第4話 「追われる少女と、目覚める記憶」
第4話 「追われる少女と、目覚める記憶」
――世界を守るか。
それとも――。
壁に刻まれた文字は、そこで途切れていた。
まるで、その先にある言葉だけが、何者かによって意図的に消されたかのように。
「……世界を守るか、それとも何だっていうのよ」
リリアは壁に手を触れたまま、小さくつぶやいた。
その問いに答える者はいない。
ただ、胸の奥に生まれた不安だけが、消えることなく残っていた。
「リリア」
背後からアレンの声がした。
「そろそろ出発するぞ。ここに長居するのは危険だ」
「でも、まだ知りたいことが……」
「気持ちはわかる。だが、神々が本気でお前を探しているなら、ここも安全じゃない」
アレンは腰の剣に手を添え、入口の向こうを警戒していた。
その横顔には、先ほどまでとは違う緊張が浮かんでいる。
「……何かいるの?」
「正確には、何かが近づいている」
彼がそう答えた瞬間だった。
ズズズズ……。
地面が低く震えた。
遺跡の壁に刻まれた文字が、一斉に青白く光り始める。
そして、リリアの視界に見覚えのある文字が浮かび上がった。
《警告》
《高位神性反応を検知》
《接近中の存在――神罰執行体》
《危険度:極大》
「神罰……執行体?」
リリアが読み上げると、アレンの表情が険しくなった。
「くそっ……もう差し向けてきたのか」
「知っているの?」
「神々が、自分たちに逆らう者を処分するために使う存在だ。普通の騎士や魔物とはわけが違う」
「それって……私を殺しに来たってこと?」
「おそらくな」
アレンは一瞬だけリリアを見た。
「だが、ここでお前を渡すつもりはない」
その言葉に、リリアの胸が熱くなった。
出会ってから、まだそれほど時間は経っていない。
彼がなぜ自分を助けたのか、その理由さえ完全には聞けていない。
それなのに、彼は迷いなく自分を守ろうとしている。
「……どうして?」
「何がだ?」
「どうして、そこまで私を助けてくれるの?」
アレンは答えなかった。
ほんの少しだけ視線を落とし、それから静かに言った。
「昔、俺も神々にすべてを奪われた」
「え……?」
「だから、神々に見捨てられた人間が、必ずしも間違っているとは思わない」
その声には、隠しきれない痛みがあった。
リリアは、それ以上聞けなかった。
今の彼にとって、それが簡単に話せる過去ではないことがわかったからだ。
「……ありがとう、アレン」
「礼は生き延びてから言え」
彼はわずかに口元を緩めると、遺跡の出口へ向かった。
「走るぞ!」
二人が外へ飛び出した直後――。
空が、割れた。
正確には、空間そのものに巨大な亀裂が走ったのだ。
そこから降り立ったのは、白銀の鎧に身を包んだ巨大な騎士だった。
全身を覆う鎧には、無数の神聖文字が刻まれている。
顔のあるべき場所には何もなく、ただ赤い光だけが二つ、闇の中で燃えていた。
右手には、光で形作られた巨大な槍。
その姿を目にした瞬間、リリアの身体が強張った。
――怖い。
逃げなければ。
頭ではそう理解しているのに、足が動かなかった。
まるで、身体そのものが神の権威に縛られているかのようだった。
『対象を確認』
声が響いた。
耳から聞こえたのではない。
頭の中へ、直接言葉を流し込まれたのだ。
『対象名、リリア・エヴァンジェル』
『罪状、世界法則への不適合』
『処分を開始する』
「リリア、下がれ!」
アレンが剣を抜いた。
黒い刀身が光を反射する。
彼は迷いなく神罰執行体の前に立ちはだかった。
「ここは通さない」
『人間の抵抗を確認』
『排除する』
神罰執行体が槍を振り下ろした。
空気が爆発した。
「アレン!」
リリアが叫ぶ。
アレンは剣を構えて受け止めようとしたが、衝撃に耐えきれず、地面を滑るように吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
「アレン!」
リリアは駆け寄ろうとした。
しかし、神罰執行体の赤い光が、再び彼女を捉えた。
『対象を確認』
『処分を再開する』
槍が、リリアへ向かって伸びてくる。
避けられない。
そう思った瞬間、彼女の脳裏に声が響いた。
――恐れなくていい。
聞き覚えのない声だった。
けれど、どこか懐かしい。
――あなたは、誰かに生かされるためだけに生まれたのではない。
――あなた自身が、選ぶために生まれたの。
「……誰?」
リリアの瞳が揺れた。
次の瞬間、世界が止まった。
風も、木々の揺れも、飛び散る土埃も。
すべてが静止する。
そして、彼女の目の前に、見たこともない光景が広がった。
果てしない闇。
その中心に立つ、銀色の髪を持つ少女。
少女は、リリアによく似た青い瞳で、まっすぐこちらを見つめていた。
『やっと、ここまで来たのね』
「あなたは……誰なの?」
『あなたが忘れた、あなた自身』
「私自身……?」
『まだ思い出さなくていい。今はただ、自分の心に従いなさい』
少女は優しく微笑んだ。
『あなたの力は、壊すためだけのものではないのだから』
その言葉と同時に、リリアの胸の奥で何かが弾けた。
視界に文字が浮かび上がる。
《原初の記憶との接続を確認》
《封印領域の一部解放を開始》
《固有権能:《創世の理》》
《新規権能を確認》
《神性解析――解放》
《法則干渉――制限付き解放》
《対象:神罰執行体》
《構成法則を解析しますか?》
「……解析する」
リリアは答えた。
もう、ただ怯えているだけではいられなかった。
自分を助けてくれた人がいる。
自分を殺そうとする者がいる。
そして、自分には何かを変えられる力がある。
ならば――。
「私は、あなたたちの言いなりにはならない!」
リリアが手を伸ばした。
「その力が神様のものだっていうなら……今だけ、私に触れさせて!」
青白い光が、彼女の指先から広がった。
神罰執行体の身体を覆う神聖文字が、一つずつ浮かび上がる。
その構造が、リリアの意識へ流れ込んできた。
神々の権威。
命令を実行するための術式。
そして、その中心に組み込まれた――絶対服従の法則。
「こんなの……」
リリアの表情が曇った。
「あなたも、自分の意思で動いているわけじゃないんだね」
神罰執行体は、ただ命令に従っている。
それは、セフィルと同じだった。
自分で選ぶことを知らず、与えられた役割だけを果たす存在。
ならば、リリアが変えるべきものは、目の前の敵そのものではない。
彼を縛る法則だ。
「……命令に従うしかないなら」
リリアは、静かに告げた。
「せめて、自分で選べるようになって」
《法則改変を開始》
《警告:対象は高位神性存在です》
《世界構造への負荷が増大しています》
《改変の継続は、周辺法則の崩壊を招く可能性があります》
激しい痛みが、頭を貫いた。
「っ……あああっ!」
鼻から血が流れ落ちる。
視界が歪む。
それでも、リリアは手を下ろさなかった。
やがて――。
神罰執行体の赤い瞳から、光が消えた。
巨大な槍が地面へ落ちる。
ガシャン、と乾いた音が森に響いた。
『……命令……』
神罰執行体が、初めて動きを止めた。
『命令を……実行……』
その声が途切れる。
そして、長い沈黙の後。
『……私は……』
鎧の奥から、かすかな声がした。
『私は、何をすればいい?』
リリアは息を呑んだ。
自分の力で、神罰執行体を倒したわけではない。
彼を、神々の命令から解放したのだ。
「……あなたが、決めていいんだよ」
リリアは微笑もうとした。
「これから、どうするかは……あなたが選んでいい」
だが、その瞬間。
全身から力が抜けた。
「リリア!」
倒れかけた彼女を、アレンが駆け寄って抱きとめた。
「おい、しっかりしろ! リリア!」
「……だい、じょうぶ……ちょっと、疲れただけ……」
「どこが大丈夫なんだ。顔色が真っ青だぞ!」
アレンは彼女の身体を支えながら、神罰執行体を警戒した。
しかし、巨大な騎士はもう動かなかった。
ただ、落とした槍を見つめ、まるで自分の手の意味を確かめるように、ゆっくりと指を動かしていた。
そのとき、森の奥から声が響いた。
「……まさか、神罰執行体の命令法則を書き換えるなんて」
銀色の髪。
紫色の瞳。
白い衣に刻まれた古代文字。
セフィルだった。
彼は倒れたリリアと、動かなくなった神罰執行体を交互に見つめていた。
「リリア・エヴァンジェル。あなたは、自分が何をしたのか理解していますか?」
「……ちょっとだけ」
「いいえ。あなたは神々が定めた絶対法則に干渉し、一つの存在に選択の自由を与えたのです」
セフィルの声が、わずかに震えた。
「それは、神々の世界では決して許されない行為です」
「……でも、この人は……」
リリアは、神罰執行体を見つめた。
「この人だって、選んでいいはずでしょう?」
セフィルは答えられなかった。
紫色の瞳が、ほんの一瞬だけ揺れる。
彼自身もまた、与えられた命令に従うためだけに存在しているからだ。
もしも。
もしも、自分にも選ぶ権利があるのなら。
自分は、何を望むのだろう。
その問いが胸に浮かんだ瞬間、セフィルは初めて、自分の内側に生まれた感情を認識した。
それは、恐怖だった。
命令に背くことへの恐怖ではない。
自分の意思を知ってしまうことへの恐怖だった。
「……リリア・エヴァンジェル」
セフィルは、静かに彼女の名を呼んだ。
「あなたは、神々だけでなく……私たち自身をも変えてしまうのかもしれません」
その言葉を最後に、彼の姿は光となって消えた。
森には、静寂が戻った。
アレンはリリアを抱きかかえ、深く息を吐いた。
「……とんでもないことをしてくれたな」
「ご、ごめん……」
「謝れと言ってるんじゃない」
アレンは彼女の額にかかった髪をそっと払った。
「無茶をするな。お前が倒れたら、誰が自分を守るんだ」
「……アレンが、守ってくれるんじゃないの?」
リリアが弱々しく笑うと、アレンは言葉に詰まった。
「……そういうことを、簡単に言うな」
「どうして?」
「……調子が狂う」
そう言いながらも、彼は彼女を支える腕を緩めなかった。
リリアは、安心したように目を閉じた。
その意識が闇に沈む直前。
彼女の視界に、最後の文字が浮かび上がった。
《封印記憶の断片を回収しました》
《原初の記憶――第二封印》
《解放条件:未達成》
《次の記憶に関する手がかりを検出》
《対象:神々に反逆した騎士》
――神々に反逆した騎士。
その言葉を、リリアは知らなかった。
けれど、彼女を抱きかかえるアレンの胸元で、古びた銀色の紋章が淡く光ったことにも、気づかなかった。
それは、七柱の神々によって歴史から抹消された、かつての反逆者たちの紋章だった。
そして、その紋章を持つ者こそが――。
アレン・クロフォードの、隠された過去につながっていた。
神々に捨てられた少女。
神々の命令から解放された存在。
そして、神々に反逆した騎士。
三つの運命が交わるとき、世界に隠された真実は、少しずつ姿を現し始める。
――しかし、神々もまた、黙って見ているつもりはなかった。
神界。
玉座の間に、怒りに満ちた声が響き渡った。
「創世の力が、再び使われただと?」
最高神アステリオンの前で、神々が沈黙する。
「しかも、神罰執行体の法則を書き換えたというのか……!」
アステリオンは拳を握り締めた。
「許すわけにはいかぬ。あの少女が本当の記憶を取り戻す前に、すべてを終わらせるのだ」
彼の瞳に、恐怖と憎悪が宿る。
「――原初の創造主を、今度こそ完全に消し去れ」
その命令の直後。
神界の最深部で、長い間封じられていた扉が、音もなく開き始めた。
そこに眠っていたのは、神々でさえ名を口にすることを恐れる存在。
かつて、世界の創造主に仕えた――最後の守護者だった。
そして、その守護者は、数百年ぶりに目を開いた。
「……ようやく、始まったか」
低い声が、暗闇に響く。
「今度こそ、あの子を……ひとりにはさせない」
世界の運命は、静かに動き始めていた。
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第四話を読んでくださり、ありがとうございます!
今回は、リリアが《創世の理》の新たな力に目覚め、神罰執行体に「選ぶ自由」を与えるお話でした。
そして、セフィルの心にも小さな変化が生まれ、アレンの過去につながる謎も少しずつ明らかになってきました。
神々に反逆した騎士とは誰なのか? アレンが隠している過去とは?
次回、リリアたちは森を抜け、新たな出会いへと向かいます。
第五話も、ぜひお楽しみください!




