第2話 創世の力と黒騎士
第2話 創世の力と黒騎士
神殿を逃げ出してから、どれほどの時間が経ったのだろう。
森の中は薄暗く、木々の隙間から差し込む月明かりだけが、私たちの足元を照らしていた。
私はアレンの後を追いながら、何度も背後を振り返った。
追手の姿は見えない。
けれど、安心することはできなかった。
あの神々が、私を見逃すはずがない。
「……あの」
「なんだ?」
前を歩いていたアレンが、振り返る。
「どこまで行くんですか?」
「ひとまず、神殿から離れる。あいつらの目が届かない場所までな」
「そんな場所、あるんですか?」
「あるかどうかは、これから確かめる」
「……えっ?」
思わず足を止めた。
アレンは、何事もなかったかのように歩き続けている。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「冗談だ」
彼は振り返り、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「この森の奥に、古い廃墟がある。今は誰も近づかない場所だ。そこで休もう」
「……びっくりしました」
「悪い」
そう言いながらも、彼の表情にはどこか余裕があった。
神殿では、あれほど多くの騎士や神々に追われていたというのに。
どうして、この人はこんなにも落ち着いていられるのだろう。
私は小さく息を吐き、再び彼の後を追った。
* * *
しばらく歩くと、木々の向こうに石造りの建物が見えてきた。
崩れかけた壁。
蔦に覆われた柱。
屋根の一部は失われ、入口には古びた石像が倒れている。
一見すると、何百年も前に捨てられた遺跡のようだった。
「ここは……?」
「昔の神殿らしい」
アレンは入口に立ち、建物を見上げた。
「ただ、普通の神殿とは違う。神々を祀るために造られたものじゃないそうだ」
「神々を祀らない神殿?」
「ああ。詳しいことはわからない。少なくとも、今の神殿とは関係がない場所だ」
私は石造りの壁に触れた。
指先に、かすかな違和感が走る。
なぜだろう。
初めて訪れた場所なのに、懐かしい気がする。
まるで、ずっと昔にここへ来たことがあるような。
「……リリア?」
「えっ?」
「どうした?」
「いえ……何でもありません」
そう答えたものの、胸の奥に残る不思議な感覚は消えなかった。
私たちは建物の中へ入った。
内部には崩れた祭壇と、壁一面に刻まれた古代文字が残されていた。
文字の多くは風化している。
それでも、中央の壁に刻まれた紋様だけは、はっきりと形を保っていた。
円の中に描かれた、七つの星。
そして、その中心に立つ一人の少女。
「……この絵は?」
私は思わず近づいた。
少女の顔は、長い年月のせいで削れている。
けれど、少女が身につけている衣装を見た瞬間、胸が強く締めつけられた。
どこかで見たことがある。
いや。
見たことがあるどころではない。
その衣装は、今日、私が神託の儀式で着ていたものと、よく似ていた。
「アレン……」
「どうした?」
「この壁画、何を描いているんでしょう?」
彼は壁画を見上げ、眉をひそめた。
「さあな。神々が描かれていないのが気になるが」
その言葉に、私は改めて壁画を見つめた。
確かに、七つの星があるのに、神々らしき姿は一つもない。
描かれているのは、中央の少女だけだった。
そのとき。
胸の奥が、熱くなった。
「……っ!」
私は壁から手を離した。
視界の端に、見覚えのある文字が浮かび上がる。
《原初の記録を検知》
《封印された記憶との共鳴を確認》
《閲覧しますか?》
「な、何これ……」
まただ。
神殿で力が目覚めたときと同じ文字。
けれど、今回は少し違った。
文字の下に、小さな選択肢が現れている。
《はい》
《いいえ》
私は息を呑んだ。
どうすればいいのかわからない。
けれど、確かめなければならないと思った。
自分の力のことを。
神々が隠している秘密のことを。
そして、あの壁画の少女のことを。
「……はい」
小さく呟いた。
その瞬間、視界が白く染まった。
* * *
――暗闇。
最初に感じたのは、何もないという感覚だった。
空も、大地も、星もない。
ただ、果てしない虚無だけが広がっている。
その中心に、一人の少女が立っていた。
銀色の髪。
白い衣。
そして、私とよく似た顔。
少女は両手を広げ、暗闇の中に光を生み出していた。
一つ。
また一つ。
光は星となり、星々は集まって銀河となる。
やがて、広大な大地が生まれ、海が生まれ、空が生まれた。
世界が、形を成していく。
少女は、その光景を静かに見つめていた。
そして、微笑んだ。
『これで、命が生まれる場所ができた』
声が聞こえた。
優しく、穏やかな声。
『いつか、この世界に生きる者たちが、自分の未来を選べますように』
少女は、空へ手を伸ばした。
『誰かに定められるのではなく、自分自身の意志で歩んでいけますように』
その言葉を聞いた瞬間、私は胸が苦しくなった。
なぜだろう。
この願いを、私は知っている。
ずっと昔から、知っていたような気がする。
けれど、次の瞬間。
世界に亀裂が走った。
暗闇の向こうから、七つの光が現れた。
それぞれが強大な力を宿し、少女の前に並び立つ。
『創造主よ』
七つの光の一つが告げた。
『我らに、この世界を管理する権能をお与えください』
少女は、しばらく黙っていた。
やがて、静かに頷く。
『わかりました。ただし、忘れないでください』
少女の声が、虚無に響く。
『この世界は、あなたたちの所有物ではありません』
『命を支配するためではなく、命を守るために、その力を使いなさい』
七つの光が、頭を垂れた。
『御意に』
その光景を見た瞬間、私は理解した。
神々は、世界を創ったのではない。
世界を創った存在から、世界を管理する力を与えられたのだ。
では、世界を創った少女は誰なのか。
私は少女の顔を見ようとした。
しかし、その瞬間。
少女が、こちらを向いた。
まるで、私の存在に気づいたかのように。
そして。
『……ようやく、ここまで来たのですね』
その言葉が聞こえた瞬間、世界が砕けた。
* * *
「リリア!」
誰かの声が聞こえた。
目を開けると、目の前にアレンの顔があった。
「大丈夫か?」
「……アレン?」
「急に倒れたんだ。何があった?」
私は慌てて身体を起こした。
頭が痛い。
まるで、長い夢を見た後のようだった。
けれど、あれは夢ではない。
確かに見た。
世界の始まりを。
そして、世界を創った少女を。
「……私、見たんです」
「何を?」
「世界が生まれるところを」
アレンの表情が変わった。
「世界が……生まれるところ?」
「はい。何もない暗闇から、世界が創られていくところを。それから……七つの光が現れたんです」
私は壁画を振り返った。
「たぶん、あれが神々なんだと思います」
アレンは黙っていた。
その目は、私の言葉を疑っているようには見えなかった。
むしろ、何かを確かめようとしているようだった。
「……リリア」
彼は低い声で尋ねた。
「その少女は、どんな姿をしていた?」
「銀色の髪で、白い服を着ていました。顔は……よく見えなかったけれど」
私は自分の手を握りしめた。
「私と、よく似ていたんです」
長い沈黙が流れた。
やがて、アレンは深く息を吐いた。
「そうか……」
「何か、知っているんですか?」
「いや。確かなことは何も知らない」
彼は壁画へ視線を向けた。
「だが、君が見たものが本当なら、神々が君を恐れる理由も、少しはわかる気がする」
「……どういうことですか?」
「神々にとって、君はただの人間じゃないのかもしれない」
その言葉が、胸に重く落ちた。
私は、普通の人間として生きたかった。
誰かに必要とされたいと思った。
自分の居場所が欲しかった。
それなのに。
もし本当に、私が神々さえ知らない存在だったら。
私は、いったい何者なのだろう。
「……怖いです」
気がつくと、私はそう呟いていた。
「自分が何なのか、わからないのが……怖い」
アレンはすぐには答えなかった。
ただ、私の隣に腰を下ろした。
「わからなくていい」
「……え?」
「今すぐ、自分が何者なのか決める必要はないだろ」
彼は、まっすぐに私を見た。
「神々が何と言おうと、君がどんな力を持っていようと、君が君であることは変わらない」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
「だから、焦るな」
アレンは少しだけ微笑んだ。
「答えは、これから見つければいい」
私は、何も言えなかった。
ただ、涙が出そうになった。
前世でも、この世界でも。
私はずっと、誰かに自分の価値を決めてもらおうとしていた。
役に立てば、必要とされる。
期待に応えれば、捨てられない。
そう信じていた。
でも、本当は。
誰かに認められなくても、自分は自分でいていいのかもしれない。
「……ありがとう」
小さな声で、私は言った。
アレンは照れくさそうに視線を逸らした。
「礼を言われるようなことじゃない」
そのときだった。
壁画の中央が、突然、淡い光を放った。
「……え?」
私たちは同時に顔を上げた。
七つの星が、一つずつ輝き始める。
そして、中央の少女の足元に、文字が浮かび上がった。
古代文字だった。
けれど、不思議なことに、今度は読むことができた。
『原初の創造主は、世界の理に名を刻まず』
『その魂は、終わりなき輪廻の中に眠る』
『七つの神が世界を統べる時、創造主は再び人の子として目覚める』
私は息を呑んだ。
「……人の子として?」
文字が、さらに続いた。
『その者が目覚める時、神々の時代は終わりを迎える』
その瞬間、壁画の光が消えた。
静寂が戻る。
アレンは剣の柄に手をかけ、周囲を警戒した。
「……まずいな」
「え?」
「誰かが近づいている」
彼の声が低くなる。
遠くから、複数の足音が聞こえてきた。
そして、森の奥から、冷たい声が響いた。
『見つけましたよ、リリア・エヴァンジェル』
その声を聞いた瞬間、身体が凍りついた。
神殿で聞いた声。
私に死を宣告した神々の一人。
『逃げても無駄です』
暗闇の向こうで、金色の光が灯った。
『あなたには、知っていただかなければなりません』
一拍の沈黙。
そして、その存在は告げた。
『あなたが、この世界に生まれてきた本当の理由を』
アレンが私の前に立った。
「リリア、俺の後ろへ」
私は頷いた。
胸の奥で、《創世の理》がかすかに脈打っている。
神々が隠してきた真実。
世界の始まりに立っていた少女。
そして、自分の中に眠る謎の力。
すべてが、少しずつ繋がり始めていた。
けれど、その答えを知るには、まだ早すぎた。
私は息を整え、目の前の闇を見つめた。
もう、逃げるだけでは終われない。
自分が何者なのか。
なぜ神々に恐れられているのか。
この目で、確かめなければならない。
神々に捨てられた少女の旅は、まだ始まったばかりだった。
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第二話を読んでくださり、ありがとうございます!
リリアは古い遺跡で、世界の始まりに関わる不思議な記憶を目にしました。
神々は本当に世界の創造主なのか。そして、壁画に描かれた少女とリリアの間には、どのような繋がりがあるのでしょうか。
さらに、リリアたちの前に現れた謎の存在。その目的も、これから明らかになっていきます。
次回、リリアは神々が隠してきた秘密へ、もう一歩近づくことになります。
引き続き、リリアとアレンの旅を見守っていただけたら嬉しいです。
それでは、第三話でお会いしましょう!




