第21話 創造主が殺した少女
第21話 創造主が殺した少女
「――エリシア。あなたは、私を殺したのよ」
その言葉が、忘却の谷に響いた。
リリアは、目の前の少女を見つめたまま動けなかった。
銀色の髪。
青い瞳。
自分と同じ顔。
けれど、少女の胸元には、まるで何かに貫かれたような深い傷が刻まれていた。
傷口から血は流れていない。
ただ、そこだけ世界の色が抜け落ちたように、黒く染まっていた。
「……私が、あなたを殺した?」
リリアは震える声で問い返した。
「違う。私は……そんなこと、覚えていない」
「ええ。あなたは忘れたの」
少女は静かに答えた。
「自分が何をしたのかも。私がどんな気持ちで、あなたのそばにいたのかも」
「待って。あなたの名前は? あなたはエリシアなの? それとも……」
「私はエリシアではないわ」
少女は首を横に振った。
「でも、エリシアが生まれる前から、あなたのことを知っている」
その瞬間、リリアの手首に金色の紋様が浮かび上がった。
七つの星を囲む円。
その中央にある、小さな空白。
少女がそれを見て、悲しそうに目を伏せた。
「……まだ、その印を持っているのね」
「この印のことを知っているの?」
「ええ。だって、それは私たちが一緒に作ったものだから」
リリアの心臓が跳ねた。
私たち。
その言葉は、二人がかつて親しい関係にあったことを示していた。
けれど、リリアには何一つ思い出せない。
自分と同じ顔をした少女と、どこで出会ったのか。
なぜ彼女を殺したのか。
そして、彼女が言う「約束」とは何なのか。
何もわからなかった。
「……教えて」
リリアは一歩、少女へ近づいた。
「あなたのことを、全部教えてほしい」
少女は答えなかった。
代わりに、リリアの背後へ視線を向けた。
「あなたの仲間たちを、少し休ませてあげて」
「え?」
振り返ると、アレンたちは地面に膝をついていた。
忘却の法則による影響が、まだ残っているのだ。
ミラは頭を押さえ、カイルは銀の指輪を握り締めている。
セフィルも、苦しそうに目を閉じていた。
「彼らは、あなたほど長くこの場所に耐えられない」
少女は言った。
「特に、その黒髪の騎士は危険よ」
リリアの顔が強張る。
「アレンが?」
「彼の中には、あなたを守るための契約が残っている。でも、その契約は、あなたを守るだけのものではない」
「どういう意味?」
「いずれ、あなた自身が知ることになるわ」
少女はそう言うと、手を差し伸べた。
「こちらへ来て。あなたに見せたいものがある」
リリアは、その手を見つめた。
信じていいのだろうか。
彼女は自分を殺されたと言った。
自分を憎んでいても、おかしくはない。
それでも、リリアは手を伸ばした。
少女の指先に触れた瞬間、視界が白く染まった。
*
そこは、世界が生まれる前の場所だった。
空も、大地もない。
ただ、果てしない暗闇だけが広がっていた。
その中心に、一人の少女が座っている。
銀色の髪。
青い瞳。
エリシアだった。
まだ創造主ではない、ただの少女だった頃の彼女。
その隣には、もう一人の少女が座っていた。
二人は肩を寄せ合い、何もない暗闇を眺めていた。
『ねえ、エリシア』
もう一人の少女が言った。
『いつか、ここに世界を作るの?』
『うん』
エリシアは頷いた。
『誰も寂しくならない世界を作りたいの』
『誰も?』
『そう。誰も一人にならない。誰も大切な人を失わない。誰も、誰かに拒絶されない世界』
少女は、くすりと笑った。
『そんな世界、本当に作れるの?』
『作るわ』
エリシアは迷わず答えた。
『私が、絶対に作ってみせる』
その横顔には、強い決意があった。
けれど、隣の少女は少しだけ寂しそうに微笑んだ。
『……それなら、約束して』
『何を?』
『世界を作っても、私のことを忘れないで』
エリシアは驚いたように目を見開いた。
そして、少女の手を握った。
『忘れるわけないでしょう?』
『本当に?』
『本当よ。世界がいくつ生まれても、どれだけ時が流れても、私はあなたを忘れない』
二人の手の間に、小さな金色の光が生まれた。
七つの星を囲む円。
その中央に、小さな空白。
原初の契約の印だった。
『これが、私たちの約束』
エリシアは笑った。
『私が世界を作るときも、あなたは私の隣にいて』
『……うん』
少女は頷いた。
『ずっと、一緒にいようね』
その瞬間、記憶の光景が揺らいだ。
暗闇の中に、無数の世界が生まれていく。
星々が輝き、海が満ち、生命が誕生した。
エリシアは世界を創造した。
神々が生まれ、七つの光に権能を与えられた。
そして、少女は――
世界の片隅へと追いやられていた。
『エリシア、ここにいてもいい?』
『ごめんね。今は、神々との約束があるの』
『……そう』
『すぐに戻るから』
エリシアはそう言って、少女の手を離した。
しかし、彼女は戻らなかった。
世界を管理する神々との協議。
新しい生命の創造。
世界を守るための法則の構築。
エリシアは次第に忙しくなり、少女のもとを訪れる時間を失っていった。
少女は何度も待った。
何度も、エリシアを呼んだ。
けれど、返事はなかった。
やがて、少女の姿は薄れていった。
世界に存在を認められなくなったのだ。
創造主の力によって生まれた世界は、創造主が認識しない存在を、少しずつ世界の記録から排除し始めていた。
少女は消えかけていた。
それでも、エリシアを恨むことはできなかった。
『……エリシア』
少女は、最後の力で彼女の名前を呼んだ。
『お願い。私を、忘れないで』
その声が届いたのか。
エリシアは、ようやく少女の存在に気づいた。
そして、彼女を救おうとした。
だが、すでに遅かった。
少女の存在は、世界の法則そのものに拒絶されていた。
彼女を元に戻すには、世界の構造を変えるしかない。
それは、世界全体を危険にさらす行為だった。
エリシアは悩んだ。
世界を守るべきか。
少女を守るべきか。
そして――
記憶は、そこで途切れた。
「……ここまでよ」
少女の声で、リリアは現実へ引き戻された。
いつの間にか、二人は巨大な樹の根元に立っていた。
夢で見た場所と同じだった。
世界の記憶が集まる場所。
少女は、リリアから目を逸らした。
「今のは、ほんの一部の記憶。あなたがすべてを思い出すには、まだ早い」
「待って」
リリアは彼女の手を掴んだ。
「どうして? あなたは、エリシアに忘れられたの?」
「……そうよ」
「それで、殺されたっていうのは?」
少女の顔が、ひどく悲しそうに歪んだ。
「あなたは、私を救おうとした」
彼女は静かに言った。
「でも、その方法は、私を生かすことではなかった」
リリアの指先が冷たくなった。
「……どういうこと?」
「あなたは、私が消えないように、私の存在を世界から切り離したの」
「世界から……切り離した?」
「私が消えることも、誰かに忘れられることもないように。あなたは、私を世界の法則の外側へ移そうとした」
少女は胸元の傷に触れた。
「けれど、そのとき、あなたの力は暴走した。私の身体は壊れ、魂は世界の記録から切り離された」
彼女は目を閉じた。
「あなたは、私を殺すつもりではなかった。でも、結果として私は死んだ」
リリアは、何も言えなかった。
自分と同じ魂を持つ創造主が、誰かを救おうとして、その相手を死なせてしまった。
その事実は、これまで知ったどんな過ちよりも、重く感じられた。
「……ごめんなさい」
気づけば、リリアは頭を下げていた。
「私がエリシアの生まれ変わりだからって、あなたに謝る資格があるかはわからない。でも……ごめんなさい」
少女は驚いたように目を見開いた。
「あなたは、エリシアではないのでしょう?」
「うん。私はリリアだよ」
「なら、どうして謝るの?」
リリアは顔を上げた。
「過去の私がしたことだから、今の私には関係ないって言いたくないの。あなたがどんな思いをしたのか、まだ全部はわからない。でも、あなたが傷ついたことは、本当だから」
少女は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく笑った。
「……不思議な子ね」
「そうかな?」
「ええ。昔のあなたなら、きっと自分を責め続けたわ。そして、私に許してもらうまで、前に進めなくなったと思う」
少女は、リリアの頬にそっと触れた。
「でも、あなたは違う。私の痛みを認めながら、自分自身を見失わない」
その指先は、驚くほど温かかった。
「……少しだけ、安心したわ」
リリアの目に涙が浮かんだ。
「あなたの名前を、教えてくれる?」
少女は、ゆっくりと頷いた。
「私の名前は――」
その瞬間、巨大な樹が激しく揺れた。
世界の記憶が、黒い炎に包まれていく。
「なっ……!」
少女の身体が、透け始めた。
「もう、時間がない!」
「待って! 名前を!」
リリアが手を伸ばす。
少女は最後の力で、彼女の手を握った。
「思い出して、リリア。あなたが私に何を約束したのか」
そして、彼女は囁いた。
「あなたが私を殺したのは、私を救うためだけではなかった」
リリアの心臓が、強く跳ねた。
「……え?」
「あなたは、私を守るために――」
声が途切れた。
少女の姿が、光の粒となって消えていく。
最後に残ったのは、青い瞳だけだった。
「――世界を、終わらせようとしたの」
*
リリアが目を覚ましたとき、アレンが彼女の肩を揺さぶっていた。
「リリア! 聞こえるか!」
「……アレン?」
「よかった……!」
彼は深く息を吐いた。
周囲では、ミラたちも意識を取り戻し始めていた。
銀髪の男は、少し離れた場所に立っていた。
その表情には、疲労と、諦めに似たものが浮かんでいた。
「……見たのか」
男が尋ねた。
リリアはゆっくりと頷いた。
「あなたは、あの子のことを知っているの?」
「知っている」
「名前は?」
男は答えなかった。
代わりに、リリアの手首を見つめた。
「お前があの子の記憶を見たのなら、いずれ名前も思い出すだろう」
「どうして、今は教えてくれないの?」
「その名を口にすれば、神々が気づく」
男の金色の瞳が、鋭く光った。
「そして、今度こそあの子の魂を完全に消し去ろうとするだろう」
リリアは息を呑んだ。
まだ、終わっていないのだ。
少女は消えたのではない。
世界のどこかに、まだ存在している。
そして、神々はその存在を恐れている。
「……あなたは、あの子を救いたいの?」
リリアが尋ねると、男は苦しそうに目を閉じた。
「救いたいに決まっている」
その声は、今にも壊れそうだった。
「だが、私にはできなかった。あの子を守ることも、創造主を止めることも」
彼は、リリアを見つめた。
「だから、お前を拒んだ。お前が真実を知れば、また同じことを繰り返すと思ったからだ」
「……私は、エリシアとは違う」
「そう言う者は、いつも同じ過ちを繰り返す」
男は冷たく告げた。
「それでも、お前は選ぶのだろう。真実を知り、過去を背負い、世界を変えようとするのだろう」
リリアは答えなかった。
ただ、拳を握り締めた。
少女の涙。
消えていく姿。
そして、最後に告げられた言葉。
――あなたは、私を救うためだけに、世界を終わらせようとしたのではない。
その意味を、まだ理解できない。
けれど、いつか必ず知ることになる。
「……私、もう一度あの子に会いたい」
リリアは顔を上げた。
「今度は、ちゃんと話をしたい。あの子が何を望んでいるのか、何を恐れているのか、私自身の目で確かめたい」
男は長い間、彼女を見つめていた。
やがて、深い溜息をついた。
「……ならば、始まりの聖域へ行け」
「え?」
「この谷の奥に、聖域へ続く道がある。お前があの子の記憶を見たことで、封印が緩んだ」
男は、谷の奥を指さした。
「ただし、忠告しておく。聖域に残されている記録は、神々が隠したものだけではない」
「どういうこと?」
「創造主自身が、意図的に消した記憶もあるということだ」
リリアの背筋が冷たくなった。
エリシアは、自分自身の記憶まで封じたのだ。
なぜ。
何を知られたくなかったのか。
「……あなたの名前は?」
リリアが尋ねた。
男は、少しだけ迷った後、答えた。
「レイヴン」
それが本当の名前なのか、それとも仮の名なのか。
リリアにはわからなかった。
ただ、レイヴンと名乗った男は、去り際に一度だけ振り返った。
「リリア・エヴァンジェル」
「何?」
「もし、あの子に再び会えたなら……」
彼の声が、かすかに震えた。
「どうか、今度こそ、あの子を一人にしないでくれ」
その言葉を最後に、レイヴンの姿は霧の中へと消えていった。
リリアは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
忘却の谷の奥。
始まりの聖域。
そこには、エリシアが隠した記憶が残されている。
そして、世界を終わらせようとした本当の理由も。
リリアは、静かに拳を握り締めた。
「……必ず、真実を見つける」
誰かのためだけではなく。
過去の自分を否定するためでもなく。
今の自分が、未来を選ぶために。
その決意を胸に、一行は谷の奥へと歩き始めた。
*
同じ頃、神々の神殿。
アステリオンの前に、一人の神官が跪いていた。
「報告いたします。忘却の谷にて、原初契約の反応が確認されました」
「……やはり、目覚めたか」
アステリオンは目を閉じた。
「第二契約者は?」
「存在の完全な確認には至っておりません。しかし、創造主の魂との接触があったものと思われます」
沈黙。
やがて、アステリオンは冷たく命じた。
「始まりの聖域を封鎖しろ」
「しかし、聖域はすでに長い間、閉ざされております」
「ならば、完全に破壊しろ」
神官が顔を上げた。
「聖域を破壊すれば、原初の記録も失われます。それでは、第七の誓約の全容を知る手段も……」
「構わぬ」
アステリオンの瞳が、冷たく輝いた。
「記録が残れば、創造主は必ず思い出す。そして、あの存在も戻ってくる」
彼は、誰もいない空間を見つめた。
「二度と、同じことを繰り返させるわけにはいかない」
その声には、神々の頂点に立つ者とは思えないほどの恐怖が滲んでいた。
アステリオンが最も恐れているのは、エリシアの力ではない。
世界を終わらせることができる創造主でもない。
彼が恐れているのは――
かつて、エリシアが一人の少女に交わした、たった一つの約束だった。
――第二十一話・完
次回、第二十二話「始まりの聖域と、封じられた罪」
レイヴンの導きによって、始まりの聖域へ続く道が開かれる。
そこに眠るのは、創造主エリシアが意図的に消し去った記憶。そして、世界の創造よりも前に交わされた、もう一つの約束。
リリアたちは、ついにエリシアが世界を終わらせようとした本当の理由へと近づいていく。




