第42話 処刑されなかった創造主
第42話 処刑されなかった創造主
《第三の約束、再起動》
《最終選択者――所在を確認》
《対象――リリア・エヴァンジェル》
記録区画の壁に浮かび上がった文字は、しばらく消えなかった。
誰もが、その意味を考えていた。
やがて、最初に口を開いたのはセフィルだった。
「……おかしい」
彼は剣に刻まれた文字を見つめていた。
「どうしたの?」
リリアが尋ねる。
「この記録が正しいなら、エリシアは処刑されたはずだ。けれど、第三の約束は完了していない。つまり、処刑という行為そのものが、何らかの理由で成立しなかったことになる」
「でも、私は今ここにいる。エリシアの記憶だって、少しずつ戻ってきている」
「そうだ。だからこそ、矛盾しているんだ」
セフィルは、銀色の剣に手を伸ばしかけ、途中で止めた。
「もしエリシアが完全に死んでいたのなら、君がその魂を継承していたとしても、契約は終了しているはずだ。なのに、世界は君を最終選択者として認識している」
アレンが眉をひそめる。
「つまり、リリアはエリシアの生まれ変わりというだけじゃないってことか?」
「可能性は高い」
セフィルは、慎重に言葉を選んだ。
「エリシアの魂は、処刑によって完全には消滅しなかった。あるいは……処刑されたのは、彼女の魂ではなかったのかもしれない」
「魂ではなかった?」
ミラが首をかしげる。
「そんなことができるの?」
「創世の理なら、可能かもしれない」
その答えに、リリアは自分の胸元を押さえた。
自分の中には、エリシアの記憶がある。
彼女の悲しみも、後悔も、誰かを取り戻したいという願いも、断片的ながら感じ取れる。
けれど、それが自分の魂とどう結びついているのかは、まだ分からない。
もし、エリシアが処刑されたあとも何かを残していたのなら。
その残されたものは、いったいどこにあるのだろう。
「……確かめたい」
リリアは、剣を見つめた。
「この記録が意味することを、もっと知りたい」
「待て」
アレンが彼女の前に立った。
「これ以上、剣に触れるのは危険だ。さっきの記憶だけでも、カイルは倒れかけたんだぞ」
「分かってる。でも、私が触れたときには、何も起きなかった」
「何も起きなかったからといって、安全だとは限らない」
アレンの声は厳しかった。
リリアは、すぐには答えられなかった。
彼が心配していることは分かる。
そして、自分が焦っていることも。
記憶が戻るたび、知らなかった自分の姿が現れる。
そのたびに、自分が信じていたものが揺らいでいく。
早く真実を知りたい。
けれど、その焦りが、また誰かを傷つけることになるかもしれない。
「……今は、無理に触れない」
リリアがそう言うと、アレンはようやく肩の力を抜いた。
「約束だからな」
「うん」
そのとき、カイルがゆっくりと立ち上がった。
「俺から、ひとつ提案がある」
全員の視線が集まる。
「この剣の記録には、処刑執行者として俺の名前が刻まれていた。なら、俺の記憶を先に調べるべきだと思う」
「カイル、でも……」
「大丈夫だ、リリア」
彼は穏やかに微笑んだ。
「さっきの記憶は苦しかった。だが、あのときの俺が何を考えていたのか、少しだけ分かった気がする」
指輪を見つめる。
「俺は、エリシアを憎んでいたわけじゃない。むしろ、彼女を救いたかったんだと思う」
カイルの声に、わずかな震えが混じった。
「それなのに、俺は剣を握っていた。どうしてそんな選択をしたのか、知らなければならない」
リリアは、静かにうなずいた。
「分かった。一緒に調べよう」
◇
記録区画の奥には、もうひとつの扉があった。
これまで誰も気づかなかった、壁と同じ色をした小さな扉だ。
カイルが指輪を近づけると、白い花の紋章が反応した。
扉が開く。
その向こうにあったのは、狭い部屋だった。
中央には透明な結晶が浮かび、その中に、黒い紙片のようなものが閉じ込められている。
「記録媒体か?」
レオンが近づいた。
「いや、違うな。これは……処刑の際に切り離された記憶の残骸だ」
セフィルが結晶を見つめる。
「触れれば、記憶を再生できるかもしれない。ただし、誰の記憶なのかは分からない」
「俺が試す」
カイルが一歩前に出た。
「待って。カイルの記憶には、まだ封印が残っているかもしれない」
リリアが制止した。
「だったら、僕が先に確認する」
セフィルが結晶に手をかざす。
第二創造者の紋章が淡く光った。
しばらくして、彼は苦しそうに目を閉じた。
「……これは、僕の記憶じゃない」
「何が見えたの?」
ミラが尋ねる。
「処刑の直前だ。エリシアとカイルが向かい合っている。けれど、二人の周囲には誰もいない」
「神々はいなかったのか?」
アレンの問いに、セフィルは首を横に振った。
「分からない。ただ、記録が意図的に切り取られている。肝心な部分だけが、誰かによって消されているんだ」
「誰が?」
セフィルは、結晶を見つめたまま答えた。
「おそらく、処刑を記録した者自身だ」
その言葉に、レオンが顔を上げた。
「……記録者が、自分で記録を消したのか」
「ああ。しかも、記憶を消しただけじゃない。処刑そのものが成立したと、世界に認識させるための細工が施されている」
リリアの背筋に、冷たいものが走った。
誰かが、エリシアの処刑を偽装した。
世界に、彼女が死んだと思わせるために。
ならば、その人物はなぜ、そんなことをする必要があったのだろう。
「もう一度、再生できない?」
リリアが尋ねると、セフィルはしばらく考え、うなずいた。
「できるかもしれない。ただし、今度はカイルの指輪が必要だ」
カイルは迷わず指輪を外し、結晶の前に置いた。
銀色の光が広がる。
結晶の中の黒い紙片が、ゆっくりと開いた。
そして、部屋の中央に記憶が映し出された。
◇
白い花の庭園。
その中央に、エリシアが立っていた。
今のリリアと同じ顔。
けれど、その瞳には、今の彼女がまだ知らない深い絶望が宿っていた。
目の前には、カイルがいる。
彼は剣を持っていた。
『……本当に、これしか方法はないのか』
カイルの声が震えている。
『ええ』
エリシアは静かに答えた。
『私がこのまま生きていれば、世界はいつか崩壊する』
『だったら、俺がお前を連れて逃げる』
『逃げても、世界の外側にまで影響が及ぶわ』
エリシアは、悲しそうに微笑んだ。
『私はもう、創造主としての力を抑えられない。大切なものを失うたびに、世界の法則そのものが壊れていく』
カイルは首を横に振った。
『それでも、お前を殺すことはできない』
『殺す必要はないの』
その言葉に、カイルが顔を上げた。
『……何?』
エリシアは、自分の胸に手を当てた。
『私がこの世界から消えたと、世界に認識させてほしい』
『そんなことをしたら、お前の魂はどうなる?』
『分からない』
エリシアは、正直に答えた。
『もしかしたら、私は二度と戻れないかもしれない』
『だったら、駄目だ!』
カイルが叫んだ。
『お前は、誰かを取り戻したいんだろう? それなのに、自分まで失ってどうする!』
エリシアの瞳から、涙がこぼれた。
『……だって、もう時間がないの』
彼女は、遠くを見つめた。
『世界が壊れる前に、私がいなくならなければならない。そして、いつか……私がもう一度、自分の未来を選べるようになったとき』
彼女は、カイルに向き直った。
『そのときは、あなたが私を止めて』
カイルは、何も言えなかった。
『もし私が、再び世界を壊そうとしたら。私が誰かを取り戻すために、ほかのすべてを犠牲にしようとしたら……』
エリシアは、彼の手を取った。
『今度こそ、私を止めてほしい』
カイルの頬を、涙が伝った。
『……約束する』
その言葉を聞き、エリシアは微笑んだ。
『ありがとう』
そして、彼女は剣を見つめた。
『さあ、始めましょう』
記憶の中で、カイルは剣を持ち上げた。
刃がエリシアの胸元へ向けられる。
だが、剣が彼女に触れる直前、映像が大きく揺らいだ。
白い光があふれ、庭園全体を包み込む。
エリシアの姿が、少しずつ薄れていく。
カイルは、彼女の名前を叫んだ。
『エリシア!』
彼女は最後に、一度だけ振り返った。
『……今度は、私自身の人生を生きてみたい』
そして、消えた。
記憶が途切れた。
部屋には、誰も言葉を発することができないまま、長い沈黙が落ちていた。
リリアは、自分の胸に手を当てた。
今の記憶は、これまで見てきたものとは違っていた。
エリシアは、世界を壊そうとしていた。
しかし、それは単なる憎しみからではなかった。
彼女は、自分自身を世界から切り離そうとしていたのだ。
世界が崩壊するのを防ぐために。
そして、いつか自分自身の未来を選び直すために。
「……だから、処刑は完了していなかったんだ」
リリアが呟くと、セフィルがうなずいた。
「そうだ。カイルが剣を振り下ろしたのは、エリシアを殺すためではなかった。彼女の存在を世界から一時的に切り離し、崩壊を防ぐためだったんだ」
「でも、どうしてカイルは、その記憶を失っているの?」
ミラの問いに、セフィルは答えられなかった。
記憶の中のカイルは、確かに約束を交わしていた。
だが、今のカイルには、その記憶がほとんど残っていない。
誰かが、彼の記憶も封じたのだ。
それも、エリシアの処刑を偽装した者と同じ存在が。
「……待って」
カイルが、突然口を開いた。
彼は、結晶の中に残された黒い紙片を見つめていた。
「今の記憶の最後に……エリシアは何かを言っていた」
「何を?」
「『今度は、私自身の人生を生きてみたい』と」
カイルは、自分の手を握りしめた。
「俺は、その言葉を聞いたことがある気がする。いや……聞いたんじゃない。俺自身が、彼女に言ったことがあるんだ」
リリアが息をのむ。
「あなたが、エリシアに?」
「ああ。でも、いつ、どこで言ったのかは分からない」
カイルは苦しそうに目を閉じた。
「俺は、彼女が消えることを認めたくなかった。なのに、最後には約束してしまった。彼女の望む未来を残すために」
彼は、リリアを見た。
「……リリア。君がエリシアの生まれ変わりなら、俺はもう一度、同じ約束を果たさなければならないのかもしれない」
リリアは、首を横に振った。
「いいえ」
全員が、彼女を見つめた。
「私は、エリシアの記憶を受け継いでいる。でも、エリシアそのものではない。少なくとも、今の私はそう思っている」
彼女は、自分の手を見つめた。
「だから、昔の約束だけで、これからの私の人生を決めてほしくない」
カイルは目を見開いた。
リリアは、まっすぐに彼を見つめた。
「あなたがエリシアと交わした約束は、大切なものだと思う。でも、今の私が何を選ぶのかは、私自身が決めたい」
少しだけ、声が震えた。
「過去の私が何をしたのか、まだ全部は分からない。もしかしたら、これから思い出すことの中には、受け入れられないこともあるかもしれない」
それでも、彼女は顔を上げた。
「だけど、過去の私が選んだことを、何も考えずに繰り返すつもりはない。私は、私の未来を選びたい」
その言葉を聞いた瞬間、カイルの指輪が淡く光った。
銀色の輪に、新しい文字が浮かび上がる。
《第一契約者、意志の独立を確認》
《処刑契約、再定義を開始》
《対象――リリア・エヴァンジェル》
そして、最後に。
《創造主の魂、完全消滅を確認できません》
リリアは、目を見開いた。
「……完全消滅していない?」
セフィルが、息をのんだ。
「つまり、エリシアの魂は、今もどこかに存在している可能性がある」
「私の中にいるんじゃないの?」
「記憶と魂は、必ずしも同じではない」
セフィルは、慎重に言葉を続けた。
「君の中にあるのは、エリシアの記憶の一部かもしれない。けれど、彼女の魂そのものがどこにあるのかは、まだ分からないんだ」
リリアの胸が、強く脈打った。
エリシアは、処刑によって消滅したのではない。
世界から切り離され、どこかに残されている。
だとしたら、彼女の魂はどこにあるのだろう。
世界の外か。
それとも、誰にも見つけられない場所に封じられているのか。
そのとき、部屋の壁に、新しい文字が浮かび上がった。
《処刑記録、第一段階の復元を完了》
《第二段階――魂の所在を開示》
《開示条件――第二契約者と第三創造者の同意》
セフィルの表情が、凍りついた。
「……僕と、第三創造者の同意?」
リリアは、彼を見つめた。
「セフィル。あなたは、何か知っているの?」
彼は答えなかった。
ただ、紫色の瞳を伏せていた。
その沈黙こそが、答えのように思えた。
セフィルは、第三創造者について何かを知っている。
そして、エリシアの魂の所在を明らかにするためには、彼自身が選択しなければならないことがある。
しばらくして、セフィルは静かに顔を上げた。
「……僕は、彼女に会わなければならない」
「第三創造者に?」
「ああ」
彼は、胸元の紋章を握りしめた。
「彼女が何を隠しているのか、そして、なぜ僕の同意が必要なのか。自分の目で確かめたい」
リリアは、うなずいた。
「私も行く」
「リリア……」
「エリシアの魂がどこにあるのか、知りたいの。彼女を取り戻すためなのか、それとも、私が私自身として生きるためなのか。まだ、答えは出ていないけれど」
彼女は、剣を見つめた。
「だからこそ、知りたい」
その瞬間、剣の刃に刻まれた白い花が、最後の一枚の花弁を開いた。
花の中央に、ひとつの名前が浮かび上がる。
――エリシア。
その下には、これまで見たことのない一文が刻まれていた。
《魂の保管者――第三創造者》
リリアは、息を止めた。
エリシアの魂を保管しているのは、第三創造者。
つまり、彼女はエリシアの魂を知っているだけではない。
今も、どこかに保管し続けているのだ。
なぜ?
何のために?
そして、魂を保管しているということは、エリシアを本当に復活させることができるのだろうか。
リリアは、静かに目を閉じた。
その答えを知るために、自分はさらに先へ進まなければならない。
たとえ、その先に待っているものが、もうひとりの自分との対面だったとしても。
そのとき、遠い神殿の最深部で、第三の創造者がゆっくりと顔を上げた。
黄金の瞳に、ひとすじの涙が浮かんでいた。
「……とうとう、ここまで来たのね」
彼女は、目の前に浮かぶ透明な結晶を見つめた。
その中には、淡い光を放つ、小さな魂が眠っていた。
「エリシア」
第三の創造者は、結晶にそっと手を触れた。
「あなたがもう一度、自分の未来を選ぶ日が来たのね」
結晶の中で、小さな光が揺れた。
まるで、返事をするように。
そして、第三の創造者は、悲しそうに微笑んだ。
「でも……あなたが目覚めたとき、私はきっと、あなたに許してもらえない」
その声は、誰にも届かなかった。
ただ、結晶の中の魂だけが、かすかに光を強めた。
第42話・
次回、第43話「第三創造者が守り続けた魂」
エリシアの魂を保管していたのは、第三創造者だった。
なぜ彼女は、世界から切り離された創造主の魂を守り続けているのか。
そして、セフィルが同意しなければ開かれない記録には、第二創造者自身も忘れていた、ある残酷な約束が眠っていた。




