第15話 廃都ヴェルグラントと、開かれた禁書庫
第15話 廃都ヴェルグラントと、開かれた禁書庫
古都ヴェルグラントにたどり着いたのは、翌日の昼過ぎだった。
街を囲んでいたはずの城壁は崩れ、かつて人々が行き交った大通りには、ひび割れた石畳と枯れた草だけが残されている。
建物の多くは崩壊し、窓のない家々が、まるで空っぽの眼窩をこちらへ向けているようだった。
風が吹くたび、どこか遠くで鐘のような音が響く。
けれど、この街に鐘楼はない。
「……ここが、ヴェルグラント」
私は呟いた。
かつては世界有数の学術都市であり、創造主エリシアに関する記録を管理していた場所。
それが今では、誰も近づこうとしない廃墟になっている。
「神々の歴史書では、ここは大災厄の際に滅びた街とされている」
レオンが崩れた建物を見上げた。
「だが、本当は違う。大災厄よりもずっと前に、ここでは創造主の記録が研究されていた。神々にとって都合の悪い事実が、数多く見つかっていたんだ」
「だから、街ごと消されたの?」
ミラが眉をひそめる。
「その可能性は高い」
レオンの表情は険しかった。
「真実を知ろうとした者たちが、どんな目に遭ったのか……この廃墟が物語っている」
私は足元に目を落とした。
石畳の隙間には、焼け焦げた金属片が埋まっていた。
その表面には、七つの光を模した紋様が刻まれている。
私はしゃがみ込み、そっと指を触れた。
すると、胸の奥で小さな痛みが走った。
――ここに来たことがある。
そう感じた。
もちろん、今の私が訪れたことはない。
けれど、私の魂は、この場所を知っている。
「リリア?」
アレンの声に、私は顔を上げた。
「大丈夫。ちょっと、懐かしい感じがしただけ」
「懐かしい?」
「うん。でも、どうしてなのかは分からない」
答えながら、私は街の中心にそびえる建物を見つめた。
崩れかけた大聖堂。
その尖塔は途中で折れ、壁面には巨大な亀裂が走っている。
それでも、正面の扉だけは不自然なほど完全な形を保っていた。
扉の中央には、銀色の髪をした少女の紋章が刻まれている。
エリシアだ。
私は確信した。
「禁書庫の入口は、あそこだと思う」
レオンが目を見開く。
「なぜ分かる?」
「……分からない。でも、あの扉が私を呼んでいる気がするの」
アレンは一瞬だけ考え、それからうなずいた。
「分かった。だが、俺たちも一緒に入る」
「もちろん。みんなで行こう」
私は立ち上がり、大聖堂へ向かって歩き出した。
廃都の静寂が、私たちの足音を飲み込んでいった。
◇
大聖堂の内部は、外から見た以上に荒れ果てていた。
長椅子は砕け、柱には黒い染みが広がっている。
かつて天井を彩っていたであろう壁画も、ほとんどが削り取られていた。
ただ一つ、祭壇の背後にある壁画だけは残っていた。
そこには、銀髪の少女と七人の人影が描かれている。
少女は両手を広げ、七人に光を分け与えていた。
だが、その下半分は何者かによって削り取られていた。
「……また、消されている」
レオンが壁画を見つめた。
「創造主と神々の関係を示す記録は、どこも同じだ。重要な部分だけが失われている」
「神々が隠しているのね」
ミラが呟く。
「おそらくな」
私は壁画に近づいた。
銀髪の少女の顔に指先を伸ばす。
触れた瞬間、頭の中に声が響いた。
『こちらへ、リリア』
私は息をのんだ。
今の声は、誰のものだろう。
アレンたちには聞こえていないらしい。
私は祭壇の奥へ進んだ。
そこには、何もない壁があるだけだった。
けれど、壁の中央に手をかざすと、淡い銀色の紋様が浮かび上がった。
七つの光が円を描き、その中心に一つの文字が現れる。
――エリシア。
私の名前ではない。
私の前世の名前。
その文字を見た途端、胸が強く締めつけられた。
「……開いて」
私は小さく囁いた。
「私は、真実を知りたい」
紋様が光を放った。
壁が音もなく左右に開き、その奥から冷たい空気が流れ出してくる。
長い階段が、地下へと続いていた。
「本当にあったのか……」
レオンが呆然と呟いた。
「創造主の禁書庫……」
アレンは私の隣に立った。
「行けるか?」
私は一度、深く息を吸った。
怖くないと言えば嘘になる。
この先には、私が知りたくない真実があるかもしれない。
エリシアが犯した罪。
神々が隠した歴史。
そして、私自身の存在理由。
それでも、私は進むと決めた。
「うん。行こう」
私たちは階段を下り始めた。
◇
地下へ進むにつれて、空気が変わっていった。
壁には無数の本棚が埋め込まれ、古い書物が整然と並んでいる。
ところどころに浮かぶ小さな光が、通路を照らしていた。
驚くべきことに、書物の多くは朽ちていなかった。
何千年もの時間が流れたはずなのに、紙も革も、まるで昨日まで誰かが手入れをしていたかのように保たれている。
「ここは、時間そのものが違うのか?」
アレンが周囲を見回す。
「禁書庫を守るための法則が働いているんだろう」
レオンが答えた。
「外の世界と同じ時間が流れているとは限らない」
「ということは……」
ミラが顔を引きつらせた。
「ここで一日過ごしたら、外では百年経っていた、なんてことも?」
「可能性は否定できないな」
「ちょっと! そういうことは先に言ってよ!」
ミラの抗議に、カイルが苦笑した。
私も少しだけ笑った。
けれど、その笑いは長く続かなかった。
通路の最奥に、一つの扉があったからだ。
ほかの扉とは違う。
黒い金属で作られた扉の表面には、七つの封印が刻まれていた。
そのうち六つは光を失っている。
残る一つだけが、かすかに脈打っていた。
扉の前に立った瞬間、私の《創世の理》が反応した。
身体の奥で、何かが目覚める。
そして、頭の中に声が響いた。
『よく来たわね』
私は目を見開いた。
目の前の扉が、ゆっくりと開いていく。
その向こうには、円形の部屋が広がっていた。
壁一面に書物が並び、中央には透明な水晶の台座が置かれている。
そして、その台座の上に――一人の少女が立っていた。
銀色の髪。
透き通るような瞳。
私と同じ顔。
けれど、彼女の姿は透き通っていて、触れることはできそうになかった。
私は息をのんだ。
「……エリシア?」
少女は静かに微笑んだ。
『ええ。正確には、私の記憶が作り出した幻影だけれど』
「あなたが……私の前世?」
『そうよ』
彼女は私を見つめた。
その目には、懐かしさと悲しみが混じっていた。
『ここまで来てくれて、ありがとう』
私は一歩、前へ進んだ。
「私は、あなたのことを知りたい。七つの誓約のことも、神々が何を隠しているのかも」
『そうね。あなたには知る権利がある』
エリシアは目を伏せた。
『でも、その前に一つだけ伝えておきたいことがあるの』
「何?」
彼女は、苦しそうに微笑んだ。
『あなたが真実を知れば、きっと私を憎むことになるわ』
胸が凍りついた。
「……どうして?」
『私は、世界を守るために多くのものを犠牲にした』
エリシアの声は静かだった。
『そして、その選択は……決して正しいものばかりではなかったの』
彼女の背後に、映像が浮かび上がった。
燃える街。
倒れた騎士たち。
泣き叫ぶ人々。
その中心で、エリシアが一人、立ち尽くしていた。
私は思わず息を止めた。
これは、記憶なのだろうか。
それとも、彼女が私に見せている幻影なのだろうか。
『あなたがこれから知ることの中には、私が隠した真実もある』
エリシアは私を見つめた。
『神々に裏切られたことだけが、すべてではないのよ』
「……あなた自身にも、何か罪があるの?」
『ええ』
彼女は迷わず答えた。
『私は、間違えた』
その言葉に、私は何も言えなかった。
かつての自分が、世界を創った存在が、自らの過ちを認めている。
ならば、その過ちとは何だったのだろう。
七つの誓約に関わることなのか。
それとも、カイルが剣を向けた理由なのか。
エリシアは、私の疑問を察したように続けた。
『まずは、第七の誓約を知りなさい』
台座の水晶が輝いた。
そこに、古い文字が浮かび上がる。
――第七の誓約。
――創造主は、世界を終わらせる権利を持つ。
その下には、消されたはずの続きを示す文字が現れ始めた。
私は思わず身を乗り出した。
けれど、最後の一行が浮かび上がる直前、文字が激しく乱れた。
黒い靄が水晶を覆い尽くす。
「そんな……!」
私が手を伸ばした瞬間、エリシアが鋭く叫んだ。
『触れては駄目!』
遅かった。
指先が水晶に触れた瞬間、全身を衝撃が駆け抜けた。
視界が白く染まる。
そして、頭の中に無数の声が響いた。
『創造主は、世界を終わらせる権利を持つ』
『ただし、その代償として――』
聞こえてくる声が、少しずつ重なっていく。
『創造主は、世界から……』
そこで声が途切れた。
私は膝をついた。
身体が震え、呼吸が乱れる。
エリシアが駆け寄ろうとするが、幻影の手は私に触れられない。
『いけない……封印が、まだ残っているのね』
「……封印?」
『誰かが、この誓約の真実を隠している』
エリシアの顔から、悲しみが消えた。
代わりに浮かんだのは、強い警戒心だった。
『リリア。よく聞いて』
彼女は私をまっすぐに見つめた。
『もし、アステリオンがあなたに世界を守る方法を教えようとしたら――決して、その言葉を信じてはいけない』
「どうして? 彼は、何を隠しているの?」
エリシアは答えようとした。
けれど、その身体が急に揺らぎ始めた。
部屋の壁に刻まれた封印が、一つずつ赤く染まっていく。
『時間がない……』
彼女の声がかすれる。
『リリア。あなたは私と同じ魂を持っている。でも、私と同じ選択をする必要はない』
「待って! まだ聞きたいことがあるの!」
『忘れないで』
エリシアは最後に微笑んだ。
『あなたが誰を愛し、誰を守り、何を選ぶのか。それだけは、誰にも奪わせてはいけない』
次の瞬間、幻影は光となって消えた。
部屋に静寂が戻る。
私はしばらく、その場から動けなかった。
エリシアは、私に何かを伝えようとしていた。
けれど、最も重要な部分は、またしても隠されてしまった。
「リリア!」
アレンが駆け寄り、私の肩を支えた。
「大丈夫か?」
「……うん。でも、まだ分からないことだらけ」
私は水晶の台座を見つめた。
そこには、最後に一つだけ文字が残っていた。
《代償――創造主の存在を、世界から消去する》
息が止まった。
世界を終わらせる代償は、世界を創った者自身が消えること。
つまり、エリシアは世界を守るために、自分自身を犠牲にするつもりだったのだろうか。
それとも、この文字さえも偽りなのか。
答えは、まだ分からない。
ただ一つ、確かなことがあった。
私はもう、過去の自分を知らないままではいられない。
そして、過去の自分を知ったからといって、彼女の選択をそのまま受け入れるつもりもなかった。
私はゆっくりと立ち上がった。
「……もっと調べよう」
アレンがうなずく。
「分かった。最後まで付き合う」
ミラも、レオンも、カイルも、静かにうなずいた。
そのとき。
禁書庫の奥から、低い鐘の音が響いた。
一度。
二度。
三度。
壁に刻まれた封印が、一斉に輝き始める。
そして、私たちの頭上に、巨大な文字が浮かび上がった。
《禁書庫への侵入を確認》
《創造主の魂を確認》
《神々への通報を開始》
「……まずい!」
レオンが叫んだ。
「禁書庫が、神々に私たちの存在を知らせている!」
遠く離れた神々の神殿で、アステリオンが顔を上げた。
彼の前に浮かぶ水晶が、まばゆい光を放っている。
「見つけたぞ、エリシア……」
彼はゆっくりと立ち上がった。
「禁書庫を開いたか。ならば、もう猶予はない」
アステリオンの背後で、封印された剣が音を立てた。
その刀身に、七つの光が浮かび上がる。
「第七の誓約を完成させる」
神は冷たく微笑んだ。
「たとえ、世界そのものを犠牲にしてもな」
第十五話・終
次回、第十六話「神々の追跡者と、閉ざされた記録」
禁書庫が神々に侵入を知らせたことで、リリアたちは急いで脱出を試みる。しかし、禁書庫そのものが封鎖され、出口への道が閉ざされてしまう。
そのとき、書物の奥から一冊の本が飛び出し、リリアの前で開いた。
そこに記されていたのは、神々の公式記録には存在しない、「エリシアが世界を創った本当の理由」だった。




