第41話 剣に刻まれた名前
第41話 剣に刻まれた名前
朝の光が、荒野を照らしていた。
けれど、リリアたちの周囲には、夜の名残のような重苦しい空気が漂っていた。
カイルの銀の指輪。
その内側に刻まれた文字は、すでに消えている。
それでも、リリアの脳裏には、最後に浮かび上がった言葉が焼きついていた。
――この名前を知ったとき、世界は第三の約束を思い出す。
「第三の約束って、いったい何なの?」
ミラが腕を組み、難しい顔で指輪を見つめた。
「第一の契約者がエリシア。第二の契約者がセフィル・ルシエン。そこまでは分かっているわよね」
「ああ」
カイルがうなずいた。
「だが、第三の約束については、俺の記憶にも残っていない」
彼は指輪を握りしめた。
「それに……この指輪が反応するたび、俺の中に知らない記憶が流れ込んでくる。自分の過去なのか、それとも誰かの記憶なのかさえ、分からなくなるんだ」
「無理に思い出そうとしないほうがいい」
アレンが静かに告げた。
「記憶が戻るたびに苦しんでいるのは、お前だけじゃない。リリアも、セフィルも同じだ」
カイルは苦笑した。
「分かっている。だが、自分が何者なのかも分からないまま、仲間を巻き込むわけにはいかないだろう」
「仲間を巻き込む、か」
レオンが小さく呟いた。
「お前は、ずいぶんと自分を責める癖があるようだな」
「……何?」
「いや。昔、似たようなことを言う男がいたと思っただけだ」
レオンはそれ以上、何も語らなかった。
リリアは二人のやり取りを聞きながら、胸の奥に小さな違和感を覚えていた。
レオンは、カイルのことを知っているのだろうか。
それとも、彼が失った記憶の中に、レオン自身の過去も関係しているのだろうか。
尋ねようとした、そのとき。
カイルの指輪が、再び光を放った。
銀色の光が空中へ広がり、一本の剣を形作る。
刃には無数の亀裂が走り、その中央に白い花の紋章が刻まれていた。
そして、柄の部分には、見覚えのない文字が浮かび上がる。
セフィルが息をのんだ。
「これは……記憶を再生するための鍵だ」
「どこへ導くんだ?」
アレンの問いに、セフィルは剣を見つめたまま答えた。
「忘却の塔の地下。あそこには、まだ開かれていない記録区画があるはずだ」
「でも、塔はもう出てきたばかりじゃない」
ミラが眉をひそめた。
「どうして地下の存在が分かるの?」
「僕の中に、記憶があるんだ」
セフィルは胸元の紋章に手を当てた。
「神々に消されたはずの記憶が……今、少しだけ戻ってきている」
その瞳に、戸惑いと決意が浮かぶ。
「行こう。今度こそ、僕たちが忘れさせられたものを確かめるんだ」
リリアはうなずいた。
過去を知ることが怖くないと言えば、嘘になる。
それでも、誰かに隠されたまま生きることは、もう選びたくなかった。
彼女たちは、再び忘却の塔へと向かった。
◇
塔の入口は、昨日と同じように荒野の中へ姿を現した。
しかし、黒い扉に触れた瞬間、リリアたちは異変に気づいた。
壁に刻まれていた文字が、すべて消えている。
代わりに、白い花の紋章が無数に浮かび上がっていた。
その花は、ひとつ残らず、花弁の一部が黒く染まっている。
「……何かが起きたのか?」
アレンが剣を抜く。
「昨日とは、塔の様子が違う」
レオンは壁に手を触れた。
その瞬間、彼の顔色が変わった。
「これは……」
「レオン?」
リリアが呼びかける。
彼はゆっくりと手を離した。
「記録が消されている。昨日、俺たちが見た記憶の残響も、ほとんど残っていない」
「誰がそんなことを……?」
「神々かもしれない。あるいは、もっと別の存在か」
セフィルは、扉の中央に浮かぶ紋章を見つめた。
「いや……これは、記憶を守るための処置だ」
「守るため?」
「ああ。誰かが、これ以上の記憶の流出を防ごうとしている」
その言葉に、リリアの胸がざわめいた。
記憶を隠すことは、必ずしも悪意からとは限らない。
第三の創造者も、リリアに真実を見せることを恐れていた。
もしかすると、彼女もまた、何かを守ろうとしているのだろうか。
「開けられる?」
リリアが尋ねると、セフィルはうなずいた。
「鍵はカイルの指輪だ。ただし、地下の記録区画を開けば、封じられた記憶が一斉に流れ込む可能性がある」
「危険なのね」
「そうだ。特に、リリア。君は創世の力を使わなくても、記憶に強く反応してしまうかもしれない」
アレンが、すぐにリリアの前へ立った。
「それなら、俺が先に入る」
「アレン、待って」
「待たない」
彼は真剣な表情で言った。
「昨日のように、お前が倒れるところを黙って見ているつもりはない」
リリアは、その言葉に胸を締めつけられた。
心配してくれることが、嬉しい。
けれど、守られるだけでは、前に進めないことも分かっていた。
「ありがとう。でも、私も一緒に行く」
「リリア……」
「私の記憶に関わることだから。あなたに全部任せたくないの」
アレンは何かを言いかけ、やがて深く息を吐いた。
「……分かった。ただし、少しでも異変があったら、すぐに戻る。約束だ」
「うん。約束する」
その返事を聞いてから、アレンはようやく道を譲った。
カイルが指輪を扉に近づける。
銀色の光が走り、白い花の紋章がゆっくりと回転した。
低い音とともに、床の一部が開いていく。
その下に現れたのは、暗闇へ続く階段だった。
階段の壁には、たったひとつの言葉が刻まれていた。
――創造主の処刑記録。
リリアの足が止まった。
「……処刑?」
セフィルが、苦しそうに目を伏せる。
「創造主が、誰かを処刑した記録じゃない」
彼は、ゆっくりと言った。
「創造主自身が、処刑されることになった記録だ」
リリアの心臓が、大きく跳ねた。
前世の記憶が、ほんのわずかに疼いた。
死。
裁き。
逃れられない罪。
彼女は、まだ知らない。
エリシアが何をしたのか。
なぜ世界を壊そうとしたのか。
そして、どうして創造主である彼女が、処刑されなければならなかったのか。
ただ、ひとつだけ確かなことがあった。
この階段の先には、彼女がずっと探していた答えがある。
◇
地下の記録区画は、驚くほど静かだった。
円形の部屋の中央には、一本の剣が浮かんでいる。
刃は黒く、柄には白い花が刻まれていた。
その剣を見た瞬間、カイルが苦しげに頭を押さえた。
「うっ……!」
「カイル!」
リリアが駆け寄る。
彼は片膝をつき、指輪を握りしめた。
「この剣……知っている。俺は、これを……」
視界が揺らぐ。
記憶が、彼の意識を引きずり込んだ。
白い花が咲く庭園。
燃え上がる神殿。
血に染まった石畳。
そして、剣を握る自分の手。
その向こうに、銀髪の少女が立っていた。
『カイル』
彼女は、泣いていた。
『お願い。もう、私を止めないで』
カイルは首を横に振る。
『駄目だ。お前がこのまま進めば、世界そのものが消えてしまう』
『世界なんて……もう、どうでもいいの!』
少女の叫びが、記憶の中に響き渡った。
『あの人がいない世界に、何の意味があるの?』
カイルは剣を握りしめた。
『それでも、お前は生きなければならない』
『嫌よ!』
少女が手を伸ばす。
『だったら、私を殺して! 私を止められるのは、あなただけでしょう!』
カイルは動けなかった。
剣を振るうことも、彼女を抱きしめることもできなかった。
そのとき、背後から別の声がした。
『カイル。選んで』
振り返ると、そこには金色の瞳を持つ少女が立っていた。
エリシア。
彼女は泣いていた。
『世界を救うために、彼女を止めるのか。それとも、彼女を救うために世界を失うのか』
カイルは、答えられなかった。
そして――。
記憶が途切れた。
「うあああっ!」
カイルが叫び、床に手をついた。
リリアとアレンが、すぐに彼を支える。
「カイル、しっかりして!」
「……俺は……」
彼は荒い息を繰り返しながら、剣を見つめていた。
「俺は、あのとき……彼女を止めようとしていた」
「彼女って、誰のこと?」
ミラが尋ねる。
カイルは答えようとした。
けれど、名前が出てこない。
記憶の中に、確かに存在していたはずなのに。
「分からない……顔も、名前も、思い出せない」
彼は唇をかみしめた。
「ただ、俺は彼女に約束したんだ。世界を壊そうとしたら、必ず止めるって」
リリアの胸が、激しく痛んだ。
その約束は、どこかで聞いたことがある。
カイルがかつて交わした約束。
そして、セフィルが第二契約者として背負っていた約束。
それぞれ別のものだと思っていた。
けれど、今の記憶は、三つの約束がひとつにつながっていることを示していた。
そのとき、部屋の中央に浮かぶ剣が光り始めた。
刃の表面に、文字が浮かび上がる。
《処刑執行者――カイル・エルデン》
カイルの顔から、血の気が引いた。
「……俺が、処刑執行者?」
彼は、自分の手を見つめた。
「俺が……誰かを処刑したのか?」
その問いに、誰も答えられなかった。
しかし、剣の文字はさらに変化していく。
《処刑対象――第一創造者、エリシア》
リリアは息をのんだ。
カイルが、エリシアを処刑した?
それなら、なぜ彼は今も、エリシアの指輪を持っているのだろう。
そして、なぜリリアは、彼の記憶に反応しているのだろう。
疑問が次々と浮かぶ。
だが、その答えが示されるより先に、剣が激しく震えた。
黒い刃に亀裂が走り、その隙間から白い光があふれ出す。
光の中に、ひとりの少女が姿を現した。
金色の瞳。
白い衣。
そして、見覚えのある顔。
リリア自身だった。
ただし、その表情は今の彼女とはまるで違っていた。
絶望に染まった顔。
すべてを失った者の顔。
その少女が、カイルに向かって静かに告げた。
『……私を、殺して』
リリアの呼吸が止まった。
映像の中のカイルは、剣を握りしめている。
彼の頬には、涙が流れていた。
『嫌だ……エリシア。俺には、できない』
『お願い』
少女は微笑んだ。
その笑顔は、あまりにも悲しかった。
『あなたにしか、頼めないの』
次の瞬間、映像が途切れた。
剣は再び沈黙し、部屋に静寂が戻る。
リリアは、呆然と立ち尽くしていた。
カイルが、自分を処刑しようとしていた。
いや、記録によれば、彼は処刑執行者だった。
しかし、映像の中の彼は、リリアを殺したくないと泣いていた。
「……カイル」
リリアが呼びかける。
カイルは顔を上げた。
「ごめん……」
彼は、なぜ謝っているのかも分からないまま、そう言った。
「俺は……君に何をしたんだ?」
リリアは答えられなかった。
自分にも、まだ分からない。
ただ、映像の中の少女が最後に浮かべた笑顔が、胸に焼きついていた。
あれは、死を望む者の笑顔ではない。
誰かに、最後の願いを託す者の笑顔だった。
そして、リリアは気づいた。
剣の刃に刻まれていた文字。
処刑対象――第一創造者、エリシア。
その下に、もうひとつの名前が浮かび上がっていたのだ。
《処刑理由――世界崩壊の阻止》
リリアは、ゆっくりと目を閉じた。
世界を壊そうとした自分を、カイルが止めた。
それが、ここに記された真実なのだろうか。
けれど、なぜだろう。
彼女の胸には、ひとつの確信があった。
カイルは、ただ命令されて自分を処刑したのではない。
そして、自分もまた、ただ殺されることを望んでいたのではない。
あの剣には、まだ隠された意味がある。
そのとき、剣の柄に刻まれていた白い花が、静かに開いた。
花の中央から、小さな光の文字が現れる。
《第三の約束――処刑は、完了していない》
全員が息をのんだ。
「処刑が……完了していない?」
ミラが呟く。
セフィルは、険しい表情で剣を見つめた。
「つまり、エリシアは処刑されたことになっているが、契約上は終わっていないということか……?」
その瞬間、リリアの胸元で創世の力が反応した。
痛みはなかった。
代わりに、彼女の意識の奥から、ひとつの声が響いた。
『まだ、終わっていない』
懐かしく、そして悲しい声。
『あなたが、自分で選ぶまでは』
リリアは目を見開いた。
剣の向こうに、誰かの影が見えた。
長い銀髪。
紫色の瞳。
白い花を身につけた、あの青年。
彼は、リリアを見つめていた。
『エリシア。君は、何を救いたかった?』
リリアが答えようとした瞬間、影は消えた。
そして、部屋の壁に、新しい文字が浮かび上がった。
《第三の約束、再起動》
《最終選択者――所在を確認》
《対象――リリア・エヴァンジェル》
誰も動けなかった。
リリアは、自分の名前を見つめながら、静かに息を吐いた。
過去の自分が何をしたのか。
なぜ世界を壊そうとしたのか。
そして、なぜ自分が生きているのか。
その答えは、まだ遠い。
それでも、ひとつだけ分かった。
過去の処刑は、終わっていない。
そして今度は、自分自身が最後の選択をしなければならないのだ。
第41話・
次回、第42話「処刑されなかった創造主」
カイルが処刑執行者として記録されていた理由。そして、エリシアの処刑が完了していないという不可解な事実。
リリアたちは、創造主が死んだあとも世界に残り続けた「もうひとつの魂」の存在に近づいていく。
その魂こそ、神々が最も恐れていたものだった。




