第30話 創造主が取り戻したかったもの
第30話 創造主が取り戻したかったもの
白い花が、一輪だけ咲いていた。
どこまでも続く暗闇の中で、その花だけが淡い光を放っている。
花びらは透き通るように白く、中心には小さな銀色の雫が宿っていた。
リリアは、目の前に広がる光景を見つめながら息を呑んだ。
「ここが……白花の庭?」
「正確には、その入口だ」
レオンが答えた。
「かつての創造主に関する記憶が封じられた場所だと言われている。だが、実際にここまでたどり着いた者はいない」
「どうして、そんな場所のことを知っているの?」
「昔、神々に反旗を翻した騎士たちの間で、伝承として残されていたんだ」
レオンは一輪の花へ視線を向けた。
「創造主エリシアが世界を生み出したあと、たった一度だけ、この庭を訪れた。そして、その日を境に、世界の歴史から一人の少女が消えたらしい」
リリアの胸がざわめいた。
世界の歴史から消された少女。
神々が恐れ、記憶を封じ、存在そのものを隠そうとした少女。
そして、エリシアが取り戻そうとしていた誰か。
「その少女が、エリシアの大切な人だったのかな……」
「おそらくな」
アレンがリリアの隣に立った。
「ただし、ここにある記憶が本物とは限らない。神々が改ざんした可能性もある。何が見えても、すぐに真実だと思い込むな」
「うん。わかってる」
リリアはうなずいた。
それでも、確かめずにはいられなかった。
エリシアは、自分と同じ魂を持つ存在。
彼女が何を愛し、何を失い、なぜ世界を終わらせようとしたのか。
それを知ることは、いつか自分自身を知ることにも繋がる気がした。
「では、入りますか?」
セフィルが尋ねる。
リリアは白い花へ手を伸ばした。
「うん。みんな、一緒に来て」
指先が花びらに触れた瞬間、世界が反転した。
*
そこには、空があった。
どこまでも澄み渡った青空。
柔らかな風。
銀色の草原を流れる小さな川。
そして、草原の中央に、白い花が無数に咲いていた。
「……きれい」
ミラが思わずつぶやいた。
神殿で見た記録のような、冷たい空間ではない。
ここには、確かな温もりがあった。
誰かが大切に守り続けてきた場所。
そんな気配が満ちていた。
「待って」
カイルが足を止めた。
草原の向こうに、ひとつの人影が見えたのだ。
銀色の髪を風になびかせた少女。
その隣には、黒髪の幼い少女が座っている。
黒髪の少女は、青い瞳を輝かせながら、白い花を両手いっぱいに集めていた。
「エリシア……?」
リリアの口から、自然にその名がこぼれた。
銀髪の少女が笑う。
『ねえ、エリシア』
彼女は、黒髪の少女の髪に白い花を飾った。
『世界が生まれたら、あなたは何をしたい?』
『そうだなあ……』
幼いエリシアは、少し考えてから答えた。
『みんなが笑って暮らせる世界にしたい!』
『みんな、って?』
『人間も、精霊も、動物も。それから、まだ生まれていない命も!』
エリシアは胸を張った。
『誰も、誰かの命令だけで生きなくていい世界。自分で選んで、自分の好きなものを大切にできる世界にしたいの』
銀髪の少女は、嬉しそうに目を細めた。
『素敵だね』
『あなたも一緒だよ』
エリシアは少女の手を握った。
『世界が生まれたら、ずっと一緒にいようね』
『……うん。約束』
その瞬間、リリアの胸が痛んだ。
まるで、その約束を自分も知っているかのように。
けれど、次の場面で、景色は大きく変わった。
草原は消え、代わりに巨大な神殿が現れる。
成長したエリシアが、七人の神々と向かい合っていた。
『世界の管理権限を、すべて我々に委ねよ』
神々の一人が告げる。
『お前は創造主としての役目を終えた。これ以上、世界に干渉する必要はない』
『それはできない』
エリシアは静かに答えた。
『私は、世界をあなたたちに支配させるために創ったわけじゃない』
『支配ではない。秩序だ』
『同じことよ』
エリシアの声に、初めて怒りが宿った。
『あなたたちは、人々が自分で選ぶことを恐れている。自由に選べば、あなたたちに従わない者も生まれるから』
神々の表情が変わった。
『創造主の分際で、我々を裁くつもりか』
『裁くつもりなんてない』
エリシアは首を横に振った。
『ただ、あの子を返してほしいの』
リリアは息を止めた。
あの子。
銀髪の少女のことだ。
『あの子は、世界の法則に適合しなかった。存在を維持することができなかったのだ』
『だから、存在そのものを消したの?』
『世界の安定のために必要な措置だった』
神々の声には、迷いがなかった。
『お前も理解しているはずだ。世界には秩序が必要なのだと』
『……違う』
エリシアの手が震えた。
『秩序のために、誰かを存在しなかったことにしていいはずがない』
彼女の足元から、黒い影が広がり始めた。
『私は、あの子を取り戻す』
その声に応えるように、世界の法則が軋んだ。
『たとえ、世界を壊すことになっても』
リリアは、思わず一歩踏み出した。
「待って……!」
けれど、記憶の中のエリシアには届かない。
彼女は泣いていた。
怒りではなく、深い悲しみのために。
『お願いだから、返して……』
その言葉を最後に、記憶が途切れた。
*
「……エリシアは、世界を憎んでいたわけじゃないんだ」
リリアは、しばらくしてから口を開いた。
「ただ、大切な人を取り戻したかったんだね」
「そうだな」
アレンは静かにうなずいた。
「だが、世界を壊してでも取り戻そうとした。それが本当なら、神々が恐れる理由もわかる」
「それでも……」
リリアは、白い花を見つめた。
「誰かを失ったからって、世界全部を壊していいわけじゃない。だけど、エリシアがどれほど苦しかったのか、少しだけわかった気がする」
前世の記憶が、胸の奥でかすかに疼いた。
嫌われるのが怖くて、本当の気持ちを隠したこと。
誰かに必要とされたくて、自分の望みを後回しにしたこと。
そして、失うことを恐れて、大切なものに手を伸ばせなかったこと。
エリシアの選択は、正しかったとは言えない。
けれど、彼女の悲しみまで否定したくはなかった。
「リリア」
セフィルが、白い花の向こうを見つめていた。
「まだ、記憶が続いています」
彼の紫色の瞳が、かすかに輝く。
「この先に……あの少女がいる」
全員が顔を上げた。
草原の奥に、細い石畳の道が伸びていた。
その先には、小さな白い扉が立っている。
扉の表面には、銀色の文字が刻まれていた。
――失われた存在への接続。
――創造主エリシアの記憶、第二段階。
――閲覧条件:第二契約者の意志。
「セフィルが必要なのね」
ミラがつぶやいた。
セフィルは一度、目を閉じた。
自分が何を選ぶべきなのか。
まだ、答えは出ていない。
けれど、彼はゆっくりと扉へ歩き出した。
「私は、彼女を止めるために契約しました」
その声は、以前よりも確かなものになっていた。
「ですが、止めるということが、彼女の望みをすべて否定することだとは思いたくありません」
セフィルは扉に手を置いた。
「私は彼女を知りたい。彼女が何を失い、何を望んだのか。そして、今も世界を終わらせようとしているのか」
扉が淡く光った。
「それを知ったうえで、私は自分の答えを選びます」
白い扉が、音もなく開いた。
*
扉の向こうには、ひとつの部屋があった。
部屋の中央に、透明な結晶が浮かんでいる。
その中に、銀髪の少女が眠っていた。
閉じられたまぶた。
胸の前で重ねられた両手。
まるで、長い夢を見ているかのような穏やかな姿だった。
「……あの子が」
リリアは結晶に近づいた。
少女の顔を見た瞬間、胸の奥に強い感情が押し寄せてくる。
悲しみ。
懐かしさ。
そして、どうしようもないほどの愛おしさ。
知らないはずなのに。
初めて会ったはずなのに。
この少女を、失いたくないと思った。
「どうして……こんなに、胸が苦しいの?」
リリアが手を伸ばすと、結晶が反応した。
銀色の光が広がり、少女の周囲に文字が浮かび上がる。
――原初存在。
――世界の法則による消去を確認。
――存在維持のため、記憶と権限を分離。
――本体、休眠状態。
そして最後に、ひとつの名前が表示された。
《第二契約対象――ルシェラ》
「ルシェラ……」
セフィルが、その名を口にした。
その瞬間、結晶の中の少女の指が、かすかに動いた。
セフィルが息を呑む。
「ルシェラ……私を、覚えていますか?」
返事はない。
けれど、少女の胸元に、小さな白い花が咲いた。
花びらが一枚、結晶の内側で舞い上がる。
それがセフィルの手のひらに触れた瞬間、彼の瞳に新たな記憶が流れ込んだ。
泣いているルシェラ。
その前に立つエリシア。
そして、二人の間に横たわる、見知らぬ人物。
『お願い、ルシェラ』
エリシアの声が響いた。
『あの人を……もう一度、私に会わせて』
セフィルの顔が凍りついた。
「……あの人?」
リリアは、結晶の中の少女を見つめた。
エリシアが取り戻したかったのは、ルシェラ自身ではなかったのだろうか。
それとも、ルシェラにしか取り戻せない、別の誰かだったのか。
答えは、まだ見えない。
そのとき、結晶の中で、ルシェラの唇がわずかに動いた。
かすかな声が、部屋に響く。
『……エリシア』
リリアの心臓が跳ねた。
『ごめんね』
少女の頬を、一筋の光が伝った。
『あなたが、あの人を忘れられないことを……私は、知っていたのに』
次の瞬間、部屋全体が激しく揺れた。
結晶の表面に亀裂が走る。
セフィルがリリアを振り返った。
「離れてください! この記憶は、ただの記録ではありません!」
結晶から、黒い光が溢れ出した。
その光の中に、誰かの影が浮かび上がる。
銀色の髪でも、黒い髪でもない。
顔の見えない、ひとりの人物。
その人物が、リリアに向かって手を伸ばした。
『やっと……見つけた』
リリアは、動けなかった。
その声を聞いた瞬間、頭の奥で何かが弾けた。
遠い記憶の中で、誰かが自分を呼んでいる。
何度も。
何度も。
そして、最後に聞こえたのは――。
『今度こそ、私を忘れないで』
リリアの意識が、深い闇へと沈んでいった。
第30話・
次回、第31話「記憶の奥で呼ぶ声」
結晶に眠るルシェラが目覚めかけた瞬間、リリアは謎の人物の記憶へと引き込まれてしまう。
エリシアが本当に取り戻したかったもの。そして、リリアの魂に刻まれた、もうひとつの約束。
その記憶は、彼女が信じてきた過去を大きく揺るがすことになる。




