第28話 七柱の神々が恐れた少女
第28話 七柱の神々が恐れた少女
神殿を出た瞬間、空から光が消えた。
夜ではない。
雲が太陽を覆ったわけでもない。
世界そのものが、何かを忘れようとしている。
リリア・エヴァンジェルは、足を止めて空を見上げた。
「……また、神々の光が消えたの?」
七つの光が輝いていたはずの空。そのうち一つが、完全に姿を消していた。
残る六つの光も、まるで怯えているかのように明滅している。
隣に立つアレンが、剣の柄に手をかけた。
「神殿で見つけた記録が原因か?」
「それだけじゃないと思う」
リリアは胸元に手を当てた。
神殿の奥で聞こえた少女の声が、まだ耳に残っている。
――今度こそ、私を見つけてね。
懐かしいような、悲しいような、不思議な声だった。
まるで、ずっと昔から知っている誰かに呼ばれたような。
けれど、思い出そうとすると頭の奥が鋭く痛む。
「リリア、無理に思い出そうとするな」
アレンが彼女の表情を見て言った。
「記憶が戻れば、答えがわかるとは限らない。今のお前が壊れたら、意味がないだろう」
「……うん。ありがとう」
その言葉に、リリアは小さく笑った。
かつての自分なら、きっと無理をしていた。
役に立たなければ、見捨てられる。
弱いところを見せれば、嫌われる。
そう思い込んで、誰にも頼らず、ひとりで耐えようとしただろう。
けれど、今は違う。
怖いときには怖いと言っていい。
わからないことは、わからないままでいい。
誰かと一緒に答えを探してもいいのだ。
「それで、これからどうする?」
ミラが赤い髪を揺らしながら尋ねた。
「神殿の記録が正しいなら、神々はあの銀髪の少女を消そうとしていた。でも、あの子が何者なのかは、まだわからない」
「いや」
レオンが静かに口を開いた。
「ひとつだけ、わかっていることがある」
彼は神殿の方角を振り返った。
「神々は、あの少女を殺せなかった。だから存在そのものを世界から消そうとしたんだ」
「存在そのものを……?」
カイルが眉を寄せる。
「人間を殺すのとは違う。記録を消し、名前を消し、誰かの記憶からも消す。最初から存在しなかったことにするんだ」
レオンの声は苦々しかった。
「だが、それでも完全には消せなかった。あの八番目の記録も、セフィルの記憶も残っていた。つまり、少女は何らかの方法で世界の法則の外に逃れたんだ」
リリアは、セフィルへと視線を向けた。
銀髪と紫の瞳。
いつもなら感情の揺らぎを見せない彼の表情には、今、戸惑いと悲しみが浮かんでいた。
「セフィル。あなたは、あの子を覚えているの?」
「……まだ、断片的にしか」
彼は自分の手を見つめた。
「白い花。銀色の髪。そして、私に向かって笑う少女。彼女は、私に何かを頼んだはずなのです」
「何を?」
「それが、思い出せません」
セフィルは唇をかみしめた。
「ですが、思い出せないことが、こんなにも苦しいとは知りませんでした」
ミラがそっと彼の肩に手を置く。
「なら、少しずつ思い出せばいいよ。無理に全部取り戻さなくてもいい」
「……あなたは、優しいのですね」
「えっ? そ、そうかな?」
突然の言葉に、ミラは少しだけ頬を赤くした。
その様子に、張り詰めていた空気がほんのわずかに緩む。
だが、そのときだった。
セフィルの胸元に、黒い紋章が浮かび上がった。
「――っ!」
彼が膝をつく。
紋章は脈打つように輝き、紫色の光を放った。
『記憶継承者セフィル。命令違反を確認』
空から声が響いた。
アステリオンの声だった。
『第二契約に関する記憶を破棄せよ。拒否した場合、器の機能を停止する』
「セフィル!」
リリアが駆け寄ろうとした瞬間、彼の身体から衝撃波が放たれた。
アレンがリリアを引き寄せ、ミラは炎の壁を展開する。
レオンが剣を抜いた。
「やはり、神々はこいつを自由にするつもりはないか!」
「違います……!」
セフィルは苦しみながら叫んだ。
「これは、私の意志では……!」
紋章が首元まで広がっていく。
その瞳から、少しずつ光が失われ始めた。
リリアの胸が締めつけられる。
セフィルは、神々に命令されるだけの存在だった。
自分の意志を持つことさえ許されず、記憶を奪われ、心を閉ざされてきた。
そして、ようやく自分で選ぶことを知ったばかりなのに。
「もう、誰かの心を勝手に奪わせたりしない……!」
リリアの足元に、淡い青白い光が広がった。
《創世の理》。
その力を使えば、命令の紋章を壊すことはできるかもしれない。
けれど、セフィルの身体と魂は、神々の力によって作られている。
無理に紋章を消せば、彼自身まで壊してしまう危険があった。
――壊すんじゃない。
リリアは目を閉じた。
――この人が、自分で選べるようにするんだ。
「《創世の理》――命令と意志を、切り離して!」
光が紋章を包み込む。
黒い文字が一つずつ浮かび上がり、空中で砕けていった。
だが、最後の一文字だけは消えなかった。
その文字は、セフィルの胸の奥へと沈み込んでいく。
「リリア、やめろ! 力が強すぎる!」
アレンの声が遠く聞こえた。
鼻の奥が熱くなり、血が一筋、唇へと伝う。
それでも、リリアは手を離さなかった。
「セフィル……! あなたは、何を望んでいるの?」
セフィルの瞳が揺れた。
「私、は……」
彼の唇が震える。
「私は……あの少女に、もう一度会いたい」
その瞬間。
最後の文字が砕け散った。
黒い紋章は消え、セフィルの身体から力が抜ける。
リリアが倒れそうになった彼を支えると、セフィルは驚いたように彼女を見つめた。
「私は……自分の意志で、あなたたちと共にいるのですね」
「うん。もう、誰かに決められる必要はないよ」
「……そうですか」
セフィルは、ほんの少しだけ微笑んだ。
それは、誰かの命令に従うための笑みではなかった。
彼自身が選んだ、初めての笑顔だった。
だが、その直後。
空に巨大な亀裂が走った。
世界の向こう側から、無数の黒い文字が現れる。
文字は空を覆い、街や森、山々へと広がっていった。
レオンが顔色を変える。
「まさか……神々が世界の記録そのものを書き換えているのか!」
「何を書き換えているの?」
カイルが尋ねた。
レオンは、空に浮かぶ文字を凝視した。
「存在の記録だ。あの少女に関わった者たちの記憶を、まとめて消そうとしている!」
その言葉と同時に、カイルが頭を抱えた。
「ぐっ……! なんだ、これは……!」
彼の指にはめられた銀の指輪が、激しく輝いている。
白い花の紋様が浮かび上がり、その中心から、見覚えのない景色が溢れ出した。
崩れゆく世界。
燃え上がる空。
そして、銀髪の少女の前に立つ、若き日のカイル。
『約束する、エリシア』
記憶の中の彼が言った。
『君が世界を壊そうとするなら、僕が必ず止める』
その声に、リリアの心臓が跳ねた。
エリシア。
八番目の記録に刻まれかけた、創造主の名。
そして、今の自分と同じ魂を持つ存在。
だが、記憶はそこで途切れなかった。
少女の背後に、もう一人の人物が立っていた。
銀色の髪。
紫色の瞳。
セフィルと、同じ色。
『今度は、あなたが選んで』
少女は、その人物に向かって告げていた。
『私を止めるのか。それとも――私と一緒に、世界の外へ行くのか』
カイルが息を呑む。
「この人は……誰だ?」
セフィルの顔から、血の気が引いていった。
「……その声は」
彼の瞳に、恐怖と懐かしさが同時に浮かぶ。
「私が、忘れてはいけなかった人……」
そのとき、空に残る六つの神の光が、一斉に明滅した。
そして、はるか遠い神々の宮殿で、アステリオンが玉座から立ち上がる。
「第二契約者が目覚める前に、すべてを終わらせなければならない」
彼は震える指で、最後の封印へと手を伸ばした。
「まさか、あの子が……まだ、世界の外にいるとは」
封印の奥から、少女の声が響く。
『見つけてくれたんだね』
アステリオンの顔が、恐怖に歪んだ。
『それじゃあ、約束の続きを始めよう』
神々が恐れた少女。
彼女の名は、まだ世界に戻っていない。
けれど、世界はもう、彼女の帰還を拒むことができなくなりつつあった。
リリアは空を見上げる。
自分と同じ魂を持つ少女。
セフィルが忘れてしまった約束。
そして、神々が隠し続けた第二契約。
すべてが、ひとつの真実へと繋がり始めていた。
――あの少女は、いったい何者なのだろう。
そして、なぜ自分と同じ魂を持っているのだろう。
答えを求めるように、リリアの胸元で《創世の理》が淡く輝いた。
その光は、今までとは違う色をしていた。
まるで、誰かが遠い場所から応えているかのように。
第28話・
次回、第29話「第二契約者の正体」
セフィルの失われた記憶が、少しずつ形を取り戻していく。
一方、カイルの指輪が示した過去には、エリシアと世界を揺るがす約束を交わした、もう一人の人物がいた。
その人物は、神でも人間でもない。
そして、リリアがまだ知らないところで、第二契約はすでに動き始めていた。




