第35話 神々を創った者
第35話 神々を創った者
――今度こそ、エリシアに選ばせなければならない。
白い部屋の奥で目覚めた存在は、静かに目を閉じた。
その声は、誰にも届かないはずだった。
けれど、遠く離れた白い花園で、リリアは胸を押さえていた。
「……今、誰かに呼ばれた気がする」
「誰に?」
隣にいたアレンが尋ねる。
リリアは首を横に振った。
「わからない。でも……私のことを、エリシアって呼んでいた」
その名を口にした瞬間、銀環が震えた。
セフィルが手元を見つめる。
銀環の内側に、見慣れない文字が浮かび上がっていた。
――《警告》
――《既存の神性体系に該当しない権限を検出》
――《原初契約、再接続を開始》
「そんな……」
セフィルの顔から、血の気が引いた。
「これは、神々の記録にも存在しない契約です」
「原初契約?」
レオンが問い返す。
「神々が世界を管理するために結んだ契約とは、まったく異なるものです。こちらは、世界そのものが成立する以前に存在していた契約……」
セフィルは言葉を切った。
銀環に、さらに一文が浮かび上がる。
――《契約対象、第一創造者を確認》
――《契約対象、第二創造者を確認》
――《第三創造者、所在不明》
ミラが目を見開いた。
「ちょっと待って。第一創造者はエリシアなんでしょ? だったら、第二創造者って誰なの?」
「それがわかれば、苦労はしません」
セフィルは珍しく、困惑を隠さずに答えた。
「神々は、自分たちを世界の管理者として記録しています。しかし、創造者が誰なのかについては、記録が一切残されていないのです」
「それなら、神々が生まれたときの記録を調べればいいんじゃないか?」
アレンの提案に、レオンは首を振った。
「その記録自体が消されている。偶然とは考えにくい」
カイルは黙って、手元の銀環を見つめていた。
白い花の装飾が、かすかに光っている。
やがて、彼はぽつりと呟いた。
「……この記録、俺は見たことがある」
全員の視線が、彼に集まった。
「カイル、どういうこと?」
「わからない。覚えているわけじゃないんだ。ただ、この文字を見ていると……昔、誰かに同じことを教えられた気がする」
彼は額を押さえた。
頭の奥で、何かが軋む。
銀色の髪。
白い花。
そして、聞き覚えのある声。
『神々を信じるな』
記憶の中の誰かが、そう告げていた。
『彼らは、創造主から生まれたのではない』
「っ……!」
カイルは思わず膝をついた。
「カイル!」
アレンが駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「平気だ……。ただ、頭の中に声が……」
カイルは苦しげに息を吐いた。
「誰かが、神々の正体を知っていた。俺は……その人と会ったことがある」
その瞬間、彼の指にはめられた銀環が強く輝いた。
白い花の中心に、黒い点が浮かぶ。
それはまるで、何かを見つめる瞳のようだった。
*
同じ頃。
神殿の最深部では、アステリオンが顔のない玉座の前にひざまずいていた。
「原初契約が再接続されました。第一創造者と第二創造者の反応を確認しています」
『そうか』
玉座の奥から、静かな声が返ってくる。
『あの子は、もう自分の意志で歩き始めたのだな』
「はい。しかし、第三創造者の所在は依然として不明です。もしあの存在が目覚めれば、神々の権限は……」
『失われるだろう』
あまりにもあっさりとした返答に、アステリオンは顔を上げた。
「それでも、よろしいのですか?」
『神々の権限は、もともと永遠のものではない』
玉座の奥で、白い光が揺らいだ。
『彼らは、与えられた役割を自分たちの所有物だと思い込んだ。それだけのことだ』
「しかし、神々が権限を失えば、世界の法則が崩壊する可能性があります」
『だからこそ、エリシアが必要なのだ』
声がわずかに低くなる。
『世界を管理する者ではなく、世界を創った者として。あの子が自分の意志で、再び世界を選ぶ必要がある』
アステリオンは唇を噛んだ。
「……あなた様は、また同じ過ちを繰り返すおつもりですか」
沈黙が落ちた。
その問いに、玉座の主はすぐには答えなかった。
やがて、声が響く。
『同じ過ちを繰り返すのは、私ではない』
白い光が、ゆっくりと脈打つ。
『――あの子が、私を許せるかどうかだ』
*
「ここに、地下通路がある」
レオンが石板の裏側を調べると、壁の一部が音もなく開いた。
そこには、地下へ続く階段が伸びていた。
「この先に何があるんだ?」
アレンが尋ねる。
「神殿の旧記録室だ。表向きの記録から抹消された文書は、そこに保管されていたらしい」
「だったら、神々が生まれたときの記録も……?」
「残っている可能性はある」
レオンは頷いた。
「ただし、誰も近づけないよう封印されている。俺がかつて所属していた騎士団でも、存在だけが伝えられていた場所だ」
「危険なの?」
ミラが尋ねると、レオンは少しだけ表情を曇らせた。
「危険というより……記録を見た者が、戻ってこなかったという話がある」
「それ、十分に危険じゃない!」
「だから、全員で行くんだ」
アレンが剣の柄に手をかけた。
「リリアを一人で行かせるつもりはない」
「私も行くよ」
リリアは、はっきりと告げた。
胸の奥には、まだ夢で見たエリシアの涙が残っている。
そして、扉の向こうで微笑んでいた銀髪の青年の姿も。
彼を取り戻したい。
けれど、そのために何をすべきなのか、まだ答えは出ていない。
だからこそ、知る必要がある。
世界の始まりに何があったのか。
エリシアは、何を守ろうとしたのか。
そして、神々は本当に世界のために存在しているのか。
「行こう。真実を確かめたい」
リリアの言葉に、セフィルは静かに頷いた。
「僕も同行します。原初契約が反応している以上、僕には確かめる責任があります」
カイルも立ち上がる。
「俺も行く。失われた記憶の中に、答えがある気がするんだ」
全員の意思が決まった。
リリアたちは、地下階段を下り始めた。
階段の壁には、古い文字が刻まれている。
神々の言語ではない。
もっと古く、世界の法則が文字という形を持つよりも前の記号だった。
セフィルはその一つに触れた。
すると、壁の文字が淡く光り、彼の頭の中に声が響いた。
『第二契約者へ』
セフィルの足が止まる。
『お前がこれを読んでいるのなら、私はもう、あの子のそばにはいないのだろう』
「……誰の声だ?」
アレンが尋ねた。
セフィルは答えなかった。
声は続く。
『お前に頼みたいことがある。もし、あの子が再び世界を壊そうとしたなら――』
そこで、文字が途切れた。
壁に亀裂が走り、記号が次々と消えていく。
最後に残ったのは、たった一文だった。
――《彼女を止めるのではない。彼女が選べる未来を残せ》
セフィルは、その言葉をじっと見つめた。
胸の奥に、遠い記憶がよみがえる。
幼い自分が、誰かの前に立っていた。
その向こうには、泣いている少女がいる。
銀色の髪。
紫色の瞳。
そして、手の中に握られた白い花。
『約束して』
少女が言った。
『もし私が、間違った道を選ぼうとしたら……あなたは、私を止めてくれる?』
幼いセフィルは、迷いなく頷いていた。
『うん。約束する』
記憶が途切れた。
セフィルは、ゆっくりと目を開いた。
「……そういうことだったのですね」
彼はリリアを見つめた。
かつて自分が約束した相手。
それは、エリシアだったのか。
それとも、別の誰かなのか。
まだ、すべては思い出せない。
けれど、少なくとも一つだけ、確かなことがあった。
自分は誰かの命令によってではなく、自分の意志で、彼女を守ると決めたのだ。
*
地下通路の最奥に、巨大な扉が現れた。
扉の中央には、三つの紋章が刻まれている。
一つ目は、星を抱く少女。
二つ目は、白い花を手にした銀髪の人物。
三つ目は――何も描かれていなかった。
「この空白は何だろう……」
リリアが呟いた。
すると、彼女の胸元から淡い光があふれた。
光は扉に吸い込まれ、三つ目の紋章の上に文字を浮かび上がらせる。
――《第三創造者》
――《世界の観測者》
――《記録上の存在を確認できません》
直後、扉の向こうから声がした。
『そこにいるのは、エリシアか?』
全員が息をのんだ。
声は、あの銀髪の青年のものではなかった。
もっと低く、深い。
長い年月、誰にも聞かれることのなかった声。
リリアは扉に手を伸ばした。
「私は、リリアです。エリシアと同じ魂を持っているけれど、今は私自身としてここにいます」
しばらく、返事はなかった。
やがて、扉の向こうから小さな笑い声が聞こえた。
『そうか……』
その声には、安堵にも似た響きがあった。
『ならば、ようやく話ができる』
「あなたは誰なの?」
『私は――』
扉が、わずかに開いた。
その隙間から、白い光が漏れ出す。
『神々を創った者ではない』
リリアは息を止めた。
『神々に、創られた者だ』
その瞬間、セフィルの銀環が砕けそうなほど激しく輝いた。
そして、彼の目の前に、今まで存在しなかった文字が浮かび上がる。
――《原初契約、最終認証》
――《第二創造者の記憶、接続開始》
――《契約対象――セフィル》
「……え?」
セフィルの声が震えた。
彼は、リリアを見つめる。
「僕が……第二創造者?」
扉の向こうから、声が静かに告げた。
『そうだ。お前は神々に創られた使者などではない』
光が強まる。
『お前こそが、神々が最初に奪った存在なのだ』
セフィルの足元に、見たことのない紋章が広がった。
リリアは、彼の名を呼ぼうとした。
しかし、その前に扉が閉じた。
そして、壁に最後の文字が浮かび上がる。
――《第二創造者、記憶復元まで残り一段階》
――《復元条件:創造主による真実の告白》
リリアは、閉ざされた扉を見つめた。
真実を語らなければならないのは、エリシア。
けれど、今の彼女はリリアとして生きている。
ならば、その真実を語るのは――自分なのだろうか。
遠く離れた神殿の最深部で、顔のない玉座が再び光を放った。
『……目覚めたか、セフィル』
声の主は、初めて悲しげに呟いた。
『ならば、もう隠し通すことはできない』
そして、白い部屋の奥で、ひとつの名前が静かに響いた。
『――エリシア。お前が最初に殺したのは、神ではない』
沈黙。
『お前自身だ』
第三十五話
次回、第三十六話「使者セフィルの失われた名前」
第二創造者だと告げられたセフィル。その記憶の奥には、神々に仕える以前の姿が眠っていた。
一方、リリアは「エリシアが最初に殺したのは自分自身」という言葉の意味を追うことになる。
そして、扉の向こうにいる存在が、ついにセフィルの本当の名前を告げる。




