第104話 記録を受け取る者
第104話 記録を受け取る者
《記録を受け取る者は、記録の内容を知らない者でなければならない》
扉に刻まれた文字を、リリアは何度も読み返した。
「記録の内容を知らない者……」
ミラが首を傾げる。
「でも、私たちはもう、かなりのことを知っちゃったよね?」
「そうだな。カイルも記録の一部を見た」
アレンは銀の欠片を握りしめた。
「俺たちの中に、条件を満たす者がいるのか?」
そのとき、第三の存在が一歩前に出た。
「私なら、受け取れるかもしれない」
全員の視線が少女に集まる。
「私は、自分が何を望んでいたのか、少しずつ思い出している。でも、記録のすべてを知っているわけじゃない」
少女は扉に手を伸ばした。
「私自身の過去なのだから、私が受け取るのが自然だと思う」
しかし、扉は反応しなかった。
代わりに、冷たい声が響く。
『条件不一致』
少女は手を引いた。
「……どうして?」
『記録対象との同一性が確定していない』
その言葉に、リリアの胸が締めつけられた。
少女は、かつて記録の中にいた存在と同じなのかもしれない。
けれど、まだ確定していない。
誰かが勝手に同一人物だと決めてしまえば、少女が自分で選ぶ機会を奪うことになる。
「同じ存在だと証明できなければ、受け取れないということ?」
リリアの問いに、扉は答えなかった。
その代わり、文字が変化する。
《記録の受領者――未確定》
《受領者の確定には、本人の意思と記録の一致を要する》
セフィルが眉をひそめた。
「矛盾している。記録を受け取る前に、本人の意思が記録と一致していると証明しなければならない。しかし、記録を知らなければ一致を確かめられない」
「つまり、記録を知らないまま、自分の意思を示さなきゃいけないんだね」
リリアは呟いた。
第三の存在は、扉を見つめた。
「それなら、私は受け取らない」
「え?」
ミラが驚いて振り返る。
少女は落ち着いた声で続けた。
「記録を受け取るために、記録に合わせて自分の意思を決めるなんて、おかしいもの。私は、誰かの記録と一致するために生きているわけじゃない」
扉の光が揺れた。
《本人の意思を確認》
《受領条件――再評価》
リリアは思わず息を呑んだ。
少女は記録を拒絶したのではない。
記録に自分を合わせることを拒絶したのだ。
その違いを、扉も認識したらしい。
だが、次の瞬間、空間全体が大きく揺れた。
黒い亀裂が天井のない空間を走り、外側の存在の声が響き渡る。
『条件の再評価を停止せよ』
『記録の受領者を確定できない場合、記録は閉鎖される』
アレンが剣を構えた。
「また来たか……!」
セフィルは魔力を展開し、ミラは炎を灯す。
しかし、リリアは二人を制した。
「待って。あの存在は、私たちが記録を受け取ることを恐れている。でも、どうしてそこまでして隠す必要があるの?」
「記録を開けば、世界の成立条件が揺らぐからだろう」
カイルが答えた。
「けれど、それだけじゃない気がする」
彼は指輪を見つめた。
「俺が記録を守った理由は、誰かの意思を残すためだった。でも、記録を残すことと、誰かに無理やり受け取らせることは違う」
カイルは扉に向き直った。
「受領者が見つからないなら、今は受け取らなくてもいいはずだ。記録を閉じるか、開くか。その二つしかないと決めたのは誰だ?」
静寂が訪れた。
やがて、扉に新たな文字が浮かぶ。
《第三の選択肢を検出》
《記録の一時保留――可能》
ミラが目を見開いた。
「できるの!?」
「最初から、できたのかもしれないね」
リリアは答えた。
「でも、誰も選ぼうとしなかった。あるいは、選べると知らされていなかった」
第三の存在は、ゆっくりと頷いた。
「私が求めていたのも、そういうことなのかもしれない。答えを今すぐ決められなくても、考える時間が残されていること」
扉が静かに開き始めた。
その向こうには、小さな白い部屋があった。
中央に置かれた台座の上には、封じられた記録板が一枚だけ残されている。
記録板には、名前がなかった。
ただ、一文だけが刻まれていた。
《この記録を受け取る者へ――君は、受け取らないことも選べる》
少女の瞳が揺れた。
「……私に向けられた言葉なのかな」
「まだ分からない」
リリアは隣に立った。
「でも、誰かがあなたに、選ぶ自由を残そうとしたことは確かだと思う」
少女は記録板に手を伸ばしかけ、途中で止めた。
「今は、まだ受け取らない」
その言葉に、誰も反対しなかった。
記録板は光を放ち、台座の中に静かに沈んだ。
《記録の一時保留――成立》
《閉鎖まで残り五時間》
しかし、安堵したのも束の間だった。
部屋の壁に、見覚えのある一つ目の光が浮かび上がった。
『記録を保留したところで、問題は解決しない』
外側の存在の声が響く。
『未確定の意思が存在する限り、世界は不安定なままだ』
リリアは、その光を見据えた。
「それでも、誰かの意思を無理やり確定させるよりはいい」
『世界を失ってもか?』
その問いに、リリアは一瞬だけ言葉を失った。
世界には、守りたい人々がいる。
仲間たちも、ここで出会った人々も、すべてが大切だった。
だからこそ、簡単には答えられない。
だが、第三の存在が前へ出た。
「世界を失いたいわけじゃない」
少女は、はっきりと告げた。
「私は、世界を守るために自分の意思を消すことも、自分の意思を守るために世界を壊すことも、まだ選ばない」
黒い光が揺れた。
「私は、どちらかを犠牲にするしかないのか、最後まで考えたい」
沈黙のあと、外側の存在が告げた。
『残り五時間』
『それまでに意思を確定できなければ、境界を閉鎖する』
一つ目の光が消えた。
リリアは少女を見つめた。
「焦らなくていい。時間は限られているけれど、あなたの答えを私たちが代わりに決めることはしない」
少女は小さく頷いた。
そして、白い部屋を出る直前、記録板が沈んだ台座を振り返った。
「いつか受け取るかもしれない。でも、そのときは誰かに求められたからじゃなくて、私が知りたいと思ったときにする」
その言葉に応えるように、台座の奥で一度だけ光が瞬いた。
まるで、遠い誰かがその選択を聞き届けたかのように。
――第104話・
次回、第105話「世界を守る者、意思を守る者」




