第40話 世界を壊そうとした少女
第40話 世界を壊そうとした少女
――あなたが世界を壊してしまう前に、私が止める。
その言葉が、何度もリリアの頭の中で繰り返されていた。
忘却の塔を出たあとも、彼女はほとんど口を開かなかった。
荒野には夕暮れが訪れていた。
赤く染まった空の下、アレンはリリアの歩調に合わせて歩いている。ミラもセフィルも、何かを尋ねようとはしなかった。
誰もが、彼女の中で何かが変わったことに気づいていたからだ。
やがて、休息を取るために荒野の岩陰へ入ったとき。
リリアは、ずっと胸につかえていた疑問を口にした。
「……私、本当に世界を壊そうとしていたのかな」
誰も、すぐには答えなかった。
リリアは膝を抱え、視線を落とした。
「第三の創造者は、私が世界を壊す前に止めるって言っていた。あの記憶の中でも、私は彼女を殺していた」
指先が震える。
「もし、私が本当に世界を滅ぼそうとしていたのなら……神々が私を恐れた理由も、分かる気がする」
「待ちなさい」
ミラが、いつになく強い声で遮った。
「まだ全部分かったわけじゃないでしょう?」
「でも……」
「でも、じゃないわ」
ミラはリリアの前にしゃがみ込んだ。
燃えるような赤い髪が、夕日に照らされて揺れる。
「あなたが世界を壊そうとしたのかもしれない。それは否定しない。でも、どうしてそうしたのか、何があったのか、何も分かっていないじゃない」
「……うん」
「だったら、勝手に自分を悪者にしないで」
ミラの声が、少しだけ震えた。
「私は、あなたが神々から追放されたときも、一緒に旅をすると決めたときも、あなたが全部正しいと思ったからそばにいるんじゃない」
彼女は、リリアの手を握った。
「あなたが迷ったり、間違えたりするかもしれない。それでも、自分で考えて選ぼうとしているから、そばにいるの」
リリアは、目を見開いた。
かつての自分なら、こんな言葉を聞くことが怖かった。
間違えたら、見捨てられる。
期待に応えられなければ、価値がなくなる。
だから、いつも正しい人間でいようとした。
誰かに嫌われないように。
誰かを失わないように。
けれど、どれだけ頑張っても、すべての人に認められることなどできなかった。
そして、前世の記憶を持つ今も、彼女は同じ恐怖を抱えていた。
もし自分が本当に世界を壊そうとしたのなら。
もし、自分が誰かにとって許せない存在だったのなら。
それでも、誰かは自分のそばにいてくれるのだろうか。
「……ありがとう、ミラ」
リリアは、彼女の手を握り返した。
「私、ちゃんと知りたい。自分が何をしたのかも、その理由も」
「ええ。なら、一緒に調べましょう」
ミラは笑った。
「ただし、無茶をしたら怒るからね」
「……気をつける」
「絶対よ」
少しだけ、いつもの空気が戻った。
しかし、アレンだけは笑わなかった。
彼は焚き火の向こうで、リリアをじっと見つめていた。
「アレン?」
「……ひとつ、気になることがある」
彼は、忘却の塔での出来事を思い返すように目を細めた。
「第三創造者は、リリアを恨んでいるようには見えなかった」
「そうだね」
「自分を殺した相手に、普通はあんな言葉をかけない。『今度は、あなたが選んで』と言ったのも、まるで……」
「私が、何かをやり直すのを待っているみたいだった?」
リリアが引き継ぐと、アレンはうなずいた。
「そうだ」
そのとき、セフィルが静かに口を開いた。
「第三創造者は、ただ殺されたわけではないのかもしれない」
全員の視線が彼に集まる。
「どういうことだ?」
レオンが尋ねた。
「彼女は、世界の外へ切り離されたと言っていた。けれど、塔の記録には《死亡》と記されていた。世界の法則が彼女の存在を死亡と定義しているのに、彼女の意識は残っている」
セフィルは胸元の紋章に触れた。
「これは、単なる殺害では説明できない。誰かが彼女の存在そのものを、世界の法則から切り離したんだ」
「それが、リリアだったと?」
「可能性はある。けれど、僕たちが見た記憶だけでは断定できない」
セフィルは言葉を切り、リリアを見つめた。
「ひとつだけ、確かなことがある。第三創造者は、リリアに真実を伝えようとしていた。そして、その接触を妨げたのは、神々の力ではなかった」
「じゃあ、誰が……?」
「世界の法則そのものだ」
焚き火が、ぱちりと音を立てた。
リリアは、無意識に自分の胸元を握りしめた。
神々よりも上位の存在。
世界を生み出した創造主さえも、自由に振る舞えないような何か。
それは、いったい何なのだろう。
◇
その夜。
リリアは、誰にも告げずに目を覚ました。
眠ろうとしても、銀髪の少女の姿が頭から離れなかった。
――あなたが世界を壊してしまう前に、私が止める。
彼女はそっと立ち上がり、焚き火から離れた場所へ向かった。
夜空には、数え切れないほどの星が輝いている。
だが、その星のひとつが、不自然に明滅していた。
まるで、誰かが遠くからこちらを見ているように。
「……エリシア」
突然、声がした。
リリアは振り返った。
そこに立っていたのは、レオンだった。
「眠れないのか?」
「うん。少し、考え事をしていて」
「第三創造者のことか」
「それもあるけど……」
リリアは、星空に目を戻した。
「私、怖いんだと思う」
レオンは黙って聞いていた。
「今までは、神々が私を殺そうとした理由を知りたかった。どうして私が生まれたのか、どうしてこんな力を持っているのか。全部分かれば、きっと前に進めると思っていた」
リリアは、自分の手を見つめる。
「でも、知れば知るほど、私が思っていた自分とは違うものが見えてくる。創造主だったことも、世界を壊そうとしたかもしれないことも……」
喉が詰まった。
「もし、本当の私は、今の私が大切にしているものを全部壊そうとする人だったら?」
レオンは、すぐには答えなかった。
やがて、彼は静かに言った。
「人は、過去に何をしたかだけで決まるものではない」
リリアが顔を上げる。
「だが、過去を知らずに進むこともできない。だから、お前は知ろうとしているのだろう」
「……うん」
「ならば、知ったあとに何を選ぶかが大切だ」
レオンの声には、どこか懐かしい響きがあった。
「俺は、かつて大切な人を守れなかった」
リリアは目を見開いた。
レオンが、自分の過去を語ることはほとんどなかった。
「守ると約束した。だが、その約束を果たせなかった。何度も、あのとき別の選択をしていればと考えた」
「レオン……」
「それでも、過去は変わらない。変えられるのは、今から何をするかだけだ」
彼はリリアを見つめた。
「だから、お前がどんな過去を持っていようと、俺は今のお前を見る」
リリアの目に、涙が浮かんだ。
「……どうして、そんなに優しいの?」
レオンは、一瞬だけ表情を曇らせた。
「優しいわけではない」
彼は視線をそらした。
「ただ、もう二度と、同じ後悔をしたくないだけだ」
その言葉の意味を、リリアはまだ知らない。
けれど、彼が自分に何かを隠していることだけは分かった。
それでも、今は聞かなかった。
いつか彼自身が話してくれると信じたかったからだ。
「ありがとう、レオン」
リリアは微笑んだ。
「私、ちゃんと自分で選ぶよ。たとえ過去の私がどんな人だったとしても、これからの私まで、過去に決められたくない」
レオンは、ほんのわずかに目を見開いた。
そして、誰にも気づかれないほど小さく、うなずいた。
「……そうだな」
その瞬間、リリアの胸元が淡く光った。
創世の力が反応している。
しかし、いつものような痛みはなかった。
代わりに、遠い場所から誰かの声が聞こえてきた。
『エリシア』
懐かしく、悲しい声。
『もし、もう一度やり直せるのなら……今度は、私のことを最後まで見て』
リリアは息をのんだ。
「今の声……」
レオンの表情が変わった。
「聞こえたのか?」
「うん。誰かが、私に話しかけてきた」
彼は何かを言いかけたが、結局、口を閉ざした。
その視線は、リリアの胸元に向けられていた。
まるで、彼女の中で何かが目覚めることを恐れているかのように。
◇
同じ頃。
神殿の最深部では、第三の創造者が玉座の前に立っていた。
黒髪が肩を流れ、黄金の瞳が暗闇を映している。
「接触が起きました」
彼女が告げると、玉座の奥から低い声が返ってきた。
「第三創造者との接触によって、第一創造者の記憶が動き始めたか」
「はい」
「ならば、次に目覚めるのは、剣に刻まれた名前だろう」
第三の創造者は、唇をかみしめた。
「……あの名前を、今のリリアに見せるつもりですか?」
「いずれは知ることになる」
「でも、あの子はまだ――」
「まだ何だ?」
声が鋭くなる。
「自分が誰を殺したのか、受け入れられないとでも?」
第三の創造者は答えなかった。
長い沈黙のあと、玉座の奥から言葉が落ちてくる。
「お前も知っているはずだ。あの子が世界を壊そうとしたのは、憎しみだけが理由ではなかった」
「……分かっています」
「ならば、なぜ隠す?」
第三の創造者は、目を閉じた。
彼女の脳裏に浮かんだのは、血に染まった白い花。
剣を握りしめ、泣き叫ぶエリシアの姿。
そして、最後まで彼女を責めなかった、ひとりの人物の笑顔だった。
「私は……あの子に、同じ悲しみを味わってほしくないのです」
「悲しみを避けさせるために、真実を奪うのか」
その問いに、第三の創造者は何も言えなかった。
玉座の奥で、何かが静かに動いた。
「忘れるな。お前が隠しているのは、エリシアの罪だけではない」
第三の創造者の肩が震えた。
「お前自身の罪でもある」
彼女は、ゆっくりと目を開いた。
「……ええ」
その声は、今にも消えてしまいそうだった。
「だからこそ、今度は最後まで見届けます」
黄金の瞳に、決意が宿る。
「たとえ、あの子が私を憎むことになっても」
◇
翌朝。
一行が旅立つ準備をしていたとき、カイルの指輪が突然、強い光を放った。
「また反応したのか?」
アレンが尋ねる。
カイルはうなずき、指輪を見つめた。
銀色の輪に、新しい文字が刻まれている。
《第三創造者の記憶、接続確認》
《第一創造者の記憶、復元準備》
そして、その下に。
《次の記憶――創造主が振り下ろした剣》
リリアの顔から、血の気が引いた。
そのとき、指輪の内側に、もうひとつの文字が浮かび上がった。
名前だった。
リリアは、それを読もうとした。
だが、文字はすぐに歪み、黒い染みへと変わっていく。
最後に残ったのは、たった一文。
《この名前を知ったとき、世界は第三の約束を思い出す》
カイルが指輪を握りしめた。
「……第三の約束」
セフィルの表情が険しくなる。
「それが完成すれば、何が起きる?」
誰も答えられなかった。
ただ、リリアだけは、胸の奥に確かな予感を覚えていた。
次の記憶が戻ったとき、自分はきっと、もう後戻りできない場所へ進むことになる。
それでも。
彼女は指輪から目をそらさなかった。
「行こう」
リリアは顔を上げた。
「次の記憶を、確かめに」
遠い空の彼方で、ひとつの星が消えた。
その星があった場所には、白い花の形をした光だけが残されていた。
そして世界のどこかで、長いあいだ眠っていた声が、静かに目を覚ました。
『……ようやく、ここまで来たんだね』
その声は、泣いているようでもあり、笑っているようでもあった。
『エリシア。今度こそ、最後まで選んで』
第40話・
次回、第41話「剣に刻まれた名前」
カイルの指輪が示した、創造主が振り下ろした剣の記憶。
そこに刻まれていた名前は、第三の創造者だけでなく、カイル自身の過去にもつながっていた。
そしてリリアは、かつて自分が選んだ「世界を救う方法」の、あまりにも残酷な真実に近づいていく。




