第14話 禁書庫への道と、裏切りの予言
第14話 禁書庫への道と、裏切りの予言
翌朝、私たちは古都ヴェルグラントを目指して出発した。
森を抜け、北東へ続く街道を進む。
昨夜の出来事以来、アレンは剣を布で包み、腰に下げていた。あの黒い光は消えたままだが、剣が本当に沈黙したのかは分からない。
そして、私の頭からも、あの文字が離れなかった。
――創造主を斬る者。
エリシアは、自分を殺せる剣を用意した。
世界を守るためだったのか。
それとも、自分が世界を滅ぼす未来を予見していたのか。
「リリア、考え込んでるね」
隣を歩くミラが、私の顔をのぞき込んだ。
「……うん。ちょっとね」
「また一人で難しいことを考えてるんでしょ」
「そんなことないよ」
「嘘。眉間にしわが寄ってる」
ミラは私の額を指先でつついた。
「分からないことは、みんなで考えればいいじゃない。リリアが全部背負う必要なんてないんだから」
その言葉に、私は思わず苦笑した。
「それ、アレンにも言われたよ」
「じゃあ、二対一で決まりね」
「何が?」
「リリアは一人で悩みすぎないこと!」
ミラは満足げに胸を張った。
少し離れたところからアレンが振り返る。
「ミラ、俺まで勝手に仲間に入れるな」
「えっ、反対なの?」
「……反対とは言っていない」
「ほらね!」
ミラが笑う。
私もつられて笑った。
世界の命運だとか、神々の陰謀だとか。
考えなければならないことは山ほどある。
それでも、こうして笑える時間があることが、今の私には何より大切だった。
――だからこそ、守りたい。
誰かに命じられたからではなく、私自身がそう願うから。
そのときだった。
後方を歩いていたカイルが、突然足を止めた。
「……っ」
彼は胸元を押さえ、苦しそうにうずくまった。
「カイル?」
アレンがすぐに駆け寄る。
「どうした!」
「分からない……指輪が……!」
カイルの左手には、銀色の指輪がはめられていた。
白い花の意匠が施された、古びた指輪。
以前、古代の書物が彼を「最初の裏切り者」と呼んだときにも、その指輪は反応していた。
今、その花が淡い紫色に輝いている。
そして、指輪から伸びた光が、カイルの腕を包み込んだ。
「カイル、指輪を外して!」
私が叫ぶ。
彼は指輪に手をかけた。
けれど、外れない。
「駄目だ……! 何かが、頭の中に……!」
次の瞬間、彼の身体が大きく震えた。
私は反射的に《創世の理》を使おうとした。
だが、力を解放する直前、カイルの瞳が私を捉えた。
「来るな……リリア!」
その声に、私は動きを止めた。
彼の瞳の奥に浮かんでいたのは、恐怖だった。
私に向けられた恐怖ではない。
自分自身に対する恐怖。
「俺は……何をしたんだ……?」
彼の声が、森の中に響いた。
◇
カイルの意識は、記憶の底へと沈んでいった。
そこに広がっていたのは、燃え盛る世界だった。
空は赤黒く染まり、大地には無数の亀裂が走っている。
巨大な塔が崩れ落ち、海は天へと逆巻いていた。
世界そのものが、終わろうとしていた。
そして、その中心に一人の少女が立っていた。
銀色の髪。
透き通るような瞳。
見間違えるはずもない。
創造主エリシア。
彼女は両手を広げ、世界に向かって何かを告げていた。
『もう、終わりにしましょう』
静かな声だった。
怒りも、憎しみも感じられない。
ただ、深い悲しみだけがあった。
『これ以上、誰も傷つかなくていいように』
エリシアの周囲で、七つの光が砕け散った。
神々が築いた秩序が崩れ、世界を縛る法則が一つずつ消えていく。
そのとき、彼女の前に一人の青年が立ちはだかった。
茶色の髪。
強い意志を宿した瞳。
そして、左手には銀色の指輪。
若き日のカイルだった。
『エリシア様。どうか、おやめください』
彼は剣を抜いた。
エリシアは、悲しそうに微笑んだ。
『カイル。あなたまで、私を止めるの?』
『はい』
カイルの手は震えていた。
『あなたが世界を創ったのなら、あなたには世界を終わらせることもできるのでしょう』
彼は剣を構えた。
『ですが……それでも、私はあなたに世界を滅ぼさせたくない』
エリシアは目を伏せた。
『そう。ならば、あなたが選びなさい』
彼女の胸元に、光が集まる。
『私を止めるのか。それとも、私と一緒に世界の終わりを迎えるのか』
カイルは答えなかった。
代わりに、剣を握る手に力を込めた。
そして――。
『申し訳ありません、エリシア様』
剣が振り下ろされた。
◇
「うわああああっ!」
カイルの叫び声で、私は我に返った。
彼は地面に倒れ込み、荒い呼吸を繰り返していた。
指輪の光は消えている。
私はすぐに膝をつき、彼の肩に手を添えた。
「カイル! 聞こえる?」
「……リリア……?」
「うん。ここにいるよ」
彼はぼんやりと私を見つめた。
その瞳には、深い絶望が浮かんでいた。
「俺は……エリシア様に剣を向けた」
誰も口を開かなかった。
カイルは震える手で顔を覆った。
「思い出したんだ。俺は、あの人を裏切った……」
「カイル」
「俺が……俺が、創造主を殺そうとしたんだ」
彼の声が途切れた。
アレンは剣の柄に手を置いたまま、彼を見つめている。
レオンは目を閉じ、苦しげに息を吐いた。
そしてミラは、どう声をかければいいのか分からないように、唇をかみしめていた。
私はカイルの手を取った。
「……最後まで、思い出したの?」
彼は首を横に振った。
「分からない。剣を振り下ろしたところまでしか……。その後、何が起きたのかは、何も……」
私は指輪を見つめた。
記憶が戻ったのは偶然ではない。
誰かが、この指輪に仕掛けを施していたのだ。
そして、その目的は――。
「カイル。あなたは、エリシアを殺したと思っている?」
彼は顔を上げた。
「……分からない」
「なら、まだ答えは出ていないよ」
私は静かに告げた。
「記憶に映ったことがすべてとは限らない。誰かが隠したことも、書き換えたこともあるかもしれない」
「でも、俺は確かに……」
「うん。あなたが剣を向けたのは事実なのかもしれない」
私は言葉を選びながら続けた。
「だけど、どうしてそうしたのか。エリシアが本当に何を望んでいたのか。あなたが何を守ろうとしたのか。それを知らないまま、自分を裏切り者だと決めつけないで」
カイルは、何も言わなかった。
ただ、握りしめた拳が小さく震えていた。
やがて彼は、かすれた声で尋ねた。
「……もし、俺が本当にあの人を裏切っていたら?」
「そのときは、真実を知ったうえで、あなた自身がどうするかを決めればいい」
私は彼の手を握り直した。
「過去をなかったことにはできない。でも、これから何をするかは選べるから」
それは、自分自身に言い聞かせる言葉でもあった。
エリシアが何をしたとしても。
私が彼女と同じ魂を持っていたとしても。
私まで、彼女と同じ選択をする必要はない。
カイルは長い沈黙の後、小さくうなずいた。
「……ありがとう」
その声は、まだ震えていた。
けれど、彼の瞳には、ほんの少しだけ光が戻っていた。
◇
「一つ、気になることがある」
全員が落ち着いたところで、レオンが口を開いた。
「カイルの記憶に映った光景だ。あの世界の終わり方は、記録に残された大災厄と一致している」
「大災厄?」
ミラが尋ねた。
「かつて世界を滅亡寸前に追い込んだ事件だ。神々の公式記録では、創造主エリシアが自らの力に溺れ、世界を破壊しようとしたため、神々が彼女を止めたことになっている」
「でも、今の記憶では、カイルがエリシアに剣を向けていた」
私は指輪を見つめた。
「しかも、エリシアは世界を終わらせると言いながら、誰も傷つかなくていいようにって……」
その言葉が、胸の奥に引っかかった。
世界を終わらせる。
それは本当に、すべてを破壊するという意味だったのだろうか。
あるいは――。
「リリア」
レオンが私の考えを見透かしたように言った。
「だからこそ、禁書庫へ行く必要がある。そこには、神々が消し去った記録が残されているはずだ」
「第七の誓約の続きを見つければ、何か分かるかもしれないね」
「ああ。ただし、気をつけろ。禁書庫は単なる書物の保管場所ではない。記録を守るための仕掛けが、今も生きている可能性が高い」
「どんな仕掛けなの?」
「それは分からない。だが、創造主の魂を持つ者しか入れないという伝承もある」
私たちは顔を見合わせた。
つまり、入口を開けられるのは私だけかもしれない。
そして、そこに入れば、さらに多くの記憶が戻る可能性がある。
私は自分の手を見下ろした。
記憶が戻るたびに、私はエリシアのことを知っていく。
けれど、知れば知るほど、彼女が何者だったのか分からなくなる。
世界を創った少女。
神々に裏切られた創造主。
そして、世界を終わらせようとしたかもしれない存在。
いくつもの顔が重なって、まだ一つの答えにならない。
「行こう」
私は顔を上げた。
「禁書庫へ。私たちが知らない真実を、確かめに」
アレンがうなずいた。
「分かった。だが、今度こそ無茶はするな」
「努力します」
「努力ではなく、約束しろ」
「……約束する」
アレンは少しだけ表情を和らげた。
その様子を見て、ミラがくすくすと笑う。
「二人とも、なんだか親子みたい」
「ミラ!」
思わず声が裏返った。
アレンも咳払いをして、視線をそらす。
「……くだらないことを言っていないで、出発するぞ」
「はーい」
ミラは楽しそうに返事をした。
カイルも、ほんのわずかに笑った。
その笑顔を見て、私は少しだけ安心した。
過去がどんなに残酷でも、今この瞬間まで奪われるわけではない。
私たちは、まだ選び続けられるのだから。
◇
同じ頃。
神々の神殿、その最深部。
アステリオンは巨大な水晶の前に立っていた。
水晶の中には、森で倒れたカイルの姿が映し出されている。
「記憶の封印が、また一つ解けたか」
アステリオンは指先で水晶に触れた。
「だが、まだ足りない。あの男が最後まで思い出せば、すべてが崩れる」
背後から、静かな声がした。
「それほどまでに、彼の記憶を恐れているのですか?」
振り返ると、銀髪に紫の瞳を持つ使者、セフィルが立っていた。
いつも通り、表情は薄い。
だが、その瞳には以前にはなかった疑問が宿っていた。
「カイルは、創造主を裏切った者ではないのですか」
「そう教えたはずだ」
「はい。ですが、彼の記憶が真実ならば、なぜ封印する必要があったのでしょう」
アステリオンの目が細くなる。
「余計なことを考えるな、セフィル」
「……承知しました」
セフィルは頭を下げた。
けれど、疑問は消えなかった。
神々は正しい。
創造主は世界を滅ぼそうとした。
カイルは彼女を裏切った。
そう教えられてきた。
しかし、もし本当に正しいのなら――。
なぜ、真実を隠す必要があるのだろう。
セフィルが立ち去った後、アステリオンは水晶の前で静かに呟いた。
「カイル・エルデン。お前が思い出すべきなのは、彼女に剣を向けた瞬間ではない」
彼の声が、冷たい神殿に響く。
「その後、お前が何をしたかだ」
水晶の表面に、ひびが入った。
その亀裂の奥から、一瞬だけ別の光景が浮かび上がる。
燃え盛る世界。
血に染まった剣。
そして――エリシアを背後から抱きしめる、若き日のカイル。
『どうか……俺を、許さないでください』
映像はすぐに消えた。
アステリオンは目を閉じる。
「今度こそ、誰にも思い出させはしない」
だが、彼は知らなかった。
その言葉を聞いていた者が、神殿の柱の陰にいたことを。
銀髪の使者は、紫の瞳を伏せたまま、静かに拳を握りしめていた。
――真実とは、何なのだろう。
初めて生まれたその疑問は、セフィルの胸に深く刻まれた。
第十四話・完
次回、第十五話「廃都ヴェルグラントと、開かれた禁書庫」
ついに古都ヴェルグラントへ到着したリリアたち。崩れた大聖堂の地下で、リリアは創造主の魂に反応する禁書庫の入口を発見する。
しかし扉に触れた瞬間、彼女の前に現れたのは、かつての自分――エリシアの幻影だった。
その幻影は、リリアにこう告げる。
「あなたが真実を知れば、きっと私を憎むことになるわ」




