第34話 創造主が犯した最初の過ち
第34話 創造主が犯した最初の過ち
――君自身の答えを、聞かせてほしい。
その声が、何度も夢の中で繰り返されていた。
リリアは、暗闇の中を歩いていた。
足元には何もない。
空も、大地も、星さえも存在しない。
ただ、遠くに一つだけ、白い扉が浮かんでいた。
その扉の前に、小さな少女が立っている。
長い銀色の髪。
透き通るような紫色の瞳。
少女は両手で何かを抱きしめながら、扉の向こうに向かって泣いていた。
「ごめんなさい……」
その声を聞いた瞬間、リリアの胸が締めつけられた。
少女の顔には、見覚えがあった。
それは、創造主エリシアの幼い頃の姿だった。
「お願いだから、行かないで……!」
少女が扉に手を伸ばす。
けれど、扉の向こうから伸びてきた手は、彼女の指先に触れることなく消えてしまった。
『エリシア』
扉の向こうから、男の声が響いた。
『君は、間違っていない』
「嘘……!」
エリシアは首を振った。
「私が、あなたをここまで追い詰めたのに!」
『違う。君が選んだのは、私を失うことではない』
声は、ひどく穏やかだった。
『君は、世界を選んだんだ』
エリシアの手から、白い花が落ちた。
その瞬間、世界が砕けた。
無数の光が生まれ、闇の中に星々が広がっていく。
そして――。
リリアは、目を覚ました。
*
「……っ!」
勢いよく身体を起こした途端、頭に鈍い痛みが走った。
「リリア! 目が覚めたのか!?」
すぐそばから、アレンの声が聞こえた。
彼は椅子に座ったまま、リリアの手を握っていたらしい。彼女が起き上がったことに気づくと、ほっと息を吐いた。
「よかった……。丸一日、眠り続けていたんだぞ」
「丸一日……?」
「あの力を使いすぎたんだ。セフィルが言うには、世界の法則そのものに干渉した反動らしい」
リリアは自分の手を見つめた。
指先には、まだわずかに痺れが残っている。
あの扉を止めたとき、自分の中の何かが削られていくような感覚があった。
それでも、後悔はしていなかった。
あの向こうにいた青年の言葉を、確かめたかったから。
「みんなは?」
「無事だ。ミラは隣の部屋で休んでいる。レオンとカイルは、花園の周辺を調べている。セフィルは……」
アレンは、少しだけ言葉を濁した。
「ずっと、君が目覚めるのを待っていた」
「セフィルが?」
「ああ。自分が第二契約者として何を選ぶべきなのか、考えているらしい」
リリアは静かに頷いた。
彼の気持ちは、わかる気がした。
誰かを取り戻したい。
けれど、そのために何を失うことになるのか、まだわからない。
選択するということは、願うだけでは済まないのだ。
リリアは胸元に手を当てた。
そこには、今まで存在しなかった感覚がある。
記憶だ。
自分のものではないはずなのに、確かに自分の中に宿っている。
「アレン。私、夢を見たの」
「夢?」
「エリシアが……泣いていた」
その名を口にした瞬間、胸の奥が微かに疼いた。
「世界を創る前のエリシアが、誰かに謝っていたの。扉の向こうにいる人に……」
アレンは黙って聞いていた。
「その人は、エリシアに言ったの。『君は世界を選んだんだ』って」
「世界を選んだ……」
「うん。でも、私にはわからない。世界を創ることと、誰かを失うことが、どうして結びつくのか」
アレンは、しばらく考え込んでいた。
やがて、彼女の手を握り直す。
「まだ、わからなくていい」
「え……?」
「答えがわからないからって、今すぐ決める必要はない。君はいつも、一人で答えを見つけようとするからな」
アレンは、困ったように笑った。
「少しくらい、俺たちを頼れ」
その言葉に、リリアの目が熱くなった。
かつての自分なら、きっと笑ってごまかしていた。
迷惑をかけたくない。
弱いと思われたくない。
そうして、誰にも助けを求められずにいた。
けれど今は。
「……ありがとう、アレン」
彼女は、その手を握り返した。
「私、一人では答えを出せないと思う。だから……一緒に考えてほしい」
「ああ。もちろんだ」
アレンの返事は、迷いのないものだった。
そのとき、扉が開いた。
「お目覚めになったのですね、リリア」
銀髪の使者――セフィルが入ってきた。
以前の彼なら、感情を表に出すことはなかっただろう。
しかし今の彼の顔には、安堵と、拭いきれない不安が浮かんでいた。
「セフィル。あなたにも、話したいことがあるの」
「……第三の記憶について、ですね」
彼は頷いた。
「実は、僕にも変化がありました」
セフィルが手を開く。
そこには、白い花の銀環が載っていた。
銀環の内側に、今まで見えなかった文字が浮かんでいる。
――《第二契約者、記憶照合を開始》
――《第一の選択、未完了》
――《第三の記憶、接続条件を確認》
――《原初の過ち、記録開示を許可》
「原初の過ち……」
リリアが呟くと、セフィルは重々しく頷いた。
「アステリオンは、あの青年が世界の外に残ったと言っていました。そして、彼が戻れば、エリシアが封じたものまで目覚めるとも」
「うん」
「けれど、僕は思うのです。彼が自分の意志で残ったのなら、そこには必ず理由があるはずです」
セフィルは銀環を握りしめた。
「僕は、その理由を知りたい。彼が何を守ろうとしたのか。そして、なぜエリシアは、それを許すしかなかったのか」
リリアは、夢の中の少女を思い出した。
泣きながら扉に手を伸ばしていた、幼いエリシア。
あの涙は、ただの別れを悲しむものではなかった。
もっと深い後悔が、そこにはあった。
「記憶を開く方法はあるの?」
「あります」
セフィルは、部屋の奥に置かれていた古い石板を指し示した。
花園から脱出する直前、レオンが見つけたものだという。
石板には、白い花と銀色の扉が刻まれていた。
そして、その下に一文が記されている。
――《原初の記憶は、創造主が最初に手放したものを知る者にのみ開かれる》
「創造主が最初に手放したもの……?」
リリアは石板に近づいた。
その瞬間、指先に淡い光が宿った。
石板の文字が揺らぎ、新しい文章が浮かび上がる。
――《創造主エリシアは、世界を創造する前に三つの選択を迫られた》
――《第一の選択、世界を生み出すこと》
――《第二の選択、原初の観測者を救うこと》
――《第三の選択、すべてを失っても、真実を語ること》
リリアの呼吸が止まった。
「三つの選択……」
「最後の選択だけ、実行された記録がありません」
セフィルが告げた。
「つまり、エリシアは真実を語らなかった。あるいは、語れなかった」
そのとき、石板の表面に亀裂が走った。
文字が崩れ、奥から小さな結晶が現れる。
結晶の中には、幼いエリシアと銀髪の青年が映っていた。
二人は、星のない空間に立っている。
まだ世界も、神々も存在しない場所。
青年がエリシアに手を差し伸べていた。
『世界を創るなら、約束してほしい』
『何を?』
『君が創る世界で、誰もが自分の未来を選べるようにしてほしい』
エリシアは、涙をこらえるように微笑んだ。
『約束する。誰も、誰かの命令だけで生きる世界にはしない』
青年は満足そうに頷いた。
けれど、次の瞬間。
結晶の映像が乱れた。
銀色の空間に、巨大な影が現れる。
それは、神々の姿に似ていた。
まだ神々が生まれていないはずの時代に。
『エリシア。世界を創るためには、代償が必要だ』
影が告げた。
『お前が望むすべてを、同時に手にすることはできない』
エリシアは青年の手を強く握った。
『それでも、私は……!』
『選べ』
影の声が、空間全体を震わせた。
『世界か。それとも、彼か』
結晶が砕けた。
部屋の中に、沈黙が落ちる。
リリアは、震える手を胸元に当てた。
世界か。
それとも、あの青年か。
エリシアは、その選択を迫られた。
そして彼女は、世界を創った。
だから青年は、世界の外にいるのだろうか。
しかし、それだけでは説明できない。
なぜなら、最後に聞こえた青年の声は、彼女を責めてはいなかったからだ。
まるで、エリシアが選んだことを、理解していたかのように。
「……違う」
リリアは、小さく呟いた。
「まだ、何かが隠されている」
その瞬間、石板の裏側から、新たな文字が浮かび上がった。
――《第一の選択、実行済み》
――《第二の選択、未完了》
――《第三の選択、記録封印》
そして、最後に。
――《創造主が最初に手放したもの――自己の記憶》
リリアの頭の中で、何かが弾けた。
エリシアが最初に手放したものは、青年ではなかった。
自分自身の記憶。
自分が何を望み、何を恐れ、誰を愛していたのかという記憶。
世界を創るために、彼女は自分自身を切り離したのだ。
だからこそ、世界の外にいる青年を取り戻す方法も、彼女自身が封じてしまった。
リリアは目を閉じた。
自分はエリシアと同じ魂を持つ。
けれど、今の自分はエリシアそのものではない。
ならば――。
「私が、エリシアの記憶をすべて取り戻したら……」
「リリア?」
アレンが不安そうに彼女を見つめる。
リリアは、ゆっくりと首を振った。
「まだ、全部を取り戻すつもりはないよ」
彼女は、はっきりと言った。
「私は私として、彼を知りたい。エリシアの記憶に答えを委ねるんじゃなくて、今の私自身が、何を選ぶべきなのかを考えたいから」
セフィルは、静かに目を伏せた。
「それが、あなたの選択なのですね」
「うん」
その瞬間、銀環が強く輝いた。
石板に新しい文字が刻まれる。
――《現在の創造主、独立した意志を確認》
――《第三の記憶、部分開示を許可》
――《次の記録――神々が創られた日》
部屋の空気が凍りついた。
レオンが扉の外から駆け込んでくる。
「全員、聞いてくれ! 神殿の記録が書き換えられている!」
「何があったの?」
ミラが、彼の背後から顔を出した。
レオンは険しい表情で答えた。
「七柱の神々の誕生記録が、すべて消えた。代わりに、たった一行だけが残されている」
「一行……?」
彼は、紙片を差し出した。
そこには、震えるような筆跡でこう記されていた。
――《神々を創ったのは、エリシアではない》
リリアの背筋に、冷たいものが走った。
世界を創った創造主。
その創造主でさえ、すべてを知っていたわけではない。
では、神々を生み出したのは誰なのか。
そして、エリシアに世界を選ばせた、あの巨大な影は何者だったのか。
遠く離れた神殿の最深部。
誰も入ることのできない白い部屋で、アステリオンは膝をついていた。
彼の前には、顔のない玉座がある。
「申し訳ありません……。第三の記憶が、再び動き始めました」
沈黙。
やがて、玉座の奥から声が響いた。
『構わない』
それは、神々の声とは違っていた。
もっと古く。
もっと深く。
世界そのものが、言葉を発しているかのような声だった。
『あの子が選ぶなら、すべてを明かそう』
アステリオンの顔から血の気が引いた。
「しかし、それでは……あなた様の存在まで!」
『それでいい』
声は静かに答えた。
『今度こそ、エリシアに選ばせなければならない』
白い部屋の奥で、何かが目を開いた。
『世界を創った者としてではなく、一人の少女として』
そして、誰にも聞こえない声で、こう囁いた。
『――私を、もう一度殺すのか。それとも、今度こそ救うのか』
その声の主の名は、まだ世界のどこにも記されていなかった。
けれど、リリアの胸の奥では、確かに何かが目覚め始めていた。
第三十四話
次回、第三十五話「神々を創った者」
神々の誕生記録が消えたことで、リリアたちは世界の歴史そのものが偽られていた可能性に気づく。
一方、神殿の最深部で目覚めた存在は、リリアを「エリシア」と呼ぶ。
そして、その声を聞いたセフィルの銀環に、決して存在してはならない新たな契約文が浮かび上がる。




