた。
しかし、次の瞬間。
銀髪の少女が、エリシアの手を握った。
『なら、私からもお願いがあるの』
彼女はセフィルを見つめた。
『もしエリシアが、自分の罪を忘れようとしたら……あなたは、絶対に思い出させて』
セフィルは戸惑った。
『罪? エリシアは、何も悪いことをしていないよ』
『いいえ』
少女は静かに首を振った。
『エリシアは、これから大きな過ちを犯す。そして、その過ちを正すために、誰かを犠牲にしようとする』
エリシアが顔を上げた。
『やめて……』
『だから、セフィル。あなたに頼みたいの』
少女は、涙をこらえながら微笑んだ。
『たとえエリシアがあなたを憎んでも、あなた自身が彼女を憎むことになっても……真実を伝えて』
幼いセフィルは、しばらく黙っていた。
やがて、彼は少女の手を取った。
『約束する』
少女は、ようやく安心したように目を閉じた。
しかし、その直後だった。
世界に亀裂が走った。
遠くで、何かが崩れる音がした。
エリシアの身体から、黒い光があふれ出す。
『だめ……! まだ、終わらせたくない!』
彼女の声が、世界を揺らした。
白い花が一斉に散る。
銀髪の青年がエリシアへ駆け寄ろうとしたが、光の壁に阻まれた。
その瞬間、銀髪の少女がセフィルに叫んだ。
『忘れないで! あの子が何を選んでも、最後まで真実を伝えて!』
記憶が暗転した。
白い部屋に戻ったセフィルは、床に膝をついていた。
呼吸が乱れ、指先が震えている。
「……俺は、約束したんだ」
彼は、かすれた声でつぶやいた。
「エリシアが罪を忘れないように……彼女が自分自身を欺かないように」
銀髪の少女は、静かにうなずいた。
『でも、あなたは最後に、もう一つの選択をした』
「もう一つ……?」
『エリシアが真実を知れば、きっと自分を許せなくなる。だからあなたは、真実を伝える役目を果たす代わりに、その記憶を封じた』
セフィルは顔を上げた。
「そんなことをしたら、約束を破ることになる!」
『ええ。だから、あなたは自分自身に罰を与えたの』
少女の声は、静かだった。
『真実を忘れること。自分の名前さえ奪われても、エリシアを守ること。それが、あなたの選んだ罰だった』
リリアは、胸が締めつけられるのを感じた。
セフィルは、ただ記憶を奪われた被害者ではなかった。
彼自身もまた、誰かを守るために、残酷な選択をしていたのだ。
しかし、それは本当に正しい選択だったのだろうか。
アレンが一歩前へ出た。
「その約束を守るために、今度は何をすればいい?」
少女は彼を見た。
『エリシアに、真実を告げること』
「それだけか?」
『いいえ』
少女の瞳が、リリアへ向けられた。
『真実を告げる相手は、エリシアだけではないわ』
リリアの心臓が跳ねた。
「……私にも、関係があるの?」
『あなたは、エリシアの記憶を受け継いでいる。でも、彼女が犯した罪を、あなた自身の罪だと思い込んではいけない』
少女は、まっすぐにリリアを見つめた。
『あなたは、彼女とは違う人間として生きている。だからこそ、あなたには選べるの』
「何を……?」
『彼女が犯した過ちを、繰り返すのか。それとも、彼女が選べなかった未来を選ぶのか』
その言葉に、リリアは息を止めた。
彼女が選べなかった未来。
それは、エリシアが失った誰かを取り戻すことを諦める未来なのだろうか。
それとも、誰かを犠牲にしなくても、すべてを救える未来なのだろうか。
まだ、答えはわからない。
けれど、一つだけ確かなことがあった。
エリシアの魂を守るために、誰かが犠牲になった。
そして、その犠牲を知ることこそが、次の選択につながるのだ。
セフィルは、ゆっくりと立ち上がった。
「……俺は、もう逃げない」
彼は少女を見つめた。
「たとえ、エリシアに憎まれても。リリアに、俺の選択を否定されても。忘れていた約束を、今度こそ果たす」
少女は、少しだけ微笑んだ。
『ありがとう、セフィル』
その身体が、白い花びらとなって消えていく。
最後に、彼女の声だけが残った。
『でも、気をつけて』
白い部屋に、冷たい風が吹いた。
『第三創造者は、あなたが真実を思い出すことを望んでいない』
セフィルの表情が変わった。
『そして、あなたが思い出したことを知れば……彼女は、きっとリリアを消そうとする』
光が弾けた。
次の瞬間、リリアたちは忘却の塔の地下記録室に戻っていた。
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
やがて、カイルが低い声でつぶやいた。
「第三創造者は、何を恐れているんだ……?」
その問いに答える者はいなかった。
ただ、セフィルの胸元の紋章に、新しい文字が刻まれていた。
《第二の約束、復元》
《第三の約束、再接続》
《第一創造者への告白、準備完了》
そして、最後に。
《告白の代償――第二創造者が最も守りたい存在の消失》
リリアは、その文字を見つめた。
「……代償?」
セフィルは、顔を上げなかった。
彼は知っていたのだろうか。
真実を告げれば、誰かが消える。
それが、かつて自分が選んだ残酷な約束の代償なのだと。
そのとき、遠く離れた神殿で、第三創造者が目を閉じた。
「……思い出してしまったのね、セフィル」
彼女の前には、エリシアの魂を宿した結晶が浮かんでいた。
「ならば、もう時間がない」
黄金の瞳が、冷たく輝く。
「リリアが真実を知る前に、あの子を止めなければ」
彼女は指を動かした。
世界のどこかで、古い封印が一つ、音もなく解けた。
そして、封印の奥で眠っていた人物が、ゆっくりと目を開いた。
「……ようやく、呼んでくれたか」
その声は、リリアによく似ていた。
けれど、その瞳には、創世の光ではなく――深い憎しみが宿っていた。
第44話・
次回、第45話「リリアを消そうとする者」
第三創造者が解いた封印。その奥から目覚めたのは、リリアと同じ顔を持つ謎の人物だった。彼女はなぜリリアを憎むのか。そして、セフィルが真実を告げたとき、いったい誰が消えてしまうのか。




