第23話 たった一人を取り戻すために
第23話 たった一人を取り戻すために
――創造主は、たった一人を取り戻すために、世界を終わらせようとした。
始まりの聖域に、その記録だけが残されていた。
リリアは、石板に刻まれた文字を見つめたまま動けずにいた。
世界を創った者が、世界を終わらせようとした。
その理由が、たった一人を取り戻すためだったなんて。
「……その人は、誰なの?」
問いかけても、聖域は答えなかった。
七つの光が揺れ、天井に刻まれた古い文字が淡く輝いている。まるで、まだ語られていない真実そのものが、彼女たちの頭上で息を潜めているようだった。
レオンが石板の前に進み出た。
「最後の記録があるはずだ。ここには、創造主が世界を創る以前の記憶も保管されていると聞いたことがある」
「でも、さっきから探しても何も見つからないよ?」
ミラが周囲を見回した。
「本棚も扉もないし……この広間そのものが記録なのかな」
「違う」
低い声で答えたのは、カイルだった。
彼は手袋を外し、左手にはめられた銀の指輪を見つめていた。
白い花を象った装飾が、先ほどから弱々しく明滅している。
「この指輪が反応している。何かが、ここにあるんだ」
カイルが石板に手を伸ばした。
その瞬間。
銀の指輪が、強い光を放った。
「カイル!」
アレンが声を上げる。
だが、カイルは手を引かなかった。
光が彼の腕を包み込み、指輪から細い銀の糸のようなものが伸びていく。それは空中を漂い、何もない壁の一点へと吸い込まれた。
――カチリ。
何かが解錠される音がした。
壁に、細い亀裂が走る。
やがて亀裂は扉の形を描き、その向こうから冷たい風が吹き抜けてきた。
「……開いた」
リリアがつぶやいた。
扉の中央には、古代文字が刻まれていた。
レオンが読み解こうと目を細める。
「これは……」
「読めるの?」
「いや。文字そのものは読める。だが、意味が分からない」
「どういうこと?」
「古代語の中でも、創造主が世界を創る前に使っていた文字だ。今の言葉に置き換えようとすると、意味が変わってしまう」
レオンはしばらく黙り込み、やがて慎重に言葉を選んだ。
「おそらく……『ここに眠る者を、再び孤独にしてはならない』。そう書かれている」
その言葉を聞いた瞬間、リリアの胸が痛んだ。
孤独。
それは、前世の自分が最も恐れていたものだった。
誰かに嫌われないように。誰かに見捨てられないように。
自分の気持ちを押し殺し、周囲が望む人間になろうとしていた。
そしてエリシアもまた、誰にも孤独を味わわせたくなくて世界を創ったのだ。
なのに。
彼女自身が、たった一人を失っていた。
「……私が、開けるね」
リリアは扉に手を添えた。
創世の理が反応し、扉に刻まれた文字が一つずつ光を帯びていく。
扉は音もなく開いた。
その先にあったのは、小さな部屋だった。
中央には透明な結晶が浮かび、その中に一冊の本が眠っている。
表紙には、名前が記されていた。
ただし、その名前の一部は、黒い何かによって塗り潰されていた。
リリアが近づく。
すると、結晶の表面に文字が浮かび上がった。
――第一契約者に関する記録。
――閲覧者が創造主の魂を継ぐ者である場合、記録を開示する。
「第一契約者……!」
アレンが息をのんだ。
始まりの聖域で見つけた記録には、世界を終わらせる力を託された者がいると書かれていた。
創造主が最も信頼した人物。
そして、エリシアが世界を終わらせようとしたとき、彼女を止める役目を与えられた人物。
リリアは結晶に触れた。
光があふれ、部屋の景色が塗り替えられた。
そこに現れたのは、かつてのエリシアだった。
銀色の髪を揺らし、誰かと向かい合っている。
相手の顔は、光に遮られて見えない。
『……お願いがあるの』
エリシアの声は震えていた。
『もし私が、世界を壊そうとしたら』
彼女は一度、言葉を切った。
『そのときは、私を止めて』
相手は答えない。
『世界を守るため、ではないわ。神々を守るためでもない』
エリシアは、苦しそうに笑った。
『私が、私自身を見失ってしまったときに……私を止めてほしいの』
映像が乱れた。
次の瞬間、エリシアは泣いていた。
『でも、もし私があなたを忘れてしまっても……どうか、私を憎まないで』
そこで記録は途切れた。
リリアは息をすることさえ忘れていた。
エリシアは、世界を壊す可能性を自覚していた。
だからこそ、誰かに自分を止める役目を託した。
その人物が第一契約者なのだ。
「顔が……見えなかった」
ミラが小さくつぶやく。
「記録が壊れているのか?」
レオンが結晶を調べた。
「いや。意図的に隠されている。名前だけじゃない。姿も、声も……存在そのものが記録から切り離されている」
そのときだった。
カイルの指輪が、ひときわ強く輝いた。
「うっ……!」
カイルが頭を押さえて膝をつく。
「カイル!」
アレンが駆け寄ろうとしたが、リリアが先に彼の手を取った。
触れた瞬間、記憶が流れ込んできた。
赤く染まった空。
崩れ落ちる世界。
そして、銀色の髪の少女を抱きしめる、ひとりの青年。
青年は泣いていた。
その手には、白い花を象った銀の指輪がある。
『……俺が、あなたを止めます』
青年の声。
『たとえ、あなたに憎まれても』
その顔が、ゆっくりとこちらを向いた。
カイルだった。
今の彼と同じ顔。
けれど、記憶の中の彼は、今よりずっと深い悲しみに沈んでいた。
そして、彼の腕の中には――エリシアがいた。
リリアの視界が揺れた。
映像の中のエリシアは、目を閉じていた。
胸元から、黒い光があふれている。
まるで、世界そのものが彼女を拒絶しているかのように。
「俺は……」
カイルが震える声で言った。
「俺は、あの人を殺したのかもしれない」
誰も、すぐには答えられなかった。
カイルは自分の手を見つめる。
「俺は、彼女を止めると約束した。けれど……止めることと、殺すことは同じじゃない」
彼の声がかすれた。
「それなのに、俺の記憶には、剣を振り下ろす瞬間しか残っていない」
「カイル……」
リリアは、彼の手を握り直した。
「まだ、分からないよ」
「でも、君も見ただろう?」
「見た。でも、最後までは見ていない」
リリアはまっすぐに彼を見つめた。
「あなたが何をしたのか、エリシアが何を望んだのか。全部分かるまでは、あなたを裏切り者だとは決めない」
「……君は、どうしてそこまで俺を信じられる?」
「信じるって決めたから」
リリアは少しだけ笑った。
「もちろん、あなたが何をしても許すって意味じゃないよ。もし本当に誰かを傷つけたなら、その事実と向き合わなきゃいけない。でも、知らないことまで決めつけて、あなたの未来を奪いたくない」
カイルは言葉を失った。
やがて、彼は顔を伏せた。
「……君は、あの人とは違うんだな」
「うん。私はリリアだから」
その答えに、カイルの指輪から一筋の光がこぼれた。
白い花の中心に、今までなかった小さな文字が浮かび上がる。
リリアには読めた。
それは、創造主の古い言葉だった。
――第二の約束を、忘れるな。
リリアが文字を読み終えた瞬間、結晶の中の本がひとりでに開いた。
黒く塗り潰されていた名前の一部が、ほんのわずかに現れる。
そこに記されていたのは、カイルの名ではなかった。
別の名前の、最初の一文字。
そしてその文字を見たレオンが、血の気を失った。
「……そんな、まさか」
「レオン、知っている名前なの?」
アレンが問いかける。
レオンは答えなかった。
ただ、結晶に浮かぶ文字を凝視している。
「その名は……失われた記録の中にしか存在しないはずだ」
「だから、誰なの?」
ミラの声に、レオンはようやく顔を上げた。
「まだ断定はできない。だが、もし私の考えが正しければ……第一契約者と、第二の約束を交わした人物は、同一人物ではない」
「二人いるってこと?」
「ああ。そして、エリシアが世界を終わらせようとした理由に関わる人物が、もう一人いる可能性がある」
そのとき、部屋全体が大きく揺れた。
天井から砂埃が落ち、七つの光のうち一つが明滅を始める。
リリアの脳裏に、聞き覚えのある声が響いた。
『見つけてしまったか、創造主の継承者よ』
アステリオンだった。
『その記録を閉じろ。お前が知るべきことではない』
「……あなたが隠したの?」
リリアは結晶を見つめたまま問い返した。
「エリシアの記憶を。第一契約者の名前を。全部、あなたが?」
『私は世界を守っている』
「それは、答えになっていないよ」
沈黙。
やがて、アステリオンの声が低くなった。
『ならば教えてやろう。創造主が失った者を取り戻そうとしたとき、何が起こったのかを』
結晶の中に、再び映像が浮かび上がる。
エリシアが立っていた。
その足元には、壊れた世界。
目の前には、誰かが倒れている。
エリシアは泣いていた。
しかし、その手には世界を終わらせる力が宿っていた。
『返して……』
少女の声が、震える。
『お願いだから、あの子を返して……!』
映像の中のエリシアが顔を上げた。
その瞳には、創造主としての威厳も、神を超える力もなかった。
ただ、大切な誰かを失った少女の絶望だけがあった。
『あの子がいない世界なんて……私は、いらない!』
映像が途切れた。
同時に、結晶が砕け散った。
「危ない!」
アレンがリリアを抱き寄せる。
砕けた結晶の破片は、床に落ちる前に光となって消えていった。
そして、最後に残された本のページに、一行だけ文字が浮かんだ。
――第二の約束を知る者は、今も神々の中にいる。
リリアは、ゆっくりと顔を上げた。
神々の中に、真実を知る者がいる。
それはアステリオンなのか。
それとも、別の神なのか。
答えはまだ分からない。
けれど、一つだけ確かなことがあった。
エリシアは、世界そのものを愛していた。
それでも、世界よりも失いたくない誰かがいた。
その誰かを取り戻そうとして、彼女は世界を終わらせようとした。
そして、カイルはその場にいた。
彼女を止めると約束した者として。
「……俺は、何を忘れているんだ」
カイルがつぶやく。
銀の指輪を握る彼の手は、震えていた。
リリアは、その手をそっと包み込んだ。
「一緒に探そう。あなたが忘れたものも、エリシアが失ったものも」
その瞬間。
聖域の最奥から、少女の声が響いた。
『……やっと、ここまで来たのね』
全員が振り返る。
七つの光の下に、白い花が一輪、咲いていた。
花弁の中央には、小さな銀色の鍵が浮かんでいる。
そして、誰も触れていないのに、鍵がゆっくりと回り始めた。
『次に会うときは、隠さずに話すわ』
その声は、リリア自身の声によく似ていた。
けれど、どこか違う。
ずっと昔に交わした約束を、今も覚えている者の声だった。
――そして遠く離れた神殿で、アステリオンは静かに目を閉じた。
「目覚めるつもりか……第二契約者よ」
彼の背後で、封じられていた扉が音を立てる。
その向こうから、かすかな笑い声が聞こえた。
「ならば、今度こそ終わらせなければならない」
神王の手に、黒い光が宿る。
「創造主が再び、あの子を選ぶ前に」
世界のどこかで、二つ目の約束が目を覚まそうとしていた。
第23話・完
次回、第24話「神々の中に眠る裏切り者」
第二の約束を知る神とは誰なのか。リリアたちは聖域に残された銀の鍵を手がかりに、神々が隠し続けてきた記録を探す。しかし、アステリオンが先に動き出し、セフィルのもとへ新たな命令を下す――。




