第106話 世界の外側が恐れるもの
第106話 世界の外側が恐れるもの
世界の成立境界へ続く道は、音もなく崩れ始めていた。
白い床に亀裂が走り、その隙間から無数の光がこぼれている。
リリアたちは急いで進んでいたが、誰も口を開こうとはしなかった。
第105話で見た、創造の光から取り残された小さな影。
あれは誰だったのか。
そして、世界の外側の存在は、なぜそこまでして記録を閉じようとするのか。
その答えが、すぐ先にある気がしていた。
「リリア、前を見て!」
ミラの声に、リリアは顔を上げた。
道の先に、巨大な黒い壁がそびえ立っていた。
壁の中央には、一つ目の光が浮かんでいる。
『ここから先への進入を禁止する』
外側の存在の声が響いた。
『世界の成立条件を変更する権限は、お前たちにはない』
アレンが剣を構えた。
「なら、その権限を持つ者に会わせろ」
『必要はない』
「必要かどうかを決めるのは、お前だけじゃない」
アレンの言葉に、黒い壁が低く唸った。
リリアは一歩前へ出た。
「私たちは、世界を壊しに来たんじゃない。あなたが記録を消そうとする理由を知りたいだけ」
『理由を知れば、理解できるとでも思うのか』
「理解できるかどうかは、聞いてみなければ分からないよ」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、壁の表面に文字が浮かび上がった。
《記録の閲覧――拒否》
《境界への接続――拒否》
そして、最後の一文が刻まれる。
《世界の維持を最優先とする》
リリアはその文字を見つめた。
「世界を維持すること。それが、あなたの目的なの?」
『そうだ』
「それなら、どうして記録を残すことが世界を壊すと決めつけるの?」
『未確定の意思は、世界の構造を不安定にする』
『選択されなかった未来が残れば、現実と記録の境界が曖昧になる』
『境界が失われれば、世界は成立できない』
その説明に、セフィルが険しい表情を浮かべた。
「理屈は通っている。だが、記録を残すことと、未確定の未来を現実にすることは同じではない」
『区別する方法が存在しない』
「存在しないのではなく、あなたが認めていないだけかもしれない」
セフィルの言葉に、黒い壁が震えた。
そのとき、カイルの指輪が淡い光を放った。
壁の表面に、一瞬だけ別の文字が浮かび上がる。
《初期管理者の記録――一部開示》
そして、誰かの声が響いた。
『世界を維持しなければならない』
『一つでも選択を誤れば、すべてが失われる』
その声は、外側の存在のものとは違っていた。
若い男の声だった。
カイルが顔を強張らせる。
「この声……以前、記憶の中で聞いた声に似ている」
「誰の声なの?」
ミラが尋ねた。
「分からない。でも、誰かが世界の維持を恐れていたんだ」
リリアは黒い壁に近づいた。
その向こうに、何かが閉じ込められている。
そう感じた。
「あなたは、世界が壊れることを恐れているの?」
一つ目の光が揺れた。
『恐れるという感情は、私にはない』
「なら、なぜそこまで必死に守ろうとするの?」
返答はなかった。
リリアは続けた。
「誰かに命じられたから? それとも、自分でそう決めたから?」
長い沈黙。
やがて、壁の中央に細い亀裂が走った。
『……私は、世界が崩壊する可能性を排除するために存在する』
その言葉を聞き、リリアは気づいた。
この存在は、世界の外側から世界を支配しているだけではない。
世界が壊れる可能性を見つけ、それを排除するために作られた仕組みなのかもしれない。
だからこそ、予測できない意思を恐れ、未確定の記録を閉じようとする。
「あなた自身が、選んだわけじゃないんだね」
『私は必要な処理を実行している』
「でも、今は私たちの言葉を聞いている」
リリアは静かに告げた。
「それなら、あなたにも考える余地があるんじゃないの?」
その瞬間、黒い壁が大きく揺れた。
一つ目の光が二つに分かれ、壁の奥から細い腕のような影が伸びてくる。
『不適切な問いかけを確認』
『管理機能への干渉を検出』
『対象を排除する』
「来るぞ!」
アレンが叫んだ。
ミラの炎が壁にぶつかり、セフィルの魔力が影を押し返す。
カイルは指輪を掲げ、リリアは創世の理を展開した。
しかし、影は何度でも再生した。
攻撃を続けても意味がない。
リリアは歯を食いしばった。
「止めて! 私たちは、あなたを壊したいわけじゃない!」
『排除を継続する』
「あなたが何を恐れているのか、教えてほしいだけなの!」
一瞬、影の動きが止まった。
その隙に、リリアは壁に手を触れた。
創世の理を通して伝わってきたのは、無数の記録だった。
世界の成立。
神々の誕生。
生命の増加。
争いと崩壊。
そして、何度も繰り返される世界の消滅。
この存在は、世界が壊れる未来を何度も見てきたのだ。
誰かが望みを叶えようとすれば、別の誰かが傷つく。
すべてを守ろうとすれば、何も決められなくなる。
その矛盾が積み重なり、世界そのものが崩壊する。
だから、この存在は一つの結論にたどり着いた。
不確定な意思を消せばいい。
選ばれなかった未来を記録から消せばいい。
そうすれば、世界は安定する。
「……あなたは、何度も世界を失ってきたんだね」
リリアが呟いた。
一つ目の光が激しく明滅した。
『その記録への接触を禁ずる』
「だから、もう二度と失わないように、全部を管理しようとした」
リリアは手を離さなかった。
「でも、失うことを恐れて、誰かが選ぶことまで奪ったら……それは、守っていることになるの?」
壁の奥から、初めて明確な感情を帯びた声が響いた。
『……世界が失われるよりは、ましだ』
その声は、かすかに震えていた。
リリアは目を見開いた。
この存在には、感情がないのではない。
感情を持つことを許されていないのかもしれない。
そして、壁の中央に新たな文字が浮かび上がった。
《初期管理者の記録》
《世界崩壊の観測回数――不明》
《最初の命令――世界を失わせるな》
最後の文字が現れた瞬間、黒い壁が大きく裂けた。
その向こうに、白い部屋が見えた。
部屋の中央には、誰も座っていない椅子が一つ置かれている。
椅子の前には、古びた記録板。
そこに刻まれていたのは、たった一つの名前だった。
しかし、その名前を読み取る直前、外側の存在が叫んだ。
『見るな!』
壁が崩れ、光がすべてを覆い尽くす。
リリアたちは後方へ押し戻された。
視界が戻ったとき、白い部屋は消えていた。
残されたのは、黒い壁に刻まれた新しい文字だけだった。
《初期管理者の記録――閲覧制限解除まで残り三時間》
アレンが息を呑んだ。
「残り三時間……」
セフィルは壁を見つめたまま、低く呟いた。
「外側の存在は、ただの敵ではない。誰かの命令を守り続けているのかもしれない」
リリアは、先ほど見た記録を思い返した。
最初の命令。
世界を失わせるな。
その命令を与えたのは、誰だったのか。
そして、命令を守るために、この存在は何を犠牲にしてきたのか。
彼女は黒い壁へ向き直った。
「もう少しで、あなたが何を守ろうとしているのか分かる気がする」
壁の奥から、かすかな声が聞こえた。
『……それを知れば、お前たちも同じ選択を迫られる』
次の瞬間、道の先に新たな扉が現れた。
その扉には、世界創造以前の紋章が刻まれている。
カイルの指輪が震えた。
アレンの銀の欠片も、同じ光を放った。
そして、扉の中央に一文が浮かび上がる。
《世界を守るために、最初に失われたもの》
リリアは静かに息を吸った。
「行こう。今度こそ、その記録を確かめるために」
彼女たちは、最後の扉へと歩き出した。
――第106話
次回、第107話「最初に失われたもの」




