第16話 神々の追跡者と、閉ざされた記録
第16話 神々の追跡者と、閉ざされた記録
鐘の音が鳴りやんだ瞬間、禁書庫の扉が轟音とともに閉じた。
壁に刻まれた紋様が赤く染まり、床を走る光の線が、私たちを取り囲むように広がっていく。
「全員、下がれ!」
アレンが剣を抜いた。
けれど、刃が光の線に触れた瞬間、甲高い音が響き、火花が散った。
「くっ……!」
「アレン!」
「大丈夫だ。だが、普通の剣では壊せそうにない」
レオンが周囲を見回した。
「禁書庫の封鎖機構だ。侵入者を閉じ込め、記録を外部へ漏らさないための仕組みだろう」
「でも、神々に通報する機能まであるんでしょ? だったら、私たちがここにいることも知られているんじゃ……」
ミラの言葉に、私はうなずいた。
「うん。もう、時間はないと思う」
アステリオンは、私たちがここにいると知った。
彼が次に何をするのかは分からない。
けれど、これまでの行動を考えれば、私たちを見逃すはずがなかった。
私は閉ざされた扉へ手を伸ばした。
《創世の理》を使って、封鎖の仕組みを読み取ろうとする。
その瞬間、鋭い痛みが頭を貫いた。
「っ……!」
視界が揺れる。
指先から淡い光が漏れ、床の紋様が一斉に反応した。
《創世の理》が、私の意思とは関係なく動こうとしている。
まただ。
地下遺跡で守護者が目覚めたときと同じ感覚。
世界の法則が、私の力を通して何かを要求している。
「リリア、やめろ!」
アレンが私の手をつかんだ。
「これ以上使えば、また倒れるぞ!」
「でも、このままじゃ……」
「出口を探す方法は、ほかにもあるはずだ」
彼は私の目を見た。
「お前が倒れたら、俺たちはどうすればいい?」
その言葉に、私は唇をかんだ。
自分の力で解決しなければ。
そう思っていた。
けれど、それでは以前と何も変わらない。
私は一人で全部を背負おうとしている。
「……ごめん」
「謝らなくていい。頼ってくれれば、それでいい」
アレンは私の手を離し、周囲を見渡した。
「レオン、何か手掛かりはないか?」
「待て。禁書庫の封鎖は、単なる魔術ではない。記録そのものを使った防御機構だ」
レオンは本棚に近づき、背表紙を一冊ずつ確認し始めた。
「ならば、封鎖を解く鍵も、どこかの記録に残されている可能性がある」
「つまり、本を探せばいいってこと?」
ミラが尋ねる。
「そうだ。ただし、神々に関する記録は触れるだけで危険なものもある。むやみに開くな」
「……分かった」
私たちは手分けして、禁書庫の中を調べ始めた。
膨大な書物。
古代の文字。
誰かが意図的に削り取った記録。
その一つ一つが、世界の失われた歴史を物語っている。
私は本棚の奥へ進んだ。
そこには、ほかの書物とは明らかに違う一角があった。
背表紙に題名がない本ばかりが並び、周囲には銀色の鎖が巻きつけられている。
そのうちの一冊が、かすかに光っていた。
なぜか、目が離せなかった。
私はそっと手を伸ばした。
すると、本はひとりでに棚から飛び出した。
「えっ?」
宙に浮いた本が、私の目の前でゆっくりと開く。
白紙だったページに、文字が浮かび上がっていった。
《創造主エリシアの記録》
《世界創造の動機に関する、非公開記録》
私は息をのんだ。
「これ……」
背後から、レオンが駆け寄ってきた。
「何を見つけた?」
「エリシアの記録みたい。でも、普通の書物とは違う」
ページがひとりでにめくられていく。
そして、最後のページに、一つの文章が現れた。
――私は、誰にも愛されない世界を創りたくなかった。
その一文を読んだ瞬間、胸の奥が強く締めつけられた。
愛されない世界。
その言葉は、私の前世の記憶を呼び起こした。
誰かに嫌われることが怖かった。
期待に応えられなければ、見捨てられると思っていた。
だから、周囲に合わせた。
本当の気持ちを隠し、誰かの望む自分でいようとした。
それでも、心の奥ではずっと願っていた。
ありのままの自分を、誰かに受け入れてほしいと。
エリシアも、同じだったのだろうか。
私は、続きを読み進めた。
――世界を創る前、私は何も持っていなかった。
――名前も、家族も、帰る場所もなかった。
――だから、誰かが私と同じ思いをしなくて済むように、世界を創ろうと思った。
文字を追うたび、胸の奥に知らない感情が流れ込んでくる。
寂しさ。
希望。
そして、失うことへの恐怖。
――けれど、世界を創っただけでは、誰も幸せにはなれなかった。
――私は、彼らが争わないように、傷つかないように、すべてを整えようとした。
――失敗しないように。
――誰も私を憎まないように。
――誰も、私のもとから去っていかないように。
私は思わず顔を上げた。
それは、創造主の記録というより、一人の少女の日記のようだった。
世界を創った神であっても、心の奥では孤独を恐れていた。
誰かに嫌われることを恐れ、すべてを思いどおりにしようとしていた。
その結果、彼女は何をしてしまったのだろう。
ページの文字が変わった。
――私は、七つの誓約を作った。
――世界を守るために。
――そして、本当は、自分自身を縛るために。
その先には、短い文章が記されていた。
――もし、いつか私が世界を愛せなくなったなら。
――どうか、誰かが私を止めてほしい。
私は息を止めた。
アレンが、隣で静かに呟いた。
「だから、あの剣が……」
創造主を斬るための剣。
エリシアは、世界を守るために自分を止める仕組みを作った。
けれど、それだけではない。
彼女は、自分が世界を愛せなくなる未来を恐れていたのだ。
そして、最後のページに、さらに文字が浮かび上がった。
――私は、世界を守るために、ある選択をした。
――その選択を知れば、きっと私は許されないだろう。
――だから、この記録を読む者に願う。
――私を正しい存在だと思わないでほしい。
――私を、ただの一人の人間として見てほしい。
その言葉を読んだ瞬間、私は目を閉じた。
エリシアは、完璧な創造主ではなかった。
孤独を恐れ、誰かに認められたいと願い、間違えることを恐れた少女だった。
そして、その恐れから逃れるために、世界に何かをしてしまった。
「……私は、あなたを憎んだりしないよ」
思わず呟いていた。
彼女が何をしたのか、まだすべては分からない。
許せないことがあるかもしれない。
受け入れられない選択があるかもしれない。
それでも、私は彼女を知りたい。
最初から悪だと決めつけるのではなく、何を願い、何を恐れ、なぜ間違えたのかを知りたい。
そのとき、本のページが激しく震えた。
新しい文字が浮かび上がる。
――記録の閲覧者を確認。
――創造主の魂との同調を開始。
「えっ……?」
身体の奥で、何かが弾けた。
視界が白く染まり、私は再び記憶の中へ引き込まれた。
◇
◇
そこは、花が咲き乱れる庭園だった。
空には青い鳥が飛び、風が柔らかく花びらを揺らしている。
私は、その庭園に立つ少女を見た。
銀色の髪。
幼い顔立ち。
まだ、神々と誓約を結ぶ前のエリシアだった。
彼女の隣には、一人の少年が立っていた。
茶色の髪。
優しい目。
左手には、白い花をあしらった銀の指輪。
「……カイル?」
少年はエリシアに微笑みかけた。
『また一人で考え込んでいたのですか?』
『だって、世界を創るのって難しいのよ』
幼いエリシアは頬を膨らませた。
『みんなが幸せになれる世界を作りたいのに、どうすればいいのか分からないの』
カイルは少し考えてから、彼女の頭に手を置いた。
『それなら、最初から完璧な世界を作ろうとしなければいいんです』
『……え?』
『間違えたら、やり直せばいい。失敗したら、誰かに相談すればいい。世界を創るのがあなた一人でも、世界を守ることまで一人でやる必要はありません』
エリシアは、ぽかんと口を開けた。
それから、ゆっくりと笑った。
『……あなたって、不思議な人ね』
『そうでしょうか』
『ええ。だって、私が創造主だと知っても、特別扱いしないんだもの』
カイルは首をかしげた。
『あなたは、あなたでしょう?』
エリシアは目を見開いた。
その言葉が、彼女の心に深く刻まれたことが分かった。
――あなたは、あなた。
神だからでも。
世界を創ったからでもない。
ただ、一人の存在として。
そのとき、庭園の景色が揺らいだ。
空が黒く染まり、花々が枯れていく。
幼いエリシアの姿が消え、代わりに成長した彼女が現れた。
彼女は、荒れ果てた大地の上で、一人の少年に背を向けていた。
『ごめんなさい、カイル』
その声は、涙に濡れていた。
『私はもう、誰も信じられない』
カイルが駆け寄ろうとする。
『エリシア様!』
『近づかないで!』
エリシアの周囲で、黒い光が弾けた。
『あなたまで、私を裏切るのなら……』
彼女は顔を覆った。
『私は、何のために世界を創ったの?』
その言葉を最後に、記憶は途切れた。
◇
「リリア!」
アレンの声が聞こえた。
私ははっと目を開けた。
目の前には、心配そうな仲間たちの顔があった。
「……私、どれくらい?」
「数秒だ。急に意識を失ったように見えた」
アレンは私の肩を支えたまま、顔をのぞき込んだ。
「何があった?」
「記憶が……見えたの」
私は呼吸を整えながら、先ほどの光景を説明した。
カイルとエリシアの出会い。
そして、彼女が誰も信じられなくなった瞬間。
話を聞き終えたカイルは、指輪を握りしめた。
「俺は……あの人に、何かを約束していたのかもしれない」
「きっとね」
私はうなずいた。
「でも、どうしてエリシアが誰も信じられなくなったのかは、まだ分からない」
「神々に裏切られたからではないのか?」
レオンが言った。
「それも理由の一つかもしれない。でも、彼女の記録には『ある選択をした』と書いてあった」
私は本を見つめた。
「神々に裏切られたことだけが、すべてじゃない。エリシア自身も、何かをしてしまったんだと思う」
そのとき、禁書庫全体が大きく揺れた。
天井から細かな石片が落ち、壁の封印が次々と赤く光り始める。
『警告』
『外部より、封印解除命令を受信』
『神性権限による記録消去を開始』
「記録消去だと!?」
レオンが叫んだ。
「神々が、この禁書庫そのものを消そうとしている!」
本棚の書物が次々と燃え上がる。
だが、炎は赤くなかった。
白い光が本を包み、文字も紙も、最初から存在しなかったかのように消していく。
「そんな……!」
ミラが本棚へ駆け寄った。
「ここには、まだたくさんの記録があるのに!」
「ミラ、離れろ!」
アレンが彼女を引き戻した。
光に触れた床の一部が、音もなく消滅していた。
私は、手に持った本を見下ろした。
この記録だけでも、持ち出さなければ。
そう思った瞬間、本がひとりでに閉じた。
表紙に、最後の文字が浮かび上がる。
――閲覧者に、記録の継承を許可する。
次の瞬間、本が光の粒となって崩れ、私の胸へ吸い込まれた。
「えっ……!?」
身体の奥に、温かな光が広がった。
新たな記憶が、私の魂に刻まれていく。
《原初の記憶:第五封印の断片を確認》
《記録継承――完了》
そして、最後に。
《警告:創造主の記録に、未承認の改変を検出》
私は息をのんだ。
未承認の改変?
誰かが、エリシアの記録を書き換えたということなのだろうか。
答えを探す間もなく、白い光が部屋全体を覆い尽くした。
「全員、出口へ走れ!」
レオンの声が響く。
私たちは崩れ始めた禁書庫を駆け抜けた。
アレンが先頭に立ち、ミラとカイルが続く。
レオンは最後尾で、崩れ落ちる壁を避けながら私たちを追った。
階段を上り、大聖堂の祭壇へ飛び出した瞬間、背後で轟音が響いた。
禁書庫の入口が、完全に閉ざされた。
そして、壁に刻まれていたエリシアの紋章も、跡形もなく消え去った。
私たちは、しばらく言葉を失った。
真実を知るための場所は、もう使えない。
けれど、その一部は私の中に残っている。
私は胸元に手を当てた。
エリシアの記録。
彼女が世界を創った理由。
そして、誰にも信じてもらえなくなった少女の記憶。
まだ、すべては分からない。
でも、一つだけ確信した。
エリシアは、最初から世界を壊そうとしていたわけではない。
彼女は、誰も傷つかない世界を作ろうとした。
その願いが、いつしか何かを歪めてしまったのだ。
「……私は、あなたの答えを見つけるよ」
誰にも聞こえないほど小さな声で、私は呟いた。
「あなたと同じ間違いを繰り返さないために」
そのとき、廃都の上空に、巨大な光の輪が現れた。
七つの光が円を描き、街全体を包み込む。
アレンが空を見上げ、剣を抜いた。
「来るぞ……!」
光の輪の中心から、一人の人影が降りてきた。
銀髪。
紫の瞳。
神々の使者、セフィルだった。
彼は地面に降り立つと、私たちを見つめた。
いつものように無表情だったが、その手はかすかに震えていた。
「リリア・エヴァンジェル」
セフィルは静かに告げた。
「アステリオン様の命令により、あなたを神殿へ連行します」
アレンが一歩前へ出る。
「断ると言ったら?」
「……抵抗する者は、排除せよとの命令です」
セフィルはそう答えた。
けれど、その声には迷いがあった。
私は彼の紫の瞳を見つめた。
「セフィル。あなたは、本当にそれが正しいと思っているの?」
彼の指がぴくりと動いた。
「……私は、神々の命令に従う存在です」
「それは答えになっていないよ」
私は一歩、前へ出た。
「あなた自身は、どう思っているの?」
セフィルは口を開いた。
けれど、声は出なかった。
その瞬間、彼の首元に黒い紋様が浮かび上がった。
『命令違反を検知』
どこからともなく、冷たい声が響く。
『使者セフィル。即時、任務を遂行せよ』
セフィルの身体が硬直した。
紫の瞳から、光が消えていく。
そして彼は、ゆっくりと剣を抜いた。
その切っ先が、私へと向けられる。
「……申し訳ありません」
セフィルの唇が、かすかに動いた。
「私は……命令に、従わなければ……」
私は彼を見つめた。
神々に従うことしか許されなかった存在。
自分の意思を持つことさえ、禁じられた使者。
その姿に、かつての自分を重ねずにはいられなかった。
誰かの期待に応えようとして、本当の気持ちを押し殺していた自分を。
だから私は、剣を抜かなかった。
「セフィル。あなたにも、選ぶ権利があるはずだよ」
彼の剣先が、わずかに揺れた。
その瞳の奥で、何かが目覚めようとしていた。
神々の命令か。
それとも、彼自身の意思か。
答えは、まだ誰にも分からなかった。
第十六話・終
次回、第十七話「神の使者セフィルと、初めての選択」
アステリオンの命令に縛られ、リリアに剣を向けるセフィル。しかし、リリアは彼を敵として倒すのではなく、自分の意思で選ぶよう語りかける。
一方、セフィルの身体に刻まれた命令の紋様は、彼の記憶と感情を消し去ろうとしていた。
そして彼は、生まれて初めて、神々の命令に逆らうという選択を迫られる。




